別の町にて、 《焔姫の残火》を謳う者
交易都市ラーデン。
夕刻の広場では、露店の灯りが揺れ、客引きの声が絶え間なく響いていた。
その喧噪の片隅で、ひとりの青年が旅装を降ろし、膝に竪琴を抱えた。
「……さて。古き王の詩を、その栄光と苦悩と共に語ろうか」
ぽろん、と弦が鳴る。
ざわめきが、ゆっくりと薄くなる。
まるで広場全体が、彼の音の呼吸を合わせるように。
吟遊詩人の名は、ファーヴニル。
旅人ゆえに、彼の名を知る者はいない。
だが、彼が紡ぐ歌は、誰もが足を止めて耳を傾ける。
──約五百年前、この世界を紅蓮で染めた魔王。
──願った平和は叶わずとも、三界を隔てた壁は消えた。
──誰よりも孤独で、誰よりも弱き者を慈しんだ《焔姫》。
ファーヴニルが歌うのは、ただその姿のみ。
彼は知らない。
彼女に従った従魔たちがいたことを。
黙して命を投じた配下たちがいたことを。
元より名も残すこともない、大地へと帰った無数の兵がいたことを。
碑文も、歴史書も、伝承の記憶も残っていない。
ゆえに、カリスタの名は廃れた。
伝説だけの存在。
それだけにファーヴニルは知る術などない。
ただ、ある人物から「この詩を届けてほしい」と頼まれただけだ。
「……俺にできるのは、教わったままの詩を運ぶことだけ」
誰に言うでもなく、静かに漏らす。
竪琴の音色が広場の空気を震わせる。
灯りが揺れ、冒険者たちが自然と足を止める。
「……今の部分、あの遺構のことじゃないか?」
「いや、最近噂の賞金首……聞いている姿が似ていないか」
「この詩と検証してみる価値はあるわね。ログ残しとこ」
冒険者たちは、詩の言葉から何かの痕跡を拾おうとしていた。
まるで詩そのものが、魔王カリスタの残した暗号であるかのように。
ファーヴニルはそんな疑問を横目に、苦笑を浮かべた。
「……悪いが、俺は何も知らないんだよ。従魔も、配下も、兵のことも。教わったのは、詩と音色だけ」
そう呟きながらも、彼の歌声は止まらない。
──焔姫の栄光を。
──焔姫の孤独を。
──焔姫の罪と祈りを。
「誰が支え、誰が散り、名もなく消えた……本当に知らないのは、俺のほうなんだろうな」
彼は再び詩へと身を沈めた。
歌い終えると、広場は不思議な静けさに包まれた。
誰もがどこか遠いものを見るような瞳をしている。
五百年前の魔王の残響。
名もなき者たちの足跡。
冒険者たちは、自らの旅路と詩の断片を照らし合わせ、失われた道を探そうとしていた。
新たな三界には未踏の地が多い。
歴史から消えた場所も数多い。
隔たりがなくなった厄災であり、同時に祝福でもあった。
「……今日はこれくらいにしておこうか」
竪琴を背負い直したファーヴニルは、静かに歩き出す。
彼は知らぬまま歌い、冒険者は知らぬまま探す。
そのすれ違いこそが、
五百年を越えて残った“魔王カリスタの影”の正体なのかもしれない。




