魔女の心臓 1節③
2.
「んっ…」
頬を塗らす露の冷たさで目が覚めた。
―少し寝てしまったか
ここ地下墓所は冷えやすく水滴が付きやすい。どうやらこの感じは外は雨模様のようだ。
「カタコンベの中で天気が分かるようになるとは、成長したね私も」
自虐的に独りごちるも、不思議な悪寒が走る。
直感や霊感ではない。普段と違う事への違和感から来る生理的嫌悪。
そしてその気配の先に気付き振り返るのと同時に巨大な人影が覆い被さる。
「ぎゃああああ!!」
それはカタコンベの奥深くで蝋により固められ保存された死体であった。
「なんでっ!?私なにも触ってないのにぃ!」
よろめきながら後退するが、足元に落ちていた本に蹴躓く。
死体の足取りは重いが混乱した脳にはそれは些細なアドバンテージでしか無かった。
ー嘘!なんで!?逃げなきゃ!殺される!
嫌悪。恐怖。生存本能。入り混じった感情の波に翻弄され足がもつれる。
判断の遅さを責めるように目前まで迫った死体が自分めがけて右手を振り上げる。
「死ッー!」
両腕で壁を作り身を丸めた。しかし、そんな自分をよそにその死体は急に意識を失ったかのように倒れ込んできた。
「いやぁぁぁ!って…あれ?動いてない?」
覆いかぶさったその死体をツンツンとつつく。返事はない。ただの屍のようだ。
「何…?なんかやった私?」
やったと言えば好き勝手やったのは事実だが、この死体には一切悪いことはしていない。
「…いや、これさっき私が防腐処理した遺体よね。まさか…生きてたとか…そういうジョーク…」
死亡認定が甘過ぎて仮死状態の遺体を解剖してしまったのか?おぞましい発想が浮かんだが、冷静に振り返ればそれは無いだろう。
「奇跡の御業…私に超常的な魔力パワーが覚醒した?」
これだけ魔術の練習をしているのだ。見えないところで経験値が溜まって気付いたらこんな風に遠くの遺体を操作する技術が身についていてもおかしくはない。いや、罰は当たらないはずだ。
そう思い再び詠唱をするも、やはり今度は何も起こらない。
「?」首を傾げ右手をパカパカ開閉してみる。
正直気味が悪くて仕方が無いが原因が分からないと如何ともし難い。
「逆に言えば原因さえ分かれば再利用できるかも…うっ!寒っ!」
冷や汗が冷え切った地下墓所の冷気で身震いするほど自分の身体を凍えさせる。とりあえずさっさとここを出よう。そう思い1階の墓所と通じている自宅へ続く階段へ足をかけた。
※
我が家は代々この土地の墓を管理してきた墓守であり、この地下墓所もその一つだ。そのため幼少から遊び場として使っていたこともあり自分にとっては庭のようなものだった。
かつて200年ほど前は神職として地位のある家柄だったと聞くが、葬送の形が現代的に変化していくにつれ地元の墓の管理、遺体の防腐処理、葬式の進行といったごく一般的な職業へと身分を落としていった。
人口の少ないこの町では医者もいないため、人体の構造に詳しい墓守の我が家が町医者として診療も行っている。どちらかと言えば最近の収入のメインはこちらの比重が高いような気がしないでもない。
地下墓所から通じた自宅の一室へと駆け上がっていくと、父が誰かと話している声が聞こえた。
「誰かいる…?」
気付かれないように足音を殺し物陰の隅から覗き込むと、父が隣家の主婦と話しているのが目に入った。手に持っている封筒の束からして何か届け物に来たのだろう。
「あそこに居られると出辛いな…」
ここから自分の部屋に向かうには必ず玄関を経由しなければならない。いつもであれば暫く待つという選択肢もあるのだが、あいにく今日は服が汗で濡れて冷え切っているため出来るだけ早く着替えたい。
「もう奥さんが亡くなって8年ですかぁ。早いですねぇ」
雑談が否が応にも耳に入る。
「えぇ、色々ありましたがお陰様でなんとか」
「娘さんは大丈夫?なんでも家に籠りきりだとか」
ーチッ
嫌な時に出てきた。わざわざ自分の風聞を聞く羽目になるとは。
「いや、全くお恥ずかしい話です。男で一つで育ててきたもので、どうして教育してやるべきか分からず」
「難しいわよね、女の子は。うちは男の子だから簡単で良かったわよ。なんでもフュリス侯の娘さんは騎士団に入団したのだとかって、やっぱり良い家柄の子は違いますわねぇ」
言葉の端々にマウンティングを感じるのは自分が歪んでいるからなのか、どうにも苛立ちを抑えきれない。
「我慢我慢…」
手の甲を指でくっとつねる。
「しかし、でも娘さんもその調子ではおたくのお仕事の墓守も大丈夫ですの?ウチも代々お願いしているものの娘さんにどこまで務まるものか」
「…そうですね。まぇ、アイツはあれでも私の仕事を家でずっと手伝ってくれていますし。そういう意味では心配していないのですが…。」
「でも、物事ってそんな単純なものでもないでしょう?」
「えぇ…それは確かに難しい問題なのですが…」
父が言い淀む。言葉を濁したというよりも、何か決めかねている事を言うべきか逡巡しているかのような躊躇い。
ー何が難しい問題なのか。
この家にはもう私しかいないのだから次に家督を継ぐのは私であることは自明のはずだ。それを躊躇う理由があるとすればそれはー。
「墓守の役目を終わらせるつもりなの…?」
外から人を招く。土地の権利を譲る。色々と手段はあるのだろう。だが、そうして代々続けてきた役目を任せられない程に私は出来ない子供であったろうか。
募る苛立ちに無意識的に二人に割って入ってしまった。
「お父さん!遺体の防腐処理の下ごしらえは終わったから」
「お、おうそうか…」
戸惑う父と、こんにちはと軽く声をかけてきた主婦を一瞥しそのまま話を続けた。
「遺体の消毒と体内の内容物は全部取り除いたから。一部鬱血があって歪んでいる部分は縫合と魔力的処置を施して直しておいたから後で確認して」
続けざまにいくつか報告を行う。胃の内容物を摘出した話になるとみるみるうちに主婦の眉間のシワが強くなるのが分かった。
「おい、そういう話は後でー」
見かねた父が静止をかけるものの、抑えきれずに報告を続けた。
ー見たか。私はこんな専門的な医学的、魔術的知識があるんだ。そこの名前も知らない主婦、お前の子供はどうだ、どうせロクに勉強もせずに遊び歩いているだけだろ。
「あとは防腐剤を流し込むだけだから。その時になったらまた呼んで」
言い終えると同時に踵を返した。後ろで何が言う声が聞こえたが意識の外に外すようにしてその場を去った。
足早に自分の部屋へと踏み入り、ベッドへと倒れ込んだ。
「何やってんだわたしっ…!」
あんな事をして尊敬されたり認められたりすると思ったか。ただふたりを引かせるだけだと分かってたはずだ。
「くぅ…っ」
布団の端を強く握り締め、羞恥に打ち震える。
うつ伏せのまま顔を横に向けると本棚に置かれた一際色褪せた本が目に入る。
ーお母さんがいつも読んでくれた本だ。
母は優秀な魔術師だった。本来一子相伝のはずの魔術師の家系において何故墓守の家に嫁いだのかは知らないが、ゆくゆくは私に魔術を継がせようとしていたし私自身それが楽しくて仕方無かった。
そんな母は8年前に騎士団に招聘され戦場に赴き、そこで死亡した。
この魔術世界において魔術師の肉体は値千金の価値をもつことから戦場で亡くなった魔術師の肉体が遺族へ帰って来ない事は特段不幸なことと言えないのが現実であり、母も多分に漏れずその一例であった。
「懐かしいな…」
もう既に暗記したであろう子供向け魔術入門書をパラパラとめくる。
『魔術を扱うために最も必要なもの。それが【魔術紋章】です。魔術紋章とは魔術師の家に伝わる魔術を使用するための刻印であり、初代当主が作り上げた魔術システムは代々親から子へと受け継いでいくこととなります。』
そう。だから魔術紋章は一子相伝。本来であれば母から私へ受け継がれるはずのものだった。
『魔術紋章は外の世界に存在するマナと呼ばれる魔力エネルギーを体内に取り込み人間に使用可能なものに変換する仕組みでもあります。』
人間が本来もつ微量な内蔵魔力で使える魔力には限りがある。魔力紋章とは人間が使える魔力を拡張し魔術を使えるようにするものなのである。
『よって、魔力紋章を持たぬ者には魔術を使用することはできません。これは魔術世界において覆らない原則です。』
我が家の魔力紋章は母の死と共に失われた。
だから、私はもう絶対に魔術を使う事は出来無いのだ。




