小さな幸せ
電蔵はここぞとばかりに愚痴を零した。その顔は、どこか嬉しそう。
「だが、大好きなんだな」
「だ……大好きだと……? ふざけてるのか、クソジジイ。この老いぼれが」
電蔵は拳を握り締めて顔を引き攣らせた。怒りと焦りで口汚くなっている。
「老いぼれに老いぼれ言ったところで、たいした悪口にはならん」
「オレはこの世界で言うなら中年だが……」
ぽつりと電蔵はひとりごちた。遠くを見るような目で横を見やる。
「ん? 何か言ったか?」
「いや。気にしないでくれ……。それより、お前さんは、どうして欲しいんだ?」
「……さっきの話か? 見かけたら声かけてやってくれ。老いぼれが心配してるって」
「了解した」
電蔵は首を縦に振り、久三の願いを聞き入れた。
「他にして欲しいことは?」
「できれば、会って話がしたい。今どうしているのか、これからどうするのか……色々と訊きたいことがあるんでな」
「ほう。憎んだりはしていないのか」
「憎むなんてこたぁ、とうの昔に忘れちまった。若いもんだけだ。憎むのは」
久三は破顔一笑。年月の重ねた者だけが言葉にできる。昔のうちはなんでも妬み嫉み、人のものを盗むといった悪さをするが、歳を取ればそんなことはどうでもよくなると言いたいのだろう。歳を重ねれば、考え方が変わっていくからだ。
余暇を楽しむ、それだけでいいと久三は言った。
「心の広い人間なんだな」
「そんなことねえ。自分たちのことしか考えとらんよ。小さな幸せがいいもんよ」
「小さな幸せか……いいな」
「お前もその小さな幸せを知ることになるだろな」
味噌汁を啜った。大きな音を立てて飲むものだから、うるさいったらありゃしない。
電蔵も飯を食べた。すっかり冷めてしまっていて、味の質は落ちていたが、それでも電蔵はパクパクと口に含んで食べきった。食べた後どうなるかはわからない。人間の消化器官のようなものがないので、どこから排出されるのか。
電蔵は顔を伏せて、拳を握り締めた。今度はもっと温かい感情で。
「この瞬間が、小さな幸せだよ」




