17・鶴寮の三人、南の御殿へ事情聴取にいくのこと《弐》
「どうも胡散臭え話だと思ってたが、これではっきりしたぜ……」
僕はなるべく音を立てないように注意しながら早歩きで先を行く総次郎に追いついた。
「ちょっとちょっと、総次郎。どうしたのさ、一体」
総次郎は勢い良く振り返ると、僕が持っていたロザリオを指した。
「お前が見た幽霊の生徒……自害したなんてのは嘘っぱちだな」
「えええ! ど、どうしてそんなことわかるのさ?」
総次郎は僕の手からロザリオを奪うように手に取ると、それを僕に見せつけるように突き出した。
「いいか? キリシタンってのは自害なんかしない」
僕も忠郷も顔を見合わせた。
「出来ねえんだよ。キリシタンは自害するとか、腹を切るとか……そういう、自ら命を断つことは教えで禁止されてるはずなんだ」
「そうなの?」
「ああ。こんなものを後生大事に持ってるキリシタンが、自分で命を捨てるなんてことをするわけがねえ。そんなことは絶対しちゃあならんと言われてるはずだからな。だからキリシタンの侍なら切腹も出来ないはずだぜ」
そう言ってロザリオを揺らす総次郎の言葉に、忠郷も続いた。
「なんか……そう言われてみれば……死んだ父もそんなことを言っていたかもしれないわね。蒲生のおじいさまもキリシタンだったのよ」
「そうなんだ! へええ……結構いるんだね、きりしたんの信徒って」
「西国の大名連中の間で流行ってたんだろ? 南蛮人ってのは最初に九州にやってきたらしいからな」
僕もその辺のことは歴史の授業でもちろん習っているよ。そういうこともここでは学ぶのさ。
室町の幕府のおしまいの頃になると南蛮人が船でやってきて、日ノ本へ鉄砲や南蛮の珍しいものが沢山齎された。もちろん、南蛮人が信仰しているという神様の教えもその頃に日ノ本へ伝えられて徐々に西国で広まり始めたらしい。
「そうそう。信長さまだって黒い巨人のような南蛮人の家来を召し抱えていたっておばあさまが言っていたわ。蒲生のお祖父さまなんて《レオン》というキリシタンの名前までお持ちだったのよ。最っ高にすてきな名前だと思わない!? レオン、よ! レオン! 名前をもらえるくらいですもの、きっと選ばれた信者だったのよね」
忠郷がふんぞり返って言う。
「信長って南蛮人のこと好きだよね。謙信公も信長から真っ赤な戦装束みたいな南蛮の羽織ものをもらったらしいよ」
僕はそれを見たことがないけれど、とにかくド派手な趣味だと父上は言っていたよ。僕は父がそれを着ているところは一度も見たことがない。
「そうなの? 信長さまは宣教師にも優しかったのよ。だから蒲生のおじいさまだってキリシタンになることが出来たのだし」
信長や忠郷のおじいさまはきっと南蛮人には好意的な感情を持っていたのかもしれない。そうでなきゃ南蛮人の服装を真似たり、南蛮の国からやってきた人間を家臣になんてしないだろう。ましてや南蛮人の信仰を広めていいなんて言わないよね。
だけど、室町幕府が滅びて以降の天下人達はそうではなかった。
太閤殿下は、天下を統一するとこの南蛮人達、伴天連ーーこれはつまり南蛮人の国々のことだけれどーーを追放するお触れを出した。
これに伴い、それまで日ノ本でキリシタンの教えを布教していた宣教師たちもそうしたことが出来なくなった。都で宣教師たちが処刑されたなんて話も聞いている。
今の天下人である家康さまやその息子で将軍の秀忠さまに至ってはキリシタンの教えを信仰することまで禁止にしてしまったんだよ。
それは本当につい最近の出来事だけれども。
「だけど……耶蘇教って、もう信仰するだけでも禁止になったんでしょ? それで徳川さまの旗本まで改易になったって聞いたよ」
「ああ。確か何か事件があって……それで一段と厳しくなったんだと……そんな話じゃなかったか?」
大きな戦はなくなったし、未だかつての天下人――豊臣家も大阪に在る。
けれど、それでも世の中は刻一刻と新しく作り変えられている。学寮という閉ざされた世界で暮らす僕ら生徒はなかなかそうした動きを肌で感じることは難しいけどさ。
忠郷は口端に笑みを浮かべながら総次郎を見た。
「あんたも気をつけたほうがいいんじゃなあい? そんなに耶蘇教に詳しいなんて……キリシタンだと疑われても知らないわよ。旗本が改易になるくらいだもの……あんたたちみたいな外様大名の藩主がキリシタンなんてことにでもなったら、一発退場は免れなくてよ」
「抜かせ。俺は耶蘇教じゃなくて西方の国に興味があるだけだ。てめえのじいさまと一緒にすんじゃねえよ」
そう言っていらいらとロザリをを揺らす総次郎。
僕はもう一度さっき幽霊の彼が言っていた言葉を頭の中で反芻させた。何か見落としてること、忘れていることはないだろうか?
「確かあの幽霊の生徒……壊れて足りないって言ってたよ。あれがないと……あれがないと……って、客間で会った時に辛そうにしてたんだ……磯に行けないとか……なんとかって」
「んもう、じれったいわねえ……《あれ》って一体なんなのよ!? 磯って言ったって……どこの海!?」
「まさか……もしかして、壊れたってのは……ロザリオのことなんじゃねえか?」
総次郎がロザリオを眺めた。
「そいつ、壊れたロザリオを持っていたんだろ?」
「確かに……彼が持ってたロザリオは……珠がばらばらになってて、壊れたって感じはしたけど……だけど、彼はちゃんとそれを持ってたんだよ? 掌にばらばらになったロザリオの珠を持っていたもん。それってぜんぜんなくしてないじゃん。足りないって言葉も意味がわからないし」
「そう言えば……思い出したけど、前に忠広も言っていたわね。死んだ彼が宿下がりをする直前に、南の御殿の生徒たちで彼を客間に呼び出したって……」
僕と総次郎は忠郷の顔を見つめた。
「そこで、彼が大事にしていたものを壊してしまった、って……忠広は言っていたわ。南の御殿の部屋って客間に近いでしょ? 忠広は言わなかったけれど……あの様子じゃ、人目に付かない空いていた客間に呼び出してフランシスコをいじめていたんじゃないかしら」
ーーそれだ!
僕と総次郎が叫んだのは一緒だった。
「何を? 何を壊したの? きっとそれだよ!」
「そこまでは聞いてないわよ」
「意味ねええええ! 肝心なところでてめーはよお!」
総次郎が《ダン!》と強く廊下を踏み付けた。
「……ああ、ちょっとだけ思い出したわ」
僕らは再び忠郷に詰め寄った。まったく、一度に全部思い出してほしい!
「ええと……さすがに悪いことをしたと思って……壊れて……飛び散った欠片を拾い集めたって……言ってたかしら? 拾い集めて、彼の実家に届けてもらうように寮監督に頼んだのよ」
「ひ、拾い集めたって……何を!? 肝心なことが何もわかんないよ!」
「それ以上のことはわからないわよ。忘れちゃったもの」
「ええ~!?」
「わかったぞ……」
総次郎が静かに呟いた。
「わかったのか? お前賢いなあ! 頼りになるう!」
火車が飛びはねて総次郎の腕の中に収まる。総次郎は僕と忠郷を見て言った。
「珠だ! やっぱりロザリオを壊されたんだ。客間でロザリオを壊されて……それで珠が飛び散ったんだ!」
「そ、そうか。壊れて客間に飛び散った珠を、忠広たちが拾い集めて……実家に届けたんだわ!」
忠郷も思い出したように頷いた。
「だからあの幽霊の子はそれを持ってたんだね! みんなが拾い集めて屋敷へ届けてくれたから……」
総次郎は頷いた。火車を見つめて言葉を続ける。
「ああ。だが、死んでも客間に現れてるってことを考えると……きっと、拾い集めそこねたロザリオの珠があるんだ。だからその幽霊は学寮に現れて、珠の残りを探してるんじゃねえか?」
忠郷は掌を叩いて言った。
「そうね。きっとそうだわ! 拾い集めた珠の数が足りないのよ!」
総次郎は火車を抱いたまま僕を指す。
「ロザリオってのはな、千徳。珠の数がちゃんと決まってんだ。数や位置にも意味があるとかって話だったぜ……確か。キリシタンはロザリオの珠を数えながら祈りを唱えてんだよ。珠の数が足りなきゃ意味なんてねえんだ」
「なんだあ! お坊様が持ってる数珠となんだか似てるじゃん」
そうか……だから、彼はあの世に行けず、今でもロザリオの珠を探しに学寮をうろうろしてるのか!
「お坊さまがお経あげたりお祓いしたって効かないわけだよな。だって、相手はキリシタンの生徒だったんだもの。そいつが満足するようなことをしてやらなきゃ、成仏なんかしっこないぞ。大事なのは心なんだからさ」
火車が廊下に飛び降りて僕を見上げた。
「なるほどね、そういうことだったんだ!」
僕らは大急ぎで自分たちの部屋へ戻ったよ。
今日はもう客間が暗いから、明日また客間へ行こう。
飛び散ったロザリオの珠の残りを探すんだ!