マリーは甘くてフワッフワ
前半うんこの第三十四話
※いわゆる差別用語が出てきます。ご注意を。
八人と一匹の大所帯が真昼の街をゆく。メインストリートは人通りも多く、道行く人が好奇の目でボクらを遠巻きに見ている。目立つなぁ、愛想でも振りまこうかしら。
「ルース君、わたし重くない?」
「へ、平気だ、よ、半分のねーちゃんくらい!」
ミューズを背負ったルースが強がりを言う。めっちゃ息上がっとるが。
「無理すんなよルース、ドータのほうがいいんじゃないの? 体大きいし」
「平気だって!」
ミューズは軽いしコンパクトだが、それにしたってまだ少年然りのルースに背負われては、頭の後ろから顔が出ている状態なのだ。後頭部の幸せな感覚を独占したいというのでなければ、体格の大きなドータ少年のほうが適任に思える。
もしかしたらこれが彼なりの借りの返し方なのかもしれないが、だとしたらなかなか健気でいじらしいではないか。
「ドータはね、照れ屋なの。ね!」
「う、うん」
ジュジュと手を繋いでいるドータが顔を赤らめた。パンチ一発で戦意喪失したとはいえ、巨漢の男に立ち向かった勇敢さはどこへ行ったのか。まぁミューズかわいいからね。仕方ないね。
ボクがアルボを抱きかかえているので、必然とエリカはオレーグさんにお姫様抱っこで運ばれていた。彼は役得だ、などと冗談めかしているが、そのぶん扱い方は非常に丁寧である。スケベ紳士かな。ところでこの人何歳なんだろう、若作りだけどボクよりも歳上なんじゃないか。
「おねえちゃん、どうして手も足もないの? 怪我したの?」
「生まれつきよ」
「痛くない?」
「ふふ、なんともないわ。優しいのね」
幼いジュジュの屈託のない質問に、ミューズが微笑んで答える。
「目も見えないんでしょ。大変じゃないの? その、ごはんとか」
ミューズを直視できないらしいドータが控えめに聞く。
「優しい友達がたくさんいるから、困ったことないわ」
「そっか」
ドータが安心したようにほっとため息をつく。彼には彼なりの優しさがあるようだ。
「いや困んだろ、糞するときとか」
ルースの言葉に全員が立ち止まった。
おいちょっとカメラ止めろ。
「ルース君、いけません。それはいけません」
「だめだよルース……」
「ルース、めっ!」
オレーグさんが首を振ると子どもたちが続く。
「何がダメだよ、いみわかんねえ」
「しないわ」
ミューズがロボットみたいに無機質な口調で言った。
「しないわけねぇだろ!」
「しないわ」
「だから……」
駄目だこいつ。ここは大人として世界の真理というものを教えなければいけない。
「ルース、いいかい。女の子はウンコしないんだ」
「何バカなこと言ってんだよ、聞いたことねぇよ」
「くどいぞルース! しないったらしないの!」
「じゃあケツの穴なにに使うんだよ」
「……謎だよ」
「バカかよ」
「バカじゃない! 女の子がウンコしたとしてもソレはウンコじゃないよ! もっと幸せな美しいものだよ! 例えるなら……例えらんねぇよふざけんな!」
「こっちのセリフだよ、落ち着けよ」
「とにかくお前は何もわかってない! 愛を持て! 現実を見ろ!」
「いやおめぇが見ろよ。わかったよ、しないでいいよ。めんどくせえな」
ルースが呆れ顔で歩き出と、皆がヤレヤレと言いながらそれに続いた。
危なかった、これ以上話が続けばミューズの肛門の有無を確認せざるをえない。惜しいことをした。
ちなみにボクは『女の子ウンコするしない学会』『肛門ではない穴があるよ派』の『そこから出るのはウンコじゃないよ派』である。
「マリーさんの異常な情熱がどこから来るのかはともかく、ルース君は女性の扱いを覚えなければいけませんね」
オレーグさんが締めると少年は不服そうに舌打ちした。
「あとエルフもウンコしないよ」
「ソレは嘘だ」
ホントだぞ、ここに来てからまだ一回も便意をもよおしてない。あれ、ボク便秘かな。
ローザさんの宿についたのは、ボクが『エルフの便異次元消失説』を唱えようとした頃だった。
「で、アタシにどうしろってのさ」
開口一番これである。
ローザさんは宿の前に腕を組んで仁王立ちしている。まだ何も話していないが、これ以上なにも話すなと彼女のエキゾチックな目が威圧的に訴えていた。
「こ、この娘、エリカっていって、病気で、その」
「アタシはいつから医者になったのかね」
「あーいや、病気は治ったけど。すごく弱ってて」
「ふーん。で?」
「うう……」
取り付く島もない。美人が半眼で睨むと怖い。ちびりそう。
「屋根のあるところで休ませないと、ってだから、その」
「あーはいはいなるほどねそうさねこの街じゃ屋根のあるところなんてウチくらいなもんだよねそりゃウチに乞食のガキ連れて来てベッドとタダ飯食恵んでやりたくもなるさね!」
ローザさんがまくしたてる。後半はほぼ怒号だった。
結構ひどいこと言われてるので、ルースあたりがまた食ってかかるかと思ったら、意外なことに下を向いて黙っている。ドータとジュジュも同じようなものだが、まぁ彼らは戦力外だから問題ない。本命オレーグさんなのだ。
「オレーグ、あんたの入れ知恵かい?」
「いやあ、その、なんというか」
「あんたまたそうやって拾った女ほっぽり出すのかい?」
「ははは、いやいや」
頑張れオレーグさん。なんか気になること話してるけど。
「マリーさんが」
おいぶっ殺すぞクソメガネ。
なんだよさっきは悪党追い払ってさすが商人交渉がうまいなとか感心したのに。オレーグさんはうつむいて何やらモゴモゴ言っている。抱きかかえたエリカに百ぺん謝れ。今すぐ謝れ。
いやまて、ボクにはまだミューズがいる。スイッチの入ったミューズはすごいからな。きっとバシッとマルっとローザさんを説得して……ダメだルースの背中で不思議そうな顔で首かしげてる。別のスイッチ入ってるわアレ。
結局ボクしかいないじゃないか! ボクには味方がダメ人間になる呪いでもかかっているのか。
「お、お金なら払います!」
「マリーさんあのねえそういう問題じゃないんだよ、人間には役割ってもんがあるんだ身分相応ってやつさ。あたしは聖人でも慈善家でもないんだモグリの宿屋で形だけ女将やってる “かたわ” の女だよ察してほしいもんだね」
「それでも、ボクらにもできることが」
「できるできないじゃないんだよ、やちゃいけないって言ってんだ。腹が減ったんなら聖堂に行きな飯でも何でも恵んでくれるだろさ凍えるんなら貧困院へ行きなあそこだって屋根が付いてるさね」
「でも、ボクが面倒みるって約束して」
「それでいつまでだい? いつまで面倒見るつもりだい? 明日かい? 明後日かい? その子たちに必要なものは何だい? 一晩の飯でも屋根でもないだろう。あたしらの誰だってそれを与えてやることなんてできないんだよ、できやしないんだ」
「それは」
「それがわかってんなら今すぐ孤児院連れてきな!」
ローザさんは正論を言っている。子どもたちに必要なもの、それは気まぐれなエルフの施しなんかじゃなく、絶対的な権威ある庇護者だ。それはわかっている。わかっているが。
ボクとアルボに挟まれたトトが窮屈そうにワンと鳴いた。
「……ボクはエルフです」
「なんだい」
「エルフは怖がられてます。人間じゃないから。人間から見ればボクも “かたわ” です」
それはあまりに悲しすぎる。
「ミューズは手足がありません、目も見えません。ある人が言いました、彼女は不幸の星の下に生まれてしまったって」
それはボクの、物に溢れた世界を知っている人間の甘えかもしれない。あの世界にだって恵まれない子どもたちなんか数え切れないほどいたんだ。そしてボクらは、それを知っていて見て見ぬふりをしていたじゃないか。
「でも、そんなボクらを、みんなは優しく迎えてくれました。ボクは本当はすごく不安で、だからすごく嬉しくて。あなたも、ローザさんだってそうだった」
「あたしは……仕事だよ」
「いいんです! それでも構わないんです!」
ボクはヒーローじゃない。善人になる力も勇気もないからだ。でも、手が届くのだ。手が届くところに彼らがいるのだ。
「ボクはこの子達に、この子達が自分のことを、不幸の星の下に生まれてきたなんて思ってほしくないんです。ただ誰かが、この世界にたった一人でもこの子達を思っている人間がいるって、信じてほしいだけなんです」
「そんなこと」
「今この子達を助けないと、ボクは一生後悔するんだ! ボクは “子供を幸せにできなかった大人” になんかなりたくない!」
ただ、握った手を離せないだけなのだ。
「あー! もう!」
ローザさんは唸りながらショートヘアを掻きむしって、くるりと回って宿の奥へ入っていくと戸棚から酒瓶を取り出した。それから悪い足を引きずって戻ってきてドカリと食卓に座ると、瓶ごと酒をおもいきり煽った。
「行きましょうか」
そう言ってオレーグさんは、エリカを連れてスタスタと二階へ上がってしまう。
「え、いいの?」
「好きにしなよ追加料金もらうからね」
「あ、はい」
豪快に酒を飲むローザさんの横をおそるおそる通り過ぎる。
「ソレじゃあたしが悪者じゃないか冗談じゃないよ」
ボクの後ろを睨みながら女将が小さくつぶやいた。
いつの間にかジュジュとドータが、ボクのマントの端っこを握ってしっぽみたいにくっついている。おそらく二人は、ボクが情けない啖呵をきっている最中ずっとこうしていたのだろう。そして胸にはアルボをだいているのだ。ああ、なるほど、確かに優しい彼女にはたまらない光景だろうな。
「ねえルースくん、わたしはここに残るわ」
「ん」
ルースが短く返事して、ローザさんの対面にミューズを座らせた。
ローザさんはチラリとそれを見て、なにも言わずにまた酒瓶に口をつける。すげー勢いで飲んでるな、大丈夫かこの人。
「おねがい」
「うん」
ミューズがニッコリ笑う。彼女なら怒れる女将をなだめられるかもしれない。
子供たちを引き連れて二階への階段に足をかけたとき、ミューズの声が聞こえた。
「わたし、貴女がどうしてそんなに怒っているかわからなかったの。ほんとは理由が欲しかったのね。大丈夫よ、誰も貴女が悪い人だなんて思っていないから。貴女が貴女を嫌いに “ならなくちゃいけない理由” なんて、もうどこにもないわ」
大義と名分。面倒な話だ。ただ自分に素直に生きていけたらどんなに楽だろうか。しがらみのない風来坊のボクは、だからきっと、とても卑怯なことをしたのだろう。
「マリーがいてくれてよかったね」
ミューズが言う。
優しい女将は返事の代わりに、テーブルが悲鳴をあげるほど激しく酒瓶を叩き下ろした。
世の中にスピード感が出ると心に余裕がなくなるのはなぜでしょう。我が国でもつい数十年前まで社会の歯車になれない戦傷者を「片輪」と呼んだ時代があったそうです。中世じゃ浮浪者娼婦障ガイ者など阿呆船つって船に預けて社会から追い出したこともあるとか。異世界も無法地帯じゃないなら大人の事情が幅を利かせるという話でした。でしたというかその手のモチーフが好きなので割とネタにします。
すごい、あとがきっぽい。




