37・わかさま、情報収集するのこと《壱》
義真との面会を終えた僕が客間を出ると、そこには驚く人物が待ち構えていた。
「うわ! ど、どうしたのさ総次郎……」
客間の廊下の壁にもたれ掛かっている総次郎の足元では火車がしっぽを揺らしていたよ。
「あれ? 総次郎これから面会なの? 僕より早く出て行ったのに」
「もう終わったんだよ。よく似た顔のとーちゃんとお喋りしてたぞ!」
火車は僕の腕の中へ飛び込むと、総次郎を指して言った。
「おいらこいつらの話、聞いちゃったよ。お前、とーちゃんにはずいぶん真面目な話しぶりだったじゃないか? 御殿にいる時とは大違いだな!」
そう言うと、火車は大きな口を開けて笑った。
「ええ? そうなの? 総次郎って家では真面目なの?」
僕が首を傾げると、総次郎はあからさまな舌打ちをして僕らを睨み付けた。どちらかと言えば、火車の方を。
「てめえ……そこの毛むくじゃら。客間で何を聞いたか知らねえが、一言でもそいつを誰かに喋ってみろ……その時はお前のその長い尻尾を付け根から叩き切ってやるからなあ!! 俺だって切れる刀は持って来てんだ!」
火車は僕の腕から床へ飛び降りると、宙を軽やかな足取りで飛び跳ねて総次郎の顔の前まで歩み寄った。楽しそうに、長い尾を揺らしながらね。
「ふうーん? おいら、死んだ罪人を運ぶ仕事を何百年もやってんだ。人間風情のそんな脅しはもうとっくに聞き飽きたよ。なんならやってみたら? おいらは地獄の獄卒だ。尾なんて切り落としたところですぐに生え変わるし、喉を突かれって死にやしない。ちっとも怖くなんてないね」
そう言うと、火車は後ろ足で伸び上がって総次郎に喉を見せた。長い毛の上からでもわかるーー火車は喉の部分だけ僅かに黒くなっているんだよ。
「それに、本当に刃を向けてくる人間ってのは、お前みたいなことはいちいち言ったりしないもんだ。そんなことを言うよりもまず刃を抜いて襲いかかってくるんだからね。おいら、そういうことをされたことがあるからようくわかるぞ。わざわざそんなことをオイラに言うってことはねえ……お前、本当はそんなこと出来やしないのさ」
総次郎が勢いよく利き手を繰り出したけれど、火車はそれをひらりと避けた。
「……ふざけた事を抜かしやがって……丸腰でなきゃあとっくにそうしてるぜ!」
「嘘だね。出来もしないことは言わんことだ。おいらの喉へ刃を突き立てた人間は今のお前よりも若かったけど、丸腰でも鬼の姿をしたおいらに向かってきたよ。どんなに脅されたって、おいらみたいな連中はお前みたいな人間なんてちいとも怖くない。脅すだけ無駄ってもんさ。喋ってほしくないなら、そうと頭を下げてお願いでもすることだね」
「でも……そんなこと言う割にはお前、父上のことはいつも怖がってるよね?」
火車は僕がその名を出した途端、毛を逆立てて振り返った。
「そ、そいつは言わない約束だろお!? 誰にだって苦手なもんはあるんだよ! だってあいつはいつも怖い顔してんだもん!」
狼狽する火車の姿に総次郎は少しだけ溜飲を下げたようだった。怒りに強張っていた表情がほんの少し和らいだのがわかる。
「大丈夫だよ、総次郎。火車は人間に興味なんてないから、何を聞いたって興味なんてすぐになくして忘れちゃうよ」
「やかましいな! お前にぺらぺら喋られたら嫌だって言ってんだよ!!」
「ああ、そう……そういうこと」
僕がどうしたものかと考えていると、客間から義真と勝丸が現れた。廊下を眺めるや彼は目を丸くして
「なんや、今はお前のところにおるんかそのけだもの」
と、言った。
「そうだよ。あの廣光の脇差は僕が父上から譲り受けたんだから!」
「おお! もしや貴方様は、鶴の寮にいなさるという伊達家のご嫡男、忠宗さまでございますか?」
目敏く気が付いた長真が僕を押しのけて総次郎に駆け寄る。総次郎はただ不審げな表情で彼をじっと見ただけだったけれども。
「いやあ、こないなところでお目に掛かれるとは……なんや、今日はツイとるなあ。ああ、申し遅れました。某は大御所様の傍で旗本さしてもろうとります、畠山義真といいます。以後お見知りおきのほど……」
義真は恵比寿さまのような顔をいよいよ綻ばせると深く腰を折って頭を下げた。
「うちの阿呆な義弟がさぞご迷惑を掛けとることでしょうなあ。いやあ、ほんま申し訳ありません。ようく言って聞かせときますさかい」
そう言うと、義真は僕の頭を力いっぱい押し付けて無理やり頭を下げさせようとした。それに何とか抗いながら僕は言ったよ。
「ええー!? 別に総次郎に申し訳ないことなんて何もしてないもん」
「このど阿呆! ええか、千徳。忠宗殿のお父上はそら偉—いお方なんや。大御所様からは松平の姓までもろうとる陸奥守殿やで? 喧嘩売って米沢くんだりに飛ばされとるお前の親父とは比べ物にならんのや。わかったら今後はもうちいっとばかし大人しゅうするこっちゃ」
この変わり身の速さが義真という人間である。ほんのついさっきまで、自分たちの寮の喧嘩騒ぎをさも楽しげに大笑いしていたくせに。
「ほんじゃ、大人しゅう勉学に励めよ千徳。わしはもうしばらくは江戸におるさかい、お義父はんにもよろしゅう」
そう言うと義真は総次郎にだけ頭を下げて客間へ戻ってしまった。今日はずっとこの客間を借りて学寮の教師や上役達から問題の内偵相手の話を聞くらしい。
「なるほどね……あの大御所さまのご家来、お前さんの従兄弟だったのか」
どうやら義真に話を聞いたらしい勝丸が僕の顔をしげしげと眺めながら言った。僕は義真とはあまり顔は似てないと思う。僕は母親似で可愛い顔をしてるもんね。
「そうだよー。だから僕が問題起こして呼び出し食らったわけじゃないんだよー! 安心した?」
「まさか。胡散臭え男がまた独り学寮に増えて余計に嫌な予感がするわな。てめえらも面会が終わったら大人しく剣術の自主稽古でもしやがれよ。せっかく若殿様がやる気になってくだすったんだからな」
今日は昼まで剣術の自主稽古だと、勝丸は僕ら二人に伝えて別れた。廊下を遠ざかって行く勝丸の後ろ姿を眺めながら、僕は来客前に聞いた彼の嘆きを思い返して彼にちょっぴり同情していたよ。勝丸は主務の仕事に加えて寮監督の補佐業務まであるのだから、本当に忙しい。
「……義弟、と言ったが……お前、兄貴なんていたのか?」
客間から部屋へ戻る道すがら、総次郎がそんなことを尋ねてきた。
「ああ、あれね……あれは従兄弟だよ。父方のおばさんの息子。僕が生まれる前は父上の養子をやってたから、今でも僕に兄貴面するのさ」
僕は兄弟がいないので、例えフリだけでも兄弟なんて大歓迎……だけど、義真や長員は三十も越えた歳なのでさすがに年が離れ過ぎている。
だって、どう見たって二人は兄というよりおっさんだもの! 傍目からは父親と思われたって不思議ではない。
父上によろしく、ということはーー義真はつまり、自分が江戸へ来ている話を父上にして欲しいということだろう。長員も長真も上杉を出奔したとあっては実家の上屋敷に顔を出すというわけにいかないのが厄介だ。
「なるほど。実の息子のお前が生まれて……あいつも用がなくなったということか。どこの家も同じだな」
「はーあ? 冗談じゃないよ。義真が家を継ぐのが嫌になってうちを出ていったの。僕が生まれるよりかなり前にさ」
そう僕が言うと、総次郎は驚きのような呆れのような表情で僕をしばらく見つめていた。
「嫌になったって……上杉の家を継ぐのに必要だから、お前の父親の養子になったんじゃねえのか?」
「まあ……それはそうだろうね。うちの父上、五十で僕が生まれるまで一人も子供がいなかったから。だから昔は義真がうちの人質として大阪へ預けられていたりしたらしいよ」
僕はそう説明したけれど、総次郎はわけがわからないという表情のまましばらく固まっていた。
「実の子供がいないのに養子までいなくなって……お前の親父はどうしたんだ。跡継ぎがいなくなるじゃねえか」
「さあねえ……別にどうもしなかったみたいだよ。だって、僕が生まれたのだってたまたまらしいからね。別にそういうつもりじゃなかった――って、前に父上が言ってたもん」
「……そういうつもり、って……」
「いや、だからさ? 跡継ぎが欲しくて僕をこしらえたわけじゃあないってこと。そりゃあそうでしょ。だって、跡継ぎが必要ならもっと前にこしらえようとするはずじゃん? 何か手を打つよね?」
僕はちょっとだけ小声で言った。主に父上の名誉のために。
「僕の母上はね、京都生まれの貴族の娘でとにかくちょー美人だったの。傍にいたらそりゃあ嬉しくって士気が上がって……それで、父上が我に返った頃にはもう母上のお腹の中には僕がいたらしいよ」
「……そんなことが……」
あるかよ、という総次郎の呟きには僕も賛成だった。今まで何度この話を父上から聞いても僕にはいまいちピンとこなかったもの。
だけどこの間、市とおしゃべりした時は僕もとっても嬉しかったし時間があっという間に過ぎていたから、これがつまりそういうことなのかもしれない!
そう考えたら何だか僕はとてもうれしくなった。父上のあの話は本当なんだとわかったんだからね。
「……お前の一族って、そんなんでいいのか」
「いいの! 理由はどうあれ、僕は父上の息子で上杉の若様だし、うーんと頑張って将軍様にも跡取りだってことを認めて貰えたんだから」
「……上杉の家名が途絶えても知らねえぞ。お前が死んだら跡継ぎもいなくなって上杉の家は改易だ」
「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するもの也ーーこれ、謙信公の言葉ね。生きる為に戦えば必ず死ぬ……こんな言葉を信奉してるくらいだから、改易なんてちっとも怖くないんだと思うよ、父上は」
ひとしきり僕に冷たい眼差しを送ると、総次郎は何故か大きくため息を吐いて項垂れてしまった。
「……こんな奴に話を聞くだけ無駄だったな……」
「もちろん、僕は改易になんてならないようにと思ってるよ。僕はもっと堅実に上杉の家を建て直さなくっちゃ!」
項垂れた総次郎を見て火車が「きしし」と笑い声を上げた。
「景虎もこいつの父親もずいぶんな変わり者だからね。お前たちとは信仰が違うんだ。お前の参考にはならないだろうよ」
上杉の家は貧乏になったとはいえそれなりには名家だし、名前だけでも利用価値があるーー上杉の家を出奔した僕の従兄弟たちはそう言っているよ。
長員が今でも上杉姓を名乗るのはそのためだし、義真も自分の大叔父が謙信公だということは良く口にする。つまりそれだけ価値があるということだ。
僕の従兄弟達は上杉の家には残っていてほしいし、そこの当主には自分の身内がなってくれていたほうが都合がいいと思っている。だから二人とも何かと僕の事は気にかけて顔を見に来るんだよ。
もちろん、僕だって彼らの恩恵にあやかることが出来るーー従兄弟たちのおかげで僕は学寮でおもしろそうな手伝いをしたり、貴重な情報を入手したり出来ているんだからさ!




