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9・鍋島家のお姫さまと交流すること

 僕は客間の外廊下に座って、お姫さまに教えてあげたよ。


 火車は僕が持ってる脇差しの持ち主の言うことには逆らえないこと。だから、なーんにも怖いことなんかしないんだってことをね。

「……そうだったのか。化け物というのはみな人を襲うものだとばかり思っていた。私は猫の化け物に襲われたばかりにこのような有様になったから」

「まあね。そういう奴もいるさ。人に恨みがあって化け物になっちまったような連中もいるからな。だけどおいらはちっがーう! 地獄で働くえらい鬼の化け物だからね」

 火車は胸を張っているけど、僕はちゃんと説明してあげた。

「……昔はそうだったらしいんだけど、今はその仕事はお休み中なんだよ。罪人を地獄へ連れて行く仕事中に大失敗しちゃったの。閻魔さまにも怒られたんだって」

「え、閻魔さま? 閻魔さまって……あの?」

「そんなこと大きな声で言うなよ、玉丸!」

「それにうちの父上に叱られるのも大嫌いみたいだから、何かあったら父上に言うから問題ないよ」

「ちょおおおおおおっと!!!」

 ぷりぷり怒る火車の姿はとても地獄で働くえらい鬼の化物とは思えない。

 お姫さまもくすくす笑っている。


「……私は市と申します。佐賀は鍋島の家の者です。先程は……その、ご無礼いたしました」


「僕は北の御殿の鶴の寮の生徒です。千徳と申します」


 何ごとも最初が肝心だーー僕は丁寧に自己紹介をして頭を下げた。

 思わぬ形で僕の交流会が上手く行ってる!

「お姫さまたちも武芸の稽古をしてるんだね。知らなかったよ」

 僕は立て掛けられた薙刀の木刀を見て言った。

 確かにうちの江戸屋敷にも薙刀が何振りもあって、僕の育ての母親や乳母がよく練習していたっけ。

「……はい。ただ、他のみんなはあまりそれほど真剣には稽古をしないが」

「そうなの?」

「ああ。だからもうここへ来ても練習する相手がいなくなってしまった。最近は師範とばかり手合わせをしてる……」

 どうやらお市殿はずいぶんすごい薙刀の腕前らしい。僕らのような学寮の生徒も毎日剣術の稽古をしているから、なんだかすごく興味が湧いた。

「そうなんだ。僕らなんてうんと剣術の稽古してるけどなあ。番付があってね、御殿に張り出されてるんだ。僕も少しでも上に行けるように稽古をしてるけど……番付が上の人達はものすごい腕前らしくって」

「……お姫さまは守って貰える。だから、強くなんてないほうがいいんだ。おしとやかで可憐で、儚い方が殿方には好かれるし」

 市が呟いた言葉がなんだか悲しげに聞こえて、僕は彼女の横顔を見つめた。


「江戸に幕府が開かれて、世の中は平和になった。もう戦なんてないんだもの……敵が自分の城を攻めてくるなんてこともない。女が強くなる必要なんてないんだ……みんなそう言う」


 僕は火車と顔を見合わせた。


「お姫さまたちはみんな、どこの家にお嫁に行けばいいのか、学寮にどんな若さまがいるのか……目を皿のようにして探してる。姫さまたちには、いいお家の若さまと知り合える交流会こそが戦みたいなものなんだ。薙刀の稽古なんて興味がないのさ」


 僕は女の子とこんなに長くお喋りをしたのは生まれて初めてだった。

 だからそんなことは今日まで全然知らなかったし、想像もしていなかったよ。

 お姫さまも大変だ。

 お嫁に行ったらお家の跡取りを産まなきゃいけないし、そうしたら死んじゃうかもしれない。

 僕の母上みたいにさ。お産ってのは命懸けだし、大変なのだ。


「だが、私は嫁には行かない。だから誰にも守ってなんて貰えないんだ。自分の身は自分で守り、実家の為に働かないと……」

 僕はちらりと市の薙刀の木刀を見た。

 そうか、だから市はお姫さまだけど薙刀の稽古を積んでいるんだ。

「化け物に襲われ、呪われた私を嫁にもらおうだなんて物好きはいないさ。化け物が見えるなんて気持ち悪いと言う人もいる。それに、こんな顔では大勢の殿方の前にも出られない。いつもは顔だって隠している」

「そうかなあ……化け物は僕だって見えるし、僕の母上も見えたって聞いてるよ。僕は気持ち悪いなんて思わないけどなあ」

 火車もうんうんとうなずいている。火車のやつは僕の母上が生きていた頃、よくお喋りをしたんだって言っていたもんね。

「うちの父上の最初の奥方はね、うーんと腕っぷしが強くてムキムキしたおなごだったんだよ。小松明っていう薙刀ぶん回してたって聞いたもん。武田信玄の娘でね、父上なんて囲碁でずるした時に碁盤を片手でぶん投げられたんだって」

 父上が甲斐の母上相手に顔を青くしている姿を想像するとなんだか面白い。あわや織田の大軍勢が越後目前まで迫った時だって「来るならこいや」なんて言っていた父上なのにさ。

「ご、碁盤を片手で?」

「そう。地震が起きた時なんて、独りで崩れそうな鴨居を支えてみんなを逃したって聞いてるよ。すごいでしょ? 薙刀の稽古だってずうっとしてたって聞いてるし、僕もそういう強いおなごを嫁にしたいけどなあ。おなごだって強いほうがいいじゃん。守ってもらえるお姫さまより、うちのみんなを守ってくれるお姫さまの方がいいけどなあ。ねえ?」

 火車に話を振ると、彼は首を振って

「小松明は切っ先が火花を吹き出すもんのすごい薙刀なんだぞ。普通のおなごなんかにゃ扱えないよ」

 と言った。

「それに、傷なんて別にぜんぜん気にならないよ。だって、お市殿はうんとかわいいもん! さっきの薙刀を構えた姿もシュッとして格好良かったし!」

 僕は市の顔を覗き込んで言った。何故か彼女はびっくりした顔で、少し頬を赤くしている。

「ねえ、火車? お前だってそう思うよね」

 しかし、返ってきた言葉は市のものだった。

「お、お前のような男や化け物にはわかるまい! おなごは色々と大変なのだ! か、髪や顔はおなごの命だから!」

「へええ……そうなの?」

「そうだ! だから……だから、もう私は自分を姫と思うことはやめたんだ。嫁にも行かないし、男のように武芸の腕で身を立てようと思ってる。鍋島の家や兄や弟たちを守れるように!」

 市は薙刀の木刀を手に取って握り締めた。


「……むしろ私なんかのことより、兄の方が気がかりです。学寮の御殿で事件があったらしく、もともと父と折り合いが悪く元気がなかったのが益々塞ぎ込むようになってしまった」


 市の声がだんだんと小さくなるのがわかった。俯いて、暗い表情で握り締めた薙刀の木刀を見つめている。

「お市殿の兄上が? 事件?」

「兄は南の御殿にいる。兄が言うには……以前学寮にいた南の御殿の生徒が死んで、御殿に化けて出るらしい。兄や同じ御殿の生徒を祟っているのではないかと……」


「はあ? 祟る? そんなの人間たちの気のせいだろ」


 火車は外廊下に寝そべったままあくびをして言葉を続けた。

「人間なんてすぐいろんな言い訳するよ。祟りだ何だって言われる現象の多くは人が自分で巻いた種やら失敗、病だとか偶然の事故さ。なのに人間ってのはそう思いたくないもんだから、祟りや呪いの仕業だなんて思い込もうとするんだよ。その方が自分を責めずに済んで都合がいいからね」

「そういうものなの? だってこの世にだって怨霊みたくこわーい連中もいるじゃないか」

「そりゃあそうだ。この世にも人に害を成す連中は結構いるけど、人はそいつらが起こす災いの何倍も何十倍もそういう目に遭ったって言うじゃないか? そういう全てがおいらたちみたいな化け物の仕業じゃないもん。人に一番害を成すのは……」


 人間だよ、と呟いた火車の言葉に市は表情を険しくした。


「そうかもしれない……兄はその生徒の死にひどく動揺していました。南の御殿の他の生徒も同じようです。何か理由があるのかもしれません。私が尋ねても教えてはくれない……御殿に兄がいる他の姫君らに話を聞いてもらったら、色々と悪い噂も聞こえてきて……」


「悪い噂?」


 僕が繰り返すと市は俯いて、小さな声で呟いた。

「……月に一度、交流会の日に兄の顔を見に学寮へ来ているんだ。今日もこれから会うけれど……心配です。その事件のこともありますが……何より、弟が生まれて以来、兄はすっかり父との折り合いが悪くなってしまって……」

 僕は名案を思いついて市に声を掛けた。


「ねえ、お市殿? 僕がその南の御殿の事件のことを調べてみるよ!」


「えっ?」

「事件を解決したらお市殿もお市殿の兄上も心配事がなくなるでしょ? それに、僕もお市殿の兄上に会ってみたいもん。ねえ、火車?」

 これはまさに僕にしか出来ないことじゃないか!? 

 お市殿のためにもなるし、上手くすれば長員の手伝いにもなってお駄賃を請求出来るかもしれない。

 ただ、さすがにこの名案を直接言葉にするのは憚られて、僕は火車に無言で頷いた。付き合いが長い火車は僕の顔を見て何か察したらしかったよ。

「ついでだから剣術の稽古でもしてもらったら? このお姫さんの兄貴なら、なんだかうーんと武芸の腕が立ちそうじゃないか?」

 そう言うと、火車は中庭の中央へ駆けて行った。そうして振り返ると、じっとこちらを見つめてきた。

 火車はしばらくそうしていたけど、突然腹を抱えて笑い転げたよ。

「玉丸よりお姫さんの方が強そうに見えるね!」

「ちょっと! お市殿はお姫さまなんだよ? 強そうなんて言ったら失礼じゃないか。こんなにきれいなお姫さまなのに!」

 市が少し顔を赤くしていたことに僕は気付かなかった。

「おいら、嘘なんてつけないもーん。閻魔さまに怒られて舌を抜かれちまうよ」

「それに、僕だって今にうんと背が伸びて大きくなるんだから! そうしたらもっとうんと強くて偉そうな藩主に見えるんだからね!」

 僕と火車はしばらく言い争っていたよ。

 でも、不意に市がくすくすと笑っているのがわかって、僕らは彼女へ目をやった。

「お前たちは本当に仲がいいんだな。うらやましいよ」

「お市殿、ごめんね。気にしないでね……こいつってばまったくもう!」

 僕は自分の足元に駆け寄ってきた火車の頭をなでた。

「気にするな。こんなかわいい化け物がいたなんて知らなかった」

 火車が市の上に乗る。市は恐る恐る指を伸ばし、初めて火車をそっと撫でた。火車の奴は目を細めてのどを鳴らしている。

「それに……まさかこんな風によその家の若さまとおしゃべり出来る日が来るとは思わなかった。こんなに楽しいとは思わなかったよ」

 そう言って笑った彼女の表情を見て、僕は確信したよ。


 やっぱり彼女はうんと美人だ。とても! 

 確かに不思議な気配がするけれどそれは僕にとってはあまり気にならないし、顔の傷なんて本当にどうでもいい。


 僕は大きく頷いて市の言葉を継いだ。

「ぼ、僕も! お市殿とお喋り出来て本当によかったよ。本当に! 僕、こいつの言うとおり……交流会では他のお姫さまとは上手くお喋り出来なくてさあ。今日も前回もひとりだったんだ。だから、お市殿……また会える?」

 僕はおそるおそる聞いてみた。

 普通のお姫さまなら話は簡単だ。だってきっと来月の交流会にも参加するもの。

 でも市はそうじゃない。

 交流会には参加していないんだもの、また来月の交流会の時もこうして僕と客間で会えるかどうかなんてわからないよ。

「……千徳殿が会ってくださるなら」

 やったあ! 

 僕は思わず座っていた外廊下から大きく中庭へ飛び降りた。そうして市を振り返る。

「やったあ。ありがとう、お市殿! 僕、すっごくうれしいよ。南の御殿のこと、調べてみるね!」

「兄は藤の寮の生徒で、鍋島元茂という名だ。よろしくお願いします」


 藤の寮の鍋島元茂——ようし、覚えたよ。早速事件のことを調べねば!


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