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76・千徳、鍋島元茂と話をすること《弐》

「ねえ、元茂殿? さっきさ、鬼が現れる前……覚えてる? うちの火車が君にあれやこれや色々と話をしていたじゃない?」


「ああ……」

 かろうじて聞こえた元茂の声はひどく暗かった。


「あの時さ、なんだか元茂殿すごく怒っているみたいだったから……きっと火車の奴が嫌なこと言ったんだと思ったんだよ。それなら絶対謝らなきゃと思ってたんだ」


「……謝る……あなたが?」


「だって君はあの後すぐに様子がおかしかったからさ、火車が余計なことを言ったんだと思ったんだよ。火車は君に何て言ったの?」


 しばらく間があって、返事があった。


「……猫又を人の中に何年も閉じ込めておくことなんて逆に難しいと言っていた。何者かがわざと、敢えてそのようにしているんだと……」


「わざと? 誰がそんなことをするの?」


 元茂は何も言わなかった。

 ただ、何か思い詰めたような顔で強く握りしめた拳を睨みつけている。

 何を考えている?

 僕は喉まで言葉が出かかったけど、彼の強張った表情を見ていたらとてもそんな僕の問いに答えてくれそうには思えなくて、声が出てこなくなってしまった。


 とても気になって彼の気配を伺ってみるーー僕はもちろん、人の考えていることや思っていることまではわからないんだけど、人の気配には感情が乗るので、およその参考にはなる。


 ーーお前も大概ニブいなあ。


 ーーお守りだよ。お前のかーちゃん、変なお守り身につけてるんだろ? そいつのせいで猫又は力を弱められて身体の外から出ていけないんだ。


 ーーあのお守り、一体誰が寄越したんだい? おいら、そいつが一番怪しいと思うけどねえ


「……あなたの猫又は母が持っているお守りを渡した奴が怪しいと言っていた」


 元茂殿からは不安と動揺が交じる、強い気配を感じるよ。火車によっぽどのことを言われたのだと思った。


「私は鍋島の家に恨みがある龍造寺家の何者かが猫又を操って当家の人間を襲わせたのだと思っていた。その延長線上で母に猫又が取り憑いたのだと。だが、あのお守りが怪しいとなれば、怪しむべきは鍋島の家中にいる人間ということになる。父が徳川から嫁を貰ったこともあり、母を邪魔と思う者が家中にいるとてもおかしくはない。現に私は廃嫡となったし、母が用済みとなるとてもわからぬ話ではないが……」


 それで元茂はあんなに怒っていたのかーーなんだか納得したよ。僕は思い切り深いため息を付いて元茂に言った。


「……なんだかごめんね、元茂殿。火車ってば化け物だからさ、人の気持ちなんて考えず好き勝手なことを言うんだよ」


 気にしないで、と言ったところで無駄だろう。彼の陰鬱な気配がすべてを物語っている。


 これはーー一体どうしたらいいんだろう。


 さっきの忠次郎殿の話を聞いてしまうと、元茂は今日は部屋に戻っても安らげそうにない。僕と総次郎殿を呼び出して攻め立てた時のようなことが、今度は藤の寮の部屋で、今度は元茂相手に行われるに決まってる。


 だけど、こういう時って一人でいると色々あれやこれや嫌なことばかり考えてしまうことを僕も知ってるよ。それに彼からはもっと色々話を聞きたいし。


(……ということは、つまり……!)


 僕はピンとひらめいて元茂に顔を寄せて尋ねた。


「ねえ、元茂殿? 今日はさあ、北の御殿に来るのはどう? うちの寮の僕らの部屋!」


「えっ?」


「だって、さっき忠次郎殿にあんなこと言われたら部屋に帰りづらいでしょ。色々と聞きたいこともあるし、今日はうちの寮においでよ! 僕、勝丸に聞いてみるからさ」


 そうと決まれば善は急げだよ! 


 僕は典薬寮の小坊主に声を掛けて、寝ていた布団を畳んでから元茂殿と一緒に部屋を出た。


 きっと忠郷と総次郎も消灯の時間までには戻ってくるだろうから、蟹寮の三人から教えてもらった情報をまとめつつ、元茂にも三人で話を聞けるに違いない。


 おまけに上覧試合だってもうすぐ目の前なんだし、色々と話を聞くついでに剣術最強の元茂殿に色々とコツも教えて貰えばいいじゃん!


 なんという名案だろう。

 僕は背後の廊下で「ぬしさま、がんばってな」と声を掛けてくれた火車切り廣光に、思い切り手を振り返した。


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