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「私の母は、とても綺麗な人だったの」

 彼女はそう言う。

 まるで、口癖のようだと思った。城川が先程の彼女の言葉を聞いたのは、今が初めてだというのに。

 見たことはないけれど、きっとそうであろうなと彼女を見てそう思う。

 艶やかな黒髪も、美しい肌も、真っ赤な唇も、彼女は恐ろしいほどに美しく、そして綺麗だった。

 城川は勉学が得意とは口が裂けても言えなかったし、勉強ができるなんてこと、嘘をついてまで誇ることでもないと思っていた。

 けれど、彼女と話をする時にはいつも後悔している。

 自分がもう少し言葉を知っていたならば、スムーズに、そして彼女に伝えたいことを明確に伝えることができたのにと。

「そうだねえ。君のお母様だから、きっと綺麗に決まってる」

 少しだけ伸びる語尾は、空気を僅かに乱して、彼女はそれに気がついて笑う。

 この時の笑顔は、平生とは違い屈託のない少女のようなものだった。

「だって、君ってばこぉ〜んなに可憐な女性なんだもん」

「ふふ、城川くんは本当に人の心をくすぐるのが上手ね」

「本心さ!」

 天使のようだと、彼女を一目見た時から城川は思っている。それは今も変わらず、初対面で抱いた印象が変化することはない。

 口元に手を当てて、うふうふ笑う。

 ハチミツみたいな色の瞳は、真正面から見た人を引き込んでしまうような、従順な人形にしてしまうような、そんな力がある。と、城川は信じている。

 彼女と城川は出自がまるで違う。

 けれどそんなもの、令和と名前を変えてから数年経つ現代で意味のあるものかと問われたって、大抵の人にとっては意味も価値もないものだ。

 がしかし、高校も大学も違う二人がこうして同じ店で、同じテーブルで、会話を続けている事実は、二人の知人からしてみればおかしなことなのだ。

 意味も価値もないが、変か変じゃないかで言えば変で違和感だらけの二人組。

 だから当然、首を傾げるだけの人もいれば、眉間に皺を寄せる人もいるであろう。

 二人の共通の知人なんて一人しかいないから、その一人を除けば、彼女を知る人は城川のことも、城川を取り巻く環境も知らない。逆も然りだ。

 何故こんなやつと。

 何故こんなお嬢様と。

 容易に想像できる反応は概ね外れることはないから、考えることすら馬鹿らしいというもの。

 けれど、考えてみてほしい。

 現代では、人との出会いなんていくらでもつくろうと思えば実現可能なのだ。様々な機能のある携帯一つで、どんな世界でも繋がることができる。

 まあ、城川と彼女が出会ったのはSNSやアプリを介してではないが。

──友達になってほしい子がいるの。

 中学生の時、一度きりだけ同じクラスになった、名前も顔も朧げな同級生からそんなメッセージがとんできた。

 誰とでも手軽に繋がれるSNSは、記憶の隅にある人間関係──どんなに希薄であろうとも──を改めて構築するきっかけになったりする。今、まさに。

 城川は取り敢えず、名前も顔も朧げな女の子のアカウントに飛んで、公開されてある写真などを確認して、ようやく、なんとなく、思い出したような気分になった。

 それにしたってもう何年も会っていない、それどころか在学中だってほとんど話したことのない人間に対する初めてのメッセージが『友達になってほしい子がいるの』とは、怪しさが満点。

 名前、は、アカウントに飛んだ際に確認した。

 実名を使っているのなら、合っているはずだ。残念ながら、名前は苗字にしろ下の名前にしろ一文字も思い出せなかった。

 城川は悩んだ。

 というか、何故、わざわざ自分を選んだのか。

 友達に俺を紹介したいとか、そういうこと?

 そうなれば尚更、何故。

 確か彼女は偏差値の高い高校に進学していたのではなかっただろうか。ほとんど関わりはないといっても、頭が良いことは何となく知っていたし、人の前に立って何かすることも多かったから、そうだなあ。自分とは全く違うな、と中学生の時に思っていたのだろう。

 城川の自己肯定感は低くはない。自尊心だって、高い方だ。いや、ものすごく高いだろう。

 だから、頭の出来や住む世界が違うという理由で関わる関わらないを悩むことなんてないのだ。けれど、友達や恋人になりたいと望む相手は誰だっていいわけではない。

「なんで?」

 そう。別に誰だっていいわけではない。だがそれは、友達や恋人にと望む場合だけだ。

 城川にとって、名前のない関係にある人と関わることは大して苦ではない。人見知りをしない性質であること、人の懐に潜り込むことが得意であることなどあげればキリがないが、城川は手軽な人間関係の構築やコミュニケーションは朝ごはんを作るよりも簡単なことだ。

 のらりくらりと交わしながら、人の深い部分にまで入り込まないようにすれば良いだけだから。

 けれど、流石の城川でも意味のわからない紹介には警戒する。

 身の危険しか感じないから。これは、城川の自己愛からくる警戒心。

 少し時間をおいて返信した城川と違い、一分と経たずに返ってきたメッセージは、余計に警戒心を高めるだけだった。

「なんでも。理由は聞かないで」

 嫌だ。と、滅多に寄せない眉間に、不慣れな動きで皺を作り寄せる。寄せて、それから。

 その次にぽこん、と追加で送られてきたのは言葉ではなかった。

 綺麗で、美しくて。──そう、天使のような女の子。

 写真が一枚、天使みたいな女の子が写った写真がただ送られてきた。

 ──警戒心が薄れていく。多分、写真を送られた時から同級生の掌の上で城川は踊っていたのであろう。

 城川も、今になってその自覚が芽生えた。

 城川は、女の子が好きだ。ふわふしていて、柔らかくて、あたたかな女の子が。

 肩を少しすくめて、ははと笑う。

 馬鹿みたいに構えて、わざと返信するまでの時間をおいて、警戒していたあれは何だったのだと恥じるほど城川はまっとうに生きているわけではない。

 写真でこんなに綺麗な子なら、実際に会ってみたらどんなに綺麗なんだろう。楽しみだなあ。

 警戒していた自分はもう、お空の上で羽を生やしている頃だ。

 名前も顔も朧げな元同級生の掌の上で、狂ったように踊り、そして。

「初めまして、白石くんで合ってますか?」

 彼女の冷ややかな美しさは、城川隆也のハートを100%の力をもってして握りつぶしたのだ。

 初めましての言葉を交わした後も、交わす前も、彼女はきゅるきゅるしていてきらきらしていた。

 城川が何を言おうと、どんなにくだらない冗談を言おうと、彼女は白い手のひらを口元に当てて、大きな目を柔らかく細めて笑う。

 きゅるきゅるしていてきらきらした女の子だ、と城川はやわやわになった脳みそで名前も顔も朧げな元同級生に土下座して感謝の意を伝えたくなった。

 写真よりも、実物はとんでもなく。

 とんでもなく、美しかった。

 さて、そんな回想に終わりを告げるが。

「城川くん、今日は何処に行くの?」

「うーん、そうだなあ。あ!お馬さんみに行く?」

「うま?馬って、何処に行けば見れるの?」

「とお〜っておきの場所があるんだ。たっくさんのお馬さんが見れるよ!」

「じゃあ、そこに行きたい」

「任せて、日和ちゃん!」

 毎週金曜日、午後1時。

 週に一度のこの時間、城川は城川なりにきちんとした服を着て、前日の夜にはちゃんとお風呂に入り夜の21時に床につく。

 城川を知っている人間は、恐らく詐欺に合っているのではと疑う。当然、疑われる対象は日和なのだが。

 彼女はもちろん、城川にお風呂に入れだの21時には寝ろだのと強要も約束すらしていない。が、そのレベルで、城川が真っ当な生活をしていればその日の前後に関わっている人間が疑われるのだ。

 それに、詐欺と疑われたって城川がなにも日和に金を貢いでいるわけではない。

 城川は大きな目を輝かせて楽しみだなあと笑う彼女のその、純朴さに心が痛むわけでもなく、可愛い女の子と競馬行けるなんて幸せだなあと思っている。

 幸せ、なんて言葉ではなくてラッキーとか、ハッピーとか、小学生の頃に覚えた簡単な英単語で心情を表すときのほうが多いのだけれど。

 毎週金曜日、午後1時。

 週に一度のこの時間、城川は城川なりにきちんとした服を着て、前日の夜にはちゃんとお風呂に入り夜の21時に床につく。

 午後1時から、その後は一時間だけ他愛のない話をして解散する時もあれば、こうして城川の行きたい場所に行ったりする時もある。

 ただ、城川は元同級生の掌の上で踊らされているだけに過ぎない。

 城川を掌の上で踊らせて、そこにどういった目的があるのかを知りはしないし興味もない。知りたくもなかった。

 元同級生の女は言った。

 毎週、何曜日になってもいい。時間はどのくらいでもいい。だけど、週に一度は必ずあの子と会う時間を作ってほしい。そして、話をしてほしい。いや、話なんかしなくたっていい。会うだけでもいいから、だから。

 と、よく分からない、筋の見えない要求は、ある時ぽこんと城川に送られてきたものだ。送り主は言わずもがな、元同級生。

 理由は聞かなかった。

 ただ、分かったと了解の意を込めた返信をして、それきり。

 城川は、自分が一番大切だ。自分が一番可愛くて、大切で愛している。馬鹿だと他人に言われても、言ってきた他人よりもそんなこと自分が一番理解しているし、勉強のできない小さな脳みそも、自分に重きを置いた自己愛ありきの人間関係構築が得意なことも、城川は城川を構築する要素のひとつひとつを残さず把握した上で、自分自身を愛しているのだ。

 城川は、自分が一番大切だ。

 人間誰しもそうであろうが、自分ではない他人からの評価や見栄えを気にしている人が多い中で、自己愛を大きな声で叫ぶことができるほど利己愛を満たしている人は少ない。

 城川は違う。

 だから、よく分からない元同級生の要求に恐れ慄き、よく分からないけど取り敢えず怖いから言うことを聞いておこうと清々しいまでに我が身可愛さに頷いたまでだ。

 あの子、可愛かったし。そういう下心もある。

 そう思えば、元同級生の思惑も計算もあったとしてもどうだっていい。なんらかの詐欺だったとしても別にいいかな、と後先を考えているように思えて考えていない思考の末に生み出されるのは、やっぱり自己愛でしかないのだ。

「やったあ!!!日和ちゃん、当たったよ!!」

「よかったね」

「日和ちゃんってば、やっぱり天使なんだね…」

「ふふ、城川くんはいつも面白いね」

 見目麗しい女性が側にいるだけで羨望入り混じる視線を集めることができて、更には何故だかわからないが、日和がいると勝率が上がるのだ。城川が日和を連れ歩くのは、そういった自己愛と利己愛からくる身勝手な理由だ。

 何処までも自分が大事で、他人からの評価なんて我が身可愛さと比べれば塵のようだと考えて生きている城川にだって情はある。

 それも、とっておきの情。

 自己愛は城川隆也という人物を構築し守っているが、同様に城川隆也を知る人物はその自己愛に救われている。

 自分を大切にできる人間は他人を大切にできる。

 城川は、それを地でいくタイプだ。

 黙っていれば冷たく恐ろしいまでの美しさのある彼女の、純粋で子どものような素直さに絆されている自分を否定できない時点で、城川の情や自己愛は一方的ではあるが彼女に与えられてしまっている。

 笑ってしまうほど単純で、笑ってしまうほど無様だった。

 けれど、そんな自分さえ、城川は愛おしく思えるのだ。

「城川くんは、私に知らないことをたくさん教えてくれるのね」

 手に握りしめるのは、彼女の金で買った馬券。と、汗と涙。

 侮蔑こそされど、感謝なぞされる訳もない場面で、やはり彼女はとろとろとハチミツみたいに瞳を蕩けさせてわらう。

 どうせなら、城川は彼女のことを知りたかった。

 そして、自分にも知らないことをたくさん教えて欲しかったのだけれど、城川が腹を鳴らせば目をまん丸くさせて「美味しいお店に連れて行ってほしいな」とご飯を奢ってくれて、競馬に行けば「城川くんはどのお馬さんが好きなの?」と馬券を買ってくれるものだから、城川が彼女の行きたいところや彼女の嗜好について触れる日はまだ先であろう。

 自己愛というよりも利己愛に塗れた姿は、恐らく元同級生に知られた瞬間、彼女と会えなくなることもうっすら。いや、確実に理解しているが、理性の敗北した脳みそは背中を向けるどころか大きなブルーシートで覆ってしまっている。

 まあ、人間そんなものだよね。

 城川の理性は、結局そういった結論とは言えない曖昧で、これまた利己愛に塗れたところへ帰結している。

 こんな調子で、ギリギリの交友関係は続いている。

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