第29話
◆雁野 来紅 side
「〘ミアズマ・ストーム〙」
メリッサが呟くと黒い嵐が顕現する。
彼女の得意魔法は瘴気を司る。火や風といった定番の基本属性を遥に超える威力を出す。その分、応用力に欠けるらしいが、基本属性を使える彼女にとっては些事だろう。
吹き荒れる瘴気は鉄も腐肉も変わらず犯し、その全ては崩れ落ちた。
厨房を出てから何度も見た光景だが、何度見ても凄まじいの一言に尽きる。
「お嬢ちゃん、こっちだよ」
「はーい」
そんな凄まじい魔女であるメリッサは、孫に呼び掛ける気安さで自身と話すのだから、距離感をはかりかねる。
思わず、返事の後に「お婆ちゃん」と付けそうになった自分は悪くない筈だ。
「メリッサさん、どこに向ってるんですか?」
『元館の持ち主』なだけあって、迷いなく案内してくれるメリッサに質問する。
厨房を出発する前にメリッサから館を奪った相手を共に倒そうと言ったので愚問である事は百も承知だ。
しかし、敵がどんな部屋にいるかによって心構えは変わると思うし、何より会話がないのは気まずい。
多分、地下牢や拷問部屋だろうなと思いながら質問する。
「ああ、言ってなかったね。いま向かってるのは武器庫さ」
「えっ!? 館を奪った相手のところじゃないんですか?」
てっきり、このまま敵に突撃すると思っていた来紅は驚く。
それに、魔法使いが杖を使うのは定番であるが、メリッサは使わずとも充分な威力があるように見えたため、勝手に必要ないと思っていたのだ。
「そりゃそうさ。不意を突かれたとは言え、あたしは一度、敗けてるんだ。それなりの準備はするよ」
言われてみれば、その通りである。
それに余裕に見えるメリッサも魔法を使うたびに消耗してる筈なのだ。たとえ極僅かであったとしても、強敵相手はそれが命取りになるだろう。
「ほら、分かったかい? いいなら、さっさと行くよ」
「わ、分かりました」
「よろしい。さっ、こっちだ」
これが年の功か、と来紅は関心した。
◆綺堂 薊 side
厨房から出た薊はボス部屋である工房に向かう事にした。
封印解除に失敗した場合、ゲーム通りなら主人公達を喰う事で回復した魔女は怒りのまま館を取り返すべく、そこへ向かうからだ。
また、ここではボス戦以外で有用なアイテムも手に入らない。立ち止まれば雑魚に群がられるので、さっさと進む事にした。
「喉が渇くな」
何故かは分からないが厨房をでた辺りから無性に喉が渇いた。そして渇きと比例するように幻聴も聞こえる。
殺せ、復讐を果たせ、渇きを満たせ、と。
ゲームでこんな事は無かったので理由は分からないが、どうでもいい。魔女を殺すのに不都合は無いのだから。
「ねえ、お兄さん。こんなところで、どうしたの?」
指と再開した厨房を出てから大して歩かぬ内に、背後から聞き覚えのある声が聞き覚えのあるセリフを言っていた。
『お菓子な魔女』に入った時以来である。
違うところは少年が双子の少女と二人同時に喋っている訳では無いところだろうか。
「よお、会いたかったぜ。ヘンゼル」
振り向くと、そこに居たのはダンジョンへ俺達を連れ込んだ双子の片割れだった。あの時のように操られる心配は無い。
何故なら『お菓子な魔女』は、そういう風に作られているのだから。見習い支配者の双子が手を出せる領域ではない。
故に俺は余裕を持って対応する。
「魔女の場所を教えろ」
「それは僕が聞きたいな。その為にここまで来たんだし。それと何で僕の事を知ってるの?」
こいつの名前はヘンゼル。魔女から館を奪った内の一人であり『お菓子な魔女』におけるボスの一人でもある。
どうやらヘンゼルも魔女を探しているようだった。そして、まだ魔女はボス部屋には着いてないらしい。なら、こいつに用は無い。
「そうか、じゃあな」
俺はヘンゼルを無視して通り過ぎることにした。
そして、すれ違ってから数歩進んだところで声がかかる。
「待ってよお兄さん。約束通りお茶を用意したんだ、ゆっくりしていってよ」
その言葉を聞いた俺は、勢いよく振り向きながら剣を横に凪ぐ。狙いなどロクに付けてない一撃だが、これで問題ない。
そうして俺の剣は、ヘンゼルの剣を受け止めていた。
「あれ? どうして分かったの?」
「知ってたからな」
「今日が会ったの初めてだよね? さっきの言葉を聞いた人は全員殺した筈なんだけど、訳が分からないや」
剣を振り降ろしたヘンゼルは困惑顔だ。
それはそうだろう。
なにせこれはゲーム知識で仕入れたモノなのだから。信用度は最低レベルだがな。
あのセリフは戦闘開始の合図であり奇襲の合図でもある。念のため対処したが功を奏したようだ。
「まぁ、いいや。今ちょっとムカついてるんだよね。だから死んでよ」
「ハッ、お前が死ね」
俺は鼻で笑ってヘンゼルを押し返す。上等だ、こいつを斬れば渇きが収まる気がする。魔女の前に肩慣らしで殺してやろう。
それに、こいつに会ってから幻聴がうるさくなっている。今も殺せ、殺せと馬鹿の一つ覚えのように鳴り響いていた。お望み通り殺してやれば少しは収まるかもしれない。
そしてヘンゼルに斬りかかる。
最初は戦うつもりの無かった俺だが、いざ始まると不思議と心が踊る。手足は軽く、あれほど辛かった霧の苦痛など微塵も感じない。
そして、俺は気づかなかった。自分の眼が前世と同じ黒から来紅と同じ鮮やかな紅へと変わっていることに。
◆
多くのファンタジー作品において吸血鬼とは不死の代名詞である。
脳や心臓を破壊されても生きてるなど序の口で、作品によっては銀や太陽が弱点にならない事すらある。
それは、この世界『病みと希望のラビリンス☆』においても同様で、吸血鬼の原種である始祖ともなれば心臓だけになったとしても他の目を欺き生き永らえる程だ。
そして『病みと希望のラビリンス☆』は、すでにゲームではなく現実となった。この関わる人間全てを病みの底に堕とす、最悪のゲームがだ。
ならばゲーム時代には無かったバッドエンドがあったとしても不思議ではない。
たとえば、心臓を喰われ糧となった吸血鬼が蘇るようなバッドエンドが。




