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0-1・北の御殿というところ 《弐》

「手加減してやりゃあ調子に乗りやがって……今日という今日は生かしちゃおかねえ! 白石の城も落とされたくせにどの面下げてうちより強いだなんて抜かしてやがる! ああ!? 上杉みてえな古臭え斜陽の貧乏大名が!!!」



 そう言って激昂していたのは、北の御殿在籍の鶴寮生の一人である。

 忠利も彼らのことはそれなりによく知っているから余計に気が重い。


「ほれ、あそこ……ちっこい生徒の胸ぐら掴み上げてる奴がいるでしょう? あいつはうちの寮で一番年長の総次郎。仙台藩から出仕しなすってる伊達家のご嫡男さまだとよ。お父上の政宗殿がとにかく可愛がっておられるんで、注意しなすった方がいいぜ。なにせご子息の煙草だサボりだを注意するとご実家から壮絶にお怒りがくるからな」


 初老の新しい寮監督は「は、はあ……」と、息を吐くついでに頼りなげな声を返した。


「俺たち主務は学寮生の護衛が勤め……だがね、寮監督殿までは護衛できねえから、そのつもりで準備でも心積もりでもしておいてくれや。うちの寮へ寄越されるくらいだ、武芸の心得くらいはあるんだろ? なにせ前の寮監督殿は総次郎に殴られて鼻の骨折られて以来姿をくらましちまったもんでね」


 寮監督は不意に背後から槍で突かれたような表情で主務を見つめたまま固まってしまった。


 しかし主務は涼しい顔で一度頷いただけである。忠利も彼に続いてますます寮監督の強張りは強まった。

「総次郎殿は優秀だけれど、どうも我々には反抗的なところがあるからなあ。何か思うところがあるのだろうとは思うんだけれどねえ……」

「それよりも……大丈夫でしょうか。千徳さま、総次郎さまに派手に顔を殴られたんです」


 寮監督は恐る恐る取っ組み合いの片割れに目を向けた。



「ばっかみたい。白石の城なんて城主の留守を狙って簒奪したんじゃないか。うちの甘糟がいたらどうにも出来ないからでしょ? そんなの勝利のうちに数えて得意げに自慢する伊達家の神経を疑うよ、恥ずかしい」


「なんだと!?」


「うちは総次郎のお父上の本陣をめちゃくちゃにしたことだってあるもん。その時持って帰ってきた伊達の陣幕はまだ江戸の屋敷に取ってあるから、何なら見せてあげようか? どの面も何も、うちには伊達家に勝ったっていう証拠がちゃあんとありますけど」



 勝丸が少年の顔を指して言った。彼は右目の周辺が赤くなって腫れているように見える。 

「ーーそんで、総次郎とやりあってるのが、つい一月前に出仕した千徳喜平次。十歳のがきんちょだが、とにかく口が達者で博覧強記なところがあるから、ナメて掛かって口でやりこめようとは思わねえこった。おまけにあいつの実家は超がつくほど面倒くせえ大名だから、下手なことはなさらん方が御身のためだぜ」


「めんどくせえ……大名?」

「そうです。千徳殿の大叔父にあたる人というのが、あの……謙信公だそうですよ。今の上杉家のご当主の一人息子なんです、彼は」

 忠利がそう説明するや、寮監督は震える手で胸元から分厚い塊を取り出した。鈴彦も忠利もじっと見つめてようやくそれが分厚い文だということを知る。


「あ、あのう……実は上役殿から、こ……こんなものをいただいたのですが……」


 とても文には見えない厚さのそれを受け取った主務は表紙の文字を一瞥すると

「ああ、大丈夫ですよ。全く……なんで新しい寮監督が来る話をあの御仁が知ってんだ……地獄耳め」

 と呟いて笑った。

 ホッと安堵の息が耳に届くが早いか、主務がが乱暴に文の包を破る。


「千徳がここへ来たときもおんなじものを寄越しやがったぜ。これが噂の《直江状》だろ? 頭がイカれてんだ」


 主務が乱暴に書状をめくると、蛇腹折りのそれが彼の手のひらからこぼれ落ちた。

 足元にまで届いてまだ余りある長い長い書状にはびっしりと細かな文字が書かれ、さながら経典のようである。


「千徳殿の育て親の直江山城守という男がとにかく口やかましい御仁でねえ……あんた知ってますかい? ほら、関ヶ原の戦の前に大御所さまにケンカ売りやがったっていう……上杉家の執政ですよ」


「あ、ああ……噂には聞きます、ね……」


「千徳喜平次の養育を任されてるらしくって、とにかくあれやこれやと注文が多いんだ。こんなものは気にせんことです。いちいち気にしておったら、寮監督なんて務まりゃしねえ。第一、長すぎて読んでられやしねえ! 馬鹿か!」


 主務は長い長い書状を勢いよくぐしゃぐしゃに丸めると寮監督にそれを差し出した。引きつった笑みを小さく浮かべてそれを受け取ったものの、彼もそれをどうしたらよいやらわからない。


「三十万石の貧乏大名がナマイキ言いやがって! てめえらこそ反省しろ! 上杉なんて大御所様に喧嘩売ってド貧乏に成り下がった死にぞこないのくせに!!!」


 そう叫ぶや、いよいよ総次郎は煙管を握った拳で千徳の頭を殴り始めた。一方の千徳も千徳で身体をよじり、彼を盛んに足で蹴飛ばしている。


「……ねえ、勝丸? 確かこの寮ってもうひとり生徒がいなかったっけ?」


 忠利の問いに鈴彦が無言で部屋の奥を指した。外廊下の手前に小さく蹲っている派手な塊がある。


 外廊下から部屋へやって来た生徒は同じ北の御殿に在籍する別の寮生だろう。

 大柄な生徒が蹲る塊に声をかけている。

 小刻みに震えている塊は、どうやら嗚咽を漏らしているようだった。


 主務がそれをあごで指して言う。


「そんでーーあいつが最後の生徒ですな。蒲生忠郷。大御所・徳川家康公のお孫さまだ。あいつだけはほんっとにくれぐれも注意してくだせえよ。何かあったら俺らの首が飛ぶぐれえじゃ済まされねえからな」


 寮監督は強く頷いた。

 不意に塊が顔を上げる。彼は長い髪を振り乱すように振り返ると、



「ーー覚えておいで、外様ふぜいが!! 絶対に改易にしてやるわよ、あんたたちの実家なんて!!!」


 と金切り声で叫んだ。

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