1・茶会にて 《弐》
「万全!? 大事な一人息子がこのような親を持つ生徒と同じ寮では主人の気の休まる暇がないではありませぬか! 管理をする人間もおらぬというのに!」
「そもそも儂はこのような場所へ総次郎をやるのは反対だった! 幾度も断ってきたはずだ。おまけにこんっな腹立たしい陪臣が育てる上杉の家の人間が傍におるなど……こちらから御免こうむるわい!」
茶席で客人を持て成す主人ーー学寮長の土井利勝のすぐ隣では豊前の領地を治める細川家の当主、細川三斎が茶を点てていた。当代随一の茶の湯の手前を持つ大名であり、息子の一人は学寮で働いている。
見かねて三斎が政宗の前に抹茶の碗を置いた。
彼もようやくおとなしく頭を下げてそれを受け取る。いちおう茶席にいるのだという自覚はあったらしい。
「方々には大変申し上げ憎いことですが……寮の振り分けが覆ることはございませぬ。どうかご納得いただきたく思い、今日この場に茶席を設けた次第です」
「……そうだろうな。寮の振り分けは大御所様や上様がお決めになったと聞いておる……当家としても天下のご意思に楯突くつもりなど毛頭ないのだ」
飲み終えて開口一番そう言った政宗に、学寮長は何も言葉を返さなかった。ただじっと見つめて少し微笑んでいる。
「それについては当家とて同意。もとより上杉、天下のお沙汰に背いたことなどございませぬ」
兼続も深く頭を下げた。さすがに陪臣である。いつもいつでも尊大というわけでもないらしい。
しかし、これだけでは終わらなかった。
もう一人の保護者である。
「……駿府の父には抗議をしておる」
それは強い口調である。
政宗も兼続も声の方へじっと視線を向けた。
「こちらの二人のご子息らは当然として、一体どうしてうちの忠郷までこのようなところへおる必要があるのじゃ。わたくしという人間がありながら、兄上さまは蒲生の家にも人質を召し出せと仰せか?」
「いえいえ、振姫様。そうではありませぬ。忠郷殿を学寮に留まらせるのはそのような理由からではありませぬ」
そう言うと学寮長は保護者達の背後、ずっと遠くの空を眺めていた。初夏の空を雲がいくつも流れていく。
「もとより、学寮に集め置かれるご子息らは人質ではございませぬ。学寮はこれからの治世を担うであろう将来の藩主を育てるための場所。学寮には大御所様のご子息らもおります」
「笑止! 育てるもなにも忠郷はすでに藩主じゃ。立派に勤めを果たしておる。弟らと引き比べることに意味などない」
学寮長はほんの少しだけ顔を綻ばせて言った。
「なればこそ、忠郷殿に学寮へお留まりいただきたいと思うのです。藩主とは申せ彼はまだ齢十二。歳も近しい御曹司らとの交わりは必ずや彼と会津の将来に役立つこととなりましょう。まだまだ学ぶことも多くございます」
「……ほう? 学ぶこと……だと?」
震えるような彼女の声に、政宗と兼続は顔を見合わせた。
「……控えよ、利勝。これ以上忠郷を愚弄すると許さぬぞ。うちの子は立派に藩主の務めを果たしておる!! 学ぶことがあるというのはつまり……忠郷になんぞ至らぬところがあると申すのか……会津の今の有り様は、うちの子のせいとでも言いたいか!!」
振姫が甲高い声で続けて叫んだ。
「父上さまの手前、兄上さまの手前……わたくしも断腸の思いで我が子と引き離される悲しみを受け入れ、学寮へ忠郷をやっておるのじゃ。こやつらがくだらぬ駄々をこねて我が子を人質に出し渋る一年も早くから!」
髪を振り乱して三人目の保護者は立ち上がった。鬼のような形相で学寮長を指している。
彼女は政宗と兼続を強く睨みつけた。
「それは外様大名の子息らなどと顔を突き合わせるためではないぞ! 斯様な連中の息子らなど信用できぬ。同じ部屋で寝起きをするなど……日々どのような事をされておるかわかったものではない。現に忠郷の寮は毎日毎晩のように喧嘩が絶えぬと聞くではないか!」
「お言葉ではございますが、ひとまとめにされては困ります。当家とて伊達など信用出来ない」
「なにを!? うちとて蒲生や上杉など信用出来ぬわい! 大御所様のお下知でなければこのようなことは断じて承服せぬのだ!」
学寮長は三名の保護者の顔を交互に見て言った。
「さもありましょう……ですが、ご子息らは乱世も知らぬ新しい時代の若君。争うこともなく、きっと仲良くやれる……もう乱世の時代は終わったのです」
こんなくだらない茶席が一体いつまで続くのだーー三斎は遠巻きにこちらを眺めている人影が視界に入って、大きく首を振った。
「領国が隣り合う者達が争い、憎み合い、戦を繰り広げることはもうなくなります。なればこそ、共に武芸や学問に励むこうした日々の暮らしが後の世の彼らの治世に良い影響を与えると……我らはそう、信じております。領国を接する彼らの絆を深めることが後の世に悪い影響を及ぼす事は断じてありますまい。これから後の世はそうした時代となる。生徒らが争わぬようにすることこそが、我らの勤め……その為に皆様のご子息をここでお預かりしておるのです」
保護者達の表情は変わらなかった。
互いを牽制するような眼差しの合間にこちらへ向けられるそれは疑心以外の何物でもない。
「それより……利勝。そなたからも兄上へお伝えするのじゃ。忠郷は身体も弱いのに、上杉や伊達の血を引くような暴れん坊と一緒の寮に押し込められて……主人のように若死してしまったらそなたのせいぞ、利勝! 忠郷は弟の忠知と替えさせます。駿府の父にも幾度も文を出しておる」
「暴れん坊とは心外です。当家の若君は心優しく気性も穏やか。弱いものをいたぶるような趣味はございません。一緒にされては困ります」
「一緒お!? うちの倅にもそんな趣味はないぞ!! 貴様らの小倅どもがやいのやいのと倅を焚きつけるのだろうが!」
「なんと……そなた、うちの忠郷に非があると申すのか!」
母の怒りに満ちた咆哮を耳に入れながらちらりと横目で利勝の表情を窺い見た三斎は、しかしすぐに視線を遠くに反らした。彼が白い顔で天を仰いでいたからである。
三斎が息子から聞いた話では、学寮の総責任者である土井利勝自らが鶴寮の監督官を引き受けるに至った経緯は、およそ彼らーー面倒な保護者達に原因がある。
彼らを納得させる為には学寮長自らがその任を全うする他ないという決断に至ったらしい。
腕の立つ護衛役の主務を見つけてきて、無理矢理「副監督官」などという取って付けたような役目を兼務させて。
江戸暮らしが長い自分の息子が指南役の補佐にと駆り出されるくらいである。
指南役の多くは将軍の傍にいる人間が暇を見て授業を受け持つくらいであるから、学寮も相当な人手不足には違いない。
三斎は人知れずため息をついた。
茶の湯の腕前を買われて将軍直々に仰せつかった役目ともなれば断ることは出来なかった。
ーー早く切り上げよう。出来るだけ早く。
三斎はそう思った。
しかし、ぎゃんぎゃん騒ぎ立てる三名の保護者達の喧嘩はとてもそうすぐには終わりそうもない。