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商業都市の休日と、吸血鬼の噂


 風の精霊王シルフとの「交渉」を経て、サンズグリーズ鉄道・特急リリス号は、かつてない快走を見せていた。

 車体の周囲には、エメラルドグリーンの風が渦巻いている。それはシルフが与えてくれた加護であり、リリス号の巨体を後ろから力強く押し上げる「追い風」だった。


「ご乗車ありがとうございます。現在、リリス号は定刻より十五分ほど早まって運行しております」


 若葉一利のアナウンスが、軽快に車内に響き渡る。

 窓の外の景色は、飛ぶように後ろへと流れていく。荒野、森、そして破壊された遺跡群。それらが残像となって消えていくほどのスピードだ。

 だが、車内は驚くほど静かだった。魔法による防音結界と、精密に整備されたサスペンション、そして何よりシルフの風が空気抵抗を相殺してくれているおかげで、振動すら心地よいゆりかごのようだった。


「おい車掌ちゃん、外があんまり速すぎて目が回るんだが」


 そうぼやくのは、三号車に乗っているリザードマンの行商人だ。


「申し訳ありません。ですが、このスピードのおかげで、目的地である商業都市アルヴェルには日没前に到着できる見込みです。新鮮な積み荷を、一番高い時間帯に市場へ卸せるかと」


「ほう! 日没前か! そいつはありがてえ!」


 リザードマンは尻尾をパシパシと椅子に打ち付けて喜んだ。

 若葉は微笑んで一礼し、次の車両へと向かう。

 車掌としての仕事にも、だいぶ慣れてきた。

 最初は怯えていた異世界のトラブルも、今では「業務の一環」として処理できる図太さが身につきつつある。

 ドォォォォォン!!

 その時、先頭車両の方で爆発音がした。

 車体がガクンと揺れる。

 客席の乗客たちが「ヒッ」と息を呑み、窓の外を見る。

 荒野の真ん中に、バリケードのような丸太と岩が積まれ、そこに数十人の薄汚れた男たちが武器を構えて立っていた。野盗だ。戦後の混乱に乗じて、物資を運ぶ列車や馬車を襲うハイエナたち。

 彼らは魔導砲のようなものをリリス号に向けて撃ってきたようだ。

 だが、若葉は眉一つ動かさなかった。

 彼は懐中時計を確認し、壁の伝声管に向かって落ち着いた声で指示を出す。


「機関室、前方に障害物確認。……強行突破でお願いします」


『キュッ!(了解!)』


 短い応答と共に、リリス号のエンジン音が変わる。

 重低音の唸りが、甲高い咆哮へと変化する。

 先頭の排障器カウキャッチャーに赤い魔法陣が展開される。破砕と衝撃吸収の複合魔術だ。


「お客様にお知らせいたします」


 若葉は車内放送のマイクを握り、極めて事務的な口調でアナウンスした。


「ただいま、線路内に少々の障害物が確認されました。揺れますので、お手元の飲み物がこぼれないようご注意ください。また、窓の外をご覧になりますと、精神衛生上よろしくない光景が広がる恐れがございます。カーテンをお閉めになることを推奨いたします」


 次の瞬間。

 ズガガガガガガガッ!!!

 凄まじい衝撃音と、何かが粉砕される音が響く。

 リリス号は減速するどころか、さらに加速してバリケードに突っ込んだのだ。

 魔導兵器を改造したリリス号の装甲と重量は、並大抵の城壁すら粉砕する。ましてや、野盗の急ごしらえのバリケードなど、枯れ木も同然だった。

 野盗たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、逃げ遅れたバリケードが木っ端微塵に吹き飛ぶ。

 一瞬の出来事だった。


「……突破しました。ご協力ありがとうございました」


 若葉が何事もなかったかのようにアナウンスを締めくくる。

 乗客たちは顔を見合わせ、やがて「さすがだぜ」「頼もしいな」と口々に笑い合った。

 この世界では、力こそが正義であり、安全の保証なのだ。

 若葉は手帳を開き、『14:30、野盗遭遇。遅延なし。被害なし』と書き込んだ。

 これもまた、サンズグリーズ鉄道の日常である。


 数時間後。

 地平線の彼方に、巨大な影が浮かび上がってきた。

 無数の煙突から吐き出される白や黒の煙。空を飛ぶ飛空艇の群れ。そして、街全体を囲む堅牢な城壁。

 サンズグリーズ最大の商業都市、アルヴェルだ。


「まもなく、アルヴェル、アルヴェルに到着いたします。お降りの際は、お忘れ物のないようご注意ください」


 リリス号が長い汽笛を鳴らす。

 ポォォォォォォォッ!!

 夕日に染まる巨大都市へ、黒い鉄の蛇が滑り込んでいく。

 アルヴェル駅は、若葉が最初に降り立った中央駅に勝るとも劣らない規模だった。

 十数本のホームが並び、そこには様々な形状の列車が停まっていた。

 石炭で走る旧式の蒸気機関車、魔法鉱石で浮遊するリニアのような車両、そして巨大なドラゴンの背中に客車を縛り付けた「竜列車」なるものまである。

 ホームは人、人、人で溢れかえっていた。

 荷物を運ぶオークのポーター、魔法の絨毯で行き交う商人、そして観光客らしきエルフの一団。

 リリス号がホームに滑り込み、停車すると同時に、プシュウウウ……と大量の蒸気が吐き出された。

 長い旅の終わりを告げる、安堵の吐息のようだった。


「お疲れ様でした!」


 若葉は乗降口に立ち、降りていく乗客一人一人に頭を下げた。

 「ありがとう」「いい旅だったよ」と声をかけられるたび、若葉の胸に小さな誇りが積み重なっていく。

 乗客が全員降り、貨物の積み下ろし作業が始まった頃。

 若葉は駅の事務室に呼び出されていた。

 ノックをして部屋に入ると、そこには眼鏡をかけた初老のトカゲリザードマンが座っていた。アルヴェル駅の駅長だ。


「失礼します。車掌の若葉一利です」


「おお、来たかね。入りたまえ」


 駅長は書類から顔を上げ、細い舌をチロリと出しながら微笑んだ。


「リリス号の運行記録、確認させてもらったよ。人攫いの森の一件……見事な判断だった。シルフを手懐けるとは、ベテランの交渉人でも難しいことだぞ」


「い、いえ。たまたまです。それに、ウサギの親方たちの協力があったからこそで」


「謙遜はいらんよ。結果が全てだ」


 駅長は机の引き出しを開け、一通の分厚い茶封筒を取り出した。

 それを、ドン、と机の上に置く。

 重い音がした。


「今月の給料だ。本来は月末払いだが、君は着の身着のままで召喚されたと聞いたからな。生活費も必要だろう、特別に週払い分と、今回の功労金を合わせて支給する」


「あ、ありがとうございます……!」


 若葉は震える手で封筒を受け取った。

 ずしり、と重い。

 紙幣の軽さではない。金属の塊の重さだ。

 封を開けて中を覗く。

 鈍く光る銀貨の束。その中に混じる、数枚の金貨。そして、親指大の透き通った青い石、ラピスラズリのような宝石が数個。


「サンズグリーズはまだ通貨価値が安定していないからな。金貨と、魔力を含んだ宝石での現物支給になる。この街なら、どこの店でも通用するはずだ」


「こんなに……」


 若葉の目が潤んだ。

 日本でのアルバイト時代、銀行口座に振り込まれるデジタルな数字だけを見て、生活の不安に押しつぶされそうになっていた日々。

 それが今、確かな「重み」としてここにある。

 自分が働き、汗をかき、リスクを背負って得た対価。

 誰かに必要とされた証。


「それと、もう一つ知らせがある」


 駅長は言った。


「リリス号はここで大規模な整備に入る。ボイラーのオーバーホールが必要だそうだ。工期は三日間。……つまり、その間、君は休暇ということになる」


「休暇、ですか?」


「ああ。機関士のウサギたちは整備につきっきりになるが、車掌の君がいても邪魔なだけだろう? この街で羽を伸ばすといい。アルヴェルはいい街だぞ。美味い飯も、珍しい物もなんでもある」


 休暇。

 その甘美な響きに、若葉の顔が綻んだ。

 事務室を出てリリス号に戻ると、ウサギたちが既に整備作業を始めていた。

 ハンマーを振るう音や、ドリルの音が響いている。

 若葉が機関室を覗くと、親方が顔中を煤だらけにして出てきた。


「親方! 僕、三日間の休暇をもらいました!」


 若葉が報告すると、親方は「フゴッ(知ってるよ)」と頷き、胸ポケットからクシャクシャになったメモ用紙を取り出して、若葉に押し付けた。


『買い物リスト:

 1. 極上のニンジン(三束)

 2. 新鮮なキャベツ(山盛り)

 3. 珍しい酒(度数が高くて、色が変なやつ)』


 メモには拙い字(おそらく一生懸命練習したのだろう)でそう書かれていた。


「これ、お土産のリクエストですか?」


「キュッ!(当然だろ!)」


 親方は自分の腹を叩き、「俺たちは働いてるんだから、美味いもん買ってこい」とジェスチャーで訴えた。


「わかりました。任せてください。最高のお土産、探してきますよ」


 若葉は笑って敬礼した。

 親方もニカッと笑い、スパナを振って見送ってくれた。

 リリス号を後にした若葉は、アルヴェルの街へと繰り出した。

 駅を出た瞬間、圧倒的な熱気が彼を包み込んだ。

 そこは、まさに「大市場」だった。

 石畳の大通りには、無数の露店がひしめき合っている。

 頭上には万国旗のような布が翻り、香辛料の刺激的な香り、焼肉の香ばしい匂い、そして甘いお菓子の香りが混ざり合って漂ってくる。


「らっしゃい! ドラゴンの干し肉だよ! 精がつくよ!」

「東方からの直輸入! 魔法の巻物、今なら二巻セットでお得!」

「そこのお兄さん、良い剣があるよ! ドワーフ製だ!」


 呼び込みの声が四方八方から飛んでくる。

 行き交う人々も多種多様だ。

 人間の商人が電卓を叩き、その向かいでは四本腕の魔族が壺を売っている。

 背広を着たサラリーマン風の男(おそらく召喚者)が、屋台で焼き鳥を買っているかと思えば、その隣で全身鎧の騎士がクレープを食べている。


「すごい……本当に、何でもあるんだ」


 若葉はキョロキョロと視線を彷徨わせた。

 復興中のこの世界には、あらゆる異世界の文化が流入している。

 ある露店では、見覚えのある「プラスチック製のバケツ」が、「割れない魔法の器」として高値で売られていた。

 また別の店では、壊れたスマートフォンが「古代の通信機の遺物」としてガラスケースに飾られている。

 逆に、日本のホームセンターにありそうな工具セットが、ドワーフの鍛冶師たちに飛ぶように売れていたりと、価値観の逆転が起きていて面白い。

 若葉は市場の喧騒を楽しみながら、親方に頼まれた野菜を探した。

 八百屋の店先には、見たこともない色の野菜が並んでいた。

 青光りするトマト、悲鳴を上げるマンドラゴラ、そして宝石のように輝くニンジン。


「おじさん、このニンジン、すごく良い色ですね」


「おうよ! 『太陽ニンジン』って言ってな、食えば夜でも目が利くようになる高級品だ!」


「じゃあこれ、三束ください」


 若葉は銀貨を支払った。初めての買い物。

 自分の稼いだ金で、物を買う。ただそれだけのことが、こんなにも誇らしいとは思わなかった。

 その後も、若葉は市場を散策した。

 自分用には、「安眠枕(悪夢除けの魔法付与済み)」と、業務日誌をつけるための「インクのいらないペン(万年筆のような魔導具)」を購入した。

 車掌室のベッドは少々硬いし、リリス号が走っている間はインク壺が倒れないか心配だったからだ。

 実用的な買い物をするところが、いかにも若葉らしかった。

 日が傾き始め、街にガス灯や魔法灯の明かりが灯り始める。

 オレンジと紫が混ざったような空の下、アルヴェルの街は昼間とは違う、妖艶で活気のある表情を見せ始めていた。

 仕事終わりの労働者や、冒険から帰ってきた者たちが、一斉に酒場へと吸い込まれていく。


「さて……次は世界情勢の勉強だな」


 若葉は親方への土産である「変な色の酒」を探すという名目で、ある場所を目指していた。

 情報が集まる場所といえば、相場は決まっている。

 冒険者ギルドに併設された酒場だ。

 大通りの一本裏手。

 そこには、一際大きな木造の建物があった。

 入り口の看板には、酒樽を抱えて千鳥足になっている黒いドラゴンの絵が描かれている。

 店名は『酔いどれノワール』。

 中からは、爆発のような笑い声と、ジョッキがぶつかり合う音が漏れ聞こえてくる。


「よし」


 若葉はスーツの襟を正し、鞄をしっかりと抱え直した。

 鉄道員として、制服を着ている以上は恥ずかしい真似はできない。

 彼は深呼吸をして、重厚なスイングドアを押し開けた。

 ムワッとした熱気。

 酒とタバコと、汗と料理の匂い。

 数百人は入りそうな広い店内は、立ち飲みの余地もないほど混雑していた。

 中央のステージでは吟遊詩人がリュートをかき鳴らし、テーブル席ではオークと人間が腕相撲をし、カウンターでは妖艶なサキュバスがカクテルをシェイクしている。


「いらっしゃい! お一人様?」


 元気の良いウェイトレス(猫耳の獣人)が声をかけてきた。


「はい、一人です」


「じゃあ、あそこの相席でいい? 今夜は混んでてね!」


 案内されたのは、店の奥にある大きな丸テーブルだった。

 そこには既に、何人かの先客が座っていた。

 身の丈ほどもある巨大な戦斧を背負った、虎の顔を持つ獣人の戦士。

 三角帽子を目深に被り、分厚い魔導書を広げている小柄な魔導師。

 そして、作業着を着た人間の男性たち。


「し、失礼します。相席よろしいでしょうか」


 若葉がおずおずと尋ねると、虎の獣人がギロリとこちらを見た。

 金色の瞳が光る。

 若葉は思わず息を呑んだが、獣人は若葉の制服を見ると、ニカッと牙を見せて笑った。


「おう! 構わねえぞ! あんちゃん、鉄道屋か?」


「え? あ、はい。サンズグリーズ鉄道の車掌です」


「やっぱりな! その帽子、見覚えがある!」


 獣人はバンバンとテーブルを叩いた。


「おい皆! こいつ、鉄道屋だぞ! 俺たちの村に資材を運んでくれた、あの鉄道の仲間だ!」


 その言葉に、周囲の客たちが一斉に若葉を見た。

 敵意ではない。

 それは、称賛と歓迎の眼差しだった。


「おお! 鉄道屋さんか!」

「あんたたちの運んでくれた薬のおかげで、うちの娘が助かったんだ!」

「次の便はいつだ? 故郷への手紙を頼みたいんだ!」


 口々に声をかけられ、ジョッキが差し出される。


「さあ座れ座れ! 今日は俺の奢りだ!」


 虎の獣人に肩を組まれ、若葉は席に着いた。

 目の前に、黄金色に輝くエールが置かれる。

 泡が溢れるジョッキ。


「あ、ありがとうございます……」


 若葉は恐縮しながらも、ジョッキを手に取った。

 乾杯、という声が響く。

 一口飲むと、冷たくて苦くて、そして最高に美味かった。


「いやあ、鉄道屋と飲めるとはな。俺は冒険者のノルブだ。こっちは魔導師のサンドラ」


「……よろしく」


 魔導師の少女が帽子を少し持ち上げ、ペコリと頭を下げた。

 若葉は改めて自己紹介をした。


「若葉一利です。まだ新米ですが……」


「新米だろうが関係ねえ! あんたたちが走ってくれるおかげで、世界が繋がってるんだ。俺たち冒険者も、以前よりずっと移動が楽になった」


 ノルブは豪快に肉にかぶりつきながら言った。


「戦争が終わって一年。まだ瓦礫は多いが、こうやって違う種族同士が同じテーブルで酒を飲めるようになった。……いい時代になったもんだよな」


「そうですね」


 若葉は周囲を見渡した。

 かつては敵同士だったかもしれない者たちが、今は笑い合っている。

 もちろん、全てが解決したわけではないだろう。差別も、貧困も、恨みも残っているはずだ。

 それでも、彼らは「今」を楽しんでいた。

 復興という共通の目的が、彼らを結びつけていた。

 若葉は、この世界に来てよかったと、心から思った。

 自分もこの大きな流れの一部なのだ。

 リリス号で運んだ資材が、誰かの家になり、誰かの命を救っている。

 その実感が、酒をより美味しくさせた。


 宴は続いた。

 若葉はノルブたちから、各地の情勢を聞いた。

 北の山脈ではまだはぐれドラゴンが出る話や、南の海では人魚たちが観光業を始めた話など、興味深い話ばかりだった。

 そんな楽しい時間が過ぎていく中、ふと、話題が変わった。

 酒場の入り口から、数人の商人が青ざめた顔で入ってきたのだ。

 彼らはカウンターで水を頼み、震える声で何かを話していた。

 その声が、若葉の耳にも届いた。


「……また通せんぼされたよ。あの古城の連中に」


「参ったな。あのルートが使えないと、遠回りになるぞ」


 不穏な空気が流れる。

 ノルブが耳をピクリと動かし、声を潜めた。


「おい車掌。あんた、次はどっちへ行くんだ?」


「ええと……予定では、ここから西へ。『霧の渓谷』を抜けて、学術都市へ向かうルートですが」


 若葉が答えると、ノルブとサンドラが顔を見合わせ、渋い顔をした。


「霧の渓谷か……。そいつはマズイな」


「何かあるんですか?」


 若葉が尋ねる。

 ノルブはジョッキを置き、声を潜めて言った。


「あそこにある古城。最近、厄介な一家が住み着いたんだ」


「厄介な一家?」


「ああ。『ノインシュタイン家』だ」


 その名を聞いた瞬間、周囲の冒険者たちも「うへぇ」と嫌な顔をした。


「吸血鬼の一族ですか?」


「ただの吸血鬼ならまだいい。聖水でもぶっかけりゃ済む話だ。だが、ノインシュタイン家は違う。彼らは……」


 ノルブは言い淀み、ため息をついた。


「とにかく、『面倒くさい』んだよ」


「面倒くさい、ですか……? 凶暴とか、残忍とかではなく?」


 若葉が聞き返すと、虎の獣人ノルブはジョッキを傾けながら、渋い顔で頷いた。

 隣に座っていた魔導師のサンドラが、呆れたように補足する。


「ええ。ノインシュタイン家は、サンズグリーズでも指折りの名家よ。歴史は古いし、魔力も強大。でも、彼らが重んじているのは血の渇きを満たすことよりも、『格式』と『美学』なの」


「美学……」


「そう。彼らは自分たちの領地を『聖域』と呼んで、俗世間の喧騒を極端に嫌うのよ。特に、戦後の復興で騒がしくなった今の世の中を『下品』だと嘆いているらしいわ」


 サンドラは人差し指を立てて、さらに続けた。


「以前、近道をしようとした商隊が領地を通った時なんて大変だったわよ。荷馬車の車輪の音が『調和を乱す』って言われて、家臣のコウモリたちに荷物を全部、色別に並べ替えさせられたんですって。一週間も足止めされた挙げ句、『色彩感覚がなってない』って説教されて追い返されたらしいわ」


「うわぁ……」


 若葉の顔が引きつる。

 それは確かに、物理的に襲われるのとは別のベクトルで厄介だ。

 いわゆる、「理屈っぽいクレーマー」の究極系ではないか。


「しかも、彼らは一応『貴族』の地位を持っているから、冒険者ギルドとしても討伐対象にはできないの。こちらから攻撃を仕掛ければ、国際問題になりかねない。だからみんな、遠回りしてでもあの古城を避けるのよ」


 ノルブが「まったくだ」と吐き捨てるように言った。


「だがあんた達、鉄道屋はそうもいかねえだろ? レールを敷く場所は決まってるんだ」


「はい。最短距離で都市間を結ぶのが我々の使命ですから……迂回ルートを作るには、莫大な魔力コストがかかりますし」


 若葉は頭を抱えたくなった。

 リリス号は、元・魔導兵器だ。

 走行音は静かになったとはいえ、巨大な質量が移動する振動や、汽笛の音、そして煙突から吐き出される蒸気は、どう考えても「静寂」とは程遠い。

 「格式」と「美学」を重んじる吸血鬼にとって、リリス号は「走る騒音公害」そのものではないだろうか。


「ま、精々気をつけるんだな。ノインシュタイン家の当主は、特に気難しいって噂だ。気に入らなければ、列車ごと石像に変えられちまうかもしれないぜ」


 ノルブは脅かすように笑って、若葉の背中をバシバシと叩いた。


「は、はは……勘弁してくださいよ」


 若葉は乾いた笑いを漏らすしかなかった。

 その後、話題は他の冒険譚へと移り、酒宴は深夜まで続いた。

 若葉は不安を紛らわせるように酒を飲み、そして冒険者たちと肩を組んで『サンズグリーズ復興の歌』なるものを合唱した。

 明日からの不安はある。

 だが、今夜だけは、この温かい喧騒に身を委ねていたかった。


 三日後。

 休暇最終日の朝、若葉は両手いっぱいの荷物を抱えて、アルヴェル駅のホームに戻ってきた。


「おーい! 親方ーっ!」


 リリス号は、三日前よりもさらに黒光りして輝いていた。

 整備と清掃が完璧に行われた証拠だ。真鍮の部品は鏡のように磨き上げられ、ボイラーからは心地よいアイドリング音が響いている。


「キュッ! フゴッ!(おう、遅かったな!)」


 機関室から親方が顔を出した。

 若葉の姿を見るなり、その赤い瞳がキラリと光る。視線の先にあるのは、若葉が抱えている荷物だ。


「買ってきましたよ! ご要望の品!」


 若葉は荷物を広げた。

 市場で厳選した『太陽ニンジン』の束。朝採れの巨大キャベツ。

 そして。


「これです。店主に『一番色が変で、度数が高い酒をくれ』って言ったら、これを出されました」


 若葉が取り出したのは、毒々しいまでに鮮やかな紫色の液体が入った瓶だった。ラベルにはドクロマークと、笑っている悪魔の絵が描かれている。『デビル・キラー』という銘柄らしい。


「フゴーーッ!!(これだこれ!)」


 親方は大喜びで瓶を受け取り、頬ずりをした。どうやらウサギ(月兎族)にとっては、これが極上の嗜好品らしい。

 他のウサギたちも集まってきて、ニンジンとキャベツを分け合い、嬉しそうに耳を震わせている。


「喜んでもらえてよかった。……整備の方はどうですか?」


 若葉が尋ねると、親方は親指を立てた。

 『バッチリだ。いつでも全速力出せるぜ』という自信に満ちた顔だ。

 その頼もしい姿を見て、若葉の腹も決まった。

 吸血鬼だろうが貴族だろうが、このリリス号と、最高のクルーがいれば、きっとなんとかなる。……なんとかするしかない。


「よし。じゃあ、出発の準備をしましょう!」


 若葉は制服に着替え、帽子を被り直した。

 休暇モードから、仕事モードへの切り替え。背筋がスッと伸びる感覚。

 やはり、自分にはこの制服が一番落ち着く。

 ホームには、すでに出発を待つ乗客たちが列を作っていた。

 今回の乗客もバラエティ豊かだ。

 学術都市へ向かう学生たち、魔導書の素材を運ぶ商人、そして故郷へ帰るドワーフの一家。

 中には、ニンニクの首飾りを大量にぶら下げた商人の姿もあった。おそらく、この先のルートにある噂を聞きつけての対策だろう。


「ご乗車ありがとうございます! 特急リリス号、まもなく発車いたします!」


 若葉の声がホームに響く。

 改札鋏を軽快に鳴らし、切符を確認していく。

 すべての乗客が乗り込み、ドアが閉まる。

 若葉はホームの駅長(トカゲ人)に敬礼を送った。


「出発、進行ォォォッ!!」


 ポォォォォォォォォッ!!

 リリス号が高らかに汽笛を上げる。

 車輪が回転し、蒸気が噴き出す。

 活気に満ちたアルヴェルの街並みが、ゆっくりと後ろへと流れていく。

 市場の賑わいも、酒場の笑い声も、次第に遠ざかり、やがて荒野の風の音だけになった。

 リリス号は順調に速度を上げ、西へと進んでいく。

 しばらくの間は、平和な旅路だった。

 若葉は車内販売のワゴンを押し、コーヒーやサンドイッチを売り歩いた。

 ウサギたちが育てている車内菜園のハーブを使ったクッキーは好評で、飛ぶように売れていく。

 だが、数時間が経過し、日が傾き始めた頃。

 窓の外の景色が、明らかに変わり始めた。


「……霧だ」


 車掌室の窓から前方を見て、若葉は呟いた。

 あれほど晴れ渡っていた空が、いつの間にか分厚い鉛色の雲に覆われている。

 そして、地平線の彼方から、白く冷たい霧が這うように迫ってきていた。

 『霧の渓谷』。

 その名の通り、年間を通して濃霧に包まれた場所。そして、その奥深くに、噂の古城がある。

 若葉は車掌室の机に戻り、地図を広げた。

 赤いラインで描かれた予定航路は、霧のエリアを真っ直ぐに貫き、古城のすぐ脇を通るように引かれている。

 迂回ルートはない。左右は切り立った断崖絶壁だ。ここを通るしかない。


「ノインシュタイン家……『美学』と『格式』か……」


 若葉はため息をつき、リリス号のエンジン音に耳を澄ませた。

 シュッシュッ、ポッポッ。

 規則正しく、力強い音。鉄道員にとっては最高に心地よい音楽だが、静寂を愛する吸血鬼にはどう聞こえるだろうか。

 コンコン。

 ドアがノックされ、親方が入ってきた。

 手には、先ほど若葉がプレゼントした『デビル・キラー』の瓶がある。ただし、中身は減っていない。仕事中は飲まない主義なのだ。

 親方は不安そうな若葉の顔を見ると、瓶を置いて、「グッ」と拳を握ってみせた。


 『ビビるな。俺たちがついてる』。


 無言の励まし。


「……そうですね。親方、ありがとうございます」


 若葉は苦笑しながら頷いた。

 そうだ、まだ何も起きていない。最初から諦めてどうする。

 相手が貴族なら、礼儀を尽くせば話は通じるかもしれない。

 人攫いの森の時だって、なんとかなったのだ。

 若葉は立ち上がり、制帽を深く被り直した。

 マイクを手に取る。

 声のトーンを落とし、少しだけ落ち着いた調子でアナウンスを入れる。


「お客様にご案内いたします。列車はまもなく、霧の渓谷エリアに入ります。視界が悪くなりますが、運行に支障はございません。……また、只今より、騒音防止のため汽笛の使用を控えさせていただきます。皆様も、なるべく静かにお過ごしいただけますよう、ご協力をお願いいたします」


 少しでも、彼らの『美学』に配慮しようという、若葉なりの精一杯の対策だった。

 窓の外では、白い霧がリリス号を飲み込もうとしていた。

 その霧の向こうに、うっすらと尖塔のシルエットが浮かび上がる。

 古城だ。

 黒いレンガ造りの、威圧的で、それでいて不気味なほど美しい城。

 リリス号は速度を落とさず、霧の中へと突入していく。

 若葉は窓に張り付き、祈るような気持ちで前方を見つめた。

 どうか、何も起こりませんように。

 ただ静かに、通り過ぎさせてくれますように。

 だが、そんな若葉の願いを嘲笑うかのように、霧の奥から無数の赤い光が灯った。

 コウモリだ。

 数え切れないほどのコウモリの群れが、リリス号の進路を塞ぐように舞い上がった。


「……やっぱり、一筋縄じゃいかないか」


 若葉は覚悟を決めたように、改札鋏を握りしめた。

 次なる駅は、吸血鬼の古城前。

 停車時間は、未知数。


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