魔女の心臓 1節⑦
ネクロマンサー魔術による復活の儀式を始めてから2時間が過ぎようとしていた。しかし、モルグは未だに何一つ成果を挙げられていなかった。
辺りには魔術書が無造作に散乱していた。
「だめだー!全然分からん!」
騎士の遺体の前に胡座をかき髪を掻きむしる。黙して語らぬその遺体は幾度の彼女の試行錯誤においても何一つ手がかりすら与えようとしていなかった。
「結構時間経っちゃってるよね…ここだと時間分かんないけど。参ったなー、もう時間的にも限界だ。ん〜何か根本的に間違えてるのかも」
ーそもそも根本的に遺体を勝手に蘇生させようとしていること自体が人として間違えている気もするけど。
冷え切った手で騎士の胸元にある薔薇の魔術紋章に触れ、指でなぞる。
「魔術紋章はその家系が代々持つ魔術の特性を現すものでもあるからこれがどういう魔術を表しているのか推測するしかない。薔薇の紋様は植物系の魔術を表しているのだと思っていたけど…ひょっとして違うのかも」
思い違えていた可能性を考え、あたりの本を手当り次第に捲る。
ゴトッ。手にとった本と本の間に挟まっていた小さな詩集が地面に落ちる。
「これは…懐かしいな。昔お母さんから貰った本だ」
子供の時分にはあまり面白い本では無かったが、詩集という響きに憧れて母に頼み込んで譲り受けた本だ。
「って、部屋の片付けじゃないんだから余計な本を読んでる暇は…」
ふと思い出して詩集をパラパラと捲ってみる。すると、忘れていたがそれはあった。
「青い薔薇の詩。この世には決して存在しない青い薔薇を求める旅人の詩だ」
そう考えるとこれはただの植物では無かったのかもしれない。もっと別の側面から考える必要がある。
氷系、幻術系等の詠唱を交えながら何度か繰り返す。
「薔薇は散れども朽ちず、その幻妖は再びのー」
幾度かの魔術詠唱を行っていたその時であった。
ゴドッ!
「うわっ!」
どこからともなく鈍い衝撃音が走った。
「なになに…キツネでも迷い込んだ…?」
この地下墓所は我が家から西の地上にある墓地にまで続く洞窟状になっている。しかし、西側の出入口は野ざらしで整備もたまにしかしない為まれにどこからともなく動物が忍び込んでくる事があるのだ。
無論、家から地下墓所に続く通路とそこから数区画までの2箇所には鍵がかかり厳重に守られている為に被害がここまで及ぶことはない。
「とはいえ不気味よね。うるさいし、好き勝手荒らされて困るのはこっちだし」
そう思い扉付近まで近づいた時、思惑とは全く違う声を聞くこととなる。
「アケ…ア…タスケ…」
全身に鳥肌が立つのを感じた。
間違いなくこれは人の声だ。
「なんで…誰…?」
間違いなく西側の出入口からの侵入者であろう。しかし村の人間がわざわざ入ってくるとは思えない。村の外部の人間が迷い込んだ可能性、或いは強盗の恐れもある。
「とりあえず…お父さんに報告して…」
考えている内にも扉の向こうから声が聞こえるが、その声が次第に切迫してきているのは音だけでも分かる。
「ちょっ!ちょっと待っててください!今誰か呼んできますので!」
厚い扉の向こうに聞こえるように大きな声で呼びかける。すると向こうは一層激しくこちらへ呼びかけてきた。
「タスケ…タスケテ!コロ…コロサレ…!」
「そんな…そんな事言われても…どうすれば…」
先程までは疑いの念を抱いていたが恐らく間違いなくこれは緊急事態に陥っている人の声だ。しかし、もし本当に緊急事態であるのならば自分一人で対処できるか?様々な推測と道徳観が交錯しパニックになる。
「わ…分かりました!今開けますから!」
覚悟を決めた。
もしこれで何かあって人が死ぬような事があれば寝覚めが悪い。
取り出した鍵を南京錠に差し込み解錠し、重たい扉を押し開けた。
「だいじょう…」
「うっ…」呻き声をあげて男は倒れ込んだ。
その身体からは生暖かく鉄の臭いを放つ液体が飛び散っていった。それが血だと認識するより前に眼前から放たれる殺意に意識を奪われた。
血塗れた双翼と凶暴に見開かれた青い眼。
「まさか…ガーゴイル…?」
本物を見るのは初めてだが図鑑で幾度か見た特徴とそっくりだ。しかし今はそんな事を考えている場合ではない。なぜならば、今重傷を負い斃れた彼はおよそ間違いなくこの魔物の被害を受けたはずであり、自分とてガーゴイルにとっては捕食対象として例外ではないだろうからだ。
「…ゴクリ」
一挙手一投足が命に関わる。
グェェェェェ!
急に叫んだガーゴイルに対して扉を思い切り閉めた。
ガーゴイルは扉に突撃し頭をぶつけ、よろめくものの扉そのものは地面に斃れた男を挟み完全に閉まる事はなかった。
「もうっ!」
これ以上この場に留まるべきでは無いと判断しすかさずに逃げ出す。ガーゴイルは地面に膝をついたもののすぐさま体勢を立て直しこちらへ向かってくる。
「なんで…こんな事に…!」
ガーゴイルの翼は空を飛ぶ程の筋肉が無く滑空しか出来ないためにこのような狭い洞窟では猿のように走る事しかできない。とはいえ人間の全力疾走よりも速く走るそれに対しての人間のアドバンテージは無いのが現実であり、追いつかれるのも時間の問題であることはすぐに分かった。
「くそっ…もうっ…!いい加減に…!」
振り返り魔力を撃ち出す。しかしそれは呆気無く弾かれ逆に足を止めたこちらへ攻撃を誘う結果になってしまった。
ギェェエエエエ!
鋭い爪と共に飛びかかってくるガーゴイルを必死で躱そうとするも、避けきれずに皮膚に生傷をつけられる。
「痛っ…!くそっ…!」
もう一度魔力を撃ち出そうとした瞬間、足元にある何かに躓き思い切り尻もちをついてしまった。
「ッ〜〜〜!何もうっ!」
床に散らばった本に躓いてしまったのだ。気付くとそこは先程まで魔術詠唱をしていた場所であった。
「こんな時に…ガッ!」
唐突に身体に体重がかかり、胸骨がへし折られそうになる衝撃を受けた。ガーゴイルが自らの身体にマウントをかけていたのだ。
「嘘っ…!そんな…やめてよ…」
命乞いも虚しくガーゴイルは身体へかける圧を緩めようとしない。内蔵が圧迫され、その感覚だけでも意識が飛びそうになる。
「かはっ…」
不気味に視線を向けるそれは天高く腕をかかげ、今まさにその爪を振り下ろそうとしていた。
ー死ぬ?ここで?まだ何もやっていない。沢山勉強してお母さんの様に、お父さんの様に仕事をしないといけないのに…まだやりたいこと沢山あるのに…
感情が込み上げ涙が溢れそうになる。あまりの恐怖に正面のガーゴイルから目を背けたその時、一つの違和感に気付いた。
ーあれ…?何か足りない…
先程までいた場所に何か足りない。
そうだ。ここに寝転がしていた彼女がいないのだ。
あの傷だらけの騎士が。
ドンッ!
今まさにガーゴイルの腕が振り下ろされようとするその瞬間、ガーゴイルは衝撃音と共に吹き飛ばされた。
グルアァァァァ!
「何っ!?」
マウントしていたガーゴイルから解放されたモルグは起き上がりながら、ガーゴイルが吹き飛んだ方向とは反対へ目を向けた。
「なっ…」
信じられない姿を目撃した。
「なんであなた…」
そこにはあの死んだはずの騎士がフラフラとよろめきながら立っていた。
身にまとう魔力の残滓から、先程ガーゴイルを吹き飛ばしたのは彼女の放つ魔力が波動となり放たれた魔力が直撃したためだ。
「あなた…なんで、蘇って…」
生きていた?
いや、蘇ったのか。
「成功したの…?」
彼女はまだ全身の筋肉に力が入らないとばかりにその場に沈み込んだ。
「ここは…どこ…」




