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その半年前

『その当日』の半年前です。なれそめのような捕物劇のような。

 半年より前、ミーメアの居場所は聖殿ではなくて、ここ王都でもなかった。そこそこ規模のある中都市で料理屋の下働きをしていたのだ。ド平民である。

 なぜかというと、生まれ故郷の田舎村ではミーメアたち一家が生活していくための元手が稼げなかったから。畑と牧畜だけでは両親およびミーメアをはさんで上に三人下に二人の兄弟たちを養えない。

 上二人は都市へ出稼ぎに行って伴侶も見つけて永住を決めた。優しい兄姉で、いつでもまとめて引き取ってやるよと言ってくれている。が、どちらも多少裕福ではあるが一気に五人とか押しかけるのは無理がありすぎるしミーメアたちとてやりたくない。ちなみに上のもう一人は傭兵として発っていった。住所不定の仕送りが年一で来ていたので生きてはいるらしい。たまに赤黒い染みがついているのは勘弁してほしい。

 さてミーメアの独り立ちが近づくころ、両親は畑と家の処分および移住を決めた。もともとがあまりにも不便な土地だったので人口の流出は止まらないし土地は荒れるしで、いっそきれいさっぱりお国に預けてしまおうと、村の顔役たちが話をまとめつつあったのだ。ミーメアの家族含めて全員に身の寄せ先があったのもさいわいした。上はもう心配ないし、下の二人の双子ちゃんについては両親とともに長兄の暮らす街へ引っ越して学校に通わせることにしたのだ。さすがに長兄宅へ世話になるのではなく、新居の手配の手伝いや職を探すに当たっての身請け人を依頼することにして。

 その話がまとまるころには、ミーメアもそこそこの中都市にある料理屋での仕事を決めていた。村に来た行商人経由で得た情報をもとに面接へ向かったら、あっさり決まったのである。旅人たちの宿も兼ねた店の主人は、日々鍛えたミーメアの家事の腕を見込んでくれたのだ。

 笑顔で両親と別れて数年、そろそろ看板娘と名乗ってもよいのでは? などとほくそえんでいた矢先、ミーメアが聖殿に回収される出来事が起こった。


「おまえがミーメア・テトナか!」

「はひゃっ!?」


 昼の客がはけた午後のことだった。店先の掃除をしていたミーメアの耳に、己の名を怒鳴りつける声が飛び込んできたのだ。

「おまえだな!? リトン村のミーメア・テトナ! 十一歳の誕生日を前に村を出たというのは!?」

 振り返る間にも続く声は、まさしくミーメアの経歴だ。もうリトン村という名はないが、生まれ故郷と問われればそこを挙げる。たしかあの地はふたつの貴族の領地の境界にあったために今は共同経営の大規模開発が成されているのだとか、両親からの手紙で知らされた。

 だがそんなことを懐かしく思い返す余裕もない。なにしろ、ミーメアの目の前までやってきた声の主――ミーメアより少しばかり歳上くらいの少年は、とっても豪華だったから。白がベースでパーツも多くなくて作りはシンプルだけれど、刺繍とかすごい細かい。生地そのものもまず庶民の目に触れることがなさそうな感じに輝いてる気がする。しかも、後ろに数人ほど似たりよったりな姿の大人たちを引き連れていたりもするし。

 貴族だこの人。でもなんで?

「返事は!?」

「は、はい! ミーメア・テトナは自分ですが!?」

 衣装も豪華だが、この少年はお顔の造りも豪華だった。不機嫌そうな表情をしていても、端正な顔立ちである事実が薄らぐわけがない。端正な怒り顔が真正面で己を凝視して命令するのだ。反射的に従ってしまう。むしろその趣味の人なら、もっと睨んで! って言うのではないだろうか。ミーメアにそんな趣味はないが。

 女将さんに怒られるときの癖で飛び上がって背筋を伸ばしたミーメアを睨んでいた少年は、そこで大きなため息をついた。

「……リトン村または近隣の街の教会で聖査の儀を受けなかったミーメア・テトナで間違いないな?」

「……………………」

 あっ。

「間違いないな!」

「はいぃぃぃぃ!!」

 きょろっと明後日のほうに飛んだ視線の意味をばっちり察した少年の強い確認に、ミーメアはまた飛び上がった。


 聖査の儀。別名、聖女発見の儀。

 国内に存在する聖女の数は七人と決まっているが、現存の者が力を失うか身罷れば次代の聖女がそれを引き継ぐ。指名などができるものではなく、素養がある者のうち誰かがそうなるという実にアバウトな方法だ。

 長く平和な国内だが、その象徴とされる聖女の祈りが揃っているということも民の心の安寧に貢献するところが大きい。なので、次世代の発見の必要が生じた場合、それは聖殿だけではなく王家も神殿も巻き込んでの最優先使命になるのだった。

 かといって、アテもないまま全国民を探し歩くようなことはしない。はるか昔にはあったかもしれないが、人は学習して発達するのだ。

 それが聖査の儀。

 十一歳になった女性国民が必ず受けることになっている、聖女の予兆を知るための儀式である。方法自体は簡単で、どこのどんな小さな教会にも設置してある祈りの水晶の欠片に触れるだけ。これが輝けば聖女候補として関係各所に個人情報が登録される。そしていざというときに集められ、今度は王都の聖殿にある本家祈りの水晶にて適格者を選ぶのだ。こっちは輝くだけでなくていろいろ反応があるらしい。

 以上。


 そしてミーメアは、聖査の儀のことを忘れていた。きれいさっぱり。

 いや村を出る前には両親と、落ち着いたら街で受けるようにしなきゃねーそうだねーとか話した気がする。料理屋の旦那さんや女将さんや若さんや姐さんとも、ここに慣れてきたら行っておいでーそうだねーとか話した気がする。

 おまけに聖女の一人が一年ほど前に退位したと風のうわさで聞いた気もする。

 いろいろ気がすることは思い出したが、現状、十五歳を迎えたミーメアはこのありさまであった。

「忘れてました!!」

「馬鹿者が!!!!」

 事態を理解して速攻土下座かましたミーメアの頭上に、少年の今日何度目かになる怒声が炸裂した。

「え……いや、でも」

「なんだ」

 おそるおそる顔を上げる。

「他にもうっかりさんはいた……んじゃ……?」

「いたぞ」

 ただし、と、ミーメアを見下ろす笑顔は目が笑っていない。

「おまえ以外の全員、所在がはっきりとしていたがな」

「ごめんなさい!!」

 反射的に額を地面にこすりつけたあと、ミーメアは恐ろしいことに気がついた。

「……あの……もしかして」

「確定おまえが聖女だ」

「最後の一人だった!!」

 一度はまた少年を見上げたミーメアだったが、恐ろしい目のまま深まる笑顔を正視できずに突っ伏した。

 リトン村はもうない。村民名簿もおそらくは国の記録室とかに引っ込められてしまっただろう。きっとこの少年や関係者たちは聖女の引き継ぎが必要になってからまず候補者の全員をたしかめて該当者がいないことに愕然とし、聖査の儀を受け忘れたあるいは受けられなかった者を探して接触し、きっとそれも全滅して、もしかしたら国内女性全員を再度聖査の儀に通そうとしていたのかもしれない。すでにしたのかもしれない。いや全員へそうするなら大規模なお触れが出るはずだ。ならばその一歩手前、といったところでミーメアに行き着いたのだろうか。だがどうやって?

「……本当に苦労したぞ……」

 伏し続けるミーメアの正面に、少年がかがみ込む気配がした。

「予兆のあった候補者が全員該当せず、引退した者たちに当たってもちからが戻っているという話もなし、いっそ国の女性全員へ触れを出そうかと思ったが、それでは聖女不在の不安を広めて煽るだけ。ひとまず範囲を狭めようと聖査の儀を受けぬまま所在が分からなくなっている者から絞って、当たっていって……リストの最後のひとりがおまえで……」

 ことん。

 硬質なものが、地面に置かれる音がした。ちょっとだけ顔を上げて視線を向ければ、水晶のような宝石が少年の指に支えられて立っていた。

 きらきら、ぴかぴか、七色に輝いて。

「……光ってる」

「そうだ」

 この街に近づくにつれて発光しだし、ここまで強くなってきたと少年は言った。今ミーメアがそれを見たことで、また増したと。

「ほら」

 少年の指が、つい、と水晶をミーメアのほうへ傾ける。

「え」

「触れろ」

「え……」

「いいから触れろ!!」

 こんな状況で聖査の儀なんてありなのかと一瞬怯んだミーメアが、たぶん悪かった。しびれを切らした少年は水晶をさらに傾けて、先端をミーメアの額にめり込ませる。

「痛ぁぁぁぁぁ!?」

 ずぶりと突き立つ痛みとともに、ミーメアの視界で七色の光が炸裂した。 

 痛みと輝きに悶絶するミーメアの耳に、おお、とか、彼女が、とか、ようやく、とかお付きの大人たちのものらしい声や、何があった、とか、ミーメア! とか、店の前の人混みをかきわける女将さんや旦那さんの声や、――やっと……! と万感のこもりまくった少年の声が届く。

 だがそんなものはどうでもいい。ミーメアはただひとつだけ、主張したかった。

 これは触れるんじゃなくて突き刺すっていうんですよ!! ……と。実際は声も出せずに転がるだけだったが。


 ミーメアの身柄は、即聖殿預かりとなった。悶絶当日に料理屋へ暇乞いをする羽目になり、遠い街の家族にはあわただしい手紙を書き、馴染みの客や街の人たちに惜しまれながら別れを交わした翌朝が旅立ちだ。

 仕込みを始める料理屋のみんなと最後の抱擁を交わしたミーメアは、肌寒い朝の空気とともに昨日己を悶絶させた少年の声を耳にする。

「荷物はそれだけか?」

 ……昨日さんざんミーメアを怒鳴り水晶をめりこませるという行為に及んだ姿とは程遠い落ち着いた佇まいで、彼は店から少し離れた道に馬車を着けて待っていた。約束の時間には余裕があるが、どれほど待機していたのだろう。彼の身分であれば、ミーメアを待たせるくらいでちょうどいいだろうに。

「おはようございます、イスカスレヴィ聖下。お待たせしてすみません」

 聖下。そう、聖下だ。

 聖女を管轄する聖殿と神を奉り神事を執り行う神殿を統括する教皇庁のトップ――教皇聖下にして現国王陛下の実子、第六王子殿下。イスカスレヴィ・デュラフォア。ミーメアと同じくらいのお歳でこの大役、まさに一級血統品だ。やわらかそうな白金の髪の下に理知的な榛色の瞳と形の良い眉宇、すらりとした鼻筋とやや薄い唇を美しくおさめたそのご尊顔もそんな経歴ならさもありなんといった、高級なお血筋のお方なのであった。

 そんなやんごとなさすぎる方に対する正式な言葉遣いなどミーメアは知らないので、できるだけ丁寧にくちを動かすのみである。たとえ昨日、やんごとなさをぶっ飛ばす荒々しい面を見ていたとしても。光に悶絶するミーメアをほったらかしてあれやこれや指示を出したあと今日この時間に迎えに来るとだけ言い放って身を翻されたなんてことがあったとしても。名乗りもせず背を向けたこの人がどういう存在なのか教えてくれたのは、騒ぎを眺めていた野次馬のひとり、馴染みの冒険者のおっちゃんだったとしても!

「――――」

 深々と頭を下げるミーメアのつむじあたりに、戸惑ったような視線がぶつけられた。

「……おはよう。……いや、失礼した。顔を上げてほしい」

「はい」

「…………」

 姿勢を戻しても、ミーメアのほうが背は低い。やや下に位置する彼女の目と視線を合わせてきたイスカスレヴィはその瞬間、なんとも言えない顔になった。みるみるうちに眉が寄って、一度は合った視線が逃げていく。

「……その」

「はい」

「ほんとうに失礼した。私も焦って我を忘れていた。女性に、民に、対するおこないではなかった。申し訳ない」

「…………」

 きれいな人はつむじもきれいだった。

 じゃない。

「いえいえいえいえいえ! お顔を上げてください! 元はと言えば自分がうっかりしていたせいなんですから!!」

「そうだな。一年待たされた」

 それはさっきのお待たせしましたに掛けた高度な皮肉だろうか。一瞬くちもとを引きつらせたミーメアだったが、すぐに気を取り直す。姿勢を戻したイスカスレヴィが額の絆創膏を眺めていることは分かっていたが、話を反らすことにした。

「あの馬車で出発ですか?」

「ああ。道中は急ぐことになる。……聖女の祈りが足りない弊害がすでに出ているからな」

 イスカスレヴィにうながされ、ミーメアは馬車に向けて歩き出す。少し離れた場所で待機して見守っていてくれたらしいお付きの大人たちが、ぞろぞろと建物の影とか脇道からやってきた。ちょっとこわい。

 何台かある馬車のなか、ちょっと豪華なものに連れて行かれる。

「弊害というと」

「魔灰溜まりの頻出に始まって、魔獣の発生もじわじわと増えているんだ。今はまだ各領地の兵力で抑えられているが」

 人の間の争いがなくても、魔獣という存在があるからこの地から戦いは消えない。

 魔獣は、命あるものが魔術を用いることで生まれる。人間はもちろん、その素養がある動物も要因となるのだ。魔術の行使には大気中に存在する魔素と呼ばれる物質を用いるのだが、その過程であぶれた分や使用後の屑が別の物質――魔灰として大気へ溶け出す。それが凝ったもの、または人や動物が間違って体内に取り込み変質したものが魔獣となる。

 聖女の祈りは、国内全土の魔灰を祈りの水晶に引き込んで魔素へと転換する役目も担うのだ。

「……そうですか」

 考えなくはなかったことだが、いざ事実として突きつけられるとミーメアがうっすら抱いていた罪悪感が膨らんだ。

 ちゃんと聖査の儀を受けて登録しておけば、一年間のうちに出ただろう犠牲がもっと少なかったかもしれないのだ。悪気がないからしょうがないという言い訳で済むような話でもない。

「気に病むな」

 馬車に乗り込んで腰を落ち着けたところで、イスカスレヴィがミーメアの肩に軽く触れた。

「二年も三年も見つからなければ酷いものだっただろうが、まだ誤差の範囲内だ。おまえが――あ、いや。そなたがこれから祈りに加わってくれれば、また戻る」

「…………」

 ミーメアはうつむいていた顔を上げてイスカスレヴィを見た。

「……素でお話なさっていいですよ」

「そういうのはあえて突っ込まないのが作法というものだ」

「…………」

「…………」

 しらっとそれぞれ別方向の窓へ目を向けた教皇聖下と聖女、ふたりきりの馬車内に静寂が落ちる。しばらくの間ふたりの耳を打ったのは、馬や車輪が進む音、周囲を同道する者たちの同じ音――馬上で進む神殿騎士たちが鳴らす蹄の音が馬車の馬のそれとは違うのだとこのときミーメアは知った。

 それからミーメアは、このままもう少しだんまりを決め込んで、恩着せがましく言ってやろうと考えたのだが――先を越された。

「……だが、まあ」

 イスカスレヴィがそう言いながら、ミーメアを振り返る。

「そうだな。それもいいな。あれだけ莫迦をやらかした相手に、取り繕うもなにもないか」

 真っ直ぐにこちらを見る少年の瞳が、表情が。あまりにも楽しそうで。だからミーメアは、ちょっとだけ肩の力が抜けた。ふへ、と笑う顔の力は、もっと抜けていた。

「街の人たちにはなんて言い訳したんですか」

「一年に渡る国内しらみつぶしの聖女大捜索で心身を一時的に喪失したことになった」

「それはそれで笑い話になりそうですね」

「案外親近感を持ってくれるかもしれない。王族だろうが教皇だろうが、やっぱり同じ人間だとな」

 ……などと言うイスカスレヴィがこれまでどういうふうに在ってきたのか。ちょっぴり片鱗が見えた気がしたミーメアは、そーですね、と笑う。

「自分はめっちゃ親近感わきました! 我らが教皇様はめっちゃおちゃめな王子様です!」

「それ外では言うなよ」

「外聞大事ですね分かります」

「よろしい」

 おもむろに居住まいを正してミーメアがうなずけば、イスカスレヴィが鷹揚にうなずいてみせる。

 ふ、と笑う声はどっちのものだったか。ふふふ、と続いた忍び笑いはどっちが先だったか。――初対面でたいそう驚かされた教皇様との道中は、ミーメアが思っていたのと真反対になっていた。

 なんとなく過ごしやすい空気になった車内で、ふたりは他愛のないことを話す。

 盛り上がるというわけではなく、ぽつりと片方が問いかければぽつりともう片方が応じ、ふと片方がつぶやけばもう片方が耳を傾ける。王都の雰囲気であったり、聖女の務めの内容であったり、リトン村のド田舎っぷりだったり。立ち入ったことや詳細などはどちらも避けて、ゆるやかな世間話の時間が過ぎた。


「おい」

「聖下、何か」


 ふとイスカスレヴィの表情が険しくなった。ミーメアに対してのものではないが、車内の空気が冷え込んだ気がして、思わず体がすくむ。

 どうしたのかと見つめる前で、教皇聖下は馬車の窓を開けた。気づいた聖騎士がひとり、こちらに馬車を寄せてくる。

「少し先に魔灰溜まりが出来ている。駆除を」

「かしこまりました」

 指示を受けた聖騎士はすぐにうなずいて、仲間のもとへ戻っていく。二言三言なにかを交わしたかと思えば、数名が先行するように馬の脚を早めた。

「聖下、分かるんですか?」

「それなりにな。とくに今は聖女の運搬中だ。不安のタネは少ないほうがいい」

「自分がいるから、お手間を?」

「ああ。だがこれは俺たちにとってれっきとした仕事だ。聖女の祈りは魔灰を祈りの間まで導くものでもあるから――」

「聖下!」

 イスカスレヴィの言葉の途中で、また馬車の窓が開けられた。さっきとは違う聖騎士が、慌てた様子で報告を入れてくる。

「先行隊より! 魔灰溜まりにはすでに十匹以上が沈んでいるそうです!」

「ここでそれとか嫌がらせか!?」

 聖下、聖騎士にも素が出てますよ。とは言わないミーメアである。空気を読んだ結果だ。

 なんだかミーメアには予想もできない緊急事態らしい。どうするのだろう。どうすればいいのだろう。尋ねたいが、眉を寄せて考えだしたイスカスレヴィの気を散らすわけにもいかず、ミーメアは聖下と聖騎士の間に視線をさまよわせるばかりだった。

 けれど、その時間は短かった。イスカスレヴィはすぐ思考を切り上げて、まず聖騎士を見た。

「私が出る。おまえたちは聖女の護衛を頼む」

 諾の返事とともに、馬車の速度が落ちる。そして聖下の視線がミーメアに。

「おまえはこのまま馬車にいろ。すぐに終わる」

「は、はい」

「頼むぞ。これも聖女の務めだと思え」

 守られるばかりが務めなのだろうか。たしかにミーメアは戦闘の訓練なんてしていないド平民の田舎娘だが、日々の農作業だとか食堂働きだとかで培った体力がこっそりと自慢だったりするのだけれど。

 ――するのだけれど。

 向かう先の魔灰溜まりには、十数匹の……たぶん動物が沈んでいるという。そしてたぶんではなく、間違いなくそのほぼ全部が魔獣に転化するのだろう。聖騎士たちや聖下の様子は、現場を知らないミーメアにもそれを教えたのだ。

 だが納得と感情は別だった。微妙に納得行かない声になってしまったミーメアを一瞥したイスカスレヴィが、小さく苦笑して手を伸ばしてくる。ぽん、と頭を叩く手のひらは優しい。ふと長兄を思い出した。

 こくり、ミーメアはうなずく。

「よし」

 イスカスレヴィはそれを見て、馬車から半身を乗り出した。

「馬をよこせ!」

「はっ!」

「えええええええええ」

 なんとまさかの教皇聖下による走行中馬車から馬への乗り移りである。予備で走らせていたらしい背中の空いた馬がいつの間にか並走していた。ミーメアが驚愕の声を上げているうちに、イスカスレヴィはさっさと馬の背に移動している。あっという間のできごとだった。素人ミーメアには、彼がどう動いてああなったのかさっぱり見てとれなかった。

 そしてやっぱり、前方へ駆けていった教皇聖下の背中はあっという間に小さくなった。そのころには馬車も止まって、先行しなかった聖騎士たちが周囲を固めている。

「お世話になります」

「これはありがとうございます。光栄です」

 遠慮しいしい声をかけたミーメアに返ってきたのは朗らかなお返事と輝かしい笑顔だった。凛とした佇まいだがイスカスレヴィから感じる頂点故の高貴さのようなものはなくて、ちょっとほっとする。

 聖騎士はそのまま留まってくれているのをいいことに、ミーメアは窓際に身を寄せて顔をちょっと出し、彼へ語りかけた。

「今回自分のことで一年もかけさせてしまって、すみません。本来のお仕事に支障はありませんでしたか」

「お気遣い痛み入ります。我々は交代制ですから、とくに負担はありませんでしたよ。……気に病まないでほしいのですが、出ずっぱりだったのは聖下だけです」

「ひぇぇ」

 気に病むなとか無理がある。

「ああ、いえ。本当にご心配なく。王都側の実務では前任の聖下がご健在ですから」

「つまり引退なさったおじいちゃんを引っ張り出させてしまったということですか……!?」

 ミーメアは、幼いころに亡くなった祖父を思い出す。畑仕事にあけくれたたくましい人だったけれど、晩年にはやっぱり体も縮んでいたし無理はするなと父に口を酸っぱくして言われたり、それを押して父顔負けの仕事をしていたり……あれ?

 御老体の儚さを訴えるつもりだったミーメアは口を閉ざした。自分の祖父、もしかして頑強だった?

「いえいえ。そういうことでもなく。……イスカスレヴィ教皇聖下のお立場は、今回の聖女捜索のために急遽任命されたのですよ。祈りの水晶の欠片は今回の任務のための特別品、国宝扱いでして。これを持って国外に出る権利は、ごくごく一部に限られているので枢機卿様がたでは間に合わず。イスカスレヴィ聖下がいずれ教皇の立場に就かれるのはほぼ確定していますので前倒ししたという事情なんです」

 いわゆるお試し期間というものです。そう聖騎士は笑うが、お試しにしても一年とかいうのはやはり想定外の事態だったのではなかろうか。いや確実にそうだったはずだ。

 ド田舎のド平民のド小娘相手にむっちゃ時間と手間をかけさせてしまった罪悪感が、ミーメアのなかでむくむくと膨らんでいく。かといってここで謝っても、聖下や聖騎士、神殿とか聖殿の人たちが使った時間を返せるわけでもない。

「……自分、聖女がんばります!」

 ならばとこぶしを握って宣言するミーメアの言葉を聞いた聖騎士は、うれしそうにうなずいた。

「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」

「よろしくおねがいします!」

 と、ミーメアが力強く宣言した瞬間、馬車の周囲がふっと翳った。風に雲が流れてきたのかと思ったが、現実は予想を裏切った。

「飛行種です! 外に!」

 ミーメアより一瞬早く頭上を仰ぎ見た聖騎士が、腰の剣を引き抜く。彼の指示を耳に受けるのと同時に、ミーメアは弾かれるようにして聖騎士がいる反対側の扉へと移動した。扉を開け放ち、文字どおり馬車から転がり出た。

 なるべく体を丸めて筋肉や脂肪のある部位が地面と接触するようにしたが、ダメージなしというわけにはいかなかった。

「っ!」

 息が詰まったけれど、体を慣性に任せて転がりつづける。影はほぼ馬車の真上にあったのだ。少しでも離れなければ魔獣の餌食、あるいはそれを攻撃する聖騎士たちの邪魔になる。

 転がるミーメアの体が振動を感じた。土を落とすことも考えずに身を起こせば、馬車の上に大きな鳥のような影がそびえているのが目に入った。全身がほぼ黒一色で、輪郭はもやもやとしている。もとになった動物は分かるが、面影はあまりない。飛べる、翼がある、という点以外でミーメアの知るどの鳥にも似ていない気がした。

 ――そもそも、鳥の瞳は左右三対とかないから。ふつうないから。

 そう。その大型鳥っぽい影は全体がおぼろげだったが、赤く輝く目だけははっきりと存在を主張していた。しかもミーメアがその数までを確認できたのはもちろん、鳥がこちらを見ていたからだ。

「……」

 もしかしなくても狙われてるのでは。

 すでに聖騎士たちが馬車を包囲し攻撃を始めているが、効きが鈍いようにミーメアには思えた。つながれたままになってしまった馬を気にしてだろうか。だからか、鳥はおざなりに払う程度で、敵意を意に介した様子がない。魔術を放とうが剣を振ろうが、飛ばれてしまえば届かなくなるだろうというのも厄介だ。この一匹だけこちらに来たのなら、先行隊も追ってきているだろうか。

 ――――――!!!

 音とも声とも言えないものが、鳥のどこかからほとばしった。ぶわりと影の羽が広がって、馬車の屋根を掴んでいた足らしき部位が離れる。宙に浮いたところに聖騎士たちの魔術が飛ぶが、鳥の上昇スピードのほうが早かった。

 ――輝くむっつの目はあいかわらず、ミーメアを捉えている。

「…………」

 祈ればどうにかなるのだろうか。だがイスカスレヴィの話では、聖女の祈りにそういった効果はなさそうだった。あくまで魔灰を導くものとしてであり――すでに変異してしまった魔獣へも何かをもたらすことが出来るのか、ミーメアには分からない。

 そんな新しい記憶より、畑を守って獣と戦った記憶のほうが強くミーメアを動かす。目を鳥から逸らさないまま、ばたばたと手のひらで地面を探り、手頃な石を掴み取った。片膝をついた姿勢は変えず、下半身にちからをこめる。

 来るなら来い、の構えであった。正直、猪までなら撃退したことはあるが、こんな異形に通用するかと問われれば自信はない。まったくない。

「迎え討とうとするなバカ!」

「あ」

 鳥がいよいよ飛翔の動作に移ろうとしたその瞬間、この場にいなかった人の声がした。なんと空から響いてきてた。

 ミーメアよりも聖騎士よりも馬車よりも――鳥よりも。ずっと高い位置に逆光を受けて翻るのは、この場でいちばん尊い立場のお方の衣装だ。

 まさか空にそんなものを見ることになるとは思わなかった。ぱかんと間抜けに口を開けてしまったミーメアはこのとき、自分目がけて飛び込んでくる鳥のことなんてぜんぜん意識に入れてなかった。ただ、視界には入っていた。だって、鳥の頭上目がけて急降下した教皇聖下が奮った剣の切っ先を深々と突き立てたのも、全体重をかけて鳥を地面に叩き落として動きを縫い止めたのも、しっかり見つめ続けていたからだ。

 剣以外でも束縛がかかっているのかなすすべもなく暴れる六つ目の鳥には、さっきまであった威圧ももはや失せていた。イスカスレヴィは足元のそれを一瞥し、口早に何かを唱えながら無造作に剣を持っていない側の腕を横に凪ぐ。

「――消えろ!」

 ミーメアには見えない刃が、鳥の胴体をまっぷたつに裂いた。もう生物ではないからか、切断面から血は出ない。鳥であったものは急激にその形を崩して霧のようになったかと思うと、あっという間に消えていく。そのあとには、握りこぶしほどの黒い塊が転がった。

 イスカスレヴィは転がるままのそれに、もう一度剣を突き立てた。パキン、と乾いた音をたてた塊は、霧というより砂粒に砕けてかき消える。

「魔核だ。魔灰に侵されきった心臓が変異したもの。ここまで来ると、もとの生き物に戻す手段はない」

 魔獣を倒すには外殻を破ってさらに魔核を砕く必要があるから二度手間なんだと、めんどくさそうに彼はつぶやいた。抜身の剣はとっくに鞘にしまっていて――そういえばどこから取り出したのかと思っていたら、羽織りものの中だった。背中側にしまっている。そりゃ一見分からない。

 けれど今ミーメアの意識を占めているのは、彼の言葉の最後のあたりだ。

「……戻せる、の、ですか」

「神殿でも聖殿でも管轄外だがな。魔灰そのものの扱いは、灰儡師の領分だ」

「そんな話聞いたことないです」

「彼らは自らの存在を隠匿しているから、仕方ない。……そんな顔をするな。魔灰をいじるには、相応の代償が伴うんだ。基本的に倒す以外の道はない」

「……ぐぅ。そこまで博愛精神ではないので、まあ、……分かりました」

「正直でよろしい」

 いろいろ複雑ながらもうなずいたミーメアへ、イスカスレヴィが手を差し伸べる。

「怪我はないか?」

「――――」

 応えて預けようと持ち上げた手を、ミーメアは途中で止めた。

 影の形もない蒼穹を背景に太陽を従わせてこちらへ笑いかけているイスカスレヴィをただ見つめる。さっき彼が飛んできて降ってきてあっという間に魔獣をやっつけてしまった光景が、ミーメアの脳裏に蘇った。

「……どうした?」

「あ――いやあ、なんていいますか、その」

 怪訝そうな表情になった教皇聖下様が、ほらほらと手を軽く上下させる。ミーメアはごにょごにょとよく分からないことを口にしながら、あわててその手を借りた。

 とても元気に立ち上がったので怪我の心配は消えたと思うのだが、イスカスレヴィの表情はまだいぶかしげだ。ミーメアの態度に対してのものであることは間違いない。

「――えーと、ですね」

「ああ。言ってみろ」

 空いた片手を手持ち無沙汰に首あたりでさまよわせるミーメアを見るイスカスレヴィが、また表情を変える。きっとしょうもないことを言うのだろうとかそんなふうに考えているに違いない。

 実際のところ、ミーメアだってそう思う。でも思ってしまったんだから仕方ない。

 それに悪いことじゃない、と、思う。自己判断だけど。ただ、まっすぐにくちにするのはちょっと照れるなあ、というだけだ。

 だけど、やっぱり伝えたほうがいいだろう。

「さっきの聖下が、むっちゃくちゃ格好よかったので――自分、すっごい人のすっごいところ見せてもらったなあって勝手に感動してました」

 ふにゃあと表情がくずれていく感覚があったから、言葉の内容と同じく照れ度合いもしっかり伝わったに違いない。まあ、ド平民の平凡な感想くらい、偉い教皇聖下なら優しく流してくれるだろう。

 と思ったら、

「――――」

 ずっとまっすぐミーメアを見ていたイスカスレヴィの視線が、いつの間にか明後日の方へ行っていた。手はずっとミーメアの方にあるけれど、そうでないほうの腕はミーメアと同じように首や肩のあたりをうろうろしている。

 ミーメアに横顔を見せる形になっているから分かりづらくはあるが、聖下の眉はちょっと寄せられているようだ。またたきが、ぱちぱちと忙しない。くちが微妙な形にもにょもにょしている。どういう感情でそうなっているのやら、ミーメアにはさっぱりだ。ただ、不機嫌でないのは分かった。

 馬車を立て直している聖騎士たちはまだかかるようだし、お言葉を賜われるなら待ってみようかとミーメアは思う。

 ……ややあって。

「ふ、はは」

 まいった、と、イスカスレヴィがミーメアに向き直り、笑った。

「そうやって真正面から褒められたのは初めてだ。――くすぐったいもんだな」

「え」

 ほんのり照れた聖下様には申し訳ないが、彼の言葉を耳にしたミーメアは目をまんまるにしてしまった。

「あれだけやって褒めてくれる人がいないって聖下どういう家庭環境で育ったんですか!?」

「そういう意味じゃない」

 意味を取り違えたと悟ったミーメアの額に、イスカウレヴィのデコピンが炸裂した。なるほどである。そういう意味だったなら、こんな屈託のない笑顔だって持てないだろう。

 ……引っ立て途中の新米聖女をせっかんするときにまで、そんな顔しなくてもいいだろうとは思うミーメアだった。


 戦闘で座り心地が悪くなった馬車は無人のまま引いて戻ることになったので、以降の道程でイスカスレヴィの馬に同乗することになったミーメアは、そこで彼の発言の真意を知る。

 ぶっちゃけてこの若さでお試しといえど教皇聖下に就けるくらいの第六王子様は王位継承権としては低いわりにド優秀であらせられるので、周囲の人間からはちょっと微妙な感じに扱われて育ったらしい。愛情も敬意ももちろんあったが、素養と身分がありあまりすぎて手放しの称賛を受けたことがなかったそうだ。

 ミーメアにしてみれば羨ましいほどの人生勝ち組素質持ちだが、そういうお方にも凡人には分からない苦労があるものだ。

 しみじみ納得するミーメアに、イスカスレヴィはこう言った。

「たまにでいいから、褒めに来い」

 横手を進む聖騎士のひとり、先刻の戦いでミーメアについていてくれた彼が言った。

「聖下、この任務が終わったら気楽な放蕩生活に戻るんだって言ってませんでしたか」

 そういうのフラグっていうんだぜ。ド平民知ってる。村の生き字引のおばあちゃんが言ってた。そしてもうひとつ知っている。

「忘れた」

 ――フラグってつまり、折るものだ。

 しれっとぬかすイスカスレヴィに、自分まだ承諾してませんけどっていつ言おうか考えたミーメアは――背中のすぐ上の声があんまりにも楽しそうなので、まあそのうちでいいかと旅路を楽しむことにしたのだった。




 ……そうして、ミーメアがつつがなく新米聖女として王都の聖殿に受け入れられてしばらくのち。

「正式に教皇襲名することになったからよろしくな」

「今どこからわいてでたんです!?」

 聖殿の裏庭でほくほくお昼ごはんを食べていたミーメアは、どこからともなく出現した教皇聖下(正式就任)に驚いてひっくり返っていた。

 背中から倒れながらも腕を伸ばしたなんとかガードしたお弁当箱をイスカスレヴィが取り上げて、たったいままでミーメアが腰掛けていた古臭いもとい伝統を感じさせるベンチに避難させる。

「まあそれは後で教えてやるから」

「はあ」

 やわらかい仕草で引き起こされて、気づけば隣り合って座っていた。ミーメアよりは高い位置にある薄い色の髪が、ふわりと彼女へかたむけられる。

 ――ミーメアを見るイスカスレヴィの表情は、にこにこという音がよく似合う笑顔だ。

「十年くらい先延ばしにできる面倒を前倒しで引き受けたんだ。褒めろ」

「きゃーすごーい聖下かっこいーい」

「…………」

 即座に応えたミーメアだが、棒読みは避けられなかった。これは聖下のご不興を買ったかと一瞬肝を冷やす。けれどちょっと肩をすくめかけたところで、目の前の瞳が楽しげに細められたことに気がついた。

「……おもしろいな。そんなヨイショレベルでもうれしかったぞ」

「……マジですかあ」

 頬がほんのり朱くなってることを、教えてさしあげるべきだろうか。

 ――実はじわりと熱が昇りつつあるミーメアは思考を逸らすため、自分の状態を差し置いてそんなことを考えた。



 なんていうことをやりあう聖下と聖女の姿は、いつの間にやら神殿と聖殿とついでに王家の公認になっていて。

 半年後の大騒動でふたりがああなってこうなったのも、さもありなんとその後誰もがうなずいたのだ。


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