スイヘーリーベー、ボクの杖
魔法って難しいね第三十話
「じゃあまず。お手本を見せますね」
「お願いします!」
ララポーラが銀細工の入った杖を構える。
いつから、と聞かれたので今から早速、と答えた。急ぐ予定などないが、練習が必要ならば早いほうがいい。
「いきます! “鱗青咬”」
空気がほんのりと湿り気を帯びて、同時に舌の根で炭酸水が弾けるような感覚を覚えた。
少女が突き出すと、彼女の体から青い靄のようなものが飛び出す。靄は次第に形を顕にし、牙のある四足獣となった。狼の体に鮫のような流線型の頭、体毛のかわりに鱗を纏った異形。
異形の青い狼は音も立てずジグザグに駆け、打込み用の木偶人形に飛びかかった。炸裂音とともに人形の頭を食い千切った狼は、木片を咥えたまま誇らしげに数歩進むと、そしてそのまま煙のように消えた。
「あ、どうしよう。壊しちゃった……」
粉々になった破片を見ながら、ララポーラがつぶやいた。
「気にするなララポーラ、どうせすぐボロボロになる物だ」
メグさんがフォローを入れる。
ボクは目の前でおこった出来事に、ただただ感動していた。
「すっげー! すっげー! スゴイよララポーラ先生!」
「いや、そんな……」
「スゴイったらスゴイよ! ミューズ! スゴイんだよ! 狼がね、青くて鱗があって、ビューっていってダダダってしてバってしたらバリバリってスゴイの!」
「後半よくわからないわマリー。でもスゴかったのね」
「うんスゴイ!」
魔法の練習というから、てっきり火を点けたりたり軽く光らせたり、その程度だと思っていたのにとんでもないモノが出てきた。
「はー、スゴイなかっこいいな! ね、ね。この口の中シュワシュワってなったり、腕がチリチリってすんのってなんで?」
「特に魔法の長ける者は、五感で強く魔法を感じられるそうだよ」
いつの間にかミューズを膝の上に抱えていているメグさんが言う。
「そうなんだ。……てことはボクって才能あり?!」
「エルフさんは魔法が得意だってお婆ちゃんも言ってました。きっとすぐ覚えられますよ」
「マジで?! うおっしゃー! がぜん燃えてきた!」
「じゃあやってみましょう」
「やる!」
と言って、勇んで前に出たがなにをどうするのかわからない。
もぞもぞしているとララポーラが、ボクの後ろから背中に触れた。
「いきますね」
「え、なに……ぬわーっ!」
ズルリと、音こそしないが、大量の『何か』が体外へと押し出される感覚に、思わず野太い声が出た。
耐え難い喪失感に脱力して倒れこむ。
「んほぉ……しゅごい……」
「大丈夫ですか?」
「びっくりした、なにこれ……」
「これが魔法の感覚です。今はちょっとだけお手伝いしましたけど。どうでした?」
どうかと聞かれてすぐに思いついたのは、言いにくいが、アレだった。
「子供の頃、エッチな本を見て変な気持ちになって、触ってないのに出ちゃった感じ」
「え? なんですか?」
鯖のように青い精通の思い出であった。
まぁ言ったところで無垢な少女には理解できまい。あるいは遠巻きに見ている聖騎士のお兄さん方になら理解してもらえるかもしれないが、こんな話題に栗の花など咲かせてもしかたない。
「鼻からうんこ出る感じ」
「もう少し他になかったんですか……」
今はないですね。
しかし毎度こんな感覚を味わっていてボクは大丈夫なんだろうか。けっして快感ではなく、なんだろう、ネコの肉球のニオイみたいな良くはないけどクセになるみたいなボクは説明下手くそか。
「いっぱい出ちゃったから驚いたと思いますけど、自分でコントロールできるように練習すれば大丈夫です」
「……もっかい言って」
「いっぱい出ちゃったから――」
「よっしゃがんばるぜーい!」
軽いセクハラを口直しにして練習続行。
「リキまないで、自然な感じで力を込めてください」
それ一番難しいから。
「コツとかないの?」
「お婆ちゃんが『フィーリングだ』って言ってました」
ファンキーなお婆ちゃんですね。
「ドントシンク、フィール。ってね」
右手を上げ軽く構える、ゆっくりと息を吸って体の力を抜く。おいでませカンフーの神様。ワックス塗る、ワックス拭く。あ、コレは別の人だ。普通ってこんな感じだろうか。とはいえボクは普段から、ムダにリキんで生きているような気がしないでもないが。生きようとするから力が入ってしまうのだ。別に生き急いでいるわけでないのだから、何か気をそらせたりとか。そうだ、おしゃべりでもしてみようか。
「あの狼みたいなやつって、なに? 呼んだの?」
「えっと、わかんないです」
質問を間違えたかな。てっきり精霊とか召喚獣みたいなもんかと思ってたけど。
「アレも教えてもらったの?」
「はい」
「他の人が使っても、あの狼みたいのが出るの?」
「大抵は。でもたまに違うのが出る人もいます」
「どんな?」
「羽が生えてて、口がとっても大きくて、蹄のないブタさんみたいな」
「……カバ?」
よけいによくわからなくなった。
「ララポーラって、お姉ちゃんいる?」
「え、あの……」
少女が杖を抱きしめてオロオロしだした。
「シルドラにそっくり」
「あ、あの、その……」
「大丈夫、誰にも言わないよ」
わかりやすく狼狽する少女に言う。
シルドラよりも優しい顔をしているが、クリクリとした目元などそっくりである。
「友達なんだ」
「そ……ですか」
「うん」
以前ミューズと旅をしていた獣人の少女、シルドラ。その妹がなぜ聖騎士団にいるのか。もっと言えば、なぜ獣人ご法度のこの街にララポーラがいるのか。気になる。気にはなるが、聞かないほうがいいのだろう。
「だから深く詮索しない」
「……はい」
メグさんはミューズと少し離れたところにいる。聖騎士の人たちも、いつの間にかボクの周りに集まって物見しているが、ララポーらとの会話は聞こえてはいない。耳のいいミューズには聞こえてるかもしれないが、いや彼女ならもっと前に気付いているかもしれない。
それよりも、もうひとつ気になることがある。
「なんでララポーラは『にゃ』って言わないの?」
「え? ああ。それ私の故郷の訛りです」
「あれ方言なの!?」
その瞬間ボクの右手から、まるで手袋を脱ぐような感覚とともに黄緑色のモヤモヤが出た。
少し驚いたから、たしかに『自然に力を入れる』ことができた。え、そういうことなの? ともあれ――
「でた! でたよ!」
「でましたね!」
「メグさーん! 今の見たー!?」
「ああ、やったな」
「おめでとうマリー」
「やったーやったよー! ひゃほー!」
ボクは飛び上がるほど嬉しいが、周りの反応はまばらな拍手だけである。そりゃそうだ、まだモヤモヤしたものが出ただけなのだ。くらえ! 緑のモヤモヤ! では格好がつかない。
「くらえ! 緑のモヤモヤ!」
「えっと」
「いいの、言ってみたかっただけ」
気を取り直し再び構える。
一度覚えてしまえば簡単なもので、それからは特に苦労もなくモヤモヤが出た。違うそうじゃない。ボクがやりたいのは滑る前提の宴会芸ではなく、あの鱗のある狼の再現だ。
「そもそも青くならないんだけど!」
そういえば緑はボクのイメージカラーだった。量や濃度はある程度制御できるようになったが、相変わらず形はモヤっとしたままで、たまに獣っぽくも見えなくも無いと言われればたしかにそう見えるような気もしないでもない感じにはなれど、そんなの雲の形で天気でも占ってたほうがまだ有益である。
「獣人とも人間とも違うのかな……」
ララポーラがつぶやいた。
「器とかポケットとか?」
「もしかしたらですけど。ごめんなさい、私もエルフさんの知り合いいないです」
ボクもいないです。
そのうえ自分のこともよくわかっていないときた。まさに自分迷子。自分探しの旅の途中なのだ。だいたいボクの魔法適性はいかほどなのだろうか。エルフは魔法が得意らしいが、それは平均値の話だろう。中には苦手なエルフがいてもおかしくないし、それがボクだともかぎらない。なにか魔法使いたる確かな証みたいなものがあれば、もう少し希望も持てるのだが。やはりこういうのは形から入るべきなのだ。
「三角帽子はあるんだけどなぁ。緑だけど。あとは杖とか……あんじゃん!」
あったわ。
なんで気が付かなかったんだろう。初日に見つけてさんざん振り回して遊んでいた、用途不明の金ピカの棒。魔法使いごっこに使っていたが、あれはそのまま魔法の杖じゃないか。ララポーラが持ってるステッキ、あるいはスタッフなどと呼ばれる長いやつじゃなくて、もっと短いバトンとかワンドとかいわれる。まぁこの辺の呼び方は曖昧だしボクもうろ覚えだけど。ほら、額にイナズマ傷のある物置少年の持っていた、あんな感じの。
「そうですね、杖があれば集中しやすいですよ」
「ボク杖持ってる! えっとここに……あれ? ないじゃん」
なかったわ。
たしかにここにしまったはずと胸の谷間を弄る。聖騎士のお兄さんたちがなにやら焦って一斉に空を見上げたような気がするが、今はそれどころではない。しかし手首まで突っ込んでもふわふわと柔らかいだけで手応えがないのだ。あれおっかしいな、ちゃんと持ってたはずなんだけど。
「ねえミューズ、ボクの何に使うかよくわからない金ピカ棒知らない? って知らないか」
「ものすごくどうでもよさそうな棒なのね。なに色かはわからないけど、それってひょっとしておっぱいに挟んでたやつ?」
「そそ! それ!」
「そんなところにしまってるんですか……?」
ララポーラがボクのおっぱいを見つめながら言う。
だって女スパイみたいでカッコいいじゃん。最初は武器的ななにかだと思ってたし。ちょうど挟まったし。
「そうね、ほら、マリーがスリの子を追いかけて、それから失くなった気がするわ」
抱っこされてるときは頭が半分胸に埋まっているので、ミューズはボクの谷間事情に詳しいらしい。
「スリにあったのか、マリー」
「そっちは取り返したので。うーん、どっかに落としたかなぁ」
「そうか。なにか思い当たるフシはないのか?」
真面目なメグさんがスリに対してどう対処するか想像できないので、そのへんは軽く流す。ルース少年はなかなか憎めない奴だ。
「思い当たるフシ……」
ルースを追いかけて、穴をくぐって。ボクの記憶でも、ジュジュと会うまでは確かに挟まっていたはずだ。その後、皆にアメ配ってエリカに薬飲ませてパン出して。それからルースがボクに抱きついてありがとうって言って。
「フム、これと言ってとくになアッー!」
あったわ。
唐突でおかしいと思ったのだ。ツンデレなんかじゃなかった。なら、ルースがボクに抱きつかなきゃいけない理由なんかひとつしかない。ボクはまたヤラれたのだ。胸に違和感など感じなかったが、いったいどのような技術を使ったのか。プロか。
「あんの糞ガキー!」
怒りに任せ振り上げた拳から緑の煙がポンと出た。
魔力の流れを感じるとか、プログラムみたいに組み立てるとか、そういうの無しで




