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魔女の心臓 1節⑥

3.


 長時間の治療の後で流石に疲れが露わになった父はそのまま眠りについた。それを見送った後、自分は一人こうして地下霊安室に来たのだった。

 「私も眠いけど、今のうちにやれることはやっておかないとね」

 ルインの遺体を前に祈りを捧げ、魔術書を開く。

 「罰当たりな事だとは自分でも思うけど」

 そう言いながら右手は彼女の魔力紋章へと伸びた。

 ―これがそのまま私のものに出来れば。

 そういう気持ちもよぎるが、そもそも死体から魔術紋章を抜きとる行為自体が高度な魔術行為であるため不可能である。そのため今回の目的はそれではない。

 「遺体の魔術紋章を起動のキーにして遺体を動かす。方法があるのは知っていても実行する手段が無かったからね」

 魔術紋章が無ければ魔術を使うことが出来ないならば、遺体についた魔力紋章を経由して魔術を使えばいいという逆転の方法だ。元々は他者の魔力紋章を使うための手段であったという。

 「さすがに遺体にこんな真似をするのは私も良心が咎めるけど…でも、こんな機会きっと二度と来ない」

 意を決して呪文を詠唱する。

 「魂無き躰を箱舟とす。箱舟は制約において舵を取り、制約は己の竜骨となす。朽ちたる肉体は白昼夢がごとき夢に堕ちよ。夢の中で目覚め、夢の中に巳を見つけよ」

 詠唱を唱える。魔力紋章が輝きを増していく。

 「薔薇の踊る水の中で目覚めの証を取れ!」


 ー静寂。

 先程まで輝いていた魔力紋章は色を失い静かに沈黙し、騎士の瞼も開く気配はない。

 「だめ…かぁ…!」

 がっくしと項垂れる。

 「途中までは魔力紋章も反応していたから間違いではなかったはず。でも、やっぱり他人の魔力紋章と術式を接続するのは至難の業ってことよね…」

 自分の魔力紋章に自分の展開した術式を繋げるのとは違い、他人の魔力紋章を利用するのは至難の業だ。なにせその魔力紋章がどういうロジックで動いているのか分からないのにそこからエネルギーを得ようというのだから。

 「時間はあまり無いけど希望はあるわ。もう少し試してみないと」


 モルグは引き続きいくつかのパターンを試して詠唱を行うことにした。しかし、彼女が地下で魔術を試している間に地上では大きく事態が動こうとしていたー。



 モリスの町外れに存在する農地には夜半にも関わらずせっせと働く男の姿があった。

 「まだこの時間は寒いなぁ」

 春先であってもまだ陽の昇らぬ時間では空気も冷たい。元々緯度の高いこの地域では気温の高い時期というもの自体が少ないのだ。

 「さっさと準備しねぇと仕事終わらねぇからな」

 そうぼやきながら農具の仕舞われた倉庫へと向かう。男は小麦農家であり、繁忙期は朝から夜まで休みなく働き続けることもあるため夜半から準備をしておかなければならなかった。

 大変な仕事ではあるが、先祖代々引き継いできた農家の長男としての意識と使命感は男にもあった。

 「ちっ、また鼠が来てやがる!しっし!」

 倉庫には収穫された小麦と肥料があるのだ。暖かくなって来たことでそれを狙う害獣や害虫どもも現れはじめた事が男にとって大変気がかりな事であった。

 「この倉庫も古いからな。ちゃんと直してやらねぇともっと酷いことになるかも…」

 なかなか直す暇も作れない。村の大工に頼む手もあるが、あそこは足元を見てきやがる。男はそのように勘案し思い悩んでいた。


 こうして何年も毎日を慌ただしく過ごしながら、いつかは所帯をもち子から子へとこの仕事を継がせていくのだろう。男は当たり前のようにそう思っていた。


倉庫の門を開けた瞬間に眼に飛び込んできた2つの小さな青白い光、こちらへ殺意の意思を向ける獣の眼差しを見る前までは。


挿絵(By みてみん)


平穏な村は一夜にして阿鼻叫喚の渦に叩き落とされた。

逃げ惑う人々の悲鳴と怒号、そして営みの破壊される音が村に充満していった。

「何事ですかこれは!?」

「トミックくんか!君も早く逃げろ!」

「さっき寝たばかりだったのに…何が起きてるんですか!?」

「ガーゴイルだ!ガーゴイルが現れたんだ!」

「ガーゴイル…ですって?そんな馬鹿な」

「事実だ。既に犠牲者も出てる。村の若いモンに向かってもらっているが…」


グゥエエエエエ!


獣の雄叫びが鳴り響く。その声の方向に目を向けるとその主が民家の上に鎮座していた。

硬い皮膚が黒光りした輝きを放ち、翼竜を羽ばたかせている獰猛な獣、その牙からは赤黒い液体が垂れていた。

「逃げろ!」

彼がそう叫ぶと逃さんとばかりに民家の屋根から飛び立ち滑空してきた。急いで駆け出すこちらを嘲笑うかのように距離を詰めてきたガーゴイルは飛びかかりざまにその爪を彼の皮膚に突き立てた。

「ぐあっ!」

肩の肉はえぐられ、衝撃によろめくままに倒れ込んだ。そしてそのままガーゴイルは彼にマウンティングしその腕を振り上げた。

「助け…」

彼が言い終わる間もなく振り下ろされた腕は彼の喉元を切り裂き、吹き出した血はあたりを赤く染めた。


きゃああああ!


周囲の雑踏から悲鳴が上がる。

それに気付いたガーゴイルは辺りへ目を走らせる。

「くっ」

トミックは手をガーゴイルへかざし、魔力を放った。

魔力の弾は連続して3発放たれ、うち一発はガーゴイルが組み付いている男から引き離すため、二発目で牽制し三発目でガーゴイルへ直撃した。


グルァァァ


咄嗟にガーゴイルはその場を離れ飛んでいった。

トミックはすぐさま倒れた男へ駆け寄りヒーリングの魔力を流した。

「これで助かってくれればいいが…」

魔術紋章をもたないトミックには魔力の弾を打ち出したり、損傷した器官に治癒を促す魔力を流す程度のことしか出来ない。

「一体何が起こってるんですか」

「分からないんです。急にガーゴイルが現れたと思ったらこの有様で…」

「この辺りで魔物の活動が増えてると聞いていたけどまさかこんな…」

「トミックさん、あなたの地下墓所へ避難することは出来ませんか?あそこは西へ出る通路があったはずです」

「構いません。お役に立てることなら…」

「駄目だ!ガーゴイルは西の畑からやってきたと聞いている。あっちもどうなっているか分からんぞ!」

そんな…。周囲に失望の色が広まり静まり返る。

何か手は無いかとトミックは思考を巡らせる。

『地下墓所ももう安全でないかもしれない…だが昔貴族達の墓があった区画ならシェルター代わりになるだろうか』

そう考えモルグに様子を見てくるように頼もうと考えた時、その姿が無いことに気付いた。

「まだ寝ているのか…?」


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