6・交流会で嫁探し
学寮にいる生徒は若さまだけ。お姫さまっていうのは一人もいない。
それは学寮が将来良き藩主になるための場所だからだ。
お姫様は学寮にはいないけど、彼女達は彼女達で時折通いでお城へやって来て、僕らとは全然違う授業を受けているらしい。
僕と火車が西の丸の大庭へ到着すると、そこには既に沢山の生徒やお姫さま達がいた。
大きな赤い傘が立てられているのは、野点の茶席が用意されているんだよ。僕らに茶の湯の授業をしてくれる指南役が待機していて、生徒のためにお茶を点ててくれるんだ。
「ようし! 今日こそ誰かと仲良くなるぞ。かわいいお嫁さんを探さないとね!」
僕は両手を握り締めて強く頷いた。大庭を見渡すと、大きな池の周りに沢山の生徒やお姫さまがいる。
《交流会》は授業というより恒例行事に近い。
この日は通いでお城にやって来るお姫さまと学寮の生徒が顔を会わせて自由にお喋りが出来るんだ。
そんなのが授業なの? って前回の時は僕も不思議に思ったんだけど、要するにこれは将来のお嫁さんを貰う時に向けた授業なんだということだった。
「お前はどんな女を狙うんだい? 狩りってのは狙いを定めないと上手くいかないぞ」
「どんな、って? どんなお嫁さんが欲しいかってこと?」
「そうそう。人には好みってものがあるじゃないか? おいらだって持って帰りたいと思う死体にはちゃあんと傾向があるもん」
そんなことを生きてる人間に得意げに語るんだから、まったく化け物ってのは人の心がわからない生き物だよ。
「好み、かあ……なんだろうなあ。よくわかんない」
「ま、そうだろうね。十年そこら生きたぐらいじゃあ、自分がどんなものが好きかなんてよくわからないさ」
「じゃあ狙いなんて定めようがないじゃん。手当り次第いくしかないね」
「そうとも限らないよ?」
肩の上を陣取る火車の、ふわふわとした長い尾が僕の耳元に揺れている。
「人間ってのはね、自分が出会うべき人間に出会った時にはちゃあんとわかるようになっているものだよ。だからこそそれを手に入れたいと願うのだし、失い難い、離れ難いと嘆くのさ」
「本当? それってどうやったらわかるの? ここに僕のそういう人はいるかなあ?」
「さあてね。自分の心にでも聞いてみるこった」
心に?
僕が胸に手を当ててそれが一体どういうことか考えていると、聞き慣れた声がした。
「ああら、千徳。ようやく帰って来たわね」
声を掛けられて振り返ると、忠郷と総次郎が暗い顔をして立っていたよ。
「食い意地の張ってるあんたが食事も取らずに出掛けるなんて……てっきり交流会から逃げたのかと思ったわ」
「そうだそうだ。てめえも前回の交流会は散々だっただろ」
「まっさかあ! 二人じゃあるまいし。客間で面会をしてたんだよ」
僕がそう言って笑い飛ばすと、総次郎も忠郷も僕を実家の仇のような顔で睨みつけた。いや、まあ……確かにうちは伊達や徳川、織田の家とは戦をしたこともあるけどさ。
「あんたみたいな斜陽の貧乏大名は気楽でいいわよね……未だ縁談の話もなく自由気ままだわ。あたしなんてもう藩主だからいつ祝言を上げたっておかしくないのよ……」
ああ、気が重い――と呟いて忠郷は長い髪を撫でた。
そんなこといってる割に今着ている着物は昼前に見たそれと全く違うし、随分気合が入っている。
「僕、この間も思ったんだけどさあ……忠郷って、どうしてそんなにお嫁さんもらいたくないの? ひょっとして忠郷の許嫁ってぶすなの? 好みじゃないとか?」
僕はおなごの事はよく知らない。
姉も妹もいないし、身内におなごは父上の姉上――つまり、長員の母上だけだもの。それにしたって三才で米沢を離れた僕は叔母上と会った記憶もない。
僕の母上は僕が赤ん坊の頃に死んじゃったし、僕は学寮に来て初めて自分ちの家臣以外のおなごと話をしたのだ。
だけど、いつだったか父上が言っていたよ。
「そういうのって、ぜんっぜん士気が上がらないんでしょ? 父上が言ってたよ」
「失礼ね! うちの嫁は見た目もまあそこそこよ。それに士気って一体なんのこと? 戦じゃないのよ?」
「さあ……でも父上が言うには、子供をこしらえるなんてのは簡単なことじゃあないらしいよ。士気が上がらないと嫁を貰ってもさっぱりなんだって。それってまずいじゃん」
「そんなこと言うならこいつだって――」
「兄上さま!」
すると、不意に僕らは背後から声を掛けられた。
桃色の羽織をひらりとなびかせた女の子が忠郷に手を振り、もう一人女の子を連れている。
ほんと、僕らの視界はどこもかしこもお姫さまでいっぱいだよ!
「あら、依。いつものことながら、別にいちいち連れてこなくてもいいわよ。あんたも早く自分の相手のところへいったら?」
まだ交流会は始まったばかりなのに、既に忠郷の顔は相当くたびれている。
「いいえ、そうは参りませんわ。皐姫はあにうえさまの許嫁でしょ。沢山お話して早く仲良くなってもらわないと」
忠郷には妹と弟がいる。そうしてその妹が依姫だった。
僕は学寮へ来てまだ二月で、前回初めて交流会に参加して依姫のことを知った。兄よりもずっとしっかりしていて、おまけに南の御殿に許嫁がいるということも。
「依姫をお嫁さんにもらう人もここの学寮へ来ているんでしょう? それってさ、つまり……その人は、忠郷の義理の弟になるってことだよね?」
僕らは忠郷きょうだいを見つめながら小声でひそひそ会話をする。
「そういうことだな。縁組ってのはそういうもんだぜ。嫁はともかく、あんなのが義理の兄貴じゃ苦労するに決まってる」
俺なら死んでも御免だ――と、総次郎は言葉を続けた。
美男子と評判の忠郷の妹だけあって、依姫はかなりの美人だと学寮の生徒たちからも人気らしい。学寮の生徒達がこっそり遠巻きに視線を送っているのがわかるもん。
「ごきげんよう、忠郷さま。会津のお仕事の方はいかがですか?」
そう言って一歩前へ出たのが皐姫だ。
彼女はとにかく髪の毛がうんと長い。工夫を凝らして長く結われたそれはすごく重そう。毎日あれを結っているんだろうか。
「そうね、まあまあかしら? 藩主の仕事なんて全部お母様が仕切ってるんだから、いかがと尋ねられてもあたしにだってよくはわからないわよ。あんたはそんなこと心配しなくてもいいわ」
藩主の仕事ってそんなんでいいのか? 僕と忠宗は不安になって顔を見合わせる。会津は奥州の要所だから、そこが傾いたら僕らの領国にまで影響を及ぼしかねない。
「女って気楽で本当に羨ましいわよ。大名家に生まれたって政なんかしなくて済むんだもの。だのにお母様ったら出しゃばりだから、未だに政をあたし一人に任せてくれないの。あんたも女のくせに色々としゃしゃり出て、男の手を煩わせようとしないでちょうだいよ?」
忠郷は面倒くさそうに皐姫に言った。皐姫は小さな声で返事をしたけれど、心なしか表情は悲しげだった。
「それより総次郎? あんたの相手もずっとあんたを見てるわよ」
忠郷が指した方角を僕も見る。
そこには二人の女の人がいた。女の人にしては背の高い、とても強そうな二人組。険しい顔でずっと総次郎を見つめている。
総次郎は暗い表情で頭をかいた。
「お前はまだいいじゃねえか。こっちなんて一言も喋らねえんだぜ。しかもお付きの女中がいつも一緒ときてる」
総次郎が忠郷にそう呟いて二人組を指す。
「あんなのが始終くっついてるのに、一体何を喋るんだ」
するとその女性たちが左右に割れて、背後に小さな女の子がいるのが見えた。
綺麗な蝶の柄の羽織を来たお姫様だ。けれど、じっと彼女は怖い顔で総次郎を睨み付けている。
「まったく……どう考えてもやっていけねえ。絶対よくねえ縁談だ、こいつは。士気なんて上がるかよ」
震えるような声で総次郎。こういう彼の姿は前回の交流会で初めて見た。
「あたしのいとこを嫁にもらえるかもしれないなんて幸運だわ。お振は家康おじいさまの孫なのよ? 好みじゃないとかそんなことは我慢しなさいよ。所詮縁談なんて家同士が繋がる為の口実なんだから、あたしたちの気持ちなんて関係ないわ」
忠郷は《お振》と呼んだお姫さまを指した。しかし総次郎の表情は相変わらず暗い。
「好みとか好みじゃねえとかそんな問題じゃねえだろ。親の仇みたくにらみ付けられてあいさつもしやしねえんだぞ! 一言も喋らねえ! 理由もわからずこんだけ嫌われてて何が許嫁だ」
「うーん……一言も喋らないから嫌われてるってわけじゃないかもしれないよ。総次郎と何を喋ったらいいか、彼女も考えてるのかもしれないじゃないか」
「考えてる?」
総次郎は目を丸くしているけど、僕の父――景勝もとにかく人とは喋らない性格なので、僕はこういうことは少しばかり思うことがある。
「うちの父上もあんまりお喋りな方じゃないけどさ、人に色々と喋り掛けられるのはぜんぜん嫌いじゃないって言ってたよ。だから父上にはいつも僕から色々と話を振るんだ」
「そうよ、総次郎。女ってのは受け身でいるものだわ。自分からあれやこれやなんてしないわよ。喋らないじゃなくて、あんたの方から話をしてやりなさいよ」
「他人事だと思ってお前らは偉そうに適当なことを……」
「むしろ縁談があるだけマシよ。中にはうちの嫁をくれてやろうなんて話がまったくない跡取りだっているんだから」
忠郷と総次郎と、依姫と皐姫とが一斉に僕を見る。
「ええっと……」
僕はしばらく視線を彷徨わせてから、
「僕だって今日こそ見つけるもん! お嫁さん候補!」
一息に走り出した。肩の上を陣取る火車の長いしっぽがぐわんぐわん揺れている。