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3・お喋りな化け物と謎の暗号

 いつもの時刻に御殿に夜の帳が降りると、忠郷も総次郎も自分の布団の中に潜り込んだ。

 

 僕は寝る前に今日一日起こったことなんかを日誌にまとめることにしているから、しばらく一人文机に向かっていたよ。だから自然と僕が鶴寮で一番寝るのが遅くなる。

 そうして文机の上の小さな炎の揺らめきを一体どれくらい見つめていた頃だったか、寝間からいつもの寝言や寝息が聞こえてきた。

 早速灯りを消した僕は用意していたものを手に持って寝間に滑り込んだ。そうして暗がりにそっと小さく声を掛ける。


「……ねえ、火車? 今日父上から文が来たんだよ」


 僕が布団の中へ横たわると刹那、顔の上でふわふわとした毛並みが揺れて声がした。


「きしし。それってさーあ? そろそろあの山城守の手紙に返事寄越してやれっていう……催促じゃないかい? さっさと返事を出さないと今にここへ乗り込んでくるかもしれないよ、あいつ」


 布団の上には金色の目をらんらん輝かせたけだものが鎮座していて、僕の顔を覗き込んでいた。長い毛は虎のような縞縞模様で、耳はピンと尖り、ふさふさとした太い尾が二本も生えている。

 こいつは僕の相棒のけだものだ。

 僕が赤ん坊の頃から傍にいて、呼ぶと現れて一緒にお喋りしたりする。

「だけど景勝の奴、今は江戸にいるんだろ? わざわざ文に書くようなことなんてあるかい?」

 父がこれを《火車》と呼んでいたから、僕も小さい頃からそう呼んでいるよ。

 

 火車は不思議な化け物だった。

 人間とお喋り出来る上に突然現れたり消えたり、宙に浮いたり駆けたりすることが出来る。見た目は太った狸や猫のようだけど、実は地獄の鬼らしい。

 

 僕が掻巻を頭から被って中へ潜ると、火車もそれに続いたよ。僕は昼間届いた文を取り出して火車に見せた。火車のしっぽがふわふわと僕のお腹をくすぐっている。

「なんて書いてあったんだい? 景勝のやつ、またりんごくれるって?」

 僕は文の表紙を火車に見せながら首を振った。そこには少し歪んだ文字で《千徳殿》と書かれている。

 火車はさすがに化け物だよ。布団の中は真っ暗なのに、それでも文字が見えるんだ。

「なんだか……こ汚いなあ。お前の字の方がきれいじゃないか?」

「お前もそう思う? これ、父上からの文じゃないと思うんだよ」

「へえっ? なんだって!?」

「すぐにわかったよ。だって父上はもっと字が上手だもん。今まで貰った父上からの文とは筆跡が違うよ」

 父上は普段は領国の米沢で暮らしているから、僕が学寮へ出仕するより前も僕らはずっと離れ離れで暮らしていた。

 僕ももちろん米沢で生まれたけれど、三才の時に江戸に引っ越してきた。大名家当主の正室や跡取りの嫡男は江戸の屋敷に住まわせるようにというのが江戸に幕府が開かれて以来の決まりだからね。

 だけど不思議と寂しいとは思わなかった。

 だって父上は米沢からよく文を送ってくれるんだ。時には一緒に米沢のお城の中で採れたというりんごや米沢に置いている蔵書を送ってくれたりもしたよ。僕も父上には文の返事を書いたり、江戸からお返しにみかんを送ったりしたよ。そうしてまたその文の返事が江戸に来るーーそれがすごく待ち遠しい。

 父上は謙信公から手習いを教えてもらっただけあって、字が上手だ。謙信公が手習いのお手本を作ってくれたから、それでうんと練習したらしい。

 

 そんな父上が……こんな気持ち悪い歪んだ字で僕の名前を書くだろうか。

 

 僕はなるべく音を立てないように布団の中で文を広げて火車に見せた。

 そこには文の宛名も差出人の名前もない。

 汚い字でわけのわからない仮名文字が無造作に書き連ねてあったんだよ。

 

 をばぞままばぞま

 

 るつまを

 

 るきけたけばぬさぬつ

 

 たをぬば

 

 ちさをま


「これって……あれだ! 暗号だ! お前らが戦の時につかうやつじゃないか?」

 火車の言葉に僕は頷いた。

 うちの家には暗号があるんだよ。戦ばかりしていた頃はこうした暗号を使って情報が敵にもれないようにしていたんだって! 

「お前、この暗号解けたの?」

「あったりまえだよ! だって、それが目的で僕にわざわざこんな暗号を送ってきたんだろうからね」

 僕は布団をめくりあげると、枕元に置いておいたそれを火車に差し出した。勝丸が文と一緒に僕にくれた、端午の節句飾りの薬玉。

「なんだいこれ。猫のおもちゃ?」

「違うと思うよ。この文と一緒に僕に届けられたんだって。勝丸は当然父上が文と一緒に僕にくれたものだろうって言っていたけど……この文は父上の字じゃない。だから当然、これも父上がくれたものなんかじゃないはずだよ。きっと、この文の差出人がくれたんだ」

「手の込んだことしてるなあ……暗号を使うってことはさ、この文の内容は他の奴らに知られたらまずいってことだろう?」

 僕も同じことを考えていたから大きく頷いた。

 

 最後の戦が終結してより十年以上の年月が流れた。日の本中の大名が東西に割れて争ったとかいう、あのーー関ヶ原の戦い。

 僕も同寮二人もそうだけど――学寮にいる多くの生徒は戦を知らない。

 だから余計に父や傅役、育て親たちから聞く実家の戦物語の数々は僕の心を踊らせる魔性を秘めているのかもしれないよ。

 特に、うちは軍神を信奉しているんだからなおさらだ。

 

 そうした彼らが僕に教えてくれたのが、お家の家臣たちが戦に用いていたという暗号だ。

 謙信公が考えたとも、彼の側近の軍師が考案したとも言われるそれは縦横七つに並べたかな文字を使うらしい。縦横それぞれには数字や七つの文字を置いて、その組み合わせで文章を暗号化するんだよ。

 例えばそれは、こんな具合に。


 六二 一一 六七 三一 六二 七六

 一三

 四六 一七 二二


 さいしょさん(妻女山)

 は (は)

 おとり (囮)


 これは最も簡単な数字を当てはめるやり方だよ。簡単過ぎてとても暗号にはならない。だって、賢い人間ならすぐに暗号のからくりを見破ってしまうもの。

 見破られない為には和歌を使うのだ、と僕に教えてくれたのは僕の学問の先生でもある、うちの家老――直江山城守だ。

 和歌は下の句がちょうど七文字なので具合がいいらしい。

 暗号の解読方法がわかっていても、どの和歌の下の句を解読に用いるのかわからない限り暗号は破られっこない。

 山城守なんて暗号に使う歌をどの都度自分で読んで作るとか言っている。そんな暗号、解読出来る人間なんてほんとにいるんだろうか?

「だけどお前……よく暗号が解けたなあ。初めてにしちゃあやるじゃないか!」

「それはほら、この薬玉のおかげだよ。暗号を解読する手がかり」

 僕は強く目を瞑った。そうして真っ暗なまぶたの裏側に思い描くのはとある和歌の文字だよ。僕は火車のために小さな声で――本当に小さな声でさ――和歌を口にした。


 不時          ときならず

 玉乎曽連有       たまをぞぬける

 宇能花乃        うのはなの

 五月乎待者       さつきをまたば

 可久有         ひさしくあるべみ


 和歌を耳にした火車は僕の脇の下でもぞもぞしながら叫んだ。

「そいつはおいらも聞いたことあるぞ。お前のかーちゃんが言ってた歌じゃないか?」

「そうそう。母上が僕に残してくれた和歌だよ」

 それは万葉集に載っているという誰が詠んだのかもわからないという和歌のひとつだと聞いてるよ。

 母上が僕が生まれる前にその歌を短冊に書いて僕に残してくれたんだって。今でもその短冊は大事に江戸屋敷に取ってある――僕の大事な宝物。

「玉乎曽連有――ってのは、薬玉を飾るってことらしいんだよ。端午の節句に薬玉を飾って健康を祈るってことなんだ。それが待ち遠しいっていう歌なの」

 だから僕は勝丸に薬玉を貰ったときにもこの和歌がぴーんと浮かんだよ。そうしてそれは大正解だった。

「そうだそうだ、思い出した! お前が生まれてくるのが待ち遠しいって、そう言ってそいつを短冊に書いていたよ。そうしたらお前が本当に端午の節句に生まれたもんで、みんな驚いていたよな」

「いいよなあ、火車は。母上と過ごした時のことを覚えてるんだもん」

 母上は僕を産んで百日で死んでしまった。

 だから僕は母上のことはなーんにも覚えていない。米沢じゃいつも一緒にいたという火車が羨ましいよ。

 だけどこの和歌を思い出す度に、僕は嬉しい気持ちになる。母上は皐月の頃に生まれるだろう僕をどんなにか待ち遠しい気持ちでいてくれたんだ。

 おまけに母上も僕と同じで火車の姿が見えて仲良くしていたっていうんだから、すごく親近感を感じる。火車のような化け物たちは人間のことは好きじゃないらしく、大半が姿を見られないようにしているからね。普通の人間に火車の姿は見えないものなんだ。

「お前の《玉丸》って名前はさ、お前のおやじがその歌にある《玉》の文字を取ってそう付けたんだよ。あいつってば留守の間にお前の母上が死んじまったもんだから、おいらたちが見たこともないくらいに凹んじまって大変だったぞ。戦に負けた時だってあんなに落ち込んだりしなかったのにねえ」

「そうそう。だからあの短冊ばっかり眺めていたんでしょ? 今でもあの短冊を眺めている時は父上も嬉しそうだよね」

「あいつ、あんな厳つい顔して割とああいうの好きなんだよ。昔だってさあ、好きな和歌とか写し書いたりしてたのおいら知ってるもん。恋の和歌なんて自分じゃあんまし上手く作れないんだよ」

 きしし、と火車はいつものように笑っている。 

 火車は父が小さい頃に人の世界へ留まるようになったらしく、父や謙信公の周辺の色々なことを知っていた。

 僕の父ーー上杉景勝は割と見た目も強面だし、かなりとっつきにくい性格をしている田舎武士だと息子の僕でさえ思うので、傍目にはそういう趣味があるようには見えないと思う。 

 もっとも、毘沙門天の化身なんて自称している大叔父だって色恋の和歌を詠んだりしていたらしいし、源氏物語が大大大好きだったというからこの辺は似たのかもしれない。


「暗号の解読には和歌の七文字の部分を使うんだ。暗号がばれないように、どの歌を使って解読するかは限られた人にしか教えないはずなんだよ。ねえ、火車? これっておかしいと思わない?」

「そりゃあおかしいさ。この暗号を作ってお前に寄越した奴は、少なくともあの薬玉の歌のことを知ってたんだからね。それってつまり一体誰なんだ? 何のためにお前にこんなもの寄越すんだい?」

 そうなのだ。 

 暗号は敵の手に渡って解読されたら駄目だけど、味方の手に渡った時に間違いなく解読されなければ意味がない。「山」と尋ねられたら「麓」と答えるーーそういうものでなければ。

 少なくともこの文の主は、僕に薬玉を渡せば解読が出来るだろうと踏んで、暗号の解読にあの歌を使っている。


 一体誰が? 


 何のために?


「あの歌のことを知ってる人間なんて限られてる。それとも、薬玉といえばあの和歌を指すのなのかな……それとも……たまたま? 節句が近いから?」

 こんなことならもっと和歌の勉強をしておくんだった。学寮でも和歌の授業はあるけど、今ひとつ得意じゃない。僕は母が公家の出だったということもあってか、和歌の先生がどうにも採点を辛くしている気がするんだよね。公家の血を引く人間ならうまい歌作れてなんぼ……ということらしい。

「ね、ね、暗号にはなんて書かれてたんだい? お前、解読出来たんだろ?」

「僕は上杉の若さまだよ? これくらい朝飯前! でもちょっと難しかったよ。おしまいの句が七文字じゃなかったから、応用編だね、これは」

 僕は薬玉を枕元へ戻すと、もう一度頭から掻巻を被って深く潜った。

 そうして火車の尖った耳を二度引っ張ってそれに小さく囁く。 


 なのかの


 ひる


 もみしやま


 にて


 まつ


「七日?」


 火車はいよいよ大声で叫んで飛び上がると、掻巻を跳ね飛ばした。「えらいこっちゃ!」と叫びながら火車が寝所を駆け回ると、さすがに彼の姿を見えない忠郷も

「なんなの? 足を踏まないでよ!!」

 と眠そうな声を上げた。眠りが深いらしい総次郎はちっとも目を覚まさなかったけれども。

「なんだこれ! 七日なんてもう明日じゃないか」

 ひとしきり騒ぐと火車は布団の中に戻ってきたよ。バタバタと長い尻尾を布団の中でも振り回している。

「そうだよ! これは行ってみるしかないよね!」

「えええ? 誰が寄越した暗号かもわかんないのに?」

「わかんなくたって行くよ。だってこれは僕に宛てて書かれた文なんだから、僕への伝言に違いないんだもの。わざわざ暗号で書くなんてことは、つまりよっぽどのことなんだ。何かあったのかもしれないよ」

 火車の言いたい事はよく分かる。

 つまり、どこの誰かもわからない呼び出しに応じるなんて、危なくないか――ということだろう。

 火車とは長い付き合いだし、こういう時に自分の周囲の人間たちが言うことなんて大体いつも同じだから、僕はようくわかるのさ!

「大丈夫だよ。僕だってたった一人で味方もなく徳川様のお城に出仕するにあたっては色々な心構えをしているからね。危ない時は自慢の足でぴゅっと逃げて、即時撤退したいと思います」

 常在戦場――というのが、軍神を頂くうちの家の鉄則だ。戦なんて未経験の僕だけど、丸腰に見えたっていつ何時何があってもいいようにそれなりに注意や準備はしている。

「ふうーん……じゃあ、おいらもついて行こうっと。誰がこんなことすんのか、正体だけは突き止めないといけないもんな」

 一体何が起きているのだろう。用心して注意を怠ったらいけないというのに――僕はすっごく胸がドキドキしていたよ!

 だって暗号の解読は練習でもやったことはもちろんいっぱいあるんだけどさ、こんな風に実際に誰かにもらうことなんて初めてなんだもの。

 火車の言う通りだよ――正体だけは突き止めないといけない。どうしてこんなものを寄越したのか。どうして僕を紅葉山に呼び出すのか。

 改めて布団に横になってふわふわとした火車のあったかい毛並みを感じていると、すぐに眠気がやってくる。


 僕は丁寧に文を畳むとそれを胸元に仕舞い込んで瞼を閉じた。

 

 いい夢が見れますようにと――そう心で強く念じながら。


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