白い悪魔と少女の涙
みんなーお昼よ―第四十五話
食事は厳かに行われた。誰もが堪え、耐え忍んで、そして心は悲しみに満ちていた。
「お葬式かな」
昼飯です。
皿いっぱいの真っ白いスプーマは、茹でてあるのか湯気の立つ様はぱっと見マッシュポテトにも見えるものの、油断すると恐ろしいほどの青臭さが容赦なく鼻孔を抉るので、食欲の減退すること甚だしい。いつぞや食べたものはハーブの類で臭みを消していたので、ちょっと個性的な攻撃力の高い郷土料理だと思えば食べられなくもなかったが、さすがに素で出て来ると口に運ぶのに躊躇する。
「うぐっ……これはひどい」
なぜってだって不味いからだ。
まず臭い。青野菜の青臭さから清涼感を撤去した、有り体にいえば口の中で金魚の水槽の臭いがする。そしてエグい。
味覚には甘い酸っぱい苦いしょっぱいの四つがあるというが、コレはエグみしかない。歯が溶けるほど甘いとか、むせるほど酸っぱいとか、そういう食い物はあれど、ただただエグいというのはさすがに初体験だ。
しかもまったく溶けることがないのでいつまでも口の中に残るし猛烈に飲み込みづらい。
本当に食い物かコレ?
しかし、いつかツンデレ農民少女ヨハンナが出してくれたスプーマはここまで不味くなかった。コレに比べたらむしろ美味しかった。調理方法のせいだとしたら、もしかしてヨハンナは料理の天才なのでは。
隣から「ん」とか「あ」とか色っぽい声がするので何事かと思ったが、ビアンカが咽せていた。
「ビアンカ」
「ん……なんだいマリー」
前歯の先でそれこそ金魚のようにスプーマをつまむビアンカは、いつものように「ビビと呼んで」とは言わなかった。さすがの変人も余裕がないらしい。
「この街に入ってスプーマを一度も食べなかったんだ。とても栄養のあるものだっていうのに、不思議だったんだよね……理由がわかったよ」
「ふふ、ご明察」
なぜってだから不味いからだ。
明察もなにも、他にもっと美味いものがたくさんあるのだから、わざわざ手間を掛けてスプーマを食べるのはよほどの物好きだけだろう。
目に前にうず高く盛られたクソマズ万能栄養食の山をどう攻略しようかと、とりあえずパウダースノーのゲレンデに見立ててハートのシュプールなど描きながらため息を吐き尽くしていたが、ご自由にどうぞとテーブルの中央に置かれた大皿のおかわり自由の恐怖山脈に大宇宙の深淵が旧支配者の触手となって、あぁ皿に、皿に。
「いんさにてぃー……」
呟いたところで山盛りの山が減るわけでなし。人はなぜ山に登るのか。八合目から糖度が増すのか。少なくともエベレストなら不味くなさそうだ。モンブランならなおのこと。
匙ですくってミューズの口元に持っていく。
「はいミューズ、あーん」
「……」
反応がないので顔を覗き込むと、ミューズの瞳からハイライトが消えていた。だめだ完全にフリーズしてる。もしかしたら彼女が無限の食い気でやっつけてくれるかと思ったんだけど。そうは問屋がおろさなかった。
スプーマ問屋とかあるのかな。憎い。
食いしん坊ばんざいミューズにすら拒否られる悲しき塊。皿の隅っこにちょこんと乗った付け合せの肉野菜に哀愁を感じる。神よ、罪深き彼の塊を許し給え。
さて、その神の徒たる騎士団のお兄様がたと数人のお姉さまがたはどうかというと、まあ揃いも揃ってまるでそれが修行でもあるかのように、半眼になって黙々と匙を口元に運んでいる。すごいな。日頃の鍛錬の賜物か、あるいは舌が死んでいるかのどちらかだ。
いや、よく見ると本当にスプーンだけ唇に付けたり離したりを繰り返している。なるほど、こうやって食事の時間が終わるまでやり過ごすのか。さすがプロはやることがちがうな。
もう駄目なんじゃないか。
「メグ」
「すまん、失念していた。ごめん」
騎士団と一緒にごはんが食べたい、そう言っただけでボクの思惑を把握したメグは、しかしメニューのことは頭からすっぽり抜けていたらしい。
背中を曲げ小さくなった女騎士が黙々とスプーマを口に詰め込んでいる。自罰だろうか。
「まぁ、ボクも確認しなかったし」
ならボクも同罪か。
そして日本人のボクは、親から手を付けたものは食べなさいと教えられてきたのだから、その両親にこれ以上恥をかかせるわけにもいかない。意を決して口の中に放り込む。
「げっほ……これはひどい」
父さん母さんごめんなさい。
ダメだ、もう体が「これは食べてはいけないものだ」と認識してしまっている。吐く。油断するとナチュラルに吐く。
でも残したりしたら失礼だよなぁ……
「騎士はこれを食ってるんだな……よしっ」
ルースがものすごい勢いですプーマをス掻き込みはじめた。別にこれを完食したら騎士になれるとかじゃないぞ。毒じゃないから止めないが。
「ルースはスプーマ食べたことあるの?」
「んぐお、あるよ。ちょっとな。むほっ」
鼻水を垂らしながらルースが答える。
ちょっと、ってなんだ。ちょっと拝借した、の “ちょっと” じゃなかろうな。
同じようにスプーマの味を知っている子どもたちは、口をつけるたびに目を閉じたり顔を伏せたり、なんだか激辛カレーでも食べてるみたいにして、それでもなんとか皿の上を片付けようとしていた。
彼らなりに気を使っているのだろう。なんといじらしいことか。
「おねーちゃん、これなぁに?」
「ん? ああ、スプーマだよ、ジュジュ」
ジュジュが不器用に握り込んだスプーンの上の白い塊を見て、不思議そうに首を傾げる。
洗礼を受けないものは食べてはいけない、だっけ。両親を知らないジュジュは受けているのだろうか。
「あれ? 孤児院の子はスプーマを食べてないっていってたけど、みんながみんなが洗礼受けてないわけじゃないんだよね?」
ボクの独り言が静まり返った食堂に響く。
「受けた子と受けてない子がいました。でも不公平になりますから」
「それは内側のことばかりではないのよ、マリー」
賢いアルボが解説して、ほんの少し不機嫌なミューズが遠回しに事情を話す。
普通の人、そう呼ばれる人々が、孤児たちが普通であることを許さないのだ。自分たちは神様の言いつけを守っているから。例外を作ると不公平になるから。
そして例外を作れば公平になるから。
ボクには矛盾に見えるそれが、この世界が幸福であるためのルール、いや理由そのものなのだ。
「俺たちが食わすのが気に入らねえんだよ」
「ルース、そんなこと言っちゃだめよ」
「……ふん」
年長の少女にたしなめられた少年は、不服そうに鼻を鳴らすとムキになってスプーマをかき込んだ。それがまるで、世の中の理不尽に仕返ししてるようでもあった。
しかし、なるほど、普段はエリカがルースの手綱を握っているのか。というか、惚れた弱みってやつかな。
かーわい。
「それってさ、どういう教えなわけ?」
バカのフリしてメグに素朴な疑問を投げかける。
「ん、教義ではない。いい伝えだ。教会が制限しているわけではないのだが……難しいところだ」
そうなのか。だったらメグも二つ返事でオーケーしないものな。かといって大衆意思を無視するわけにもいかないと……たしかにむつかしいな。そして面倒くせえな。
「いいつたえ?」
「神様が言ったの『大地は飢えて乾けども、もはや苦しみは癒やされる。神に祈るものは満たされよ。貧しきものにはひとつかみ与えよ』って」
物知りミューズが、そのいい伝えとやらの一節を口にした。
「その日に鍋にひとつかみ、ってヨハンナも言ってたね。そういうことか。
「そういうことね」
「そんで、神に祈る騎士団たるやスプーマを山盛り食べて然るべし、ってかんじ?」
「残念ながら」
メグがうっかり本音を出したが、誰も咎めない。やめればいいのに。
てっきり食べ過ぎると体に良くないとか、そういう理由だと思ってた。今ボクの目の前に山盛りになってる理由もわかった。なんとかいう神様がいらないことを言ったからだ。
憎い。
「食べちゃだめなの?」
ジュジュが不安そうに言う。
ボクはエリカに言ったのとほとんど同じことをもう一度繰り返す。
「ジュジュ、ボクはさっき言ったんだ、キミはもう孤児じゃない。エルフの弟子のジュジュだよ。だからみんなと同じことをしたっていいんだ」
言い切ってから不安になってメグを見た。メグはボクの視線に気づいて、それをそのまま騎士団長に流す。カルロス団長は目を細めアルカイックな微笑みを浮かべて若干顎を上げる、というやや難解な仕草をしていたが、そのままゆっくりと、まっすぐボクを見たまましかし強く頷いた。
ああ、よかった。ボクのルール違反は騎士団長のお墨付きだ。
いやしかしそれは当然だろう。スプーマが出てきたのは予定外だが、聖堂に入って騎士団と食事したいなどという無茶振りを、それもエルフの思いつきを受け入れてくれたのだから、あちらとしてはこの程度のこと想定内のはずだ。
だとしたら、今のは許可ではなく、合意ではなく、ああ、つまるところ試されているのはボクなのだから、ボクは試験のひとつに合格したらしい。
――さあエルフ殿、どうなされますかな?
慈悲深い騎士団長は同時に試験官であって、そこに手加減などないだろう。先程から浮かべている曖昧な微笑みも、その意味はボクに対する冷静な評価の発現だするのなら、いま一歩、ボクは教師には足りていない。
のか? どっちだ。くそ、緊張する。
「マリー、大丈夫よ。あなたはいつもみたいにしてて。ね」
ボクの体の強張りにミューズが気付く。やさしいなぁ、ミューズちゃんはホント天使だなぁ。
ボクは答えるかわりに彼女の髪をなでて、それでほんの少し落ち着いた。
エリカが少し驚いたような顔をしている、ここにきてボクの企みをやっと理解したのだろう。ボクが彼女にあげたいものを、彼女は受け取ってくれるだろうか。そして、この場合与えることと奪うことは同義なのだ。ボクに何ひとつくれてやるかと叫んだ彼女から、実質アイデンティティを奪おうとしているのだが、それには気付いただろうか。
アルボは黙ってスプーンを動かしているが、なにを思ってか片手で缶バッチを握りしめていた。
ドータは……多分わかってないな。ボクと目が合って照れくさそうに肩をすくめている。
「しっかりしろよ」
ボソリとルースが言った。コイツはわかって付き合ってくれている。
憎たらしいガキだな。まったく。
「先生って大変だな。ふう……よし」
気合を入れ直す。
勘違いしてはいけない、出題者は子供たちだ。自分がどう見られるかなんて、どうでもいいことだ。ここでボクがぐらついたら――
「げえ」
ジュジュが吐いた。
「まぁ! 大変! ジュジュ大丈夫?」
「慌てなくていい、喉に詰まるぞ。ゆっくり呼吸をさせるんだ。水桶を持ってきてくれ!」
エリカが椅子を跳ね上げて立ち上がる。
メグがテキパキと指示をする。
「え、えーとえっと」
どうすんだ? こういう場合どうすんだ? ボクなんか手伝う? 拭く? ゲロ拭く?
いつの間にかビアンカがジュジュの横に居て、取り出したハンカチで彼女の汚れた口元を拭っていた。
くっそ、変人ビアンカに遅れをとった。コイツなんでか微妙に気が利くんだよな。
「ごめんなさい、ごめん、なさい、ジュジュ、食べれないの、これ、食べて、みんなといっしょ、食べてるの、ジュジュ、お姉ちゃん、えるふのでし、なのに、お姉ちゃん、食べていいって、いって、食べるの、でもジュジュ、食べれないの、ごめんなさい、ごめんなさい」
その場に居合わせた大人たちが「ヒュッ」と息を呑んだ。
これはきつい。
小さな女の子が泣きながら謝罪を繰り返すのだ。その上つまり彼女がそれを食べなければいけないものだと認識しているのだから、大人たちは食わなくていいとも言えないし、無論、これ以上食べろとも言えない。
暴力的ないじらしさが罪悪感となって胸を切り裂く。
きつい。
いますぐ逃げ出したいくらい気まずいのに、少女の痛々しいすすり泣きが足枷となって誰一人とも逃さない。
っていうかなんでみんなボク見てるの。
ボク? ここでボク? ボク保護者だもんなぁ。えー……きっつー。
「あーうめぇ! このスプーマすげーうめぇ! 食わねんならオレがもらっちゃうからな!」
わざとらしく大きな声を出したルースが、ジュジュの皿から半分ほどのスプーマを自分の皿に移した。
マジかこいつ。めちゃくちゃかっこいいな。男だったら惚れてたわ。顔青いぞ。
ボクがルースの侠気に感心していると、一人の騎士が立ち上がってつかつかとジュジュに歩み寄ってくる。
「オレもこいつに目がなくてな」
ニヤリと笑った騎士がジュジュの皿からスプーマを掬う。そしてかわりに付け合せのサイコロ肉を置いていった。
それを合図にしたように騎士たちが次々に立ち上がり、同じようにジュジュの皿のスプーマを自分の皿によそい、ジュジュの皿が空になると別の子供たちの皿からよそい――
「ちょっと量が多いな、少し貰おう」
「ほら、肉やるから泣くなよ」
「こんなの食べさせてゴメンね」
「いい根性だ坊主」
などと言葉をかけていきながら、彼らの皿の山盛りスプーマをサイコロ肉野菜炒めに変えていった。
「お、おお。これが友情パワーか……」
なんだか結局は皆に助けられてしまう。どうにも師匠の面目丸つぶれだ。
状況に困惑した弟子たちに頷いて食事を促す。
ルースが彼のプライドのために残されたほんの少しのスプーマを、脂汗をかいて咀嚼している。
「ふふ。ねえマリー。私も君に教えを請いたいな」
ビアンカがスプーンを噛みながら言う。
ボクとボクの弟子ではないビアンカの皿には、変わらず白い塊がてんこ盛りだった。
「ボクも誰かに教わりたいよ」
「日々精進ですな、エルフ殿」
爽やかに微笑むカルロス団長が、ボクの皿にサイコロ肉をひとつ乗せた。
街の人は素手で物を食べるけど、騎士団は別のとこから来たのでスプーンとか使う。




