79・鍋島元茂、北の御殿の生徒と関わること《参》
「北の御殿は今二つの寮があるんだ。僕らの鶴の寮とさっきの二人がいる割菱の寮ね。僕を入れて全員で六人だよ」
鶴寮の部屋へ戻って来た僕は元茂という来客を迎えるにあたって、少しだけ部屋を片付けることにしたよ。自分の文机周りに積まれた本を少しだけ整えて、忠郷の衣紋掛けを少しだけ端に寄せたりね。
少し整理整頓しつつ、僕は北の御殿のことについて彼に教えてあげた。
「本当はもう一つ《笹》の寮があって、そこには生徒が二人いたらしいんだけど、一人は体調が悪くって実家へ帰っちゃってて、もうひとりは実家の都合で出仕が見送られてるみたい。だから北の御殿は僕ら六人なんだー」
元茂は総次郎が文机の上や周囲に置いている南蛮の品々が珍しいみたいで、真剣に見つめていた。
鈴彦がお膳を二つ器用に重ねて部屋に夕餉を運んでくると、まるでそれに合わせたかのように外廊下から誰かがやってくる気配がしたよ。それは割菱寮の方角だったから、きっと甚五郎が海豹を持ってきてくれたんだと思った。
けれども、僕の想像は違っていた。
外廊下から鶴寮の部屋へ現れたのは、割菱寮のもうひとり、津軽熊千代だったんだ。
「あー! 熊千代殿だ。どうしたの?」
「……甚五郎がこれを持って行けと……ほら、海豹肉」
僕は彼が手に持っていた大きな革袋の中身が気になっていたけれど、元茂は彼の出で立ちを見つめて食事の手が全く止まっていた。
津軽熊千代は始終頭を黒い頭巾で覆い隠している、不思議な出で立ちの生徒だよ。僕がここへやってきた時からそうだったし、忠郷の話では最初っからそういう風だったということだった。
「権平がまたやいのやいのと暴れるもんだから、いっそ私が代わりに持って来たんだよ」
「権平殿って、本当に寝ている以外はずうっと熊千代殿を目の敵にしてるんだね……」
「……まあな。南部の人間にとっちゃ津軽なんて家の人間は、須らく残らず皆死に絶えた方がいいんだからな」
熊千代は頭巾に隠れて表情がわからないけど、それでも気配を辿ると彼が何に意識を向けているかがわかる。
僕は熊千代に元茂を紹介した。
「熊千代殿、こちらは鍋島元茂殿だよ。うちの寮のお客人でーす!」
「鍋島って……ははあ、あれか。今度の上覧試合で鶴寮が当たる南の御殿にいるっていう……」
「そうそう。熊千代殿も聞いた? 忠郷も上覧試合に参加するんだよ。三人で南の御殿の藤寮と試合をするんだからさ!」
熊千代は「そらあ驚きだな」と、ちっとも驚いていなそうないつもの調子で言った。
元茂が驚いていたのはそのせいもあったかもしれないし、熊千代の声がひどく潰れてしわがれていたせいもあるかもしれない。
「あ、あなたは……い、一体どうされたのです……その……」
「ああ……顔のことか? 声のことか? 他所の御殿の人間は知らんでいいと思うがね。こんな化け物みたいなものと関わり合いになることなんぞそうないだろ」
「でも、今日ここで二人はこうして関わり合いになったじゃないか?」
僕がお吸い物のお椀を置いて言うと、熊千代は
「……私は呪われてるんだ。そのおぞましい顔、二度と見せるなと言われてこうしてる。行く宛がないから学寮へ厄介になっているだけさ」
と元茂に呟いた。
「しかし……学寮は将来の藩主のための学び舎でしょう。あなたもそういう身の上ゆえここにおられるのでは……」
「まさか。私は御曹司さまなんてものじゃないよ」
元茂が僕の方へ視線をやる。その不安げな表情を、頭巾の向こう側から見つめているのか――しわがれた声で熊千代がぽつりぽつりと話を始めた。
「……昔むかし、奥州藤原氏が倒れて以来、陸奥の国を治めていたのは南部という家だった。《三日月が丸くなるまで南部の領土》なんて言われるくらい、そらあ大きな源氏の名家よ。うちはそこの家来筋。だのに、出来人のじいさまが謀反を企ててうっかり独立して大名なんぞになっちまったもんだから、うちの家は恨まれて疎まれて南部の人間から目の敵にされとるんだ。同寮の南部権平が隙あらば私を殺しに、狙っているくらいだからな」
「その……顔のそれは……」
「その出来人のじいさまに顔を燃やされて、皮膚が崩れとるんだ」
元茂の息を呑む気配を感じた。




