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魔法と嘔吐

結局なにもわからない第四十一話。

「ふむ」


 手鏡を見る。

 鏡の中には美しいエルフがいる。ボクがウインクすると、鏡の中の彼女がウインクを返す。


「ふむ」


 顔を上げて前を見る。

 眼の前にも美しいエルフがいる。ボクがウインクすると、目の前の彼もウインクを返す。


「エルフだ」

「それがどうかしたかい兄弟」


 異世界のくせにエルフはレアキャラだと聞いていたので、突然の遭遇に戸惑っていた。ボクにとっての初エルフでもある。いやそれよりも、彼の容姿がことのほか奇妙だったのだ。

 服装が珍妙だとかではない。もちろん下半身が裸だとか、巨乳だとかでもない。ブラウンで統一した旅装束はセンスが良く、また清潔であるので印象は悪くなかった。 


「生き別れ?」

「いや、同胞のことを兄弟って、呼ばない? 僕が国を出たときは流行ってたんだよ。でも、どうだろうね。そうだったら素敵だね」


 ボクの困惑をよそに、彼はなにが楽しいのかニコニコと笑っている。


「エルフってこういうもんなの? それともキミとボクが特別に特別なの?」

「特別? うーん、僕はあまり特徴のない方だと思うけどな。君はずいぶん特徴的だね。趣味かい?」


 彼がボクの胸を見ていう。


「もともと。いやまぁ、趣味だけど」

「へぇ、珍しいね。自然主義者なんて絶滅したと思ってた」

「……エルフって貧乳なの?」

「さぁ? それこそ趣味の問題じゃない?」


 なんだ趣味って。その日の気分で乳の大きさが変わったりすんのか。素晴らしいな。

 いや、そんなことよりも。


「なんで顔そっくりなの?!」


 他人の空似とかいう問題じゃない。多少ボクのほうが柔らかそうなパーツで構成されている程度で、顔についてはそれ以外に差異を見つけるのが困難だった。体格にしても、ほとんど同じ身長で、やはり手足が長くやや骨太。女のボクには凸凹が多いものの、それこそ明らかな違いはオッパイの有無くらいである。いうなればボクは女っぽくて、彼は男っぽい。もしかすると、どちらかが中性的なのかもしれないが、平均値がわからないのでなんとも言えない。

 とにかく鏡写しと見紛うほどに瓜ふたつだった。


「なんでって、エルフだもの」

「エルフってみんなそうなの?」

「そうさ」

「ボクみたいに?」

「胸の話を別にすればね」

「男も女も?」

「趣味の問題かな」


 ビミョーに話が噛み合ってない気がするが、どうやらエルフは容姿に個体差がない種族らしい。


「どうやって見分けるの?」

「どうって……見分ける必要あるの?」


 完全に会話が噛み合わなくなった。


「店員だと思って話しかけたらお客さんだったとか恥ずかしいじゃん!」

「容姿は関係ないと思うけど。それ実体験?」

「だってエプロンしてたら間違うよね……じゃなくて。好きになったのが同性だったりしたら、とか」

「別にいいんじゃない?」

「え? んー、まぁ……そうか」


 さもありなん。確かに個人の自由というやつだが。質問を間違えたか。


「……キミ、男の人だよね」

「僕? ああ、男だよ」


 ウホっ、いいエルフ。


「男好き?」

「恋愛には(うと)いなぁ」


 サンプルにならねぇな。


「君は女だね」

「ボク? ああ、うん……一応そうね」

「いちおう?」


 ちょっと微妙なラインっすね。話がややこしくなるのでそういうことにしておいてください。やめて、きれいな瞳で見つめないで。なまじ顔が似てるので、まるで自分に責められるような奇妙な罪悪感がある。


「ああそうか、転移者なんだね」


 え?


「え?」


 え?


「転移って。え?」

「別の世界から来たんだね。転移したのは時間軸かな、空間軸かな。ああ、中身は男の子なのか」

「三十路だよ。じゃなくて。ちょっとまってちょっと。え?」

「どおりで噛み合わないわけだ。それで? なにを悩んでたの? あ、もしかして恋の悩み? わぁ楽しいね。羨ましいな。詳しく聞かせてよ、興味あるな!」


 頭の中で(いく)つもの『え』が遊星歯車のごとくグルグルと回転する。やばい、だんだん『え』がゲシュタルト崩壊してきた。向かい風に逆らって歩いてる人に見えてきた。フルスイングする左打者にも見えるな。

 いうてる場合か。


「いやいやいや、そこ流すなや。なにサラッと恋バナに移行してんだよ。普通か」

「なにが?」

「なにがじゃねぇよ、ナニがだよ。じゃぁなにか、キミらの故郷じゃ転移とか転生とか普通か」

「あはは、普通ではないよぅ」


 眼の前のエルフが笑いながら否定する。


「なら……なんで」

「合理的思考から導き出した答え」


 そんな不条理な合理性あるかい。


「ここに来る途中ね、ずいぶんと声をかけられたんだ」


 困惑しているボクを見て、彼が続ける。


「エルフなんて、たいていは警戒されるか、面倒くさがれるかのどちらかなのに、珍しいこともあるんだなって思って。聞いたんだ。なにかあったの? って。君だったんだね」


 ずいぶんと楽しそうにしているが、なんの話だろう。


「少し前に、妙に浮かれたエルフが大声で挨拶しながらこの辺を歩いてたそうだよ。それがあんまり楽しそうだったから、ためしに自分たちから旅人に声をかけてみたんだって。そうしたら、だんだんそれが面白くなったらしくって、今じゃ旅人と見るや誰彼構わず声をかけるのが流行りなんだって」


 あー、ボクですねそれ。っていうかそんな事になってたんだ。たしかにあのときテンション高かったからなボク。それでやけに話しかけられたんだな、合点がいった。


「僕はそれで興味を持ってね。その変わり者のエルフはどんなヤツかなって」

「こんなヤツです」

「ははは。ああ、とっても魅力的なやつだったよ。気に入った。だから兄弟、悩みがあるなら相談に乗るよ」

「……エルフじゃなくても?」

「君はエルフさ。中身が違っても、いや、だからこそ君は選ばれたんだよ。君、運命を信じるかい?」

「なんだよ、藪から棒に」


 どこかで聞いた言い回しだな。


「僕らはもう、なくしてしまった。もしもあるなら、兄弟、それは君かもしれない」


 なんだかわからないが、それがこの話のオチらしかった。

 相変わらず微笑んでいるエルフは悪いやつではなさそうだ。こちらの事情もなぜか理解された。

 そしてボクには頼れる人間がいなかった。


「マリー。ここではそう名乗ってる」

「ハープ。人にはそう呼ばれている」


 彼にとって単なる好奇心だったとしても、聞くのがタダなら話すのもタダだ。


「えっと、なにもないところですが」

「これはご丁寧に」


 立ちばなしもなんなので、ハープと二人して河原の岩を椅子にして並んで腰掛ける。


「どこから話そうかな」


 なにより自分でも上手くまとめられないことだし、聞きたいことなら山ほどあった。他人に物を伝えるのが絶望的に苦手なボクは、だからはじめから話すことにした。

 かくかくしかじか。

 ボクの無様な公開ミンチとか、ミューズとのラブラブエピソードとか、およそ八割は無駄な情報ではなかったか。それでもハープは、愉快そうに終始ニコニコとしながら、それでも黙ってボクの話を聞いてくれた。

 話し終わったのは、太陽がほんのりと赤みを増して、エルフの金髪を麦色に染める頃だった。


「なるほど……孤児たちを助けたいが手に余る。なにより孤児のひとりに拒絶されていると。いろいろ興味深いことはたくさんあるけど、要点はそこだね」

「ざっくりと、そうね」

「人前でおもらしするってどんな感じ?」

「目ぇ突くぞ」

「あはは、冗談冗談……さて」


 ハープが向き直って幾分か真面目な顔をした。彼のまつげが長いのに気付いて、なぜだか鼓動が早まった。


「結論から言うと、人社会について僕は手を貸せない」

「はあ? なんだよそれ! あ、いや……」


 同族というだけで、それも半分カテゴリーエラーを起こしたような、さして義理もないボクの話を聞いてくれたのだ。それ以上は贅沢かもしれない。


「うん、すまない兄弟。これはエルフの取り決めのようなものなんだ」

「やっぱ外部干渉とか禁止なの?」


 閉鎖的なコミュニティで暮らしているイメージだものな。森で。


「禁止、というほど強制力はないし罰則もないのだけど。正直なところ、その気にならないんだ。僕らはその理由を失った」

「詳しく聞いても?」

「うーん、今はやめておこう。ああ、勘違いしないで、他意はないんだ。ただ、そっちのほうがワクワクするだろう?」

「なんだよそれ……」


 落胆するボクを見てハープは続ける。


「エルフはいつだって退屈なのさ。だから、そうだな。ひとつ選んで」

「なにを?」

「同胞を助けるなら問題ないだろ? 兄弟」


 人間に干渉できないが、エルフもどきには手を貸せる。だったらひとつと言わずに助けてくれていいだろうに。いまいち基準がわからない。どうやらそれすら楽しんでいる様子のハープを軽くにらみながら、ボクは思案する。


「なんでも?」

「面白ければ」


 面接みたいだな。あくまでジャッジは彼がするらしい。

 ボク自身の事で、なにか役に立つこと。なにがあるだろう。っていうか、そもそもボクが役立たずじゃないか。せっかく異世界に来たのに魔法のひとつも使えないダメエルフだぞ。


「あ! 魔法だ! ねぇ、魔法の使い方教えてよ!」

「魔法かい? 君ほんと面白いね。魔法が苦手なの?」


 なんも面白くねぇよ。


「苦手っていうか、使えないの。モヤッとは出るんだけど」

「モヤ? ふーん……見せてくれる?」


 立ち上がって杖を取り出す。


「マーライクモデルだなんてアンティークだね」


 杖を見たハープがつぶやいた。

 旧式なのか、これ。


「最初から持ってたんだ。ボクのだけどボクのじゃない。だからボクは自分の名前がマーライクだと思ってた」

「あーなるほど」


 うなずくハープを横目に見ながら、軽く意識を集中する。


「ドンシンク、フィール!」


 いつもの緑色のモヤモヤが杖の先からポンと出て、すぐに霧散した。


「終わり?」

「……終わり」

「ふーむ。ちょっと杖貸してくれる? システム機動、同族権限、本体情報確認」


 ハープがファンタジーらしからぬ呪文を口にする。

 正直なところ “激萎え” だが、もうこれは諦めよう。


「え、本人じゃなくても使えんの? そういうのあり?」

「プライベート情報以外ならね」


 杖の宝石が赤く輝いた。


『エルフの旅杖、マーライクモデル、バージョン3,1です』


 ちょっと気をつけてよ、そいつ危ないから。


「曖昧入力」

『曖昧入力を開始します』

「いけないハープ、それ以上はいけない」


 危ないから、そいつ完璧に殺しに来るから。爆発するから。


「大丈夫だよ。離れてて」


 だいたい何キロくらい離れればいいんでしょうか。


「あの小石を狙うよ……『はぜろ』っ!」


 ハープが短くいって杖を振ると、黄金色の閃光が小石を粉砕した。


「あ、すごい。ああ…… “曖昧” ってそういう感じか……」

「こんな感じ」

「そうか……そんなか……」

「あ、もしかして一所懸命に呪文唱えちゃった? 中二っぽいやつ。キーワードが具体的だと威力が指数的に上昇――」

「わーっ! 知らない知らない! 次ボク! ボクやるから! あの木狙うね!」


 恥ずかしいのを大声でごまかしながら杖をひったくる。ニヤニヤ笑いのハープを無視して杖を構えた。なんで中二とか知ってんだよ。


「よーし……『つらぬけ』っ!」


 構えた杖の先からグリーンの光線が一直線に伸び、木の幹に当たった。やっぱ緑なのか。


「おお! やった! できた!」

「おめでとう兄弟」


 なんだ、めちゃくちゃ簡単じゃないか。拍子抜けしたが、それよりも今は嬉しさのほうが勝っていた。幹に開いた穴は貫通して向側が見える。なかなかの威力じゃないか。これはテンション爆上げである。


「イヤッホー! これでダメエルフあらため、大魔導師マリーちゃオロロロロロロ」


 吐いた。


「うわ、大丈夫かい?」

「だめ、すげー気持ちわオエップ」


 なんだか知らないがめちゃめちゃに気持ち悪くなった。胃から込み上がるものを抑えられない。ハープが慌てているので、これは予想外の状況らしい。


「魔法酔いかな」

「なにそれ……」

「正確にはわからないけど、君の場合、肉体と精神の情報子の親睦性が低いんだろうね。まぁ、当然といえば当然か。総量の不均衡が影響してるのかも。過剰分の任意放出なら問題ないけど、強制発動だとリソース消費が大きくてアストラル渦巻き構造が情報子量の急激な低下を感知しちゃうから因果律修復のフィードバックが自律神経に直接作用してるんだろうね。興味深いなぁ」

「ごめん、後半なに言ってるか全然わかんなゲロォ」


 どうにもボクがいろんな意味で半人前なのがよくないらしい。

 毎回こうなるのか、それともそのうち慣れるのか。


「どうにかなんオエッ、……なんないの?」

「うーん、例えばネイティブな操作に長けた人か、そういう物に仲介してもらえば、もうすこしマシだと思うけど。今の状態での連続使用はおすすめしないね。まぁ、死にはしない」

「……忠告どうも」

「いえいえ」


 兎にも角にも魔法は出た。別のものも出たけど。

 口の中は酸っぱいし気分も最悪だが、その達成感のおかげで、なにかひとつ可能性の光ようなものが見えた気がする。その実なにも役に立ちそうにないが、それはそれ。ボクに必要なのはクリスマスディナーの幻想を見せるマッチのような光で、人間に必要なものなんて実際そんなものだ。


「あーそうだ、最後にひとつおしえてよ」

「いいよ。なんだい?」


 しゃがみ込んだまま顔も上げずに話しかけると、屈託のない返答が帰ってきた。先程の宣言は特に意味はないようだ。


「エルフって、なに?」

「……」


 この問に意味はない。だから、わざと曖昧な問をする。しかし、いつまでも返事がないのでボクのほうから顔を上げた。困らせたのだろうか。


「……なにそれ」


 ハープは耳を引っ張って、伸ばした舌で鼻の頭を舐めていた。


「宇宙人のマネ」

「くっそ、体調が万全ならひっぱたいてやりてぇ」

「あれ、面白くなかった? 鉄板なのに」


 全然面白くねぇ。

 すっかり呆れてしまったボクは、小川で口をすすぐために立ち上がった。


「ねえ兄弟」

「なにさ」

「もし君が、本当にどうしようもなくなって、これ以上なにも思いつかない、なんてことになったら、そのときはエルフの国においで。きっと君の助けになるから。僕たちはなにがあっても君のああっ、冷たい!」


 変顔を維持したままそういうハープに、ボクはとりあえず手にすくった水をぶっかけた。


日常回その2。更新が不定期なので伏線なんか入れたって効果なさそうなので路線変更したら手間取った上に荒くなった。

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