○ 第三話 『変わらない日々』
翌朝僕は、それが自分の周りにだけ起きたことではないと知った。テレビでは引っ切り無しに、その不思議な事件について特番を組んで放送した。どこかの国の秘密兵器だとか、宇宙人の侵略だとか、新型のウイルスだとか。ある事ない事、様々な憶測が飛び交う。
瞬く間に世界中が大混乱に陥った。発狂して暴徒と化す者や、自殺する者。あちこちで大規模なテロも発生した。日本もまた例外ではなく、治安は悪化し、強盗、通り魔事件、無差別殺人なども頻発した。
何より、アレが“神のお告げ”だとした新興宗教集団が乱立したのが一大事だった。今までなら、宗教勧誘なんぞ来ようものなら石を投げ、塩をまいて追い払う家でも、あの日からは、その教えをも熱心に聞くようになった。いやむしろ、自らそのセミナーに参加する者までいるほどだ。
道端では、奇怪な衣装に身を包んだ奴らがウヨウヨして、道行く人を集めては怪しげな説法を行っている。何より、そんな者たちの周りにも、たくさんの人だかりができているという事実がおそろしい。
しかし日本では、結局その程度に収まり、三日目には、大分落ち着きを取り戻し始めた。四日目には政府の非常事態宣言も解除され、学校や企業も普通どおりに再開されることとなった。やはり日本の平和は、他国にも誇れるほどなのだろうか。
だが、ただでさえ宗教色が強い中東方面では、事態はそう簡単に収まらなかった。『聖なる夜明け』と名乗るイスラム過激派の一集団が、ムジャヒディン、アルカイダなどの武装集団を吸収しつつ、イスラム帝国復活を唱えて、イランで革命を起こしたのだった。
革命政権はジハードの名の下、近隣諸国に次々と侵入。その間は国連も、常任理事国をはじめとし、多くが自国の鎮静だけで手一杯であり、結局は何の行動も起こせなかった。
『――中国政府は昨夜未明、チベット自治区方面に軍を派遣することを決定しました。しかし、チベットの指導者ダライ=ラマ15世は、中国政府を激しく非難。ラサで、イスラム帝国に協力することを表明しました。これによる大規模な衝突はまだ起こっていませんが――』
「大変なことになっちゃったわね」
テーブルにサラダを置きながら、母親が呟くように言った。
「そうだね。でも、俺はこんな日にまで学校があることの方が不思議だよ」
僕は顔をテレビに向けたまま、サラダを箸でつまむ。
「あら、それだけ日本は平和だってことじゃない。いいことよ」
母はのん気にそんなことを言った。
あの“声”があった後、気が動転して腰が抜けてしまい、父にお姫様抱っこで寝室に運ばれていったくせに、何が平和だ。
僕は心の中で、そう悪態をつく。
「それでもさ、怪しげな宗教勧誘のやつらがウヨウヨしてるんだよ? 危なくないか? 俺が何かの宗教に洗脳されちゃってもいいの?」
僕は哀願の眼差しでそう言ってみた。
が、
「――そんなことより、遅刻するでしょ。早くしなさい」
は、早くしなさい、ってね……。
あんたがテレビに夢中になってないでさっさと飯を出せば、こんな時間にまでなってないんだよと突っ込みを入れつつ、僕はゆっくりと立ち上がった。
「いってきます」
後ろ手で玄関の戸を閉めると、暖かな太陽の日差しと、ひんやりとした朝の風が僕の体をかすめていった。
街行く人は少なく、車もほとんど走らなくなった通りを僕は行く。ただそれ以外は、今までと何ら変わりのない、いつもの風景。
ちょっと変わった、レンガのタイルを貼り付けたような家。
青葉を付け始めた桜の並木。
遠く微かに見える山麓。
この風景から、どうしてあと一ヶ月足らずで世界が終わってしまうように感じられるのだろう。
そして、あれが本当に神の声ならば、どうして神は、今、こうして世界を終わらせようとするのだろう。何故それを、僕たちに伝えたというのだろう。
人間の驕り高ぶりに業を煮やしたというのなら、僕が生まれる前に滅ぼしてしまってもよかったのではないか。それか、僕の死んだ後にでもよかったではないか。それに、そんなことをいちいち伝えなくても、勝手に、黙って滅ぼせばよかったのではないか。
僕だけがいつも損をしているのではないか。そんな風にさえ思えてくる。せっかく、他人とも上手くやっていけるテクニックを身に付けたというのに、神は、本当に、世界を終わらせてしまうというのか。
バカバカしい。それなら、僕が今まで生きてきた意味はなんだったのか。辛い思いも、苦しい思いも、何のために耐えてきたというのだろうか。今までの、全てが、無駄であったというのか。
――そして、結局何をするでもなく学校に向かっている僕が……なんて、バカバカしい。