ヘビの目騎士とカエルのエルフ
ヤベぇやつに気に入られる第二十五話
ところがミューズはいなかった。
必死で穴から抜け出して戻ってきたが、ミューズどころか彼女を載せたリヤカーさえなくなっていた。
「荷車? そりゃ旦那が持ってちまったけど」
「女の子乗ってませんでした? 手足の不自由な娘だから、勝手にどっか行かないはずなんです」
「さてねぇ」
お上さん曰く、家の前にあったリヤカーはご主人が使用中とこと。もしかしてミューズはドナドナ出荷されちゃったのだろうか。
どうしたものかとボクがきょろきょろしていると、そのお隣の奥様が話しかけてきた。
「銀髪の女の子かい?」
「そうです!」
「その娘なら、えらく美人な騎士様と市場の方に行ったよ」
美人の騎士……メグさんか!
「ありがとうございます!」
メグさんは大聖堂にいると言っていたし、偶然このあたりで出くわしても確かにおかしくはない。それに彼女はいい人そうだから、放置されたミューズを見かねて面倒を見てくれているのだろう。
「またお礼言わなきゃ」
むしろ菓子折りのひとつくらい持っていくのが筋だろう。贈答用の羊羹とか売ってないかな。ないか。
ローザさんの宿を出てからだいぶん時間が経ってしまった。太陽を見るに、そろそろ昼になろうとしていた。
市場といえば朝、みたいなイメージを勝手に持っていたが、カルヴィークの市場はこの時間も人並みと活気に溢れていた。あちこちで売り子の呼び込みの声が聞こえて、あちこちで値切りの交渉などが行われている。
しかし市場の様相はボクがイメージしていたのとは少しばかり違っていた。食べ物、とくにナマ物の店は数えるほどしかない。高級そうな糖衣菓子の店、物見客を狙ったこじんまりとした串焼き肉の店。果物のを置いている店がひとつあったが、皮の厚い日持ちのしそうなものしか置いていない。それ以外肉や魚はおろか、野菜をおいている店もなかった。多かったのは、織物、装飾品、調度品、嗜好品。それからやはり香辛料。腐らない物ばかりなのは輸送速度の問題なのだろうか。
「おっと、あらヤダ、ごめんなさいね」
「あ、いえ、平気です」
おばちゃんの頭がボクの胸にぶつかった。よそ見をして歩くのはよくないな。
人混みに入ってはっきりした事がある。ボクはデカイ。背が高いと言うか、体がデカイ。なるほど、どおりでみんなボクのオッパイに激突するわけだ。いままでいろいろな人に会ったが、たまたまその人達の背が低い、あるいは小さいと思っていた。いや、違うな。前世のボクがそう背の高い人間ではなかったので、他人のつむじを見るということがどういう事かわからなかったのだ。経験の差とは語彙の差である。語彙の差とはそして理解の差でもある。正直自分でもなにが言いたいのかわからないが、よくわからないことを表現するだけの語彙がボクにないので仕方ない。月並みに表現すれば、これが大きい人の見ている世界なのか、という感じである。
というわけで、理解しがたいなりに非常に新鮮な気持ちで歩いている。ボクが大きいのか他の人が小さいのか、絶対的な基準がわからないのでなんとも言えないが。それにしても大抵の人より頭ひとつ分大きいので、人混みの中での人探しはしやすい。ただでさえ悪目立ちするのに、輪をかけて目を引いている気もするけど。
「ミューズははどんな世界を見ているのかな……」
ふとそんな事を思った。背が高いだけで世界の認識が変わるのだ。目が見えず四肢もない彼女は、いったいどのようにこの世界を感じ取っているのだろうか。
「ナントカの考え休むに似たりっ……てね」
無いものについて、いや、無かったことがない物について考えていても答えなどでないだろう。それは禅問答でボクは坊主じゃない。ボクの目的は豁然大悟でなく正午までにミューズを見つけることである。
「あ、いた! おーいミューズ!」
市場のど真ん中、大聖堂の真ん前に立派な噴水があった。その縁に腰掛けてミューズが串焼きを食んでいる。
「まひー? まひー! ほっひ! ほっひふぁほふぃほほ!」
口の中モッコモコやないかい。なんて言ったのかわかんないし。
そして、その隣でひな鳥に餌付けするがごとく、串からはずした肉をミューズの口の中に放り込んでいるのが、メグさん……ではなかった。
腰に剣を刺しているので彼女が件の騎士で間違いない。赤いジャケット、胸元と袖口に大きなフリルの付いたブラウス、脚線美もあらわな白いタイツに黒光りするブーツ。そして派手な羽飾りの付いた帽子。ボクはそれを見て、ピーターパンに出てくる “フック船長” を思い出した。どういうわけかネバーランドの子どもたちを目の敵にする、あの愛すべき憎まれ役の。それでも粗野な感じを受けないのは、彼女がたしかに美しかったからだ。とくにその腰まである長い髪は、真昼の太陽を受けているのに夜を思い起こすほど黒くつややかで、天の川のように煌めいていた。
騎士は立ち上がると胸に手を当てて、そのまま流れるように実に優雅な礼をした。
「やあ、君がマリーだね? なるほど、可愛いエルフさんだ」
少しハスキーで色っぽく、多少芝居がかった口調で女騎士が言った。なんか宝塚っぽい。
「はあ、どうも。えっと」
「ああ、すまない。私はビアンカ・バーミリオン。ふふ。見ての通りしがない騎士さ」
騎士職にしがないもなにもあるのだろうか。
「巡回中にこちらの可愛いらしいお嬢さんを見つけてね。ふふ。お腹が空いているというので少しばかりご馳走したのだよ。いやまったく面白いね、口元に持っていくと次から次へ平らげるのだもの。この小さな体にいったいどのくらい入るのだろうね。このまま食べ続けたら手足が生えてこないかな。可愛いよね。ふふふ。私はね、子供の頃に買ってもらったドラゴンの貯金箱を思い出したよ。叩き割るとね、たくさんコインが出てくるんだよ。可愛いだろ。ふふ。私はそれを二十二個も買ってもらったんだ」
あ、この人怖い。ヤベェ。話の内容も大概にKYだが。終始張り付けたような笑顔で、それなのに目が笑ってない。切れ長の目は獲物を狙う蛇みたいだ。つまりボクはカエル。
「……ミューズ。そろそろ帰ろうか」
とにかくこの黒髪の騎士から全力で離れたい。今すぐ逃げたい。
「寂しいことを言わないでおくれ、マリー」
ビアンカがボクの腰に手を回し、腹が密着するほどグイッと引っ張り上げた。細身なのに力が強い。ボクは屈んでなどいないのに、彼女の顔が目の前にある。エキゾチックで神秘的な美しい顔は、毒のある牙を剥き出した捕食者の顔にしか見えなかった。
「あ、あの。ビアンカさん?」
「ノン」
彼女が細い指をボクの唇に当てる。今なら蜘蛛の巣に絡め取られた蝶の気持ちがわかる。
「ビビと呼んでくれないか。呼んでほしいんだ。エルフのマリー。その可憐な声でビビと呼んでくれないか」
彼女の唇が艶かしく動く。傍目にはロマンチックな展開に見えるのだろうか。あるいは宝塚ファンなら喜びそうだが。正直ボクは泣きそうなほど怖い。
「ん、ビビ……離して」
「もう一度」
「……ビビ」
「ああ! 素敵だよマリー。本当に素敵だ」
顔が近い。熱い吐息は熟れた桃のような甘い匂いがした。タランチュラじみた長い指が、ボクの頬を這い回る。
「綺麗な肌だね。ふふ。まるで砂糖菓子のようだよ。ふふふ。どんな味がするんだろうね」
ビアンカの真っ赤な唇がボクの耳に触れる。
「食べてしまいたい」
腕を振って彼女を押しのけた。細身のビアンカはビクともせずに、突き飛ばしたボクの方がよろけた。
「ミューズ、いこ」
そのまま這うようにビアンカの脇を駆け抜け、急いでミューズを抱き上げる。その間彼女はじっとこちらを見ていたようだが、怖くて表情まで確かめられなかった。ただずっと『ふふ』っと小さく笑っていた。ホラーかな。
「ご馳走様でした、なにもお礼はできませんが」
「構わないよ、私もとても楽しかったもの」
「……じゃ急いでるんで」
「そう。残念だな。ふふ。ねえ、また会えるかな、マリー」
その問いには答えずに、回れ右して彼女から遠ざかった。歩いても歩いても彼女の目玉がボクを追ってきているような気がして落ち着かない。
「まひー、ほほへほっひゃん」
なんて? てかまだ食ってんのかキミは。
「ミューズ、お行儀悪いよ」
「んぐっ……だってあの人、次から次へ放り込んでくるんだもの」
それで君は全部食べちゃったわけだ。ボクなんか恐怖で吐く自身がある。正直、ミューズの肝の据わりには恐れいった。だだの食い気かもしれないけど。
「なんか、怖い人だったね」
「私もあの人苦手。だってずっと死んだ人の匂いがするのよ」
ミューズがそんな恐ろしいことを言って、ボクの浮ついた紙風船みたいなメンタルにとどめを刺した。
キャラ増えすぎ問題。