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84・鍋島元茂、月の鏡を借りること《弐》

「危機……とは?」


 ーー応仁の乱だよ、と勝丸は言った。


「あちらこちらで戦が起きて、都もずいぶん大変な有様だったらしいぜ。御所の傍まで火の手が上がったそうだ。当時持ち回りでこの大鏡を持っていた貴族がこれに巻き込まれて、大鏡を手放しちまったんだな」 


 大乱の混乱の最中、大鏡は当時管理の順番だった貴族の手を離れ、二束三文で人手に渡った。


 そうしてーー


 あろうことか、鏡は大きなひびを入れられ割られてしまった。



「御所へ戻って来た時、既に鏡はひどい有様になっていたらしい。ひびがはいって割れていたんだ」



 御所の人間たちは恐れた。


 鏡が割れてしまったことで、その中へ封じた月の龍脈のぬしーー邪仙・玉藻の前が蘇ると思ったんだ。


 彼女は己を封じた人間たちを決して許しはしないだろう。


 時の帝はこれに頭を悩ませて、とある人間に相談をしたんだ。


「そいつは田舎から山ほど持参金携えて都へやってきた地方の国主だったが、寺で修行を積んだとかでそういうものにも詳しかった。そうしたらその相談相手が、それなら自分がその鏡を預かりましょうと……そう帝に言ったんだな。そうしてその御仁が帝から鏡を託され、越後へ持って帰って来た……」


「越後……?」


「千徳の大叔父殿だよ。都へ上洛した折に帝から鏡を賜ったと……千徳のお父上が言っていた。それがこれ……破片をひと欠片をお前に貸すとさ。邪を払う、月の龍脈の力がある。鬼を産むお前の心の迷いを払ってくれるだろうと言っておられたぜ」


 元茂は箱を手に取って覗き込んだ。随分前に割れたのだろうーー鏡の欠片は表面が曇っている。


 なのに、不思議とその表面からは目を離せずにいる。自分の顔もろくに映らない、曇った鏡であるのに。


 箱の中に心を囚われて目を離せずにいる元茂を、勝丸は冷たく見つめていた。


 やはり、この少年は心に鬼を産む要素を孕んでいる。


 強い力は、それを必要としない者にとっては何の価値もない。

 これを預かった千徳の大叔父や、その後にずっとこれを有する千徳の父親のように。


 勝丸は思い出した。

 屋敷でこれを受け取った時に聞いた、千徳の父――上杉景勝の言葉を。



 ーー月の龍脈の力は邪を払い鬼を滅することが出来る……鬼の力を頼る人間の心の迷いも打ち払ってくれるだろう。


 ーーだが、主務殿。これは諸刃の剣だ。


 ーー迷いを無理やり断ち切ることが最善とは思わぬ。人は暗がりの中でこそ、行く道の先を見つけ出すことが出来るもの……あくまでもこれは、二度目の鬼の出現を防ぐためだ。




(そういうことはな……宵闇の暗がりに慣れた人間の言うことだぜ。こいつはもう既に鬼を拵えてんだ。用心するにこしたこたあねえ)


 勝丸はそう自分に言い聞かせた。元茂に箱をしまうよう促す。


 


「ーーま、とりあえず気をつけた方がいいよ。月の龍脈ってのは、けっこう胸焼けを起こすからね」


 

 勝丸が部屋を見渡すと、部屋の隅で魚の頭をかじっている毛の長い猫が目に入った。元茂も顔を顰めて睨みつける。


「……猫又の化け物……」


「人間なんて土台汚い世界で生きてるんだからさあ、澄んだ月の霊気ばかり浴びていたって具合が悪くなるもんだよ」


「おおい、鈴彦。そいつに餌なんてやらなくていいぞ。調子に乗ってつけあがるじゃねえか」


「ええっ……そうですか? だってお腹を空かせていそうだから……」


 長い毛を撫でている鈴彦に火車は喉を鳴らしている。

 火車が喋っているのに鈴彦が驚かないところを見るに、日頃から火車はこの部屋へよく出入りしているようだった。


 千徳と一緒にあれだけ飯を食べているのに、まだ餌をねだるのか。

 まったく、油断も隙もありゃしない。

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