ある日市場で
おじさんは不器用第五十二話
ボクが広場についた頃には、屋台はすでに組み上がっていた。四方に柱を立てただけの簡素な作りだが、緑色の天幕が掛かった立派な屋台である。目の前に噴水があって日当たりもよい。人通りも多くにぎやかで、なかなか良い立地だ。
大聖堂前にひらかれた市場は物見の客でごった返しており、開店前だというのにボクらの店の前にも、すでにいくらかの見物人が並んでいた。
「しかしですなカルロス殿、うーむ」
「条件ばかりではなにもできますまい。差し出がましいようだが、少しばかり目をつむってもよいのではないかコロビナ殿」
「いやはやこれは、ふーむ」
「なかなか面白いではないですか」
「んーむ」
なぜかというと、店の前でムツカシイ顔をした領主兼教主と騎士団長が腕を組んで唸っているからである。
「マズイですかね」
上目遣いでコロビナさんにたずねる。
「マズイかと聞かれると、立場上なんとも……いやねマリーさん、目の付所はなかなかですよ。確かにこの街では石鹸は個人以上の生産がない。なるほど結構」
褒められた。
「えへへどうも」
「ですが。これはどこで、いや、つまるところ、どのようにして――」
「エルフの神秘です」
食い気味で回答を拒否した。無論ガマグチから取り出しただけなので答えようにも答えを持たぬのだが。
いかにそれ自体がありふれているとはいえ、レンガほどの大きさの無色透明無味無臭――いや、味はあるな――の石鹸はさすがに珍しかったのか、先程からコロビナさんがしげしげ眺めては突っつき回している。要はこちらのスタンダードな石鹸と比べて “きれいすぎる” のだ。
ボクも向こうではもっぱら液体石鹸しか使っていなかったから、珍しいといえば珍しい。単純にデカイし。
あと透明な石鹸ってなんかいいよね。よくない?
「わかりました。これ以上はお聞きしません」
「お願いします」
「ですがこちらのこれは、この……なに?」
「なにと言われましても。まぁ『湯沸かし器』ですかね?」
人のいい領主から語彙を奪ったのは、いわゆる『IH調理器』だ。
出るやいなや思わず地面に叩きつけたくなる衝動になんとか堪えたハイテク機器である。ファンタジーが台無しだよ。
まぁ、便利だし、今さらこの手のものに突っ込んでも手遅れなので、いい加減ボクの方も慣れとかなきゃいけないかもしれない。
ミニマルデザインなハイテクまな板を前に、コロビナさんが困り眉を寄せて困惑している。これ以上困らせると眉が縦になる。
「これでどうやって湯を……」
「わかんねっス。たはは」
電子レンジだって理屈でしかわからんボクに聞かないでくれ。だいたい電源コードもついてないんだぞ。なんだこれ、どうやって動くんだ。気合?
「エルフの魔法の秘密道具です。おそらく秘密の魔法のエルフの道具です。エルフの秘密で魔法で動きます」
「……わかりました、もう結構。しかし決して表に出さぬように。くれぐれも」
「そのつもりです」
「よろしい。しかし問題は……これですな」
コロビナさんの言う三つ目の “これ” とは食紅だった。
なんの変哲もない……まぁプラスチックの小瓶はともかくスクリュー式の蓋なんてこの世界の技術レベル的に完全にアウトなのはボクでも気づいたけど、それさえ見なかったことにすれば特別におかしな所はないはずだ。
だよね?
「ずいぶんと色とりどりと揃えましたなぁ」
「マズイですかね」
「マズイかと言われると、立場上なんとも……」
「気掛りなのは理解しますが、そこは多少目をつむってもと、コロビナ殿」
カルロス団長がやんわりと援護をくれて振り出しに戻る。
これはボクの下調べが甘いせいなのだが、この世界はなんと『色』にも権利、というか大人の事情が絡むのだという。聞くところによると、赤なら赤色の職人、青なら青色の職人という感じで色毎に専属の職人がいて、彼らは他の色に手を出すこともない。
赤の職人と青の職人が協力すれば紫が作れるのに、とごく当たり前のことを言ったら、どうやら色を混ぜる、という感覚がわからないらしくおかしな顔をされた。そもそも “混ぜる” という行為に不正やゴマカシを連想するらしく、社会悪として心理的に受け入れられないのだ――というのは建前で、例えば酒屋がワインを水増しするなんてことは実際はよくあることらしく、いちいち取り締まっていては経済が滞るのである程度は『見なかったこと』にもしている。とクゾさんが言っていた。
ゆるい割に告発されれば大事になる爆弾みたいなルールだな、危なっかしい。
ちなみにボクのイメージカラーである緑は不人気色だ。塀の外にいる――有り体に言えばあまり裕福でない――人たちが拙い技術で施す草木染は、すぐに色あせてくすんだ鼠色になってしまう。つまり貧乏人の色なんだそうな。失敬な。そういえばいつだかローザさんに洗濯を頼んだ際、ボクの服をしきりに良いものだと褒めていたが、あれは生地よりも鮮やかで色落ちしない染め上がりのことだったのかもしれない。
閑話休題。
ともあれ、職人が常に一定基準の色を作り、それぞれ性質の違う物質で布だの何だの染めあげるのが、まさに門外不出の技術であると言われば、なるほど理解に難くない。
なのによくわからん耳の長い女がひょっこり金銀のラメ含めて24色コンプリートしたものだから、これはもう怒られても仕方ないぞ、という話なのである。
コロビナさんが己の禿頭をペシャリと叩いた。
「んー! よし! 私とて男だ! 領主生活三十余年、ここで迷ってはなんとしょう! あいわかった! マリーさん、存分におやんなさい! 後のことは私、このコロビナが責任を持ちます!」
「いよっ! 名領主!」
「天晴ですぞコロビナ殿」
ボクとカルロスさんが手を叩いておだてると、まるで注射に耐えた子供のごとくコロビナさんが胸を張った。
鼻息の荒いコロビナさんを手を振って見送る。振り返りざまにウインクなどよこすイケメン騎士団長に深々と礼をした。
「終わったのかよ」
突き出したボクの尻の影からルースがやや呆れた声を上げた。
「安心しろ万事順調だ」
「うそつけ、めちゃくちゃ揉めてたじゃねーか」
「終始穏便、終わったことはなかったこと。切り替えは大事だぞルース」
大人のやり取りをどうなることかと固唾を飲んで見守っていた――のはドータとジュジュだけで、ルースはあくびしてるし、エリカは呆れたような困ったような顔をしてるし、アルボはボクの揃えた道具類を眺めていた。
子犬のトト号はボクの足元で舌を出している。
「で、どんな感じ?」
「苦手だよこういうの」
ルーづがつまらなそうな顔をする。
子供らはすでに石鹸作りを始めている。別に脂肪と強アルカリを混ぜてイチから作るわけでなし、火傷に気をつければ放っておいても問題ない。というか器用さも頭の良さも彼らのほうが上なので下手に手を出さないほうが上手くいく。
実際、ボクの手作りソープはほとんど羊羹と見分けがつかなかったのだから仕方ない。あれは自分で使おう、見た目はともかく質はいいのだ。
「どうしておナベのなかに、小さいおナベが入ってるの?」
「湯煎、っていうんだよジュジュ。石鹸を直接火にかけると焦げちゃうんだ」
「どうしてユセンをすると焦げないの?」
「水は沸騰してボコボコいうとそれ以上熱くならないんだよドータ」
あ、ボク今すごい先生っぽい。
ちなみに電子レンジで溶かしたほうが早いのだが、世界観と作動時の違和感がダンチで言い訳する自信がない。ガマグチから出てこなかったのは単純にサイズの問題だろうが、まあ出なくて正解だった。
ダンチって死語?
「おう、やってんな」
片手にマグをぶら下げてモッドさんがやってきた。
「昼間から “やってる” のはモッドさんじゃん。向こうにお酒の屋台があったの知ってんだぞ」
少し離れたところに、柄杓でついで一杯いくらの屋台があって、機嫌のいい男たちが何人かたむろしていた。
「ばかやろういいじゃねぇか。こういうときじゃねぇと飲めねぇ」
「毎日飲んでるでしょ。逆にいつ飲んでないのさ」
「うるせえなぁやめろよローザじゃあるめぇし……ちょっと来い」
「え、なになに」
モッドさんはボクの腕を掴みグイグイと噴水の方へ引っ待っていく。
「で、どうだ? そのなんだ……調子は」
そしてなにやらバツの悪そうな表情でボクにきく。
先程からエリカの方を気にしているようなので、にぶいボクでもだいたいなにが言いたいのかわかった。
「回りくどいよ、気になるなら本人に聞きなよ」
「いやまあ。なぁ?」
先日エリカの前で体を売れだのなんだのと失言をかまし、メグに怒られたことを引きずっているらしい。メグはその辺はさっぱりした性格だし、当のエリカなど逆に恐縮していたくらいである。
「そうじゃなくてよ、その、コレをよ」
「なにこれ」
彼がおずおずと、隠すように取り出したのは、可愛らしいブローチだった。ステンドグラスで作った小さな蝶だ。
「似合わね」
「知ってるよバカ。俺じゃねぇよ、わかんだろが」
「理解はするが、いささか安直ではないかモッド殿?」
モッドさんの背後からひょっこり顔をのぞかせるなり、じとりとした目をしてメグがいう。
今日の彼女は騎士団の鎧ではなく、スカートとコルセットの町娘スタイルである。
「女への謝罪に装飾品とは。しかも宝石でもなくガラス細工か」
そして容赦なくダメだしをする。
「子供だましが通じる相手ではないぞモッド殿」
「まあ、おじさんが選んだにしちゃ可愛らしいんじゃない? 可愛すぎてモッドさんが持ってると逆にギャグっぽくてウケるかも」
フォローしようとして割り込んだが口が滑った。
モッドさんが苦虫を噛み潰したような顔で静かに怒鳴る。
「わかってるんだよそんなこたぁ! けじめだよ、けじめ!」
「自己満足なら手頃だな」
「かーっ! メグてめぇ! ……そのとおりだよ!」
大きく息を吐いてモッドさんがボクを見た。
「だからよ。マリーすまねぇが、コレよ……」
「あのねぇ、それなら余計に自分で渡すべきだと思うなボク」
「恥じを覚えなければ謝罪もなかろう」
そういってメグが腕を組んでうなずく。
「くそ。いちいち言い返せねぇ。はぁ……しかたねぇな」
うなだれていたモッドさんは、ため息をひとつつくと意を決したようにブローチを握りしめると子供らのいる天幕へ歩き出した。
「なんか愛の告白みたい。かわいい」
「かわいいかどうかは置いておくとして、愉快ではある」
そんなモッドさんを見送りながらボクがつぶやくと、メグが面白そうに笑った。
「今日のメグちょっと意地悪くね?」
「お人好しすぎるんだ彼は」
「顔に似合わず、ね。だからいじめたくなった? メグもそんなことするんだ」
「マリーのそばにいると退屈しないな」
彼女はボクの問いには答えず、そういってまた笑った。
まあ、たしかにボクの周りにはなぜか個性の強いのが集まる気がしないでもない。おかげでボクも退屈などとは無縁である。
天幕の下では、驚いた顔のエリカが口を覆いしきりに礼をいい、モッドさんは頭をかきながらクルクルと首を回していた。
「あれではどちらが詫びを入れているかわからないな」
などと言いながらニヤリと笑ってメグがモッドさんの後を追う。おそらくは哀れなおじさんに追い打ちをかけるためであろう。
かわいそうに。
「おほほ。ウケる」
それを見送りながら、なんとなしにそのまま噴水の縁に腰掛けた。
噴水、といっても景気よく水が吹き出しているわけではなく、乙女像が抱えた水瓶の口からちょろりちょろりと、中年男性の小便の如く頼りなく “垂れて” いる程度のものだが、電気どころか蒸気機関もない世界で、いったいどのような仕組みで噴水の水を汲み上げるのか、興味深いところである。
「……マリーさんはご存知か?」
噴水を眺めていたら、いつの間にかクゾさんが隣りにいた。気づかなかった。ボクはどれだけ呆けていたのだろう。
「なにがですか?」
「……この水がどこから来るのか誰も知らん」
「え、そうなの? へぇ。ボクもわかんないです」
「……ミューズ嬢は」
ミューズなら知っているかもしれない。
「……彼女が何者か、マリーさんはご存知か」
クゾさんの鳶色の目がじっとボクを見ていた。彼はこれからとても真面目な話をしようとしている。
「ぜんぜんわかんねっス」
なのにボクと来たら、まったくふざけた答えしか持ち合わせていなかった。
ちょっと気を失ってたら前回投稿から5年たってた。




