そうだ市場、行こう
エルフも歩けば棒に当たる第二十一話
章タイトルは暫定。
それからしこたま飲まされた気がする。人のおごりだと、人間は容赦なく盃を満たし、また満たすために嬉々として空にする。前のボクは下戸だったけど、この体は多少いける口らしい。おかしな言い回しだが、生まれて初めてお酒を美味しいと思った。ローザさんの料理もとても美味かった。
したたか酔っていつ床についたか覚えていない。だから目が覚めても、なぜミューズがボクの唇に吸い付いているかわからない。
ナニなに何これスゴイこれ凄い。
キスというか彼女が胸の上に腹ばいになって、ボクの唇を唇で摘んだり撫でたりしている。くねくね身をよじって上に移動して、今度は鼻からまぶたへ順番に唇を押し当てる。柔らかくて温かい頬を擦り付ける。耳元で彼女の吐息を感じる。彼女の小さな前歯がボクの耳を噛んで――
「おひゃん」
「あ、おはようマリー」
変な声出ちゃった。
「おはよう……ナニしてんの?」
「ん。あのね、昨日の晩、みんながあんまりマリーのことを美人だ美人だっていうから、どのくらい美人なのかなって思って。えへへ」
「えへへ、って」
そりゃ目が見えないのだから、触れるしかないのだろうが、心の準備くらいさせて欲しかった。まだ心臓がバクバクしてる。それにしても、唇で顔の造形がわかるものなのだろうか。
「どうだった?」
「耳がコリコリしてた」
それは食感です。
「目、さめちゃった? ごめんねマリー」
「別の意味で目覚めそう」
「なあに?」
「なんでもないよ」
窓の外を見ると、お日様が高く登っている。今何時だろう。
明かりを作る手段が限られているからか、この世界の人たちは寝るのが早い。昨日も夜更かしをした感じではなかったが、やはり酔っていたせいだろうか、ぐっすりと眠っていたようだ。
ミューズを脇によけて体を起こす。
「んんー!」
軽く伸びをする。体調はすこぶるよろしい。
「寝覚めはいいんだけど……ミューズ、昨日ボクどのくらい飲んでたの?」
「一番最後まで楽しそうにしてたよ、マリーお酒強いのね」
覚えてないけどね。というかあいつら、ボクが飲めないって言ったら面白がって飲ませまくったくせに、先に潰れてやんの。ちょっと優越感。
「そして例によって全裸なわけですが、いかがでしょう解説のミューテリュシカさん」
「どうしてわたしの服も脱がせたの?」
「わかんない。おそらく酔った勢いではないでしょうか」
プニプニ柔らかいと思ったら彼女も裸だった。眼福眼福。毎日見てる気がするが。
「じゃあベッドの上でわたしに覆いかぶさって『可愛い』とか『愛してるよ』とか言ってたのも酔った勢い?」
なにやってんだボクはヤベェ覚えてねぇ。
「ほ、他に、なにかした?」
「そのまま寝ちゃったのよ。重くて大変だったんだから」
あっぶね。危うく引き返せなくなるところだった。望むところだいいよこいよ。でも訴えられたら確実に負けるよね。
「ごめんね?」
「いいよ。マリーかわいかったから」
「あ、そう? えへへ」
「うふふ」
ミューズさんはいつも泰然としていらっしゃる。なにとは言わないが、たぶんリードされるんだろうな。なにをとは言わないが。
「もういいかい?」
「おはようございますローザさんノックしてッ!」
「おはようさん、寝てると思ってさ」
「せめて声かけてください……」
「ミューズのお嬢ちゃんがあんたのヘソ舐めてたから面白くって」
「ミューズ!?」
「えへへ」
えへへじゃない。これ訴えたらボクが勝つんじゃないか。
「ま、仲が良くていいんじゃないの」
ローザさんは昨日洗ったボクらの服を置くと、ヒラヒラ手を振って出ていった。この人も動じない人だな。
ボクのマントも巻きスカートも、すっかり鮮やかな緑色を取り戻している。いい腕だ女将。クリーニング屋としてもやっていけるのでは。
ミューズの服をベッドに置いて、先に自分の服を着る。シャツ、ブラウス、ニーソ、コルセット、巻きスカート。そしてマントに三角帽子。よし完全装備。パーフェクトマリーちゃんは今日も絶好調です。みながボクの美しさを称賛していたらしいが、ボクとしても客観的にじっくり自分を鑑賞してみたいものだ。姿見みたいなものどこかにないかな。
「おまたせ。じゃ、ミューズも服きよ――なんで着てるの?!」
振り返ると着衣のミューズがベッドの上にちょこんと座っていた。
「服は着るものだよ?」
「いや、どうやって着たの? って……」
先程まで裸で横たわっていたはずだが。
「ん? こうやって、ゴロゴロって」
ミューズが短い腕を上げて体をくねらせる。あーうん、コレ前も聞いたね。それでどうやって結んだり縛ったりできるのかな? 奇跡かな?
「うん! 不思議かわいい! ミューズも絶好調だね!」
深く考えないことにした。世の中には不思議な事がいっぱいあるのだ。
さて。とくに予定は決めていなかったけど、マントまで身につけてしまったし外でも散策しようか。
「おう。なにが下戸だよおめぇ、ウワバミじゃねぇか」
部屋を出て一階へ顔を出すと、モッドさんが恨めしそうな表情でテーブルに頬杖をついていた。
「おはようございます。それ、お酒ですか?」
「水に見えるか? あー頭痛ぇ。おめぇは元気そうだな」
迎え酒ってやつか。そういうときは水のほうがいいと思うんだけど。その民間療法に根拠はあるのだろうか。
「酒は飲んでも飲まれるな」
「なんだそりゃ」
「ボクの故郷に伝わる呑兵衛への戒めです」
ボクも記憶ないけどね。テヘぺろ。
「はっ、そいつぁ有り難いこって」
「きっと立派な人の言葉ね」
そういってミューズがうんうんと頷く。いや、たぶんその人も呑兵衛だと思うよ。
「朝ごはん、食べそこねちゃったかな」
太陽がわりと高い位置にある。今食べると朝昼兼用になるが、せっかく作っているのなら食べなければ片付かないだろう。
「あにさ、マリーさん朝飯なんか食べるのかい?」
「あ、いや、えっと。食べないんですか?」
大きなかごを持って現れたローズさんにおかしな顔をされた。なにが入っているんだろう、重そうだ。足が悪いのに大変だな。
「アタシらは食わないね」
「お昼は?」
「そりゃ食べるよ」
「朝飯なんて日雇い人夫じゃあんめぇし」
モッドさんがコップを煽る。あなたは朝から酒飲んでますけど。
なるほど一日二食がスタンダードなのか。それでも、体力を使う仕事をしている人たちなんかは朝も食べるらしい。食っちゃ寝しかしていないボクはというと、前世の習慣で空腹感を覚えていた。働かずに食う飯は美味いか。
「言っといてくれれば作ったんだけどね」
「どこか食べられる所ないですかね」
「食えるとこかい? よそ行ったって同じと思うけどねぇ……」
また変な顔をされた。いや、そりゃそうか。冷蔵庫なんかないのだから、材料を買ってきて、それから作るのだ。前もって言わなければ用意できなくて当然だろう。いままで普通に生きていて、コンビニやファミレスが文明の粋だとは思わなかった。
「小腹すいてんなら市場にでも行ったらどうだい。リンゴのひとつくらい手に入るだろうさ」
なるほど、その手があったか。それに市場ってのも興味がある。
「ちょっと行ってみようかミューズ」
「うん!」
元気のいいお返事で。ミューズは朝ごはん食べるタイプだものね。
迷わないよう場所を確認してから市場へと向かう。昨日と同じ轍は踏ふまない。買い食いがしやすそうなので、今朝はミューズをお姫様抱っこプレイ。黄色とオレンジがモザイクになった石畳をブーツを鳴らして歩く。街の人々はボクなんかよりずっと早起きで、すでに忙しそうに動き回っている。清々しい朝だ。
「市場って真ん中にあるんだね」
メインストリートとかにあるものだと思ってたが、市場は街のど真ん中にあるらしい。これなら迷わなくて済みそうだ。
「城壁外なんかにも露天があるはずよ。あんまりオススメはしないけど」
「なんで?」
「組合に加入してないもの。買ったものを持ち込んだら怒られちゃうわ」
厳しいな中世風異世界。
比較的自由な商売が許されるのは、どのくらい文明が進んでからなのだろうか。輸送技術が関係してそうだな、なんて漠然と思いつくが、それ以上はボクの頭じゃ想像できなかった。しかし、どこにでも行けるドアや四次元につながったポケットがあれば、現代社会でも無双できるよな……などと考えて、限りなく近いものが首から下がってるのを思い出した。
「おまえ意外とチートだよね」
唐草模様のピンクのガマグチは、外見こそ最悪だが、その実とんでもないアイテムなのではないか。
「あ、もしかして、ローザさんとこも……」
「たぶんね」
やはり旅籠にもギルドがあるのか。看板もなく知り合いのツテで客を得ている宿が、正規の許可を経て営業しているわけないよな。女将はいい人なんだが。
「ローザさん、足が悪いでしょ?」
「わかるの?」
「足音が不規則だったから。右足?」
「よくわかるね」
超能力みたい。
「女の人が一人で生きていくのって大変なのよ」
体が不自由ならなにをいわんや。ミューズが言うと説得力があるな。ボクが言ってもスカスカだろうが。
しばらく歩くと、民家ばかりだった通りの奥の方に、人混みとカラフルな看板の群れが見えた。
「わー凄い! あれ教会?」
天突く尖塔に荘厳なステンドグラス、白亜の大聖堂が威風堂々と市場を見守っていた。
塔の先端には十字型のシンボルが掲げてある。やはりこの世界でも神聖さや神秘的な意味合いがあるのだろうか。
「カルヴィーク大聖堂よ。賢人カルヴィークもここでお休みになってるわ」
「この中にお墓があるの?」
「うん、そう」
でけー墓。こんなに大きいと落ち着いて眠れなさそうだな、なんて思うのは日本人だからだろうか。人の多さもほぼ観光地の様相だ。
「わっとと」
オノボリさんの如くポケラっと上を見て歩いていたら、路地から出てきた少年とぶつかりかけた。
「おっとごめんよ」
「え、あ、うん」
少年は猛スピードで走り去って行った。何をそんなに急いでいるのだろう。ウンコかな。
「マリー、あの子スリだよ」
「え? うそ、なにもなくなって……あっ!」
本当だガマグチがなくなってる。なんと見事な手際、いや、あのクソガキめ。
まずいぞ、必要以上のものは出さないくせに、微妙に要求と違うものが出てくる役に立つか立たないかわからんアイテムだが、アレがなくなると生活力の低いボクには死活問題だ。それにアレは、容姿の特殊性を除けばボクに与えられた唯一のチートらしいチートなのだ。キャラが立たなくなるじゃないか。いやいや、そんなことより、あれは他人に使えるのかわからないが、もし使えるなら、それで妙なものが出てきたら絶対に騒ぎになるぞ。ソッチのほうが問題だ。
「取り返してくる!」
ミューズを抱いたままでは走れない。民家の軒先にあった手押しの荷車の上に彼女を乗せる。
「あぶないところに行っちゃダメよ!」
「わかってる! ヤバそうだったら全力で逃げるよ!」
また噛みつかれるのは嫌だからね。
ボクは人混みをかき分け、少年が消えていった路地へと駆け込んだ。
この手のチートあんまり使うとドラえもん化著しくなるからね。