19・鶴寮の三人、夜の世界へ誘われるの巻《壱》
僕ら三人が大急ぎで自分の部屋へ戻ると、勝丸が怖い顔をして待っていた。消灯時間までに部屋に戻るという僕らの計画はどうやら失敗したらしい。
「……こんな時刻に皆々外出とはどうしなすったんだね、若さま方。お揃いで厠にでも行っとったんかな?」
勝丸は腕組みをしてこちらをじっと睨みつけていた。ああ、相当おかんむりだよ……僕は慌てて頭を下げた。
「す、すみません。急いで寝ますので!」
ぴゃっと急いで寝間の自分の布団へ駆けた僕は気付かなかった。僕の後をついてくる火車を勝丸が鬱陶しげに目で追っていたことなんてさ。
「まったく……お前らは油断も隙もありゃしねえ。夜なんて子供は早く寝るもんだ」
僕ら鶴寮の全員が布団の中へ入ったことを確認すると、勝丸もその傍らにどっかりと腰を下ろした。
普通なら勝丸は外廊下の雨戸を締めて部屋を出ていくから、どうやら今日は僕らが完全に寝付くまでここで見張るらしい。
「別に見張りなんかしなくたって、もうどこにも行かないよ」
「一体どの口がそんなことを言えるんだ。とっとと寝ろ! 悪い夢を見ても知らねえからな」
勝丸は背後を指して言った。まだ外廊下は開け放たれたままだよ。外がとても明るいから、今日はきっと満月に違いなかった。
「こういう月夜の晩てのは騒がしいからな。悪い物が出てくるかもしらん」
「悪いものって?」
「人でないものだよ。俺は小せえ頃は上野の山ン中で暮らしていたからな。山にはおかしなものが沢山いたが、月夜の晩はそいつらが元気になるんだ」
「それって山のおばけ? 化け物? 物の怪ってこと? 月夜の晩になると出るの?」
僕は深い山の中になんて入ったことがないから興味が湧いたよ。寝転んだまま勝丸を見上げると、彼と目が合った。
「月が出てなくたって出てくる奴はいるし、昼間にだって出てくる奴もいる。お前らも授業で習っているだろ? お山ってのはな、いろんな龍脈が通っていて力が交わってるもんだから、霊場なんて呼ばれていろんな物がいやがるんだよ」
「勝丸って、もしかしてそういう物が見えるの?」
「そりゃあそうさ。だからお前らみてえな若さまの護衛なんてやってんだろ」
「そうなの?」
忠郷が驚いたように尋ねたよ。彼もまだ眠れないらしい。総次郎はいつも割とすぐ寝ちゃうんだけどさ。
「そうだぜ、まったく。学寮長さまはなあ、諸大名の跡取りになにかあっちゃあならねえと、お前さんがたの護衛には万全を期してんだ。人成らざる厄介な奴ってのもいるだろうからってんで、護衛役の主務ってのは大体そういうものが見えるわな。まあ、見えるだけじゃあ話にならんだろうがね」
小馬鹿にするように笑った勝丸に、忠郷が言った。
「主務なんてのはみんな伊賀者だとお母様が言っていたわよ」
「ああ、中奥の詰所に部屋を貰ってる奴らだろ? 俺はそういう連中とは違うんだよ。れっきとした侍だからな。戦にだって出ていたぜ。ぜひにと頭を下げられてここへきてやったんだ」
柱にもたれ掛かりながら「どうだ」と言わんばかりに胸を張る勝丸。
「ねえねえ、勝丸はどこの家のご家来だったの? どういう戦に出たの? 手柄は上げた?」
なんだか面白そうな話なので、僕は身体を少し起こして肘を付いて勝丸の方へ顔を向けた。背中の上で丸くなっていた火車が大きなあくびをしたのがわかったよ。
「俺の身の上なんてのはどうでもいいんだよ。さっさと寝ろ」
「いいわけないじゃないの。学寮という場所には素性明らかな信頼の置ける人間しかいないと聞いてここへ来たのよ。指導する指南役はもちろん、大奥にいる御末に至るまで全てだわ。あたしたち生徒を守る護衛役は皆徳川の家に仕える伊賀者だと聞いていたのに……そうでないなら信用なんか出来やしないじゃない!」
大きくため息を付いて勝丸。
「はいはい、そうですか藩主殿。ご信頼に足らず申し訳ございませんね」
「でも、ぜひにって頼まれてここへ来たんでしょう? それって学寮長さまが勝丸の腕を見込んだことだよね。それって結構すごくない?」
「そういうことだ! 実によくわかってるじゃねえか、千徳」
気分を良くしたらしい勝丸は調子に乗って自分の身の上話をしてくれた。出仕以来勝丸のこういう話を聞くのは初めてだよ。
「俺は信濃は高遠藩主のご家来さな。保科肥後守――駿府の大御所さまや将軍さまにだってえらく信用されてるぜ。学寮もずいぶん人手不足だってんで将軍さまが困ってらしたもんだから、それならと親父殿が俺のことを推挙してくだされたというわけさ」
「おやじどの?」
「保科の家の殿様が俺の身の上を不憫に思って養子にしてくださったんだよ。俺の親父は武田の家来でな、まあ……つまりそういうことだな」
勝丸が言うには、勝丸の父上が武田の家来だったという縁で元武田の家臣という保科家のご当主――保科正光殿が勝丸によくしてくださったのだそうだ。
山の中に住んでいた、というのも、勝丸の父上は武田の家が滅びた後は残党狩りが怖くて息子の勝丸と二人でずうっと山の中に隠れ住んでいたということらしい。
「ほうーら! そんな話はもういいんだよ。さっさと寝ろ!」
「ええ~? つまんない。せっかく勝丸のこと知れたのに。もっと何かお話してよ」
「じゃあ化け物の話をしてやるからさっさと寝ろや。悪い夢を見ても知らねえぞ」
化け物、と聞いて火車が僕の懐に潜り込んできた。火車も興味があるらしい。
ーー親父のじいさまがまだ小さかった頃のことだな。
木馬で遊んでいたら突然その木馬が喋ったらしい。
そいつが「兵法とはなんぞや」と尋ねるもんだから、じいさまは脇差で木馬の首を切り落としたんだと。
そうしたら、木馬の首がごろりと地面に転がって、
そいつはみるみる間にぐにゃぐにゃの肉の塊になったんだ。
「肉の塊?」
「ああ。木馬は狸が化けていたんだよ。何百年も生きた古狸が変化の術で化けて、じいさまが持っていた刀を分捕ろうと狙ってたんだ」
それがこいつさーーと、勝丸は差していた脇差を引き抜いて畳の上に置いた。
「そうなんだ! じゃあその刀、相当いい物なんだね」
「さあてな。親父の奴はこいつをじいさまから譲られはしたが知っているのはその昔話ぐれえなもんで、詳しいことはよくわからねえんだと。俺にわかることは、今でもその狸が刀の傍をうろちょとしてやがることぐれえだわな」
「今でも刀を狙ってるんだ!」
「いやあ……自慢の金玉を傷付けられたもんだから、刀の持ち主にいつか仕返ししようと思って隙を狙ってやがるんだ。今でも俺の周囲をうろちょろしてやがるぜ。お前も気を付けろよ? そいつはよく俺に化けてタダ飯やタダ酒あおっていたりするからな」
「ええー! 狸が勝丸に化けるの?」
「そうだよ、まったく。悪知恵が働くからちっとも大人しくしちゃいねえ。小せえ頃にはよく似た兄弟がいるだなんて言われてたもんだ。漢字が書けない俺は偽物だから気を付けろ。そいつは俺じゃなくて、俺の脇差に金玉を傷付けられた大狸が化けてやがるんだ!」
すると火車が「きしし」と声を上げた。
「どうりでこいつ、狸臭いと思ったよ」
「それってどういうこと?」
僕はうんと小声で火車に尋ねた。
「ま、まさか……こ、この勝丸が……」
「なんだって? 誰が狸だ! 俺は本物の保科勝丸だよばかやろう!」
「ああ、もう! ちっとも眠れやしないじゃないの!」
忠郷の叫びで昔話はお開きになったよ。それでも勝丸は僕らの寝間に残り、僕らがちゃんと眠りにつくまでここにいると譲らなかった。
「あの主務さあ、ものすごく狸の匂いがするよ。きっと狸の奴はあいつのすぐ傍にいるんだな。それであいつに自分の匂いを付けているんだと思うよ」
「匂いを? どうしてそんなことをするのさ」
「決まってるだろ。自分があの主務に化けた時により本物に近づけるためだよ。どんなに上手く人に化けたって、敏い人間にはそうとわかる。匂いが違うからね。だけどそもそも本物から狸の匂いがするなら、狸がそいつに化けたって見破れまいと……そういうわけさ。随分悪知恵の働く狸だよ」
「そこのけだものも早く寝ろ。べらべらとお喋りするのは昼間だけにしろや」
僕は驚いて布団から飛び起きた。
「勝丸、火車のことが見えるの!」
「言っただろ。俺はそういうものは見えるんだよ。昔は化け物を退治して銭を稼いでいたからな。その毛の長い鬼のことは上杉の殿様からも、煩いようなら尻の毛を残らず引っこ抜いても構わねえと言われとるんだ」
刹那、火車は甲高い悲鳴を上げて僕の布団の中へ潜り込んでしまった。
「そうなんだ……勝丸も火車が見えるんだ。それならそうと言ってくれればいいのにさ」
「お前さんがいないようなフリをしてやがるから、こっちもそれに付き合ってやったんだよ。まあ……見たところうちの狸に比べりゃ知恵もなさそうだし、害ってのはなさそうだわな」
勝丸も僕と同じで、幽霊や化け物が見えるのかーーそうと分かれば客間にいたというあの南の御殿の生徒のことも何か知っているのではないかと思ったけど、僕はなんだか急速に眠たくなってきた。
結局、僕はそのまま意識を手放してしまったものだから、ついにそれを勝丸に尋ねることは出来なかったよ。




