8・猫又に呪われた君
客間係に尋ねると、確かに夕顔の間にはお姫さまが一人で誰かを待っているということだった。
「学寮にご兄弟がいるらしくて……それで、交流会が終わるのを待っているという話ですね」
客間係は、客間を管理するために学寮で働いている。
客間へお客を案内したり、僕らを客間へ通したり。お客にお茶やお菓子を出したりするのが仕事だよ。もちろん客間の掃除もね!
あとは、僕らみたいな生徒とお客が客間で面会している間、客間係が隣の部屋でずっと待機するのだと聞いている。防犯上の理由からそうするんだって。
「僕、ここの客間にいるお姫さまに用があって来たんです。うちの主務に言われて来たの」
客間係は最初はびっくりしていたけれど、勝丸の名前を出したらしぶしぶ許してくれた。
「ねえ、玉丸? 見ず知らずのお前がいきなり客間に現れるってのもなんだかおかしな話じゃないかい?」
「うーん……不審者と思われて警戒されちゃうかなあ……」
僕はうんと小声で言った。こういうのはよくあることだよ。客間係は火車の姿が見えないんだから、そういう人の前で火車とお喋りしていたら頭のおかしな奴だと思われるもん。
「そうだそうだ。お前の親父だっていつもよく言ってるだろ。周りをよく観察することが大事なんだぞ。まずは偵察した方がいいと思うね、おいらは」
偵察って言われたって……僕は火車に文句を言おうとして気が付いた。
客間の中庭から様子を見ることが出来るかもしれないよ!
「名案だよ、じゃあ早速……」
僕が周囲を見渡すと、《月見草》の客間の戸が開いていた。丁度今は誰もいない。
僕は部屋の中を覗き込んでそれを確認した。念のため、「失礼しまーす」と声を掛けてね。
客間を通って、そおっと外廊下から中庭へ出る。懐に草履を忍ばせてきてよかった。
僕は中庭の池の植え込みへ駆け寄ってしゃがんだ。
「おお! ねえねえ、玉丸。あいつじゃないか、あいつ!」
人の目には見えない火車は隠れる必要もなくてのんきなもんだ。一人中庭でぴょんぴょんと跳ねている。
僕がそおっと顔を上げると、客間の外廊下に座っている女の子の姿が見えた。中庭に集まるお姫さまたちとは少し着物が違っている。あれは武芸をする時なんかに着る袴じゃないだろうか。僕の乳母がよく着て槍や長巻の稽古をしていたよ。
僕はこっちを見ている火車に大きく頷いて手を振った。火車が長いしっぽを振ってその女の子に駆け寄る。
さすが火車は僕と長い付き合いだ。僕の心が通じたよ。まずは人に姿が見えない火車に偵察してきてもらおう。
相手がどんな人間であるか、それをまず知っておくことが大事だって―—父上もそう言っていたもんね!
もっとも、それは戦場で戦う時の心構えだけどさ。
「きゃっ!」
だけど、突然耳に届いた声で僕は驚いて顔を上げた。
茂みに隠れながら声のした方を見ると、女の子が火車を見つけて飛び上がっているところだった。
「ね、猫……ではないな! おのれお前は物怪か!」
そう叫ぶと、女の子は中庭に立てかけるようにして置いていた長い獲物を迷いもなく手に取って火車に振りかぶった!
「うっそお! 火車が見えてるんだ!」
信じられない! 学寮にもそんな人がいるんだ!
火車は攻撃をぴょんと軽く避けると、僕の方に向かって走ってきたよ。
「玉丸、やばいぞ! こいつおいらのことが見えるんだ。うわーん! ぶっ叩かれそうになったじゃないか」
「大丈夫?」
僕は思わず茂みから飛び出て火車を腕の中に抱き込んだ。
「何者!」
女の子はすっかり手に長い獲物を構えた姿勢でこちらを睨み付けている。それは僕らが剣術の授業で扱う木刀とは違うよ。それは薙刀の木刀だった。
「驚かせてごめんね。こいつは僕んちのけだものなんだ。だから大丈夫だよ」
「お前の家? ごまかされぬぞ。そいつは物怪だ!」
女の子は僕を睨み付けたまま強い口調で言った。
「物怪はすぐに分かる。肌がビリビリするのだからな!」
肌? 僕にはぜんぜん分からない。
「たまーにいるよ、ああいう奴。おいらみたいな化け物や幽霊の類が見えたり、わかったりするんだ。お前のかーちゃんもそうだったぞ」
「でも僕はビリビリなんてしないけど」
「お前はおいらと赤ん坊の頃から一緒にいるからもう慣れちゃってんじゃない? もっとも、室町の奴もそんなことは言ったためしがないけどさ。おいらしょっちゅう室町の膝の上にのっていたけど、びりびりするなんて言われたことないもん」
室町――というのは、僕の母上の名前。父上もそう呼んでいる。母上の実家の昔の名前なんだってさ。
「おいらたちは大体が人にばれないように姿を隠してひっそり生きているんだよ。だのに、ああいう奴がろくでもないことを言ったりするから面倒なことになるんだ」
僕は女の子に少しだけ近付いた。女の子は長い薙刀の木刀を僕に向けて構えたままでいたよ。これはつまり、相当に警戒しているということだ。
「君はこいつが見えるんだね。びっくりしたよ。こいつは君や他の人間には何もしないよ。正確に言うと、出来ないんだ」
「出来ない? 嘘を言え! 私は物の怪に呪われた身……この顔も物怪によってこうなった!」
火車がぴょんと地面に跳ね下りて駆け寄った。僕も後を追う。
目の前まで近寄ると、確かに彼女の顔に傷があることがわかる。鼻の上、左右の目の間に一筋、大きな傷があるよ。
だけど僕はその顔の傷にはあんまり目が行かなかった。
「ねえ? 君は学寮へ通いで来ているお姫さまでしょ。どうして交流会には参加しないの? 僕は学寮に出仕している生徒なんだ」
「……私は嫁に行かないので、交流会に参加する必要がない」
「ええ? どうして?」
お姫さまは客間の外廊下から僕を睨み付けている。僕は中庭にいるから、自然と彼女を見上げる格好だ。
だからよりそう感じるのかもしれないけど、彼女は僕よりうんと背が高い。僕より歳上なんだろう。
すらっとして手足が長くて、長い髪を高い位置で綺麗に一つに束ねて、袴をはいている。
とっても美人だと思った。いつまでも顔を眺めていられるよ。
なんだかシュッとした姿がとってもいい。長い薙刀の木刀を構える姿も格好良かったし!
「……私は物の怪に呪われているんだ。それに、こんな傷物の顔では嫁のもらい手がない。おまけにこれは化け物によって付けられた傷だからな」
「ははーん……なるほどな。それでおいらのことも見えるのかあ」
火車はぴょんと客間の外廊下に上がって言った。
「どういうこと?」
「この匂いは猫又だろうな。猫の物怪に呪詛を掛けられてるんだ、このお姫さま。顔の傷もきっとそいつにやられたんだな」
火車がふんふんと鼻を鳴らしながら足元をうろうろしたので、お姫さまは少したじろいだ。
「さっき《ビリビリする》とか言っていただろ? それはつまりその傷がビリビリするのかい? 猫又なんてあんまりそんなことしないものだけどねえ……大したことなんて出来やしない化け物だもん」
「よくわかるねえ、火車」
「そりゃあわかるさ。おいらも化け物には違いないもん。まあ、おいらからすりゃあ猫又なんてちょちょいのちょいだ。屁でもないね」
「ちょちょいのちょいって……それって、猫又の化物よりお前の方が強いってこと?」
「あったりまえじゃないか。おいら、地獄で働いていたんだぞ!」
すると、僕は気が付いたよ。
お姫さまが薙刀の木刀を握り締めたまま不思議そうに僕らのやり取りを眺めている。
そうか、まずは自己紹介から始めたほうがよさそうだ。