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60・あいつがいないと静かなこの部屋

 総次郎は部屋で一人大の字になって寝そべっていた。


 辺りはすっかり暗くなったが、いつもなら部屋に灯りの火を入れにやってくる鈴彦も現れる気配がない。この調子では夕餉の準備も遅れているのだろう。


 総次郎は何をする気力もなく、ただぼんやりと暗い天井を見つめていた。


 同寮の蒲生忠郷は気が付いたらいなくなっていた。


 何をしに、どこへ行ったのかはわからない。そんなことは尋ねたことがないーーそれが、千徳がここへ来る前の鶴寮の日常だった。


 互いが互いに興味や関心を持たぬこと。

 それだけが唯一、鶴寮に穏やかな日常を生み出した。


 総次郎が学寮へやってきて最初に学んだ、争い事を起こさぬための暮らしの知恵。


 それなのに


 ーーうわー! すっごーい。こんなの初めて見るう!


 学寮へ出仕するや、千徳は己の紹介もそこそこに自分が実家の屋敷から持ち込んだ品々を見ては色々なことを尋ねてきた。


 ーーね、ね、これは何? 総次郎殿のもの?


 ーー南蛮製の織物だよ。見りゃ分かんだろ


 ーー分かんないよそんなの。うーわー……すっごーい。色がちょうはでー! 総次郎殿、こういうのが好きなんだね

 

 ーー俺の趣味じゃねえよ! 貰いもんだから別に俺の好きでド派手になってんじゃねえ!


 ーーじゃあ、それは? それは南蛮の絵? 


 ーー誰が描いたの? 

 ーーどういう絵なの? 

 ーーその人はどうして裸なの? 

 ーー総次郎殿、そういう絵が好きなの?


 ――なんなんだよ喧しいな、俺が知るか!  


 千徳はとにかく自分がわからないことは放っておけない質であるらしい。

 授業でもしょっちゅうそうやって色々なことを質問しまくるものだから、度々教師を困らせた。

 しかもそれがまた答えに窮する質問だったりするものだから、教師も千徳が何か首をひねる度に顔を引きつらせるようになったほどである。


 しかし当人は他人を困らせているという自覚がないようで、


 ーーううーん……そうなのかあ。直江山城守はどんなことを聞いてもさっと答えてくれたのに……そりゃあ、質問の答えは絶対に教えてくれないけどさ?


 などと言って教師を青ざめさせた。

 

(……一体、何がどうなっているんだか……)


 自分はヤツほど子供ではない。

 この世には疑問には思っていても見て見ぬ振りをして放っておいた方がよいこともある。


 しかしーーさすがに自分も今回ばかりは尋ねたい。

 わけのわからないことが多すぎる。


(闇の龍脈の石のことは親父殿から聞いたことはあったが……そんなものを一体どうしてあの南の御殿の生徒が持ってる? 容易には手に入れることなんて出来ねえ代物じゃあなかったのかよ)


 そういう入手困難な力のある石をちらつかせて、大阪の豊臣家が内通を誘っているーー学寮へ面会にやってきた父の言葉だ。


『大御所さまも将軍さまも、さすがに豊臣の家を潰そうなどとはさすがに考えてはおらぬわ。されど……大阪側は打つ手打つ手の全てが悪手ばかり。むしろ徳川と一戦交えたいと見える。よほど勝算があるのだろうよ……』


 父は存外楽しげに帰って行った。

 その後姿が総次郎には殊更恐ろしい。


 乱世の只中に生まれ、未だ暴れ足りないらしい父の目指す果ては底が知れない。

 日の本の戦の気配に耳をそばだてつつ、片目は遥か海の水面の果てに向いてさえいる。


 どうして今あるもので満足し、穏やかに暮らそうとしないのかーー総次郎にはわからない。


 家族、兄弟、家臣皆々が揃って仙台に豊かな領国を築けばそれが何より一番と信じる自分を、父はいつも物足りなさそうな眼差しで見る。

 姿かたちがよく似た自慢の息子が自分と同じ火種を持たぬことが、一抹父の心に不満を抱かせているらしかった。


(……とはいえ……俺までそれに右に倣えでは、さすがに……)


 不意に人の気配がして総次郎は身体を起こした。部屋の戸口で音がする。


「鈴彦か?」

 返事はなかった。彼は名前の通り、腰に鈴をつけているので身じろぎすれば音でわかる。


 鶴寮の部屋は一度自分たち寮生が大喧嘩をした折に部屋の戸が外れてしまって以来、立て付けが悪くなっていた。現れた濃い人影が部屋の入り口でガタガタともたついていたのはそのせいだろう。

 ようやく人が通れるくらいに戸が開かれると、手燭に照らされて現れたのは総次郎が見たことのある顔ぶれだった。


「お前らは……蟹の寮の……」


 三名の背後にもうひとり、見知った顔があって総次郎は声を掛けた。


「お前が連れてきたのか?」

「……ここに用事があると言うからさ」


 蟹寮の一人ーー鍋島孫平太が頭を下げた相手は、北の御殿・割菱寮の津軽熊千代だった。


 彼は頭に頭巾を被っているという出で立ちが常であるから、彼ら三人が不思議そうにしているのも無理はない。


「……大丈夫なのか?」


 誰が、とは言わなかったが総次郎は答える。


「さあな。親がここへ呼ばれると聞いたぜ。千徳の父親、今江戸へ来ているらしいからな。屋敷も城とは目と鼻の先だ」


「忠郷殿、今、御殿評定で呼ばれとるんだろ? 化け物に襲われて危篤らしいという噂……うちの寮にまで届いとる。よっぽどのことだ」


 学寮内を巡る噂の終着点ーーそれはいつも北の御殿だ。いつだって北の僻地は情報からは隔絶された距離にある。だからこそ自分たちは耳をそばだててそうしたことには最新の注意を払って生きてはいるが、何分追いつかないことの方が多い。


「心配すんな。化け物はうちの主務が倒したそうだし、あいつの生き死にはお前には関係ねえ」


 すると、熊千代は無言で頭巾を脱いだ。毛利勘八郎が持っていた手燭をそちらへ向けたのはごく自然なことだったかもしれない。

 間近で頭巾の下のそれを目の当たりにした蟹寮の生徒は全員、「あっ」と声を上げて顔を引きつらせた。


「……顔はおろか喉まで焼けたこのひどい火傷の顔を見て、化け物と思わなんだのは千徳殿だけ。無事で居てくれんと困る」


 それは些細な虐めだった。

 紅葉山の武道場の裏手で他の御殿の生徒らに頭巾のことを咎められた熊千代の素顔をうっかり目にした時のこと。


 化け物のようだろうと尋ねる熊千代に、千徳は


 ーー化け物ってどういう化け物のこと?


 と、逆におかしなことを尋ねてきた。


 ーー僕はこの辺の人里にいるような化け物なら結構見ている方だと思うよ! 君も見るの? 化け物のようってことは……その化け物って、君に似ている化け物なの? 知らなかったーそんなのがいるんだ。人みたいな姿をしているってこと? 人に化けるまじないを使うのかなあ。


「……同寮の一人はおらんようだが、時期に戻るだろ」

 熊千代は頭巾をかぶり直して蟹寮の三人にそう言うと去って行った。

 それを見送って三名が部屋に入ってくる。


 もう一度モタモタしながら部屋の戸を閉め終えたのを見計らって総次郎は声を掛けた。


「なにか用か?」

 総次郎の問に答えたのは、蟹寮の最年長の寺沢忠次郎だった。


「……あの後部屋に来れんで悪かった。フランシスコは……ぱらいそに行けたか」


「さあてな。俺にそんなことがわかるもんか。でも、あの珠を用意したらここへ現れて、満足げに消えて行ったぜ。不穏な言葉を残してな」


 忠次郎は孫平太と勘八郎と顔を見合わせて頷いた。

「……その話をしに来た。俺たちが知ってること、ぜんぶ」

 一歩前へ進み出たのは孫平太だった。ここへ現れて以来、ずっと胸に包みを抱えている。


「……もう時間がないんです。今日、うちの寮監督から話がありました。フランシスコの兄上が来る。今度こそ近いうちに会わいとならない……」


 そう言ったのは勘八郎だ。


 忠次郎が頷いて

「こいつを探してるんだ……きっと。それで何度も南の御殿の生徒に面会の申請を申し入れてるに違いない」

 孫平太の肩に手を置く。


 総次郎にじっと見つめられると孫平太は言った。


「……これ、フランシスコから……預かったんだ。絶対に、誰にも……見せないでほしいって。守ってほしいって……俺達に……」


 包みを差し出した孫平太の表情に、総次郎はなんだか見覚えがあった。


 そうだーーあの時、「気をつけて」と声を掛けた消えゆくフランシスコも、確かこんな顔をしていた。

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