第32話
◆ヘンゼル side
ヘンゼルは全力で駆けていた。
恐ろしい母から逃れる為に磨いた無音歩行を駆使して、あのイカれた男から逃げる為に。
「なんで皆して僕達を食べようとするんだよ」
思い出すのは最初に自分達を喰おうとした魔女だ。彼女は捨てられた自分達を館へ招き家畜小屋に閉じ込め太らせてから喰おうとした気狂いだ。
なぜ自分は、こうも人肉嗜食を嗜む連中に目を付けられるのかと嘆く。
「アイツは早く殺さなきゃ」
あれは真性の化物だった。
最初こそ遊びながら相手をしていたと言うのに、徐々に強くなっていき最後は圧倒されかけた。極めつけは最後に食らった謎のカウンター技だ。厄介と言う他ない。
しかし、希望もある。
今の敵の力量ならばグレーテルと二人で戦えば勝てるという希望が。
封印を解かれた魔女という不確定要素が有るものの、魔女には以前に勝利を収めている為、何とかなると思っていた。
「どこだヘンゼルッ! 逃げるんじゃねえぞっ!!」
「ひぃっ」
遠くから怒りに満ちた言葉が聞こえた。
その声は森の獣を連想させ魔女から館を奪うまでは無力な子供だった時に感じた恐怖を思い出させる。
やっと恐ろしい母の脅威から逃れ、この館で妹と二人平和に暮らしていけると思ったのに、どうしてこうも上手くいかないんだ。
「あら、お兄様お帰りなさい。あのクソババアは………えっ、何があったのですか!?」
這々の体で工房に辿り着くと、こちらを見て驚愕したグレーテルが駆け寄ってきた。そのまま部屋の隅に寝かされたヘンゼルは、グレーテルのされるがままに治療を受ける。
それから傷の具合が落ち着くと再度説明を求められたので、ついさっき逃げてきた化物の説明をする。
「魔女以外にもそんな危険な相手がいたなんて。二人に手を組まれでもしたら厄介ですね」
「そこは心配ないと思うよ。理由は知らないけど、アイツは魔女を怨んでるみたいだし」
「そうなのですか。なら勝手に潰し合ってくれる事を祈ましょう」
「……」
シレっと悪魔のような提案をする妹に、どう反応するかと悩む。
館の制御のため、自分達のどちらかは工房に籠らなければならず、二人で襲いかかるのは不可能だと分かっていた。
しかし、自分の怪我が完治した後、あの男をここに誘導し雪辱を果たすくらいはしたいと思っていたのだ。
「あっ。祈るだけじゃなくて、怪我が治ったらお兄様に彼を魔女の下まで誘導してもらうのが一番でしたね」
「あ、ああ……」
私ったら、うっかりさん。
そう言わんばかりにテヘペロする妹に、もはや説得は不可能だと諦める。特に今は治療してもらってる最中なのだ。機嫌は損ねたくない。
「……不服だけど。確かにそうすべきだろうね」
「ふふっ。お分かり頂けて何よりです」
まったく、どうしてこんな性格に育ってしまったのか。
しかし、こんなやり取りも悪くないとヘンゼルは思っている。妹が楽しそうにしてくれるのは、やはり兄として嬉しいものだ。
……たとえそれが、自分の犠牲の上に成り立っていたとしても。
「さっ、お土産話をもっと聞かせて下さい。私、お兄様が情けなく斬られた右手の話が聞きたいです♡」
「………」
「お兄様?(ほじほじ)」
「ギィッ……分かった、分かったから傷を穿り返すのは止めてくれ」
黙って時間を稼ごうとしたが逆効果だったようだ。良い笑顔で肉を抉る妹に恐怖を感じる。
こうして、物理的にも、精神的にも傷口を抉られたヘンゼルは泣く泣くグレーテルに膝を屈した。
◆
童話の『ヘンゼルとグレーテル』の原作をご存知だろうか。
『ヘンゼルとグレーテル』は親に捨てられた子供達が自分達を食べようとした森の魔女を窯で焼き殺し、魔女の家にあった金品を持って家へと帰る話だ。
そして、このダンジョンは、そんな『ヘンゼルとグレーテル』がモチーフとなっている。
童話と大きく違うのは二つ。魔女が死ななかった事、魔女を窯に入れた二人が金品を持って家へと帰らず館を乗っ取った事、この二つだ。
これは当然の事だろう。自分を二度も捨てた相手の場所へと誰が好き好んで帰りたいものか。
そして、双子は自分達の居場所を手に入れる。
自分達を殺そうとする恐ろしい母も、そんな母に怯えて何もしない臆病な父も、誰もいない双子にとってのハッピーエンドの実現だ。
身も心も幼い子供が、やっとの思いで実現したハッピーエンドを守ろうとする。
ただ、それだけのダンジョンである。




