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あぶない! マリー先生

みんなお利口第四十三話

「点呼!」

「ワン!」

「にぃ!」

「さん!」

「ごー」

「あ、えーと、よん?」

「……ろく」


 早朝の広場に子どもたちと、主にボクの声が響き渡る。

 自主性に任せて並ばせたら、ジュジュとドータがまっさきに、なぜかトトの横に並んだ。その隣であくびを噛み殺すルースがダルそうにしている。困惑しながらも空気を読んだらしい賢いアルボが、少し離れていたエリカの横に入ったおかげで、それでもきれいな一列横隊になっていた。


「よろしい! とくにトト! オマエ天才だな! 天才犬だな!」

「ワン!」

「朝から犬と話してやんの、バカじゃねぇの」


 動物王国国王のようにもみくちゃに撫でまわすと、子犬のトトが千切れんばかりにしっぽを振った。犬は可愛いな、素直で。それに比べてルースときたら。


「バカとはなんだバカとは。つーかオマエ数え間違えただろ!」

「ダルいんだよ眠いんだよ。くだんねぇから帰るぞ」

「はっはっは。ダメです却下」

「……めんどくせ」

「おーうルース! それ以上口答えすると泣くまでハグしてキスして泣かすぞ! マリーお姉様なしじゃ生きていけない体にするぞ!」

「いっそ殺してくれ」

「地獄みせたらぁ!」

「わかったよ好きにしろよもう……」


 ルースは素直になればもっとかわいいのにな。


「あの、マリーさん」


 アルボが挙手する。


「はいマリーです! 好きなジャンルはおねショタです!」

「聞いてません。なんですかおねショタって」

「長くなるよ?」

「じゃあいいです。なんのために僕らを呼んだのか聞いていいですか?」

「思いつき」

「おいみんな帰ろうぜ!」

「はいルース減点ペナルティー! ムチュチュー」

「うわやめろ! 顔を押し付けつるな! くるし、やわい。なんでちょっといい匂いするんだよ!」

「みたかアルボこれがおねショタだ!」

「なるほど地獄ですね」


 女将の許可を得てエリカを引っぱり出し、そのエリカから隠れ家を聞き出して子供たちを叩き起こした。それからまぶたをこする彼らを急かして、覚醒する前に聖堂前の広場に放り込んでやった。ジュジュやドータはボクに懐いているようだから問題ないが、しっかり者と天の邪鬼とトラウマ娘に抵抗されては初手から計画が頓挫しただろう。

 まず第一段階はクリアした。


「朝ごはんだぞ! 席につけぇい!」

「わー!」

「やったー!」


 ジュジュとドータが両手を上げて歓声を上げた。

 ピンクのガマグチから朝食を出して長机に並べ、子供たちを座らせる。机と椅子は騎士団から借りてきた。

 メグが見当たらなかったので、そのへんにいた騎士の人を捕まえてアレモコレモと要求したら、すぐに用意してくれた。おそらくはメグがよく言ってくれていたようで助かる。

 ダメだったら色仕掛けってやつをやってみたかったのだけど。残念。


「マリーさん」

「アルボ、とにかく食べなよ。腹が減っては(いくさ)は出来ぬ、ってね」

「……わかりました」


 なにかいいたそうなアルボだったが、諦めた様子でパンを口元に運ぶ。


「はらがへってさくさくできぬ、ってなーに?」

「戦は出来ぬ。戦いに勝つためにお腹を一杯にするのだ。いっぱい食べるんだよ?」

「うん! マリーおねぇちゃんのパン美味しい!」


 ジュジュがコッペパンを嬉しそうに頬張る。ドータなど先程からひと言も発しないでひたすらに詰め込んでいる。気に入ってもらえてよかった。

 別に特別なものでない。ビニール袋にこそ入っていないが、ボクの食べなれたコンビニパンと同レベルのものだ。ローザさんのとこで出てくるものもそうだが、そのへんで手に入るパンは少し荒いく硬い。詳しくないが、いわゆる黒パンというのだろうか、如何せん食べにくいので皆スープに浸したりしていた。よく言えば野趣あふれる素朴な味というやつなので、五百年くらいしたら健康志向の人たちに有難がられそうだ。

 それに比べれば、ボクの用意したパンは遥かに柔らかくて食べやすいだろう。ミューズ曰く「甘くて美味しい」らしく「貴族のお菓子みたい」だそうだ。食べたことあるのか、貴族のお菓子。

 ボクとしては保存料の有無がきになるのだけど。


「飯食っただけで勝てるかよ……」


 ルースは文句を言いながらもふたつ目のパンに手を伸ばす。

 良い傾向だ。そもそも食べ盛りなのだから遠慮などいらないのだ。


「エリカもちゃんと食べるんだよ」

「……はい」


 なんだかボクと目を合わせてくれないが、エリカも素直にいうことを聞いてくれるようで安心する。


「みんなー! 働かずに食う飯はうまいかー!」

「うまーい!」

「ふまひっ!」

「おいしいです」


 なんかボクもお腹空いてきたな。


「朝からデケー声出すなよ迷惑だろ」

「はっは、そうかそうか。ご飯は逃げないからよく噛んで食べるのだ。そしてルースは食後にキスしてやろう!」

「いらねぇ!」


 腹ごしらえが済んだとたん、胃に血液を持っていかれた子供らが露骨に眠たそうな顔をしだした。しかし二度寝するにはおそすぎるし、食べてすぐ寝ると牛になる。


「腕を振って足を曲げ伸ばす運動! はい!」

「なんだよこれ」

「ラジオ体操だ、ルース」

「ラジオって誰だよ」

「テレビに殺された悲劇のスターだ」

「テレビって誰だよ……」


 最後やったのいつだろ。意外と覚えてるもんだ。しかしあれだな、転移クラスタとして異世界で子供とラジオ体操とか感慨深いものがある。なんかノルマを達成した感じだ。次はマヨネーズとオセロだろうか。


「両足で飛ぶ運動! はい! いちにいさん! 開いて閉じアオウッ、ちょちょ、ちょっとたんま」

「なんだよ」

「オッパイが……ズンって。痛いの。もげる」

「ばかじゃねーの」

「マリーさん」


 若干息のあがったルースが挙手する。


「はいマリーさんです。只今留守にしております。要件のある方はピーという発信音のあとに、お名前とご用件をどうぞ」

「アルボです。運動は食事の前のほうがいいと思います」


 たしかに子供らが妙な顔をしながらお腹を擦っている。ドータなど露骨にヒーフーいってるし。たらふく食ったもんな、軽めとはいえ運動すると胃が、こう、ぐっと下に。そう、それはまるでボクのオッパイのように。


「ピー……明日からそうしようか」

「明日もやるのかよ」


 毎日やるぞ。スタンプを集めて鉛筆をもらうんだ。

 食後の腹ごなしが済んだので、メインデッシュをいただく。

 皆を座らせ、その前に本と鉛筆を置いた。


「はい、それでは授業を始めます。ガイダンス三ページ目を開いてください」

「ちょっと待てよ、なんだよこれ」


 適当なものがないかとガマグチを漁ったら出てきたのだ。正確には『孤児のための総合初期教育・異世界編――エルフの新米教師用手引き付き』という馬鹿みたいにニッチなタイトルのものだが。内容はなかなかまともだったので、ありがたく使うことにした。


「ふむ、ルースくん良い質問だね。これは文字と言って――」

「しってるよ! そうじゃなくて」

「ルース文字読めるの?」

「……よ、読めるよ」


 読めねぇなこれ。


「文字読めるひと手ぇーあーげろ!」

「はい」

「……はい」


 はっきりと手を上げたのはアルボとエリカ。ルースは胸元で小さく上げたり下げたりを繰り返している。

 読めねぇなこれ。


「ルース」

「読めるよ。自分で覚えたんだ……すこし」

「独学かよすごいな」

「……おう」


 伏目がちになったルースの頭を軽く叩く。いつもならはたき落とされただろうが、今朝は耳を赤くして小さくうなずくだけだった。

 彼らが孤児になる前、どのような生活をしていたかわからない。だから、それぞれの学力や学習能力を把握したかった。実のところ、勉強させるのが目的ではないから、ただいきなり難しいことをさせて挫折させたくないと、そう思ったのだ。

 なんだって楽しいほうがいい。


「り、ん、ご。ご、り、ら、ら、っ、ぱ。おねーちゃんゴリラってなに?」

「おっきいおサル。優しくて賢いから森の賢者って呼ばれるんだ。ドータ、この字、ここんとこ、こう……クルンってさせると、カッコよくなるよ」

「ん!」


 大っきくて優しいドータは賢くなるために書き取りの練習。我ながらアバウトにアドバイスすると、鼻息を荒くしたドータの筆圧が上がる。

 当然、異世界文字だ。よくわからないがどういうわけか文字の読めるボクは、やっぱりよくわからないが書く方もいけた。ただ読むのと違って完全に無意識でやっているらしく、意識するといつの間にか日本語になってしまう。ボクの頭はどうなっているのか。

 それにしても、シリトリで楽しく読み書きを覚える一石二鳥の良い教材だな。

 いやまて、ゴリラは異世界でもゴリラとよぶのか? 言語の認識力がボクの知らないところにあるので判断できない。でもそうじゃないとシリトリが成立しないし……そもそもドータはこれをシリトリと認識しているのか? ダメだ、言語関係はボクの能力がオマケすぎてわからん。


「ジュジュも! ジュジュも描けた!」

「どれどれ……おおすっげ。天才かな」

「マリーおねぇちゃんだよ!」


 鉛筆の持ち方すらままならないジュジュには色鉛筆でお絵かきをさせた。

 好きなものを描けといったら、ボクの似顔絵を描いたらしい。暴力的な色彩と理不尽な顔面の出っ張りがピカソの再来を予感させる。

 ちなみにボクに絵心はない。ボクだってオタクの端くれなので美少女イラストのひとつやふたつ描いてみたことはあるが……しまった、黒歴史ノートを処分してから死ぬんだった。南無三。


「マリーさん」

「はいマリーです、今アルボの後ろにいるの」

「知ってます。面積の求め方ですけど……」


 読み書きのできるアルボは算数。

 もうなんか普通に頭いいから教えること無いんだけど。いまのところ小学生レベルなのでなんとか質問に答えられるが。


「あーはいはい円の面積ね。えーとね、あー、ほらあれだ、ほら、あっ、思い出した! 半径かける半径かけるさんてんいちよん!」

「正解です」

「っしゃあオラッ!」

「どうしてこの式で円の面積が求められるんですか?」


 大人になればわかる。


「それは……哲学?」

「数学です」


 最終学歴が中学中退のボクにはそろそろ荷が重くなってきた。

 それよりもなによりも驚くべきはエリカだった。


「なになに、連続する三つの整数の和が三の倍数であることを示せ……ね。ふーん、なるほど」


 なにがなんだかわからない。なにこれ、悪魔召喚?

 しかし、ボクにわからないことがエリカにはわかるらしい。いたって真剣な表情で黙々と計算式、なのか? これ、とにかくすごい書き込んでいる。


「エリカ、おーい、エリカちゃーん」

「え? あ、はい!」


 よほど熱中していたのか軽く驚かれた。


「すごいね、真っ黒」

「あ、あの、ごめんなさい。せっかくの本、こんなに汚しちゃって、私」

「あーあーいいのいいの、それはそう使うものだから。まさに問題集冥利に尽きるってやつだよ」


 落書きしかしたことがないボクの教科書たちは、きっと草葉の陰で泣いていることだろう。


「楽しい?」

「うん……」


 エリカが顔を赤らめてコクリと頷く。

 勉強が楽しい、なんて人間がまさか目の前に現れるとは夢にも思わなかった。マジでいたんだそんなヤツ。上位存在かな。

 ちなみに、いまエリカがやっつけている問題は中学レベルらしいが……やったかこんなの? レベル高すぎない? 記憶にないんだが。ボクは知らない間にレベルダウンの呪いでもかけられたのだろうか。

 このまま行くとボクの手に負えなくなること確実。

 いや、すでに事実か。


「英語がなくてよかった……」

「ねーちゃん! この字なんて読むんだ?!」


 ボクがひとり撫で下ろしにくい胸を撫で下ろして安堵していると、ルースが声を上げた。


「わがはいには、ぶじんとしての、きょうじがある。『矜持』だな。プライドや自信、誇りのことだ」

「そっか! おっし!」


 ルースには『バイバル騎士の物語』という分厚い本を読ませている。問題集のようにオーバーテクノロジーでなく、この世界基準の製本技術で作られた本なので、分厚いのは内容でなく紙の質のせいだ。ボクから見ればアンティークよりも骨董品のたぐいである。

 最初はドータと同じように書き取りをさせていた。ところが早々と飽きてしまって、はてはブーブーと文句を言い出したので一計を案じて、これである。

 騎士になりたいと言っていた少年は、騎士の物語にドハマりしたらしく、こうしてときたま質問する以外は、それはもう食い入るように文字を追いかけている。速度こそ遅いが、これほど熱中できるならすぐにスラスラと読めるようになるだろう。


「メグのねえちゃんありがとな!」

「ああ、かまわんよ」


 メグのおかげで。

 なんだ『きょうじ』って。そんな難しい言葉いつ使うんだ。

 実はこっそりラジオ体操に参加していたメグは、子供たちの勉強姿を興味深そうに、とりわけルースに熱い視線を送っていた。

 なるほどメグは少年が好きなのか、許可する続けなさい。などと思っていたが、彼女が興味を持ったのはどちらかというとルースの読んでいる本の方だった。


「メグ、その本って」

「ん? ああうん、そうだよ」

「バイバルさん?」

「ああ、騎士バイバルだ」


 メグの初恋の人がここに居た。

 ひとつだけ古めかしいというか、この世界にマッチした仕様のものがガマグチから飛び出したのでなに事かと思ったが。こういうことだったのか? どこでそんな情報を手に入れたのだろう。問いただそうにも会話できないからなぁ。口はあるのに。


「マリー!」

「あ、ミューズ……と、ビアンカ」

「ああほんとに居たね、ミューズはずいぶんと鼻がいいな。ふふ、彼女ずいぶん遠くから君の匂いがすると言っていたよ。こんなに鼻がいいと戦場にはいられないね。あそこは本当に血なまぐさいんだ。ねえマリー、内臓のニオイって嗅ぎ分けられるのかな? ふふ」

「いやぁ、どうだろね」


 唇に人差し指を当てるメグとニヤニヤ笑いを交換しあっていると、ある意味朝から絶好調なビアンカに抱きかかえられたミューズも合流した。もうそんな時間か。

 手を叩いて子供たちの注意を引き剥がす。


「よーし、移動するよー」

「なんだよマリーねぇちゃん今いいとこなんだよ」


 べつに取り上げたりしないからゆっくり読めばいいのに。よっぽど面白いんだろうか。後でボクも借りよう。


「みんなお腹好かない?」

「すいた! すいたわ! やばい!」

「おーけーミューズ落ち着いて。やばいの?」


 あっという間に時間はすぎて、ボクの体感的には十一時少し前。この世界の文化なら昼飯時である。


「メグ」

「ああ、話は通してある」

「さっすが」

「ねえそれって、私もいっていいのかい?」

「あー、ビアンカって警備隊だっけ……仲悪いの?」

「悪くはないさ。血の気の多いのが張り合ってるようだけど。ふふ」

「くだらん。四の五のいうやつが居たら私が責任を持って叩き斬るから問題ない」

「だって、ビアンカ」

「わあ、それは楽しみだね」

「変なイベント期待すんなし」

「おい、大人だけで話し進めるなよ」


 ルースが怪訝な顔をする。


「あー、ごめんごめん。じゃあ今から大聖堂に行きまーす! と、その前に。みんなコレ付けてね」

「おねーちゃんこれなーに」

「特製マリーちゃんバッチだよ! はいジュジュのぶん」

「わー!」


 昔取った杵柄。ボクの小さい頃は、まだ瓶ビールが主流だった。必要なのは王冠と安全ピンとコルクと針金。昨日の晩にシコシコと内職したのは内緒だ。

 夏休みの工作でクラス全員ぶんの缶バッチを作っていったのを思い出す。


「トトのぶんもあるぞ! ただの野良犬から血統書付きの野良犬にランクアップだ」

「ワン!」


 尻尾を振る子犬の首に革ベルトを巻き付けると顔をベロベロ舐められた。正直トトのぶんを作るのが一番しんどかったから喜んでくれなきゃ困る。


「かっこいい!」

「気に入ったかドータ。ちなみに上下逆ね。それだとワリーになっちゃう」


 デザインセンスがないので、緑のペンでマリーの “M” と手描した。笑えないくらいダサいが、この世界の人間にはマークか何かに見えるようだ。少なくとも小学校のクラスメートぐらい喜んでくれている。いい時代だった。


「さあ、準備はいいかな?」


 子供たちを並べて、前に立って腕を組む。何事かとキョトンとしたり首を傾げたりしている。

 悪くない。


「たった今からキミたちはボクの弟子だ!」

「ふふふ、あっははは」


 ボクがそう言い放つと、子供たちが揃いも揃ってぽかんと口を開けた。

 なにが可笑しいのか、ビアンカだけが声を出して笑った。


たまにテンプレもねじ込む。

算数の基本はみんな古代には出来がっていたけど、どの程度からオーバーテクノロジーなんだろうね。僕らが中世の人に教えられることなんてどれくらいあるんでしょうか。教えられることのほうが多いかもしれない。

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