魔女の心臓 2節③
ガーゴイル。
現実世界では雨どいとなる彫刻を指す単語であり、怪物として扱われるのはそこから派生したフィクションである。
しかし、この世界においては事情は違う。というより、目の前の怪物の姿で現実世界に相当する単語がガーゴイルというだけなのかもしれないが。
禿きった猿のような見た目だが手は長く鋭い爪を蓄えている。腕からは翼のようなものが生えており、知識によれば滑空程度の飛翔は可能であるらしい。
性格は獰猛で好戦的。
今も男に飛びかかり喉元を食いちぎらんと噛み付いている。男は必死に抵抗し腕を振るうがガーゴイルは食らいついた牙を離すことはなく
だが遅い。
風による魔術で常人を遥かに凌駕する移動速度にガーゴイルの瞬発力では反応しきれず、咄嗟に出した反撃の殴打も空を切った。
「やっ!」
懐に飛び込み、魔力により金色に輝く刃を振り上げた。刃は精確にガーゴイルの胴を捉え、ガーゴイルは苦悶の顔を浮かべた次の瞬間に光とともに雲散霧消した。
「ハァハァ…」
やった。魔力の刃により切り裂いたためか幸いにも惨たらしく断裂したガーゴイルの死体を見る事はなくどこへとなく消滅した。
「大丈夫ですか!?」
倒れていた男性にそう声をかけるが応えはない。
喉元にぽっかりと開いた空洞からは音もなく血液が流れ出している。恐らくガーゴイルは今際の際に彼の頸動脈を貫いたのだろう。
「うぅっ…」
今自分が吐かずにいられるのは”この身体にとってこのような景色が既知のものだ”という認知の補正がかかっているからだろう。つまり、私の意志がどうあれこの肉体の耐えられる精神的苦痛にはフィルターがかかるということだ。だがそのように薄められた痛みでも私という人間からすれば耐え難い光景だ。
「それでも、やらないと…」
再びガーゴイルの声がする方向へ足を向け駆け出した。ガーゴイルに肉薄し剣を振るい胴を両断する。
「あと何体…」
※
「ルイ!はぁはぁ…あまり遠くに行ったり…影に入らないでね!はぁひぁ…私から見えなくなる!」
モルグはルイに必死でついて行こうとするが魔力で加速した者を追いかけるのはかなり苦労する。特にモルグは引きこもりで体力は常人より劣っているのだから。
「すごいな。ガーゴイルが次々と」
「はぁはぁ…これくらいならスレイヴの基本動作範囲だからね。そこに魔術を付与してやればこの通りよ」
言いながら魔術書をパラパラとめくる。
「霹靂の青。霞みゆく光の雨。光刃・隻翼の鷲!」
斬撃の魔術術式を詠唱する。薄明かりの中でルイの剣だけが魔術の輝きを放ちその存在を告げる。
「にしても多いな…。探知音を打つわ」
軽く魔術を詠唱するとルイから微弱な探知魔力が発信された。
探知音とは現代で言うところの潜水艦の放つソナーである。人体に無害な探知魔力を周囲に発信し、その反射から周囲の物体の配置を知る事ができるマッピングとも呼ばれる基礎魔術である。
「でも、あと3体…いや」
手元に現れた魔力により作成された地図を見つめ数を数えながらモルグは青ざめた。
「これは何…?」
※
ガーゴイルもこちらに気付いたようで積極的に攻撃をしてくるようになった。それ故に先程より不意をついた一撃を与えることが困難になり、戦闘のプロでない私はガーゴイルの反撃を逃れるのに必死だった。
「このっ…いい加減に!モルグ!援護して!」
返事がない。というより先程から動きが緩慢な気がする。
「モルグ!」
再び呼びかけるとこちらに注意を向け魔術詠唱を再開し始めた。
「当てなくていいからガーゴイルの方向へ向けて剣を降って!」
「了解!…正直斬撃以外の魔法は勘で使うしかないのよね」
剣先に魔法陣が浮かび上がる。どういう魔法なのかは分からないがそこは彼女を信用するしかない。
「はっ!」
「ギャオ!」
虚空で振るった剣から離れた魔法陣からはプラズマの塊と思しき電気の球が複数飛び出した。プラズマは吸い寄せられるようにガーゴイルへ向かい、翼で振り払おうとするものの複数の球から逃れる事は出来ず感電し地面へ叩きつけられた。
「モルグ!どうしたの!?」
「ごめん!ちょっと周囲の状況をサーチしてた!それより、ヤバいのが来てる!」
「ヤバい…?」
この期に及んで状況が悪化する事など一体何があるというのか。そのような愚痴が口をついて出そうになったその時、大地を揺るがす程の雄叫びと翼の羽ばたきから生み出される強烈な突風がその者の訪れを告げた。
「くっ…!何が…!」
振り返るとまずこちらを値踏みするかの様にギョロリとした双眼が視覚に入った。
おもわず後ずさりをするほどに鮮烈な存在感を放つそれはおよそガーゴイルの5倍はあろうかという巨体と、それを物理法則を無視して滞空させる双翼が羽ばたきだった。
「でかい…!」
ガーゴイルの王とでも呼称すべき威容に呆然とさせられる。蛇に睨まれた蛙がごとく、恐怖が全身の筋肉を萎縮させる。
グアアアアア!雄叫びは冷たく肌を突き刺すように鋭利な敵意をもって降り注ぐ。
「…イ!…ルイ!…ルイ!」
背後から聞こえるモルグの呼びかけでハッとした。
ーゴッ
眼の前に強い風圧を感じた瞬間、鋭利な爪が迫ってきた。
「ヤっ…!」
咄嗟の判断で側転しそれを回避する。
バリッ!と大きな音を立て先程まで自分が立っていた大地は爪の形に裂けた。
「ちょっとでも気付くのが遅ければ…死んでた!」
「グルァァァァ」
息をつく暇もなくガーゴイルの王は2の手3の手を放ってくる。
「やめっ」
剣を構え防衛姿勢をとろうと試みるが、あまりの圧と速度に対して眼では追うことが出来ない。
ーキンッ
王の爪が自分に触れるか触れないかの位置で甲高い音を立てて弾かれた。
「何…!?」
「それは鎧に付与された防御術式!自動で魔術と物理の両方を防御してくれる拒絶防壁だから!」
「なるほど!でも…」
長くは保ちそうにない。どうやら鎧に付与された術式は最低限のもののようで、既に大きく傷付けられていた。
「受けられてあと2、3発…」
「攻撃魔術を使う!用意して!」
モルグの指示に従い王との距離をとるように努め、モルグはその間に詠唱を行っている。
「狩人蜂の檻!」
剣先から火柱が空を駆ける。
「グルァ!」
「だめだっ!」
王は翼を震わせ電流を弾き飛ばした。弾けた電流は無軌道に地面へ跳ね返る。
「このままじゃ!」
そして再び、三度と遠距離魔術を繰り出すがいずれも防御か、向こうも学習して空を飛ぶアドバンテージを活かした回避をしてくる。
このままではジリ貧ー。
「何かいい魔法は無いの!?魔法なんだからもっと都合よくなんとかしてよ!」
「魔術よ!そりゃあるにはあるけど…下級魔術ならともかく上級魔術なんてこんな場所で使うには威力が高すぎるし状況も悪い!」
「この雨じゃ火の魔術は減衰するし、強い雷は周囲まで感電させかねないね…もっと無いの?水魔法とか」
「魔術だってば!だいたい当てることができないじゃない!」
言い合いの最中にもあのガーゴイルの王はこちらへ容赦のない攻撃を繰り返してくる。流石にこちらが反撃すると分かってからは動きも慎重だがそれでも一撃必殺になりかねない攻撃に気を休める余地はない。
「はぁはぁ…こっちだけに攻撃を集中させてくれてるのは幸いと思った方がいいのかしら」
モルグは掠れた声でそう言う。アンデッドの身体と違い、恐らく彼女の体力ではかなり限界が来ているのだろう。
「威力が高くて、周囲を巻き込まず、なおかつ当てる事ができる方法…そうか…これなら…」
賭けに出るしかない。そう心に決め、モルグと肩を組み走り抜けた。
「なに!なに!?」
「考えがある。ここら辺に河はある?」
「あるけど…」
「そこまであいつを誘き出す」




