眠る少女と黄昏エルフ
優しいだけの異世界じゃない第三十五話
エリカをベッドに寝かせて、ひとまず安心した。
子どもたちは離れようとしないし、オレーグさんは女将が怖くて一階へ降りれないでいる。そんなわけで狭い部屋に七人と一匹がすし詰めになっていた。
「いててて、しみる!」
「男なら我慢しろ」
ボクはルースの顔に消毒薬なんか塗っていた。
「酷い顔」
ただでさえボコボコに殴られた少年の顔は、時間が経って悪化した内出血により、八ラウンド目のボクサーの如き様相となっていた。
なかなか男前じゃないか。
「うるせえ、元からだ。いててっ」
「むちゃし過ぎなんだよ。死んだらどうすんのさ」
別に説教なんかするつもりはないが、もう少し遅ければボクの夢見が最高に悪くなっていたかもしれないのだ。文句くらい言いたい。
「剣なんかどこから持ってきたんだよ。あ、そういや鎧もあったよね」
「どこって……まあ、ちょっと」
ちょっと何したらフル装備揃うんだよ。落ち武者狩りか。いや、この世界だとさもありなんだな。
「みんな悲しむよ」
壁に背を預け座るアルボが、ボクらの会話をぼんやりと聞いている。何を考えているのだろうか。
「……誰も助けてくれねぇじゃんか」
「ボクとオレーグさんがいたじゃんか」
「ギリギリだっただろ……いや、まぁ、それは、ありがとう、だけど、うん」
お、ずいぶん素直になったな、かわいいじゃないか。
「お前さ、ボクの杖盗んだのって、取り返しに来るの待ってたんだろ? そんなに信用できないかな。また来るって言ったのに」
「……そういうんじゃねぇよ。べつにマリー姉ちゃんのこと疑ったりとか、違うし」
「じゃあなんなのさ」
ふらりとやってきた変わり者のエルフに信用なんかあるわけもなく、かといってここで手放しては惜しい。そういう思惑なり計算が彼にもあった、とボクは思っていたし、同時にボクはそれで構わなかった。
彼らは無垢な子供だが天使ではない。狭い路地裏で肩寄せあって必死で生きる弱くて小さな人間だ。
「父さんも、母さんも、そうやっていなくなった」
アルボがつぶやく。
「帰ってくるって言ったのに」
彼はボクの斜め上あたりをじっと見ていた。
「僕の父さんも、戦争にいって、帰ってこなかったんだ。母さんも病気で死んじゃった」
ドータが言う。その顔がどこか諦めた様に見えて、ボクは無性に虚しくなった。
「ジュジュは、お父さんもお母さんもいないの」
ジュジュが子犬の耳をもてあそびながら、まるでそれが何でもないことのように、こともなげに口にした。
「大人はみんなそうだ。帰ってくるって、すぐに戻るって、そんなこと言って」
「――なにか、事情があったかもしれない」
ルースのセリフを遮るように口が動いてしまう。ボクは誰のために言い訳をしてるんだろうか。
オレーグさんと目が合った。彼は悲しいような苦しいような、それでも口元だけにかろうじて微笑みを浮かべたなんとも言えない顔をしながら、肩をすくめただけだった。
「かもな。でも、そんなのどうでもいいことだよ。俺たちはさ、そうやって大人の気まぐれを真に受けてたら、何も出来なくなっちまうんだ。それじゃ駄目なんだ。待ってるだけじゃ駄目なんだ。自分の身は自分で守らなきゃいけないんだよ」
ルースは真っ直ぐにボクの目を見ていた。強い意志と確固たる信念を持った、そんな目。スゲェなこいつ。でも、それは子供の目じゃないよ。
「ルース、キミは、大人になりたいの?」
「あ? なりたかねえよそんなもん。俺は、騎士になりてぇんだ」
ルースが両手の拳を揃えて、剣を振り下ろす動作をする。
「そしたら、エリ……みんなを守ってやれる」
そうか、ルースはエリカが好きなのか。
「僕はなりたいな。早く大きくなって働けるようになりたい」
「ジュジュも! 大人になってお仕事する!」
ドータとジュジュが無邪気に言う。でもおそらくこれは、本来の子供の無邪気さとは違う。
未来は誰かのために消費されるものじゃない。ただなんとなく、面白そうだから。希望なんてそんなもんだ、そうあるべきなんだ。だって彼らはまだ子供じゃないか。誰かのために生きるのなんて、その後でいいんだ。
「ジュジュも、エリカお姉ちゃんみたいに――」
「そんなことしなくていい!」
大声で吠えた。
ジュジュが身をすくめた。皆が驚いた顔でボクを見ている。
おもいきり床を殴りつけてしまった。拳が痛い。八つ当たりなんかめったにしないから、加減がわからなかった。
「弱いじゃないか! 何もできないじゃないか! なのにどうして人のために生きようとするんだ! お前らまだ子供じゃないか!」
彼らに罪はない。だからこの怒りがどこへ向かているのかわからない。
「仕方ねぇだろ! 他にないんだ! 知らねぇんだよこれ以外の方法なんか!」
ルースがムキになって言う。
「いいんだよそれで! これから覚えればいいんだ!」
「それじゃ遅いんだよ! 変わらないんだ、ずっと同じなんだ! このままじゃスラムの奴らみたくなっちまうんだ!」
ルースは賢い。彼はわかっているのだ。この世界の歪さや、そこで生きる自分たちの危うさを。
「なら頼れよ!」
「誰を――」
「ボクだよ!」
少年が驚いてボクを見た。
「……適当なこと言うなよ」
「寂しいんだろ」
「そんなの」
「言えよ。寂しいんだろ」
ボクは少年にむかって両腕を広げた。
「なんだよそれ」
「ボクが面倒見るって言ったんだ。だから甘えてみろよ、子供らしく」
誰かに愛を伝えるときに、どうすればいいのかなんて誰にも教えてもらえなかった。ボクにはこれ以外の方法が思いつかなかった。
「……ボクは寂しい」
最初に口を開いたのは、以外にもアルボだった。
「今でもたまに夢を見るよ、父さんと母さんが僕を迎えに来るんだ。そんなこと、絶対ないのに」
立ち上がったアルボは、よたよたとおぼつかない足取りでボクの前まで来て、そのまま胸の中に倒れ込んだ。
「……寂しいよ」
アルボはボクの胸の中で、うずくまるように頭を押し付けて泣いていた。
「僕も寂しい。お母さんに会いたい!」
「ジュジュも、ジュジュもね」
素直なドータが半泣きでタックルしてきて、ジュジュはもらい泣きしながらその後ろにしがみついた。子供三人に抱きつかれて泣かれて、こんな経験今までなかったので、少し面食らう。ボクが煽ったんだけど。
彼らを抱きしめながら、ボクは巨乳でよかったなんて思っていた。正面から人を受け止めるのにはちょうどいい。
「ルース、おいでよ」
「うるせえ」
ルースは後ろを向いて腕を組んでいる。
「じゃあ後でこっそりおいでよ」
「ばーか」
そうやって生意気キャラを演じるルースが、あまりのもいじらしくて可愛くて、こりゃボクの方から攻めるのもやぶさかじゃぁございませんよ?
気づけばエリカが体を起こし、なんだか曇った目でボクのことをじっと見つめていた。
「さあ、お姫様が目を覚ましましたよ」
それに気付いたオレーグさんはパンと手を打つと、妙に明るい声を出した。
「じゃあ行くよ」
空気を読んだルースが言う。
「行くって、秘密基地は危ないよ」
またいつアイツらが来るかもしれない。悪人は諦めが悪いと相場が決まっている。
「あそこだけじゃないからな。絶対に見つからない場所があるんだよ」
「なら、いいけど」
ボクは慌ててガマグチからパンやらチーズやらを取り出す。それを受け取ると子供たちがゾロゾロと部屋から出ていった。アルボは少し立ち直ったのか、甘えるのをやめて元の利発な少年に戻っていた。ジュジュは最後までボクの手を握っていた。
「なんの薬ですか?」
「あー……エルフの秘薬です」
「面白いカバンですね」
「非売品です」
小瓶に入った――ラベルにそう書いているので間違いなく――栄養剤を取り出してエリカに飲ませようとすると、ピンクのガマグチに興味を持った商売人のオレーグさんが食いついてきた。
「他には?」
「一点物です」
「それ、どうなっているんでしょうね」
「皆目見当も付きません」
エリカは抵抗もぜずに栄養剤を飲み込んでくれた。
「いくらなら」
「ボクのライフラインです」
「ふむ、ならせめて他の者には売らないでくださいね」
「そのつもりです」
それでやっと、オレーグさんは諦めたようだった。
そして彼が去り際に言った。
「私もなにかできることがないか考えてみましょう……子供を幸せにできない大人にはなりたくありませんからね」
ウインクする彼を見送ると、部屋にはボクとエリカだけになっていた。狭い部屋が一気に広くなった気がする。
「ローザさんには……女将にはボクから改めて事情を説明するから、調子が良くなるまでゆっくり――」
「ありがとうございます」
エリカが金属質な声色でボクのセリフを遮った。子供たちの前では出さなかった声だ。
「でも、その必要はありません。体が動くようになったらすぐに出ていきます」
「いや、でも」
十四才の少女になにがあったら、こんな冷たくて悲しい声を出せるんだろか。
実際、ボクは緊張していた。一回りは年の離れた女の子の前でガッチガチになっていた。多分おそらくボクが最も説得して納得させなければいけない人物とは、間違いなく彼女だからだ。
「それで、どうやって、じゃなくて! キミはまた! それじゃダメだって!」
言葉にならない言葉、説得にならない説得。気持ちだけが先走って口から出ていく。
おおよそボクは、他人を説得するに満足の行く語彙など持ち合わせていないのだ。今まではただ “いい人” だったから通用していた。それだけなのだ。
「……あなたは、わたしから何もかも奪ってしまうのですね」
エリカは瞳を曇らせたまま、表情ひとつ変えずそう言って、再び気を失った。
受け止めたコーヒー色の髪の中で、小さな呼吸音が聞こえる。
彼女のか細い指が、ボクのブラウスのボタンを引きちぎっているのに気付いた。
「どうしよ」
ボクはいよいよ、一人きりになって考え込んでしまう。
窓から入り込んだ黄昏が色を濃くしていくにつれ、ボクの腕の中には少女の体温だけが残った。
バカのくせに隠喩が好きなのでちょいちょいはさもうと試みる。投稿が遅れたのはサボりのメタファー。




