騎士と剣士と美人の女将
ヒロインが不機嫌な第十七話
それから二人の剣士に手を引かれ、誰かさんの粗相ですっかり血生臭くなったスラム街を抜け出した。ボクは粗相してすっかりオシッコ臭くなった上に、いいだけ血しぶきを浴びたので見た目も最悪である。ボクら四人は女騎士を先頭に薔薇花の咲く裏通りを歩いている。頭から赤ペンキをかぶったような出で立ちのボクを見て、麗しの御姉様方が小さな悲鳴を上げた。
「……すまなかった」
「いいんです、ボクこういうの慣れてますから」
「なれてる……いるのか?」
恐縮しきりの女騎士が、ボクの下半身をチラチラ見ながら言う。
「はっはっは、いえいえ。こうして惨めな思いをするのに慣れているだけです。おもらしするのは小学三年生以来ですよ、ええ」
「ショウガ?」
「はっはっは。おかまいなく」
「そ、そうか――ああ、名乗り遅れた。私はテレイオス神聖騎士団団長付き、名をマーガレット・フィンスオーラ・アスカトラガルド・ヴァンシュバイクという」
舌を噛みそうなほど長い名前だな。
女剣士がフードを落とすと、金色の長い三つ編みがこぼれ出た。口調のせいでわからなかったが、思っていたよりもずっと若い。陽の光を浴びて薄らとピンク色に発光するその髪に、ほんの少し見とれてしまった。
「どうかしたか?」
「いや、きれいな髪だなって」
「ん、そうかな。ありがとう。貴女に褒められるとは光栄だな」
女剣士あらため女騎士が、自分の髪を口元に寄せてはにかむ。真面目そうな女の人のこういう仕草はいい。ギャップ萌えだ。その彼女を褒めたエルフの自慢の金髪は、現在血染めですけどね。ところでマーガレット・ホニャララ・ナントカカントカさんは、お世辞でなく結構美人な方だ。だが、棚ボタの授かりものとはいえ超美形のボクが言うと、それはそれで皮肉になってしまいそうな気がする。容姿を褒めるのはここまでにしておこう。
「ミューズ! ボクらを助けてくれたのは騎士だって。女騎士だよ、かっこいいね!」
「わたし、目が見えないから」
「あ、うん、そだね、ごめん」
あれ、ミューズがものすごく冷たい。ボク、なにかしただろうか。
「女騎士さんは、お名前はその、どれ、というか、長いですね」
「マーガレット。メグと呼んでくれて構わない」
ミューズの反応に面食らってしまって、初対面の人間に失礼な口を利いてしまった。それでもメグさんはにこやかに返す。いい人だこの人。
歩きながらで落ち着かないが、受けた礼は返さねば非礼というものだ。
「ボクはマーライク。エルフのマーライクです。マリーって呼んでください」
「よろしくマリー。旅の神と同じ名前なのだな」
「ええ、縁起いいでしょ?」
「ああ、良い名だ。後ろの……」
「……」
「あれ? ミューズ? あー、彼女はミューズ。ミューテ……えっと、なんだっ――」
「――ミューテリュシカ。ミューテリュシカ・ヘイヘリオース。いい加減覚えて」
「あの、はい、ごめんなさい」
怒っている。なにか知らないが、ミューズは怒っている。急に背負子が重たく感じてきた。本当にボクはなにかしただろうか。確かにさっき、これでもかってくらい情けなかったけど。そのせいだろうか。
「ふむ……して、そちらは」
メグさんが後ろを振り返る。
「ん? おお俺か。俺はモルドラースだ」
なにか考え事をしていたらしい黒革鎧の剣士が、顔を上げて名乗った。
「モルドラース殿は、どちらかに御勤仕か。なかなかの腕前であるとお見受けした」
「いやいやまさか。ただの傭兵くずれだよ。用心棒の口でもあったら紹介してほしいくらいだ」
「そうなのか? なんとも惜しいことだ」
かっこいい、ナマ武人トークはじめて聞いた。あたい興奮しちゃう。
「やっぱりそういうのってわかるんですか?」
「ああ、わかるとも。動脈と気の管を正確に突いていた、しかも動いている人間のだ。そうできることではない」
「へー、見かけによらないなぁ」
「失礼なやつだなオメェは」
多少シブ目で革鎧も様になってはいるが、正直いってダルそうなオッサンにしか見えない。チョイワルと言うよりは競馬場が似合いそう。無精髭が刑事ドラマの不良刑事っぽくもある。
「“トゥーハンド”モッドっていやぁ、この辺じゃ結構有名だぜ?」
「なにその通り名、超かっこいい」
「へっ、だろ?」
モッドさんがマントを後ろへサッと叩いてめくり、両腰の短剣に手をおいて見栄を切った。気の良い兄貴って感じの、なかなか良い雰囲気の人だ。
そうこうしていると、いつの間にか大きい通りに出ていた。込み入った裏通りや薄暗いスラムとはうって変わって、整然とした建物と敷き詰められた石畳の美しい街並みだった。まさに中世ヨーロッパ風。中世といっても千年くらい開きがあるらしいので、正確にどの年代かはわからないが。ゲームっぽいとか映画っぽいとか、そんな感じだ。だが、ここは映画のセットではない。沢山の人がいる、生活感がある。誰かのおしゃべりが聞こえて、何かの食べ物の匂いがする。ここきてボクはやっと、自分が異世界に来たのだとはっきりと自覚できた。
「あ、豚が歩いてる……」
街中を我が物顔で闊歩する豚に驚く。目に入る物が何もかも新鮮だ。
「アレはたまに人を襲うのだ。一応、放し飼いは禁止されているのだが、当局もそう強く取り締まれないらしいな」
メグさんが、難しいものだ、と腕を組んで言った。当たり前過ぎると、禁止されても今更……なんてこともある。どの世界でも同じなのだろう。お役所は大変だ。
「さて、このあたりなら宿も探せるだろう。その……早いところ体を拭かないと、風邪でもひいては仕方ないからな」
「あ、おかまいなく……」
嫌なこと思い出させないでくださいメグさん。
風邪の心配よりも、ボクの見た目がまず目立つ。なにせ頭から爪先まで血まみれなのだ。そのうえボクはエルフで、手足のない女の子を背負っている。なかなかショッキングな光景なのではなかろうか。現に街ゆく人が驚いて悲鳴を上げたり、後ずさったり、つまずいて転んだりしている。これ以上歩き回るとマルカス副隊長のお世話になりかねない。
「すまんが、私は用があるのでここまでだ」
「あ、命を助けていただいてありがとうございます。本当に」
頭を軽く下げ、なんだかんだで言いそびれていた礼を言う。ミューズは……黙っている。
「弱きを助け秩序を守るのが神聖騎士の使命だ。ではな、エルフのマリー、それにミューズちゃんも。何かあったら大聖堂に来こい。マーガレットの友人だといえば良いように取り計らってくれるだろう」
さらばだ! といって女騎士はマントを翻し颯爽と去っていく。ナチュラルボーンかっこいい。ちょっとドジっ娘だけど。
「オメェら、宿は決まってんのか」
「あ、モッドさんまだ居たんだ」
「酷えなおい」
見た目に覇気のない方の命の恩人が、ボクらに声をかける。
「もしなんだったらよ、知り合いの宿があるんだが、使ってやってくんないか」
「モッドさんの知り合いのですか?」
「あ? 馬鹿オメェ。まともな宿だよ。確かに真っ当じゃねえが……女将はまともだよ」
別に疑ってるわけじゃない、ただ見た目ウラ家業の人間っぽいモッドさんの知り合いが、どんな人か不安になっただけだ。案の定なにやら引っかかるところもあるが。
「女将は美人?」
「なんだそりゃ。まぁ、いい女だぜ」
ほう……是非もなし。
「お願いします」
「おっし。ついてきな」
そうして今度はモッドさんの後ろをトコトコついていくと、ややあって民家の前で立ち止まる。ボクの方向感覚が正常に作動していれば、通りを三本ほど横断すればスラムへたどり着くような気がする。なんだ、結局ムダに歩いたんじゃないか。
「ここ?」
「ここだ」
ふつーに民家だけど。看板もないし。
「入んな。おいローザ! 客連れてきたぜ!」
モッドさんは勝手知ったるという感じでスタスタ入っていく。おまけに女将を『おい』呼ばわり。ほんとにただの知り合いかしらん。オホホ。
「なんだいなんだい呼び鈴くらいならしなよガキじゃないんだから」
奥から出てきたのは、太い眉とぽってりした唇が色っぽい妙齢の女性だった。ショートボブの黒髪に赤いイヤリングがよく似合っている。モッド君はこういう女性が好きなのか。そうかそうか。歩くときに少し足を引きずっているが、怪我でもしているのだろうか。
「顔合わせてすぐ憎まれ口叩くなよ。こっちは客連れてきてやったんだ、優しくしてくれよ」
「なにが優しくだいあまえんじゃないよこの唐変木、寝言いう暇あったら酒代払ってきな」
「いや、だからよ、客連れてきたんだよ」
「なに? あホントだ。あらやだ早くいいなよそういうことは」
「言ったよ……」
ローザという人は思ったことを一気に口に出す人らしい。モッドさんは終始押され気味だ。夫婦漫才かな。
「まぁまぁ酷いカッコだねいったいぜんたいどうしたってんだい、あらま大変こっちのお嬢ちゃんは腕も足もないじゃないのさ、ちょっとモッド! アンタなにやったんだいこのロクでなし!」
「なにもしてねぇよ、人聞きの悪い……裏通りでひらったんだよ」
「あの、ボクたちスラムに迷い込んで襲われて……」
「それで偶然助けたって? なにかっこつけてんだい違うよエルフさんコイツはね、女郎買いに行った帰りだよそりゃ――」
「――なばっ、オメェなぁ!」
あーなるほど、通りを挟んで治安はだいぶ良いようだが、やっぱりここはスラムの近くなのだ。だから此処から薔薇の園へ行き来するのにはスラムを通るのが近道になるというわけか。モッドさん、昨夜はお楽しみでしたね。
「ねえエルフさんいいこと教えてあげる、この甲斐性なし女郎屋行くと必ず女を二人買うんだって」
「ほほう、そりゃまた」
「こら、おかしなこと吹き込むんじゃねぇ! やめろって!」
「コイツの二つ名教えたげようか?」
「おい!」
「えっと、トゥーハンド、でしょ?」
ローザさんが特別いたずらっぽく、唇の端を吊り上げて笑う。
「トゥーロッド・モッド」
ボクの耳元でそう囁くと、ケタケタ笑いながら部屋の準備をすると言って奥の方へ消えていった。モッドさんはこめかみを押さえながら、明後日の方を向いてボクと目を合わせないようにしている。ウケる。
「……かっこいいっスね」
「うっせえ!」
こういう掛け合いは楽しい。