3.謁見
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その瞬間、世界が震えた。
魔法陣が刻まれた地面は脈打ち、その宙は赤く脈動する。そして、灼熱の霧が渦巻く。
「……来い、我が影に応えし獣よ」
かつて、ゲームの中で唱えた召喚呪文。
だが今は違う。言葉に熱があり、魔力に匂いがある。自分の声が――ゲームの理を揺るがせている。
ズゥン、と重低音が響いた。
現れたのは、影そのものから生まれた蛇。
ゲームでは、最大で3体。それがこの世界では、4体目であっても制約はなかった。
「……え?」
驚愕、という言葉では足りない。恐怖、でも物足りない。
この世界では、“仕様”などない。魔王カリスタの力は、文字通り“神”にも等しい存在なのだ。それが今の現実。
「こ、これ……ほんとに俺が……?」
自分の命令ひとつで生まれた生命は静かに跪いている。
無言で、眼差しを上げ、ただ命令を待っている。
その沈黙が、何よりも怖かった。
(俺は、命を――創ったのか)
ゲームの中では、ただの「戦力」。
しかし、ここでは呼吸し、心を持ち、存在している。
この手で、何かを“生み出してしまった”という重みが、肩を押し潰す。
「……やばい……やばいだろ、これ……」
従魔の瞳は、ただ忠実に、魔王の意志を待っている。
絶対の忠誠と、無垢な破壊の予感を孕んで――。
『魔王カリスタ転生戦記《焔に抗う者たち》』
第8話 「従魔創造」より
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この作品の登場で下火であったMMORPGが、復権したとまで言われる。
それは作中の『ECLIPSE of the THREE REALMS~三界戦記~』は実際にサービスとして展開されるほどである。
web小説を読んで、ゲームもプレイしていた自分の方が確かに高次元の存在である。だが、世の中の影響力は魔王カリスタの方が圧倒的に上。
その発行部数、映画興行収益などでも、それまでの記録を塗り替える快挙をしている。web小説という枠を越えて、その経済効果は計り知れない。
数字でも、この作品は、“神”に等しい存在なのだ。
謁見まで間、ア・イチの活動は原作において一行にも満たない。ただ、魔界平定のために動いていた。文章ではそう簡潔にまとめられいたが、現実は違う。
カリスタと同じ文章量の冒険活劇があった。
当然だ。ここでは皆、同じ時間が流れている。
各キャラで文章量の差は無いのだ。
クロウも自身がクロウであることを思い出している暇がなく、ア・イチの仕事をこなしていた。部下に支持して、それでもダメなら、自分が分からせと、とにかく、魔界各地を転々としていた。
幸いゲーム内のマップ移動のお陰で、初めて降り立った地であっても迷うことはなかった。そんな冒険を経て、ようやく、ここで謁見に至ることになった。
一行にも満たないからあっという間だと思っていたのに、長かった。
――夢じゃない。やっぱり俺は、この場に来てしまったんだ。
(画像はAI画像生成を活用して作成しています)
クロウはその場に跪きながら、ガイコツの指が、乾いた音を立てて膝を握る。
乾いた骨が軋む音すら、今の自分がどこか遠いものに思えた。
元いた世界で読みふけっていたWeb小説。ぜか心に刺さる、あの物語の主人公、魔王カリスタ。原作でも美しさ、強さで登場人物を魅了した、美しき災厄の象徴。
その彼女が、今、目の前にいる。だが、その魂は男だ。
「ア・イチよ。常々、余に尽くしてくれて礼を言う」
玉座から響く、鋭くも威厳ある声。それは決して威圧でも恐怖でもない。まるで、王としての“責任”と“信頼”が籠もった声だった。
本来であれば、従魔と主人の関係であるのに。今は王と配下。
この対応はのちに主人公、魔王カリスタを窮地に立たせることになるが、それを今思うことは野暮である。
それでも、クロウに緊張が走る。だが幸い、返すべき言葉は少なくていい。
自分が転生したキャラクター、ア・イチは、言葉数も少なく、寡黙な従者キャラ。アニメ化の際、ファンから「喋らない系イケボ」と隠れた人気があった。
今この場でも必要最低限の返事さえできれば、違和感は持たれない。
「……ハッ」
こんな、かけ声も原作通りの反応だ。
ほんの一言。
それだけだった。なのに。胸の奥が、熱くなった。
ありえないはずのことだった。
――涙が。
ガイコツの身に涙などあるはずがない。だが、目の奥から、こぼれたのだ。
ぽたり。
存在するはずのない目が、涙が、骨の中から零れ落ちていた。
気のせいじゃない。確かに、流れている。
「……泣いているのか?」
カリスタはゆっくりと玉座から立ち上がる。
その表情は、少しだけ驚き、そして、わずかな優しかった。
自分の方が高次元の存在であっても、その優しさがうれしかった。
それがア・イチに向けられたモノであっても。
カリスタからすれば、原作にもない涙には驚いたことだろう。
「……いえ、うれし涙でございます」
クロウはとっさに誤魔化した。それでも原作でもア・イチが泣くシーンがある。
そのときも、こうやって誤魔化していた。
それだけにクロウは知っているのだ。この後の展開を。
原作では、このカリスタとア・イチは凄惨な戦いを行う。そして、カリスタの手によって、完全に葬られる。原作小説4巻目の話だ。
うれし涙を流すのは、この場面である。
そう遠くない先の展開。
魔王カリスタ、いや主人公の彼はその未来を知らないだろう。この世界が原作通りに進むのであれば。クロウはどうしても裏切りたくなかった、魔王カリスタを。
「……改めて、魔王になられた主人に、忠誠を」
喉が震える。それでも、声にする。
涙を悟られないように、視線を落としたまま。
変えたい。
本当は、未来、結末を壊してしまいたい。
それでも今はただ、原作知識を生かし、ア・イチの役割を果たそうと決意した。
けれど、それはつまり、討伐される未来を、受け入れることでもある。
ただの役割。
ただの忠臣。
それがア・イチ。原作通りならば。
「そうだ、忘れていた」
カリスタが口を開いた。
「新しい従魔だ。一つ鍛えてはくれないか」
その言葉と共に、魔王の影がうねる。そこから現れたのは、全身が黒い靄に包まれた少女の姿。その虚ろな目をしている。
彼女は影姫。
4体目の従魔だ。名前は引き続き、エーヨン。
紙のサイズか。
この従魔もまた原作では、ア・イチとカリスタの結末に大きく関わってくる重要キャラクターだ。ただし、その名前から当初から突っ込まれていたキャラではある。
物語が動き出した以上、結末まで止まらない。
だが、もしかしたら。
この世界に転生したことで、結末は、変えられるのかもしれない。
クロウは悩むしかなかった。この世界で自分が成すべきことが何かと。




