0-1・北の御殿というところ 《参》
「だいたい……冗談じゃないわよ! どうしてあたしがこんな……伊達や上杉の家の人間とひとまとめにされなければならないの!? 屈辱にもほどがあるわ。お父様は上杉に会津を簒奪されて宇都宮へ左遷されたし、伊達政宗なんて氏郷おじいさまに毒まで盛って会津を横取りしようとしたじゃない! あたしぜえんぶ知ってるわよ!」
「てめえはまたその話か! 一体どこの口がそんなデタラメを抜かしやがるんだ! ああ!?」
「だからさあ……何度も言うけど、うちは会津になんて行きたくなかったんだよ。忠郷のおじいさまが死んじゃったからうちが無理やり会津を押し付けられたんじゃん」
「とにかくとにかくとにかく!! あんたたちは蒲生の敵よ! 敵以外の何物でもないじゃない!! 今後あたしに反抗的な口を聞いてみなさいよ、お母様に頼んで二度と領国になんか戻れなくしてやるんだから!! あんたたちの実家も改易になるわよ!!」
凄まじい口論の応酬は延々と続いた。
「……ご覧の通り、大御所さまのお孫さまはああいう性格でね……ひでえもんさ。会津じゃあんなのが既に藩主の座に収まっとるっちゅうんだから悪夢以外の何物でもねえぜ。何かあるってえと二言目には《改易にしてやる》《腹を切らせる》の一点張り。大御所様の孫だから怖いものなんざねえんだ」
呆れたような口調で主務は言葉を続けた。
傍らの寮監督の引きつった青い顔など見向きもせずに。
「おまけに……あいつの母親ってのがとんでもねえ毒親でよう。最初の寮監督はこの忠郷の御母上のお怒りに触れてクビになったんだともっぱらの噂だぜ。なにせ、大御所さまの娘で将軍さまの妹君だ……およそこの世でどうにも出来ねえことなんざありゃしねえんだろ」
「おや、クビ? 私は責任を取らされて腹を切らさせられたと聞いたよ」
「はあ!? 責任って……一体何をしでかしたんだ!?」
「さあねえ……私はただの指南役補佐だから……でも忠郷殿の御母上さまがお命じになったという話だったんじゃないかな?」
「違いますよう。もう……変な噂を真に受けないでください! 全然違います!」
鈴彦が強い口調で大人二人を叱る。
「一人目の寮監督殿はただ精神に異常を致しただけです! 死んではいません! あれやこれやここで色々あって……ちょっと狂っただけなんです!」
強い鈴彦の言葉に、もう寮監督は何も反応を示さなかった。
取っ組み合っていた二人は忠郷の幾度かの悲鳴に銘々反応した。
総次郎は握りしめていた煙管を勢いよく投げつけ、千徳は小憎たらしい表情で彼に舌を出す。その光景を目の当たりにした忠郷は再びこの世のものとは思えない奇声を上げ、すぐ脇に落ちていた太い巻物を投げつけた。
「しかしひどい光景だなあ……噂以上だ。ずっとひどい」
どこか楽しげな忠利の言葉に、寮監督は小さく首を振る。
「ええ……うちは二人目の寮監督殿が鼻を折られて行方知れずになって以来もうずうっとこんな調子で……勝丸殿お一人ではとても手が足らんのです。お部屋番も自分しかいないし……一度、後任の寮監督殿が着任前に様子を見にお出でになったこともあったんですが……うちの寮の様子をご覧になったら気鬱の病になって臥せってしまったとかで……結局着任自体が白紙になりました」
震えながらそう呟く鈴彦。寮監督も震えながら周囲を見渡すと、部屋が殊の外酷い有様であることが知れた。
手付きの盆がひっくり返り、衣紋掛が倒され、派手な着物と山のように積み上げられた書物の一角が雪崩のごとく散乱している。
乱闘騒ぎのせいで散らかっていることは間違いないが、そもそもひどく荷物の多い部屋である。
「ああ、もう! 一体どうしてこんなことになるのよ。めまいがするわ! 頭が痛い!」
「ぎゃあぎゃあ喚きやがってうるせえんだよ! 減らず口はこのちびだけで充分だ」
「ちびは余計だって何遍言えばわかるのさ、総次郎の馬鹿あ! もう史記も大學も見せてあげない!」
少年たちの叫び声は御殿の廊下にまで響き渡っていた。他の寮生達も思わず部屋から顔を出すほどである。
勝丸は鈴彦に視線を落とし、顔を見合わせた。
彼の表情はますます暗い。どうせこの部屋を片付けるのは彼の仕事であろうから無理もない。
すると刹那、寮監督は数歩下がると突然踵を返した。
次の瞬間、彼は主務が言葉を掛けるよりも早く来た道とは逆の方へ一目散に走って行ってしまった。
それはほんの一瞬の出来事だったーーらしい。
通算三人目の寮監督(未着任を入れれば四人目)はこうして北の御殿・鶴寮を遁走し、その後二度と御殿に姿を現すことはなかった。




