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エルフに足がある理由

バカは死んでも拗れるだけの第三十六話

 宵闇が部屋を満たし、小さな窓が額縁のように月をたたえている。

 ボクはミューズとベッドに寝転がって、束にした彼女の髪で自分の頬を撫でていた。

 ボクの金髪と彼女の銀髪がシーツの上で絡まって、ささやかな光源にキラキラと輝くさまに、ミルクに溶けるコーンフレークを思い浮かべた。


「マリー、何を考えているの?」

「うん、ちょっと」


 ミューズが寝返りを打つと、彼女の長いまつ毛が鼻先をかすめた。


「今日は “何でもないよ” じゃないのね」


 ミューズがボクの口癖をからかう。


「メンタルが豆腐だから他人のネガティブさにテンパっちゃうんだ」

「……ごめんなさいマリー、その言葉わからないわ。エルフ語?」


 街灯のひとつもないのに異世界の夜は明るい。月明かりはミューズの白濁した瞳の奥を、ほんのりと紫色に染めていた。


「……ボクは今から、もっとよくわからないことを言うけど、聞いてくれる?」

「いいわ」


 それでなにが変わるとも思わないが、彼女の吐息の甘さに、ただひたすら甘えたくなった。


「ボクは一度死んでるんだ。前のボクは本当に駄目なやつで、役立たずで。きっとボクなんか世の中にとって必要ないんだと思ってた」


 ボクの告白を、ミューズはなにも言わずに聞いてくれた。


「だから、逃げちゃった」


 ボクが冗談めかして言うと、ミューズが小さく頷いた。だいぶ端折ってしまったが、伝わっているのだろうか。いや、伝わらなくてもいい。


「だから、そのせいで、なんていうのかな。ハードルが……えっと、壁が低いんだ。死ぬのは嫌だし怖いけど、ボクが死んでなんとかなるなら、ボクはそれを手段の一つとして選ぶことに、そう抵抗がなくなってしまったようなんだ」

「だめよ」


 ミューズが痛々しい声で乞うように言った。


「わかってる、君をおいては行かない。約束したもの……それにボクはすごく後悔したよ、死んでしまうとね、自分がすごく小さくなるんだ。自分のそばにあったものの大きさが、それでやっとわかるんだよ」


 ミューズがまた頷いた。


「酷いじゃないかそんなのって。悲しすぎるよね。だから……ボクはそれが、どうしても許せなくなってしまったようなんだ。それで……」


 リン、と鈴がなった。ボクはそれがミューズのため息だと気づいた。


「それで……それだけ」


 なんと無意味な独白だろうか。そもそも思考の源泉から湧き出た言葉などひとつもない。ただ瀑布のような思いのほんのひと摘み、それが偶然に言葉になっただけなのだ。


「人間はね」


 ほんのチョッピリのカタルシスに溺れそうになりながら、ボクがミューズの銀色の髪をなでていると、今度は彼女がが口を開いた。


「人間は、みんな死ぬのが怖いのよ。いつでも死にたくない、って思っているの。でもね “生きたい” とは思わないのよ、不思議よね。必死に死から遠ざかろうとするのに、誰も必死に生きようとはしないの。マリー、あなたは――」


 ミューズがボクの目を、見えないはずの白くくすんだ目で真っ直ぐ捉える。ボクは一瞬、彼女の目が紫炎を上げたように錯覚した。


「あなたはきっと “生きたい” と思える人なのよ」


 ボクはこの世界の外側からやってきて、この世界ものとは別の価値観を持っている。だから、それならばボクはやはり無責任なのだ。この世界の人間がこの世界の価値観で、必死に死から逃れているのだとしたら、よそからフラリとやってきた死に損ないモドキのボクが、無責任に「生きよう」などということになんの正義があるのだろう。


「それは、卑怯なことかな」


 ヒーローではないんだ、ボクは。メグさんみたいに強くないのだ。いや仮に強かったとしても、ヒーローであったとしても、それでボクは、いったいどれだけの人間を救う気でいるのだろう。真実無力なボクがたとえ命と引き換えにしたところで、それでどれだけの人間を救えるというのだろうか。


「ふふふ」


 ミューズがなぜか吹き出すように笑った。なんだか今夜の彼女はテンションが高いような気がする。満月だからかな。


「一度通り過ぎたら、誰も戻って来られないのよ」

「えっと、人生の話?」

「あなたのことよ」


 哲学かな。


「あの雨の日に、あなたは一度、通り過ぎたのよ」


 ボクがミューズと初めてあった日のことだ。つい先日の出来事が随分前に感じる。


「誰も戻ってこないの。みんな、わたしに “気づいて” 通り過ぎる人は、どんなに優しい人でも、自分が卑怯者だって思っちゃうから。それを認めるのは、立ち止まるよりも勇気がいるの。でも、あなたは戻ってきたわ」


 ミューズは言う。卑怯な自分を許せと。認めろと。ボクにはそれができたのだと。

 そうなのだろうか。あの時ボクを動かした感情は、果たして勇気なのだろうか。


「ボクはムグっ」


 否定しようとしたボクの口を、彼女がその唇で柔らかく塞ぐ。


「……あなたは、わたしが知ってる優しい人の中でも、きっと一番優しい人よ」


 そう言ってミューズが笑った。

 彼女なりの激励なのだろうか。強引だし、刺激が強い。

 ボクがあたふたしていると、誰かが扉をノックした。


「……お邪魔だったかな」

「クゾさん。あ、いえ。平気です」


 キスシーンこそ見られなかったが、あちこちめくれ上がったあられもない姿でベッドに横たわるボクらを、クゾさんはねじ切れんばかりに首を曲げて直視しないようにしていた。


「なにかごようですか?」


 服装を正しながら起き上がる。


「……ふむ、なにやら面倒に巻き込まれたようだな」

「いや、まぁ」


 ローザさんから聞いたのか。ボクは片手で頭をかきながら、空いた手でミューズの服を直した。


「……怪我はないか」

「あ、おかげさまで。ご心配おかけして」

「……いや、詫びるのはワシのほうだろう」


 そういって、クゾさんが頭を下げる。

 ああ、クゾさんは警備隊の隊長さんだから責任を感じているのだろうか。街の治安を正すのが彼の仕事、とはいえ、ボクが進んで面倒に首を突っ込んだので、謝られるのも申し訳ないばかりである。


「いえ、そんなこと……あの、下、大丈夫なの?」

「……ふーむ」


 日が沈んでからずっと下の方でギャーとかワーとか、悲鳴とも怒号ともつかない声が聞こえていた。


「……ローザの虫の居所が悪くてな」


 そう言ってクゾさんがカイザル髭をしごく。いつもピンと跳ねている紳士なおヒゲが、あらぬ方向にひん曲がっている。よく見ると、彼の頬には紅葉のような手形がくっきりと残っていた。

 てっきりミューズがなだめていたものだと思ったが。


「ミューズ?」

「ローザだってたまには羽根を伸ばすべきよ」


 しれっとミューズが言う。キミが煽ったのか。


「ふっ……あれに羽が生えるといよいよ手に負えんな」


 クゾさんが口の端を釣り上げて笑う。

 下階でなにかが割れる音と、甲高い悲鳴が聞こえた。あれはもしかして、モッドさんの声じゃなかろうか。


「……さて、そろそろ戻らんと。あとでモッドとオレーグに恨み言でも言われてはかなわんからな」

「ご、ご無事で」

「……そう願いたいところだ」


 そう言って部屋から出ていこうとしたクゾさんが、ドアに手をかけたまま振り返った。


「……ああ。なにかあるといかんからな、エリカとかいう娘がいる間はこちらで護衛をつけようと思うが。かまわんだろうか」

「エリカにですか? そりゃ、構わないというか、むしろありがたいですけど」


 警備隊がわざわざ護衛? どういうことだろう。


「なにかあったらって、なにかあったんですか?」

「……なにも。ただ、なにもないように、だ」


 みなまで聞くなというふうに会話を切ったクゾさんは「おやすみ」と言って出ていった。

 ふーむ。ボクはどうやらまたしても面倒事のど真ん中に踏み込んでしまったらしい。


「どう思うミューズ?」

「さあ、わからないわ。でも……わたしも羽根を伸ばしたいかな」

「どゆこと?」

「これ以上お腹が空くと宙に浮いちゃいそう」


 ボクが聞くと、ミューズがふざけて短い手足をパタパタと動かした。

 ガマグチからアレヤコレヤと取り出しながら、明日のことを考える。

 羽根を伸ばす、か。いいかもしれない。いや、けっしてミューズが重荷というわけではない。彼女の重みは心地よい。だけど、いやむしろ、彼女の優しさに頼ってばかりなのは真実ボクの方だった。


「ねえミューズ、明日は一人で街に行きたいんだ」


 ハムとチーズを載せたバゲットに食いつきながら、ミューズが首を傾げる。

 

「構わないわ。なにをするの?」

「ちょっと、走ってくる」


 立ち止まる勇気のないボクに、できることはそれしかない。


「危ないところに行っちゃダメよ?」


 母親のように決まり文句を繰り返すミューズに、わかっているよと笑いながら言って、ボクはリンゴをひとカジリした。

一回死ぬと価値観変わるよね、みたいな。恐らく悟りのようなもの(作者が考えた最強の解脱)がベース。

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