マリー敗北す
空回りエルフがお説教される第三十七話
早朝、ボクは大聖堂の裏口を叩いた。
「そうか、そんなことが。いや、君たちに怪我がなくてよかった」
「いやあ、毎度首突っ込んでるのボクだし」
「ふふっ、そうなのか……しかし、そうなのか」
ボクの顔を見て微笑んだメグさんが、今度は真顔になってつぶやく。
真面目なメグさんには看過できない問題が多いことだろう。
「警備隊の、あー知り合いなんですけど、隊長さんが、いろいろ手を打ってくれてるんで」
「ならば出しゃばるのも良くないな。ともかく、なにかあれば私も……いや、友人になにかあって黙っていられるほどお淑やかでもないのだ、私は」
最後は自分を諌めるようにメグさんが言う。それなら普通逆ではないのか。今のはまるで自分を奮い立たせるセリフだが。彼女のキャラクター作りの一環だろうか。
さてボクは今、メグさんの後ろについて大聖堂の中を歩いている。と言っても、騎士団が動き回っている裏方でなく、なんというか、上の方である。形而上でも下でも。やはり宗教施設だからだろうか、過度な装飾があるわけでもなく、質素ではあるが清潔で上品である。そもそもガラスの嵌った窓というものが少ないので、想像していたよりも薄暗いが。ボクにしてみれば、それも含めて “いい雰囲気” ではあるのだけど。
「稲妻傷の魔法少年の気分だ」
「何だそれは?」
「素敵な建物だな。って」
「ああ、歴史ある場所だよ」
この世界で、街とは生活拠点というだけでなく、有事の際に避難するシェルターであり、同時に立てこもる要塞として機能することが前提なのだ。このカルビークという街は、前に聞いたとおりまず聖人の墓があって、宗教的な理由はともかく、それらの機能を備えていたからこそ人が集まり、そして街へと発展することができたのだ。つまりこの辺は大聖堂の土地なのである。
あと、流通の拠点だとか地理的なアレとか多分あるけど、それは割愛。
ともかくこの世界は “誰が土地を持っているか” という封建主義が未だ有効で、なにが言いたいのかというと、だからこの辺で一番偉い人は大聖堂にいるのだという話である。
「そんなに殺伐としてる感じではないけど」
「なにがだい?」
「メグさん……聖騎士って大聖堂を守ってるんですか?」
警備隊はともかく、兵力とは街単位で持つものなのだろうか。維持するだけでも結構コストがかかるイメージだけど。
「ん? ああ、いや。我々は中央……おほん、テレイオス教会から派遣された巡礼騎士団なのだ」
なぜ言い直す。あれか、刑事が『警視庁』のことを『本店』と言うようなものか。
テレイオスってのが主神の名前かな。後でミューズに聞こう。
「巡礼?」
「こうやって各地の聖所を巡って、まあ……つまり」
メグさんが周りを――誰もいないが――気にしながらボクに耳打ちする。
「睨みを利かせてるのさ」
誰に? ってそりゃ “別の権力機構” だろなぁ。
「……ここって、王国ですか?」
「そうだ」
曖昧なボクの問にメグさんが短く返すと、角から黒いローブの男性が現れた。騎士ではなく大聖堂側の人間だろう。
「コロビナ殿は」
「主教はミニッツ女史と議事室にて待機しております」
黒ローブの男性がうやうやしくお辞儀しながら答えた。
「そうか、ありがとう」
柔和な顔の男性は微笑を顔に貼り付けたまま立ち去っていった。
メグさんはなんだか気まずそうにボクの方を見る。
「マリー、その顔はなんだ」
「べつに」
この街の市長格の、いやそれより、自分が所属し信仰する宗教の主教を呼びつけるって、どの地位なら許されるんだろうか。ボクの目の前にいる純白の胸当てをつけたこの女性は、もしかしてボクの想像以上に “上” の人なんじゃないだろうか。
「やんごとねぇな」
「んんっ……さあ、こっちだ」
とはいえ彼女は、それをボクに知られたくない、というか、意識してほしくないようだ。
気にはなるが、ここは友人を軽めにいじるだけにしておいた。
ともかくメグさんは今日も美人だ。
議事室の重厚な扉を開けると、長机の前に二人の男女が座っていた。
「やあやあこれはこれは――」
「結構、そのままで」
ローブを着た初老の男性が立ち上がるのを、メグさんが手で制した。
「コロビナ殿、そしてミニッツ女史、此度は急な申し出に応じていただき痛みいる」
「いえいえ、ほかでもないマーガレット――様の頼みとあっては断れますまい」
上座に座った苦労人顔の男性がコロビナさんだろう。困り眉を標準装備にしたカルヴィークの領主は、なにかを察してメグさんの敬称を簡略化したようだ。
「ご自身の御威光がどれほどのものか、ご存知でないというわけでもございませんでしょうに」
白髪交じりの髪をひっつめに結んだ女性が硬質な声で言う。発言の中に『ご』が四回も出たが、一切の皮肉も隠す気がないようだ。
「ア、アマンダ!」
焦った様子のコロビナさんは、ミニッツ女史を名前で呼ぶ。女史はさして気に留めた様子もなく、今は半眼でボクの顔をまじまじ見つめていた。頬のコケた神経質そうな顔で、なかなか迫力のある人だ。怖い。
「我が身の不足なればこそ、それに足るべく日々努めております」
メグさんも動じずに返すあたり心得ている。
「ああ! そちらが件のエルフさんですかな。いやぁまったく噂に違わずお美しい」
「エリオット。彼女が美しく “なければ” なにか問題がありまして?」
「お? あ、いや……」
空気を変えようとした主教兼領主のささやかな悪あがきは、完全に地雷だったらしい。
「そもそもあなた、公の場において男だとか女だとか――」
あーなるほど、ミニッツ女史はこういうタイプか。
お互いを名前で呼ぶ程度に親しい二人には、このやり取りも慣れたものなのだろう。目を閉じて嵐の過ぎ去る如くひたすらに耐えるエリオット君の心中察して余りあるが、関わりたくはない。彼は犠牲になったのだ。
ミニッツ女史が加熱し始めたので、どうしたものかとそわそわしていると、メグさんが椅子を引いてボクを座らせてくれた。
「マリー、お二人とも “忙しい中” こうしてわざわざ場を設けてくださったのだよ」
メグさんが遠回しに言うと、ミニッツ女史が火を噴くように鼻息を荒げながらも、口を止めて背筋を伸ばす。それでやっとボクに発言権が回ってきた。ありがとうございます。
「あの、きょうは、ありがとうございます。このような、えっと」
「口上は無用です」
ミニッツ女史がピシャリと言う。ボクといえばこのとおり口下手なので逆にありがたかった。
「えっと、ボクはマーライク、マリーって呼んでください。あー、旅のエルフで、友だちとこの街に来ました。それで……それから……」
「カルヴィークの居心地はいかがですかな」
まごつくボクの見かねて、コロビナさんが優しく助け舟を出してくれた。
「はい。知り合いの宿に泊まって、とても親切にしてもらってます。なんだかたくさん友だちが出来て、皆いい人で、いいところです」
「それは良かった」
おそらくボクが初日に暴漢に襲われたことなども知っているのだろうが、コロビナさんはニコニコとして頷いた。
体を傾けて話を続ける。
「ミニッツ女史は――」
「アマンダで結構です」
「あ、はい。アマンダさんは、孤児院の院長なんですよね」
「そうですわ」
メグさんはボクの後ろで姿勢を正して立っている。
此処から先はボクの仕事だ。
「ここで出来た友達の中に孤児がいます」
アマンダさんの眉がピクリと動く。
「五人はこの街の隙間みたいなところで肩を寄せあって暮らしていました。エリカという年長の少女は、十四で、子どもたちを養うために、体を、売っています」
「なんと……」
組んだ拳に顎を乗せたコロビナさんが、眉間にシワを寄せ痛々しい顔をする。
ボクの背後でカチャリと音がした。
「それで?」
アマンダさんは表情を変えない。
「ボクは彼らを幸せにしたい」
「それで?」
「でも、どうしていいかわからない。だから、助けてください」
あまりにストレートすぎたか、しかしボクにはこれ以上の言葉がない。
「マリーさんはどのようにするのが良いと思われますの?」
「屋根のある家、温かい食事、清潔な服」
「無理ですわ」
「アマンダ……」
コロビナさんが間に入ろうとするが、ボクだって止まらない。
「庇護者が! 親代わりが必要なんです! 絶対に!」
「不可能です」
「どうして! 愛してやらなきゃだめなんだ! 彼らには未来が必要なんだ! どうして誰も手を差し伸べないんだ! あの子達はそれじゃあ、どこで、どうやって生きていけばいいんだ!」
立ち上がりかけたボクの肩に、メグさんが手を置いた。
「マリー、落ち着いて」
「……ごめんなさい」
ほんの少し息を吸って呼吸を整える。部屋の隅で香が焚かれているのに今更気付いた。
「マリーさん、為政者というのはね、理想家なんですよ」
コロビナさんが静かに語りだす。
「それゆえに知っているのです。正しい世界、美しい世界なんてものはない。いや、神が作った世界は完璧なはずだ。だが、たとえそうであったとしても、そこに住む人間が完璧ではない。我々は神ではない。いやしくも人の身たる我々が、いかにして人々を導くか。己の理想と現実の乖離に日々苦悩し心痛めるのが、為政者の真の努めかと私は思っている」
「だったら――」
ボクが口を挟もうとするのを、コロビナさんが手をかざして止めた。
「カルヴィーク領の出生率はご存知かな?」
「……いえ」
「五割を切っている。しかし、これはあくまで平均値だ。多くは母子ともに死ぬ。一部は多産だが、故に嬰児殺しは横行し、教会はそれを止めるのに百年かかった……」
「今朝も孤児院の門前に赤ん坊が一人」
コロビナさんがため息をつく。アマンダさんが引き継ぐ。
「私がなんと呼ばれているか知っていますか?」
「……知りません」
「子供を食らう魔女だと」
「そんな」
「孤児院には現在二十四人の子どもたちがいます。ですが、七つまで育つ子供は半分もいないでしょう。あの子も、おそらく」
表情は変わらない、ただ彼女の声がほんの少し震えていた。
「なぜ、ですか」
「病、寒さ。それに耐えるだけの体力がなく。食事も僅かです」
「アマンダ、お前また痩せたね」
「お構いなくエリオット」
彼女は自分が食べる分も子供に回しているのだ。だが、それでも足りない
「さきの戦争のあと、個人の、なんと言うのでしょう、社会に対する帰属性? そういったものが薄れつつあります」
「個人の才能が認められるようになったから、ですか?」
いつかクゾさんが嘆いていた。
「ええ。それは自主性という意味では大きく世を動かす原動力となりうるでしょう。ですが、その高まりは弱者に対する切捨て、排除、差別をも正当化する」
「不幸なのは個人の責任ってことですか?」
「そうです」
ボクは少し考える。それだけで知恵熱が出そうだ。
なにを持って弱者にするのか。
ボクやミューズはそもそも人のくびきから外れている、例えるなら迷い込んだ子犬みたいなものだ。噛みつかない限りは排除されない。それはなんとなくわかる。だが孤児たちは、なぜ人の社会に溶け込むことを拒まれるのか。
努力が足りない? 違うだろう。足りないのは社会のリソースだ。
「そうだ! スプーマ! なんで忘れてたんだろう。スプーマがあるじゃないですか! ボクの友達の農民の女の子が、スプーマさえ食べてれば死なないって」
ボクとミューズが出会った大雨の日に、ヨハンナの家で食べたヘンテコな食べ物。食いしん坊のミューズが音を上げるほど不味いが、何より安いし死ぬよりマシだとヨハンナは言っていた。
「スプーマは神からの恩恵。洗礼を受けぬ孤児には与えられません」
「なっ、そんなばかな、神様が命を選ぶんですか!」
「言葉を慎みなさい!」
声を荒げたのはコロビナさんだった。
「――あ、いや、失敬……真実、それを選んだのは我々だ、あなたを叱る道理はない」
「しかし、洗礼によって生きるべく産まれることができるのです」
「我々が百年かけて得たものが、それです。たったそれだけなのです。こぼれ落ちる砂のような命を、死という篩から救い出す。それだけが我々にできる全てです」
いわゆる『間引き』を止めるため “神の意志“ を借りた。洗礼を受ければ神の庇護によって守るべき存在になれる。
「ボク、洗礼とか受けてないけど」
「ええ、いえ。そうではないのですよ。人社会の理です、他種族にまで当てはまるとは誰も思わない。そもそも、だからこそ、彼ら孤児たちを社会の一部として受け入れられるのですから」
神の意思に従う、それが人の世に人として生きる条件で、だからこそ生かす義務があるのだ。
故に孤児達は飢えなければならない。
「矛盾を解くだけの力は我々にはない。そして神を失う恐怖に人は耐えられない」
聖職者であるコロビナさんが言う。
ルールはすぐに変えられない。変えてしまうと失うもののほうが大きい。この世界にとって、神とは生きる意味そのものだ。
「愚かに見えますか、エルフさん」
コロビナさんが、ボクを名前で呼ばずにエルフと呼んだ。
「いえ……コロビナさんには、幸せにしなきゃいけない人が沢山いるんですね」
「そうです、そう思っています」
「アマンダさんは頑張ってる。子供たちのために、これ以上ないくらい上手くやっている」
「ええ、そう信じています」
コロビナさんは微笑みながら、アマンダさんは真っ直ぐにボクの目を見て答えた。
ボクは何をしに来たんだろう。この世界についてなにも知らないボクは、甘っちょろい理想を振り回して何と戦うつもりだったのだろう。目の前の二人は敵ではなかった。むしろ、戦い疲れて、傷だらけになった老兵だった。
ボクの敵はここには居ない。
「ひとつ、聞いていいですか」
「なんでしょう、マリーさん」
「お二人も、孤児だったんですね」
コロビナさんは目尻をクシャクシャにして一層微笑みながらうなずいた。
「ええ、あそこは私達の家です。そしてここが、私の街です」
だとしたら、そこにボクの居場所はない。
来年本気出すと去年の私が言いました




