ボクには旅を、君には恋を
旅立ちと喜びの第十二話
よく晴れた朝だ。
ヨハンナは日が昇るとすぐに働き出す。この世界の農民はとにかく忙しいらしい。たらふく食べてたらふく寝たので、ミューズの寝覚めは最高に良かった。おはよう、と笑顔で言う彼女は最高にかわいらしかった。特に寝癖がいい、なんだあれ反則だろ。
ボクはというと、ヤギ先輩におこして頂いて最悪の気分だ。顔をベロベロ舐められて光栄です。ところでヤギって美味いのかなぁ。
「なんか悪いね」
「いいからいいから、ほら食べよ」
「うん! 食べよ!」
今朝のガマグチ君からはチーズとパンが適量と、リンゴが2つ出てきた。学習したらしい。これでいいんだよこれで。恐縮するヨハンナと興奮するミューズが対照的。
「あんた。寝れたかい」
「ヤギって体温高いんだね」
「ゴメンよ……」
「新鮮な体験だったよ」
「ゴメンって」
彼女の家なので謝ることもないのだが、面白いのでそのままにする。
「ミューズはヨハンナに着替えさしてもらったの?」
「ううん。自分で着替えたわ」
ミューズがこともなげにいうと、ヨハンナが不思議そに首を傾げる。
「なんだか知らないけど、気づいたら着替えてたんだよ」
「どうやったの?」
「ん? こうして、ゴロゴロって」
ミューズが短い腕を上げて体をひねった。意味がわからなくて不思議かわいい。脇舐めていい?
さて朝食を済ませ旅支度をする。すっかり乾いた大きな布を風呂敷のようにして、ミューズを包んで担ぎ上げる。まるで夜逃げか泥棒だ。
「ちょっとちょっと! あんた、下は?!」
「へ?」
「へ、じゃないよ。裸じゃないのさ!」
失敬な。ちゃんとニーソも紐パンも履いている。見ろこの絶対領域を。
「それを裸っていうんだよ」
「着てても?」
「出てんだよ」
価値観の不一致である。
この程度で裸という認識ならば、いったいどうして絶対領域を嗜めばいいというのか。この世界の美少女はキャラづくりに苦労しないのか。
ミューズを包んでいた用途不明の役に立つ布は、いわゆる巻きスカートだった。たしかにヨハンナも巻きスカートスタイルである。それどころかミューズまで、多少短いがやっぱり巻スカ。パレオ的なオシャレだと思ってた。
しかしミューズといえば、彼女は肩とか背中とか出ちゃってるのだが。上半身の露出は咎められないのか、と問う。
「無いもんにつけたって仕方ないだろさ」
「袖はね。背中は?」
「マント着てりゃわからないよ。表で脱がないんだろ?」
「脱がないわ」
ミューズがそんな事とんでもない、というふうに首を振る。
「ならいいさ。どんなかっこしてようが勝手だよ」
「ボクの――」
「それは裸」
「なんでさ!」
「なんでもだよ。ああ、言っとくけどブラウス一枚ってのも、もっての外だからね」
「まじで?」
「まじだよ。それとほら、隣に塩借りに行くんじゃないんだ、マントの前くらい合わせな。ただでさえ乳が目立つんだからアンタ」
「そんな! ボクのアイデンティティはどうなるの?!」
「……ティティって誰だい?」
ティティは死んだよ、あいつは良いやつだった。そんなことより、ボクから巨乳をとったら、ただの金髪美人エルフになってしまう。うん、いいね。アリだよ。多属性持ちで命拾いした。
巻きスカートに苦労しているとヨハンナがため息付きながら手伝ってくれる。
「こう?」
「引きずるよそれじゃ。貸しな、ほら」
「あ、でもどうしよ」
手足の無いミューズは上手くおぶれないだろうし、前に抱くとおっぱいが邪魔で抱きづらいのは学習済みだ。
そう口にすると、ヨハンナが家の中からなにかの道具を持ってきた。薪なんかを担ぐ、いわゆる背負子である。クロスした革紐を胸骨を支点にして肩から後ろに回しキャリア部分を担ぐ。なるほどこれならマントの上からでも装着できる。腕を上げると首が絞まる構造だが仕方ない。重量物を担ぐためのものだから、飛んだり跳ねたりは想定していないのだろう。貰ってばかりだと悪いので、かわりに工務店の名入タオルと根性Tシャツを押しつけ……プレゼントした。想像以上に喜んでくれたのが逆に心苦しい。
「あっと、じゃ、ありがとうね」
「ありがとうヨハンナ」
「やっと静かになって安心するよまったく」
二人で礼を言うと、ヨハンナは照れくさそうにしていた。首からかけたタオルが少し野球部のマネージャーっぽい。
腕を組んで斜め上の方をみたまま彼女が言う。
「その、アンタのツレはほんと、一人じゃなんもできないんだから、アンタがしっかり面倒見てやるんだよ」
なんだかんだ言って彼女もミューズのことが心配なのだ。素直じゃないなツンデレヨハンナ。わかってるって。ミューズのことはボクに任せてよ。
「頼むよミューズ」
「え、ボクに言ったんじゃないの?」
「冗談じゃないよ、アンタみたいな世間知らず、どこで面倒おこすかわかったもんじゃない」
「大丈夫よヨハンナ、彼女が変なことしたら私が止めるから」
「ミューズさん?!」
二人にとってボクはそういう認識だったのか。ミューズにまで心配されるのはショックだが。
「アンタたちにマーライクのご加護を、ってなんだか変な感じだね。まぁ……じゃあね」
「ひととおり街を見たらまた来るよ」
「土産忘れんじゃないよ」
そうして僕らはまた歩き出した。
昨日あれだけ雨が降ったのに、よほど水はけが良いのか泥濘もなく歩きやすい。空気だけが少し湿っているのは朝だからだろうか。
ミューズはただでさえ小柄だが、それにしてもボクは肩から旅行かばんなど下げているというのに、その重さというのは大して苦ではなかった。エルフというのは存外体力のある種族なのかもしれない。ボクの足取りはすこぶる軽い。
「あ、おっきいカマドがあるよ。外で料理するの?」
「普段は共用でそれを使うのよ」
「へー」
街が近いので人とすれ違うことも多い。ボクはまた性懲りもなく朝の挨拶を試みる。
「おっはようございます!」
「お……ああ、おはようさん」
鍬を持ったおじさんが帽子を軽く上げた。やはりエルフを警戒するのか、ボクの耳を見て一瞬だけ身を引いてたが、実に爽やかな朝の挨拶だった。
「おはよう」
「おおっと、おどろいた。おはようお嬢ちゃん」
ミューズがボクの背後から挨拶をすると、おじさんが軽く驚いた。ミューズがそれを面白そうにクスクスと笑った。
「お二人にマーライクのご加護を」
「ありがとう!」
さり際におじさんがマジナイをくれた。これだよこれ! これが旅ってもんだよ!
「ねえ、マーライク」
「なぁにミューズ」
「マリーって呼んでもいい?」
「もももももちろん! 呼んで! 甘く囁いて!」
「普通に呼ぶよ?」
フラグ立つ。ニックネームで呼び合うとはこれは急激にミューズとの距離が縮まった証。そのまえに裸とか添い寝とかあったけど、あれはボーナスイベントだった。
風を感じる、今ボクはノリにノッている。乗るしかないこのビッグウエーブに。
「ねえミューズ」
「なぁにマリー」
ミューズが虫の音の声で応える。耳に染み込むベイビーボイス。あかん、脳がとろける。しっかりしろボク、ここで選択肢を間違えるんじゃない。ああ緊張する。手の震えているのがバレやしてないだろうか。
「もしも、もしも嫌じゃなければだけど。街についてからもさ、これから、ボクと、その、一緒に旅をしないか」
それはボクにとって生まれて初めての、ほとんど大げさじゃなく、まさに愛の告白だった。
「よろこんで」
ああ。
ああ。
ああ。
なんて幸せなんだろう。
「だってマリー、貴女一人でいたらどうなるかわからないもの。だから私がついていてあげるわ……ねえマリー、どうしてしゃがみ込んじゃったの? 私重い?」
目の見えない彼女が、首を回してボクの顔を覗き込む。
「大丈夫。ただとっても、とっても嬉しくって、体の力が抜けちゃっただけ。君は軽いよミューズ。でもボクは今すごく幸せで、もう一歩も歩けそうにないや」
彼女が困惑したように言う。
「えっと、代わろうか?」
手も足もない少女が言った本気の冗談に、ボクはこう返した。
「ふふ。ミューズ、君って面白い娘だね」
このオチはわかりにくいなと思った。背負子はこの構造だと腰のあたりがズルズルずれるんじゃないかな。たぶん魔法がかかっているんだ。知らないけど。
次から新章、街に行きます。