カルヴィーク警備隊24時
事件は現場で起きている第五十三話。
「……あの子はいい娘だ」
クゾさんがぽつりと言う。
「それは知ってます」
「……頭もいい」
「しかもかわいい」
「……」
「控えめに言って天使」
なんだ、ミューズ褒め合戦なら負けないぞ。
しかし、クゾさんも慎重に会話するタイプではあるが、こんなに遠まわしにして、なにが言いたいのだろう。
「……何日か前に、わしがミューズ嬢を連れ立って街を歩いただろう」
「あーはい、確かボクがコロビナさんに会った日」
抱っこして歩いたらしい事は知っている。そういえば、どこに行ったのか聞いていなかった。
「……うむ。彼女の太ももは柔らかい」
いや、ほんとなんの話だ。
クゾさんがブラウスの袖をまくりながら話を続ける。
「……戦場で手足を失うものもいる。大抵は死ぬが、運良く生き残ることがあれば、這ってでも生きねばなるまい」
「ミューズは生まれつきだって言ってました」
「……そのような者も知っている。しかし、ここと、ここだ」
クゾさんは手刀で自分のたくましい二の腕と太ももを叩いた。
「……手足の節がないなら、使うのは肩と尻だろう。這うにしろ歩くにしろ。筋肉は使わぬなら痩せて固まる。彼女は、彼女に残った二の腕と太ももは、それが中程までしか無いのにも関わらず、しかし十分に肉がついている。まるで昨日今日切り落とされたように。なぜだ? それに、あの切り口は、いや切り口といっていいのかわからぬが、とにかく――」
「あー、クゾさん」
いわんとする事がわかって口をはさもうとするが、クゾさんは止まらなかった。
「――整いすぎている。生まれつきなら左右で長さや形が歪なものだ、それがまるで切りそろえたような、熱したナイフで切ったバターのごとくだ。あぁ、いや、仮にあれが切り落とされたものだとして、傷跡ひとつないのはどういうことだ、骨を切って肉を盛ったというなら、縫い跡ひとつも無いのはどういうことだ。あれは、あれではまるで――」
「誰かがそう作ったような」
ボクがそう言うと、クゾさんが大きく目を見開く。自慢のカイゼル髭がピクピクと痙攣している。どうやら興奮しているらしい。
「あと、動くときに腕や足を使わないんですよねミューズって。できるはずなのに。あれも不思議だなぁ」
ボクはできるだけ柔らかい表情でクゾさんに向かって微笑んだ。
「クゾさんも混乱することってあるんですね。でも、それだけじゃないんでしょ? ミューズとどこに行ったんですか?」
クゾさんが自分を落ち着けるように息を吐いた。
「……歩いた。あちこちな」
「すいません、付き合ってもらって」
「かまわんよ……裏通りでミューズ嬢の知り合いに呼び止められた」
カルヴィークには以前来たことがあるとミューズから聞いたことがある。知り合いがいてもおかしくはないだろう。
「……今年で七〇になるミランダという老婆だ……ミューズ嬢を見たミランダがなんと言ったかわかるか?」
急にクイズになった。
頭をひねるボクを見てクゾさんが答えを言う。
「……変わっていない、と言っておったよ。懐かしそうにな。だがミューズ嬢は彼女を覚えていないようだった」
ほう、ミューズは昔からかわいいのか。
「まぁ、ミューズは目が見えないし、人を見分けるのは難しいのでは?」
とはいえ常にミューズのそばにいて、実際、全くそれを感じないのだが。いやしかし久しぶりに会ったというなら、それは余計に当然だろう。
「……いや、ミューズ嬢はわかっていた。わかっていたから間違えた」
「なにをです?」
「……ミューズ嬢はミランダをヘレンと呼んだ。ヘレンはミランダの祖母の名だ。ヘレンは」
クゾさんが振り返り噴水を見る。
「……ミランダが二十歳の頃に死んでいる」
どこかで笑い声が聞こえた。街の子どもたちが走っていく。道化師がいるよ、道化師がいるんだって。
「えっと……」
クゾさんが沈黙したので、ボクが代わって口を開く。
ミューズは、ミランダ婆さんを、昔会った彼女の祖母であるヘレン婆さんだと勘違いした。たぶん雰囲気がよく似ていたのだろう。
いや、それはつまり。
「ミューズ歳いくつなんだろ、ってことですかね」
ミューズが以前ここに来てから、少なくとも半世紀がたっているらしい。そして彼女の容姿は、その頃から変わっていないらしい。
いやそれだけではない、クゾさんはそういうことを言いたいのではないのだろう。
「……正直、どう受け止めたらいいのかわからん」
これは告発ではない。告白である。
ボクに対してする必要のないことだ。つまりこの告白には続きがある。
ボクはクゾさんが話し続けるのを、黙って聞くことにした。
「……最初はスラムの住人だった。真夜中に隊の詰め所の戸を叩いて家人がいなくなったと訴えたのは、ミハドという男だ……酔いどれでな、日がな一日、仕事もせずに酒を飲んでは道端で潰れているような男だよ」
クゾさんがゆっくりと話す。
「どうしようもない男だが、そんなミハドにもニナという女房がおってな、これが気立てのいい働き者で、酔いどれの旦那に代わって日銭を稼いでは、月終わりになれば旦那が飲んだ酒代だのツケだの借りだの、支払うためにほうぼう回って頭を下げていた」
それはどうしようもねぇ旦那だな。
ボクが黙って聞いているのを見て、クゾさんが髭をしごきながら続ける。
「……まともに聞くものはおらんかったよ。そりゃお前、ニナに愛想つかされたんだ。酔いどれのお前が嫌になって出てったんだ、今頃どこかでマシな男とよろしくやってるよ……とな」
まあそうだろう、ボクもそう思ったし、それが正解だ。
「……ミハドは言った、それは違う、と。たしかに自分は甲斐性なしのろくでなしだが、それでも女房は黙って出ていくような女ではないと……」
石鹸屋の屋台は、にわかに賑やかになっていた。
何人かの客が子供らの作った石鹸を物珍しそうに眺めて、カラフルで透明なそれを日に透かしている。
「……その時にミハドの言葉を信じていれば、いや、悔やんでも詮無いことか……事件がわしのところに上がって来たときには、そこから三ヶ月後だった」
忘れかけていたが、そういえばクゾさんはビアンカの上司で、警備隊の隊長だったな。
「えっと、クゾさんちょっと待ってください。それボクが聞いていい話ですか?」
「……いや、まぁ、これは独り言だ」
なるほどオフレコ、というやつか。
「……今日までに十二人が消えて、死体が三つになった。その殆どが娼婦だ」
いや待て、とんでもねぇ話になってきたぞ。
「……最初に死んだのは、ゾラという娼婦だ。彼女は強い魔法持ちだったが……金遣いが荒くてな。肋骨を断つほどの深い刀傷が致命傷だろう。両腕もひどく傷ついていた。現場には襲撃者のものと思われる血痕がいくつか。わかるかマリーさん」
この世界に来てから見聞きした情報を頭の中で再確認する。
この世界では、数年前に大きな戦争があった。魔法が使える人間は、ビアンカのように女性であっても戦争に行ったのだ。おそらくゾラという娼婦も戦争経験者なのだろう。
「腕に覚えのある彼女は襲撃者と戦った」
ボクがそう言うとクゾさんがうなずいた。
一矢報いたものの、しかし抵抗むなしく惨殺されたのだ。
「……魔法持ちを殺すのは骨が折れる。刃物で殺すなら、数人で囲むのが定石だ、そしてあの太刀筋。相当の修練を積まねばああはいかない」
数人数、しかもチンピラではない。もしかしたら組織的な犯行かもしれない
気になって口を挟む。
「連続殺人と連続失踪は同一犯なんですか?」
「まだわからん……マリーさん、あなたをスラムで襲った連中。覚えているか」
忘れらんねぇよ。
「……ああいうことが最近増えている」
思い当たることがあってまた口を開く。
「メグは……あ、モッドさんも?」
「然り、二人と出会ったのは偶然ではない。どうも人買いの類が紛れ込んだようだ、街で怪しい人物を見かけた報告も受けている。わしら警備隊と騎士団は連携をとって警戒にあたっている。モッドはスラムでも顔がきくから、わしの個人的な依頼で動いている……まあ、あいつは暇だからな」
ここでクゾさんがボクの顔を覗き込んだ。
「……殺された三人のうち残る二人は、ガッシュとマルコという二人組のチンピラだ。両人ともきれいに首を落とされていた……これもにわかの剣士の仕業ではない。マリーさん、あなたも二人に会ったことがあるはずだ」
ガッシュ、マルコ。どちらも知らない名前だ。しかし、名前のわからない二人組なら知っている。
ボクは、屋台の下でメグと談笑しているエリカに目をやった。
「……そう、子供らを襲いエリカ嬢を拐かそうとした二人組だ。オレーグに確認させたから間違いない」
生首を見せられたオレーグさんはどんな顔をしたのだろう。
「だからビアンカをそばに置いたんですね」
「……目的があって襲ったのなら二度目もと、そう当たりをつけたが。幸い外れたらしい」
しかし、そうかあの二人死んだのか。どっちがガッシュでどっちがマルコかわからないし、ルースをボコボコにしたあいつらがどうなろうと知ったことではないが、知っている人間が死ぬというのは、あまり気持ちのいいものではないな。
「……マリーさん、あんた達はどうも近すぎる」
クゾさんがため息をつく。
ボクの周りで問題が起きすぎている、とクゾさんは言う。そしてどうやらこれが話の着地点らしかった。
「ボクたち疑われてますか?」
「……いや、これは職業病だ。都合の悪い状況があるだけで、証拠など何もない」
クゾさんが鼻の先で少し笑う。
「そう言ったらモッドに呆れられたよ。不愚の少女と間抜けのエルフ――言ったのはやつだぞ――ともかく、そんな奴らに何ができるんだ、とな。やつも確かに思うところがあってローザの宿に誘ったはずだが、そんなことはもうとっくに忘れているのだろう……いや、皆そうだ。マリーさん、あんたは人を引きつける。あんたが思ってるより皆あんたを好いているよ」
「えへへ」
モッドこのやろう。
クゾさんが再びボクの方に向きなおる。
「……マリーさん、あんたは何かを知っている。何を見たか、何を聞いたか、ともかく事件に近い何かをだ。あんたが気づいていようがいなかろうが事件はあんたを中心に動いている」
クゾさんが妙なことを言う。
「根拠とか」
「……勘だ。いやそれ以上に半ば確信めいている。事件が全て終わったあとに、中心にいるのは間違いなくマリーさん、あんただ」
デンジャラスビューティーってこと?
とまれ、ボクの何かがカルヴィーク警備隊隊長のアンテナに引っかかったらしい。
「……今一度問う。ミューズ嬢は何者か」
ああそうか。だからミューズが気になるのか。ボクとクゾさんの認識の共通項のうち、今最も不安定なのがミューズなのだ。
「本人に聞けば教えてくれると思います」
「……聞いたよ、事件のことは伏せてな。だが、わからんと言われた。それに、すべて話せはするが、警備隊の隊長が求めているような情報は含まれていないと、そう言っておった。わしの疑念を察した上での返答だ。頭のいい娘だ」
あ、聞いたんだ。
「ミューズのことは何も知らない。今の話を聞くに、クゾさんのほうが把握してると思います」
「……あんた自身についてはどうだ」
当然の質問だ。
ボクも得体のしれないエルフなのだ。
「同じです。ボクも話していないことがたくさんあります。けど、ボクが何者なのかはボクにもわかりません。もちろんこれは哲学的な意味ではないですよ。ボクの場合、知識……いや、なんていうのかな、記憶自体に連続性がないんです」
ボクはこの世界において、この体で突然目覚めている。この体になった、あるいは入ったという経緯に全く自覚がない。
「……記憶が?」
「はい。正確には“ある”んですけど。絶対全然関係ないので話しません。混乱させるんで」
「……話せんか」
「話せます。けど今じゃないですね。まぁお酒飲んでるときとかになら」
クゾさんが「ふむ」と言って顎を擦る。まるで探偵か刑事のようだ。いや、実際そのような立場なのか。
風が吹いて噴水の水を巻き上げた、水玉が一粒、ボクの頬にかかった。
「ミューズが言ってました。通り過ぎる人は、戻ってきてくれないって」
「ふむ?」
「クゾさんはきっと戻ってきてくれる人だ」
知ってしまったら、その場に放り投げても仕方ないような異常性だと思う。だがクゾさん彼女を連れて帰ってきた。何事もなかったかのように。
「優しい人には向かない職業ですね」
「……かもしれん」
その異常性を知ってしまったこと、職業柄、疑ってしまったことすら、彼は負い目に感じているのだ。
「本人に聞いちゃだめですよ」
「……身内びいきだ」
だから不安になって、しかも、それでいて本人に確認してしまったのだ。
誠実な人だ。
「嬉しいなぁ。ボクのこと身内だと思ってくれてるんだ」
ボクが素直にそう伝えると、クゾさんはすっと立ち上がって咳払いをした。
「おほん……ともかく、用心してくれ。おそらくあんたの周りでもうひと騒動起こる」
「勘ですか?」
「最近どうも鈍ってるらしいがな……ああ、それと」
クゾさんが思い出したように言う。
「オレーグが行方不明だ。一昨日から姿を消しているらしい」
またサラッととんでもないこと言ったぞ。
「えっ、らしいって、大丈夫なんですか?!」
「やつはああ見えてしぶとい。まぁ……見かけたら教えてくれ」
振り返りもせずそう言って、クゾさんが軽く手をふる。
ボクより付き合いの長いだろうオレーグさんの扱いは雑なのか。かわいそうに。
「クゾのおっさん、なんで顔赤いんだ?」
すれ違いざまに顔を覗き込んだルースの頭を、クゾさんは無言で撫でていった。
「なんだあれ、変なの」
「いい人だよ」
「ふーん……それよりさ、これ見てくれよ。すげーんだぜ。ドータが作ったんだけどさ――」
ルースの話を聞きながら、ボクの心にはほんの少しの安堵と罪悪感があった。
ボクはあの、ミューズの友人でララポーラの姉、獣人の少女シルドラの事を意図的に隠していた。
おそらくミューズもそうしている。
「姉ちゃん聞いてんのかよ」
「聞いてる聞いてる」
利口なミューズがそうしているのならそれに習っておいて間違いがないだろうが……
願わくば、これが後に災いとならんことを。
クゾの勘は、つまるところ「お前この小説の主人公じゃね?」みたいな意味です。メタ好きです。
今回ずっと喋ってるな。




