嘘好き大人と無力な子供
メガネが活躍第三十三話
「大聖堂に野暮用がありましてたまたま通りかかったのですが、ふと見るとマリーさんとミューズちゃんが急いだ様子で裏道へ入っていかれましたので、さては何か面倒ごとにでも巻き込まれでもしたたのかと思いまして。なにせつい先日のこともありますし、せっかくの良客にもしもの事があってはと、あとでローザにどやされてもたまりませんからね」
オレーグさんがいつもの口調でにこやかに話す。ただいつもより言葉が多い。流水のように話し続けるので悪党もボクらも口を挟めないでいる。主導権というか場の空気がオレーグさんに偏っている。おそらく彼は、これを意図して実行し、そして実現させていた。
なんというか、ボクの行き当たりばったりドタバタ喜劇みたいなやり方に比べると、実にスマートだ。
「はあ、お手数おかけして」
「いえいえ、お構いなく。それで、マリーさん?」
「は、はい」
あれなんでボク緊張してんだろ。たぶん中学の三者面談を思い出したからだ。君にもう少し協調性があったらね、お母さんからもよく言ってください。クソ、嫌なこと思い出した。
「大義は何処に」
「は?」
メガネをくいっと持ち上げてオレーグさんが聞く。なんだ藪から棒に。
「ここに私の知り合いはあなた達お二人しかいません。なのでマリーさんにお聞きしました。この中の誰が大義を持って、私はそのために何をすればよいのでしょうか」
「あ……」
考えていなかった。
回りくどい言い方だが、要は、社会正義はどこにあるのか、と聞いているのだ。
ボクは子どもたちの味方だ。当たり前だ、ボクは彼らの友達で、だから彼らを害したハゲとゴリラはボクの敵なのだ。ミューズは言うまでもなく、そんなボクの味方だ。
例えば、ボクはその可能性を微塵も考えてはいなかったが、ルースが彼らに対してスリを働いた場合。これはルースが悪い。かといってボクはルースの敵にはならないが。それでも穏便に済ますよう頭だって下げただろう。ボクにだってそのくらいの甲斐性はある。
だがそうだった場合、その必要のあった場合。ボクは完全に出方を間違えている。
「大義! そりゃ旦那。私どもにありますとも!」
太っちょハゲがこれみよがしに大声を出す。どうやら彼らは、オレーグさんを交渉すべき相手だと認識したらしい。
「私どもはただ、うちの商品を回収しに来ただけですよ。それをこのガキどもが、返せだなんだと見当違いのことをいって騒ぐものだから。いやぁ心苦しい。子供を殴るのは嫌なものですなぁ。しかしここは心を鬼にして社会の理というものを――」
「そうですか、よくわかりました」
オレーグさんは、いけしゃあしゃあと宣う太っちょハゲを遮って、今度はルースに向き直る。
「彼女はいくつかな?」
「は? え、エリカは……十七、だよ」
エリカちゃん十七なのか。少し幼い気もするが。で、なんで急に年齢の話なんかするんだ。
「本当は、いくつですか?」
「え、なに。年ごまかしてんの?」
「マリーさん黙って」
あいすみません。
「いくつだい?」
「……十四」
「そうか、ありがとう」
エリカちゃん十四か。大人びてるな。そしてボクにも話が見えてきた。
「ふむ、おかしいですね。この町では『十七歳未満は娼婦になれない』はずですが。はて、これはいったいどうしたことでしょうか。ご説明いただけますか?」
「そんなこたぁ……いいですかい、この娘の父親には貸しがあるんでさ。それがポックリ逝っちまって、娘がツケを払っている。それだけのことだ! なにが悪いってんだ!」
大人は図星を突かれるとキレる。悪くないと思うんならムキになるなよ。
「なるほど。あなた達はあくまで被害者だと」
「おうよ!」
「そうですか。では、マリーさん?」
「え、あ、はい」
「大義を得ました、名分をください」
また回りくどいことを……なんだ名分って。ボクはそういうの一番苦手なんだ。だいたいこの世界のことをなにも知らない人間に、なにが正しくてなにが間違っているのかなんて判断できるわけ無いだろう。
いや違うのか。オレーグさんは正義の話なんかしていない。ここでなにが起こっているのか、これからなにが起こるのか、それを知りたいだけだ。だからそれをボクに委ねたのだ。
彼はボクの味方だ。
「エリカは病気です。そいつらはボクの友達を殴りました。ボクには子どもたちを助ける力も器用さもありません……このままだと、ボクとミューズはそいつらにボコられます」
「なるほど、結構です」
ニコリと笑うインテリメガネがめちゃくちゃ頼もしい。
「さて、選択肢は二つです。なにも持たずにこの場から去るか……」
突然、ペパーミントのような香りが鼻孔をくすぐる……誰かが魔法を使っている。
「ここで氷漬けになるか」
オレーグさんの右手に白く輝く魔法の靄がまとわりつく。ひんやりとした空気がくるぶしをなでる。
「戦場帰りか!」
「ご明察。言っておきますが私は、友人に危害を加えようとする輩に手加減して差し上げるほど甘くはありませんし。いまさら人殺しを躊躇できるほど慈悲深くもありませんよ」
表情こそ相変わらずニコニコしているし口調も優しいが、こういうときはそれが逆に怖い。
そうか、この人も戦争に行ったのか。だったら彼も騎士なのだろうか、全然そういうふうには見えないけど。
「だがな! 街の中で魔法を使って人を殺したとあっちゃぁ、おめぇもただじゃ済まないぞ?!」
「問題ないでしょう。ここは人目につかないし、この場にいる誰も今日まで貴方が生きていたことも死んだことも覚えてはいませんよ。もちろん――」
今まで秘密基地の出入り口に立ちはだかっていたオレーグさんが、ゆっくりと脇へ避ける。
「おとなしくここから立ち去っても同じことでしょうが」
そう言って、まるでダンスにでも誘うみたいな仕草で路地からの逃走を促しす。相手の退路を断って挙げ句皆殺しにしてしまったドジっ娘騎士に見せてあげたい。
太っちょハゲは歯を剥き出して憎々しげな表情をしたあと、筋肉ゴリラに「おい」とだけいって、あとは捨て台詞も吐かずにそのまま大股歩きで秘密基地から出ていった。
「ふう」
「あ、ありがとうございます! オレーグさんって騎士だったんですね」
礼を言うとオレーグさんが肩をすくめながら言う。
「いやあ、まさか。私はしがない商家の三男坊ですよ。あー怖かった」
「は?」
「魔法は使えますが、これしかできませんから」
そう言って手をかざすと、ひんやりとした冷気があたりに漂う。
「氷漬けなんてとんでもない。私にできるのはせいぜい “兵站を腐らせずに運ぶ” くらいでしたもの」
ははは、と頭をかいてオレーグさんが笑う。氷遁の術ならぬ兵站の術ってやかましいわ。
「ちなみに、切った張ったの方もからきしです」
「ボクもです」
「揃いも揃ってハッタリって、勘弁しろよ……」
ルースが文句を言う。しかしそのハッタリに救われたのは本当だ。ボクのは役に立たなかったが。
「大人は嘘つきなんだよ。怪我は?」
「……ヘーキだよこんなの」
頭をなでてやろうとしたら、ボクの手を振り払ってジュジュとドータのところに走って行ってしまった。照れ屋さんめ。
「マリーさん、この娘は」
「え、あ。そうだ、エリカ!」
エリカはオレーグさんに抱きかかえられ、グッタリとしたまま小刻みな呼吸を繰り返していた。
「なんで? 昨日より酷くなってる。薬だって飲ませたのに」
「なんの薬ですか?」
「……エルフの秘薬です」
しれっと嘘をついてしまったが、もしかして薬の副作用とかだろうか。
「マリーねーちゃんの薬を飲んだあと、少し元気になったんだ」
ルースが言う。
いつの間にか子どもたちが集まってきた。鼻血を流して倒れていたドータも、顔を殴られただけで大事ないらしい。
「でも今朝起きたら急に元気がなくなちゃって」
「エリカお姉ちゃんたおれちゃったの!」
ジュジュが両手を広げて言う。
今朝急に調子が悪くなったのか? 病み上がりで無理でもしたんだろうか。
「これは、ふむ。病気よりも体力の消耗が激しいのではないでしょうか」
「オレーグさんわかるの?」
「……怪我の手当てが終わっても翌朝死になると死んでいる。戦場でよく見ました。気が緩んでしまうのでしょうね」
ボクの薬でエリカの病気はたしかに治った。だが無理はしていた、ボクに会うずっと前から。その無理が今いっきに祟ったのだ。
「お姉ちゃん」
ジュジュとドータがいつかのようにボクにすがりつく。
ルースがボクをじっと見つめている。
「ずいぶんと頼られてますね」
オレーグさんが言う。
エリカに必要なのは栄養と休息だ。それにはこんな秘密基地の掘っ立て小屋で、いつまでも寝かせておいてもままならない。もっといい環境で、とは思うがボクにそんなツテはない。いや、あるのだが。しかしそれは……
「マリーさん、貴方は妙に遠慮するところがありますね。逡巡するくらいなら行動してしまったほうがいいこともありますよ」
しかしですねオレーグさん、そうやって何回か死にかけているんですよ。
ベッドと屋根のある場所なんかローザさんの宿しかしらない。だが彼女も慈善事業でやってるわけでないのだ。しかもモグリだし。無論、金銭のほうはボクが、というかガマグチでなんとかできるが。果たしてそれで納得するのだろうか。
「私もご一緒しましょう。丈夫ですよ。ローザは頑固ですが非情な女ではないですから」
「わたしからも頼んであげるわ」
ミューズの援護が頼もしい。
「うん、そうしよう。大丈夫だよみんな、今からボクの知り合いに頼んでベッドを貸してもらおう。温かいスープでも飲めばすぐに良くなるさ」
ボクがそう言うと、子どもたちから一斉にため息が漏れる。
「お姉ちゃんありがとう!」
「ありがとう!」
ジュジュとドータが笑いながらボクに抱きついた。ルースはあっちを向いているので表情まではわからないが。照れ屋さんめ。
あれ? 一人足りなくね?
こういうときにテキパキ指示を飛ばせそうなアルボ少年がいない。
「アルボは?」
「あそこの陰にいると思う」
ドータ少年の指差す先にガラクタの山がある。それを覆っているボロ布をめくると、アルボがうずくまっていた。彼に強く抱きしめられた子犬のトト号が、迷惑そうに小さく鳴いた。
「ごめんなさい。ぼく、こわくて、なにもできなくて、ごめんなさい」
ポロポロと涙を流しながら、何度も「ごめんなさい」と繰り返すアルボを抱きよせる。
「アルボ、キミはなにも悪くないよ。もう平気だから。大丈夫」
無力感は耐え難い罰だ。ボクは特にそれをよく知っている。そして子犬をだいて震える少年が、それを知ってしまうのを止めることのできなかった自分に苛立つ。
アルボを子犬ごと抱き上げる。
少年の頼りない小さな背中に触れて、なんだか胸の中がごちゃごちゃとして、息苦しくなって空を見上げた。太陽は真上にあって、秘密基地の青天井を黄色く切り取っている。
ボクは歩きだして、それから昼ごはんのメニューを考えることにした。
作ったキャラには出番を与える




