夜の忠告
恐怖は理不尽でヤギと寝る第11話
満腹になったミューズは寝た。反応がなくなったと思ったら口にジャムつけて僕の膝に乗ったまま寝てた。かわいい。虫歯になっても知らないぞ。
一つしかないベッドはボク僕らが使っていいという。家主を差し置いて図々しいというか後ろめたいというか、今日あったばかりの美少女といきなり添い寝イベントとか興奮する。いや、というか君はどこで寝るのか、とヨハンナに問う。
「ヤギ小屋で寝るよ」
「冷えるんでしょ?」
「裸で寝たら凍えるってだけさ。心配しなくても、ウチなんてただでさえ穴だらけなんだ、大して変わりゃしないさ。寒かったらヤギ抱いて寝るよ」
「まあ、それならいいんだけどさ……なんというか、その」
「あによ。まだなんかあんのかい」
どうなんだろう、僕はミューズに同衾の確認をしていない。目が覚めたときに怒られたりしないだろうか。それとも同性だから問題ないだろうか。ぼっちでコミュ障な童貞の考え過ぎかもしれないけど、好きな女の子に少しでも嫌な顔されたら、ボクのグラスハートはポッキリと逝く。絶対。
「……普通だよ。安心しな」
ボクがしどろもどろして黙っていると、ヨハンナは捨て猫でも見つけたみたいな顔をして言った。察してくれたのか。
「知らない誰かと一緒に寝るなんて、旅してりゃ普通だよ。そうでなくともベッドが一人一つなんてこともないんだ。あたしだってオヤジと一緒に使ってるしね」
そうなのか。そういうものなのか。
「一人暮らしじゃないんだ」
「日雇いに行ってるよ」
「ヨハンナっていくつ?」
「あたし? 十三だよ……なによその顔」
「十六くらいかと思ってた。すごくしっかりしてるし」
「勝手にイキオクレにしないでおくれよ」
「好きな人とかいんの?」
「馬鹿なこといってないで寝ろ」
「ハイ」
女の子同士の恋バナにに花を咲かせようとしたら睨まれた。すごすごおずおずとミューズの隣に横たわると、ヨハンナがアクビをしながら出ていった。
今何時くらいだろう。時計がないのでわからない。夕食を食べてすぐ、ミューズが話していた時間を考えても七時くらいではなかろうか。
「眠れない」
時間が早いのもあるが、何よりミューズが気になる。目を瞑り小さく寝息を立てる彼女は、控えめに言って天使だった。控えめに言わないと一大詩篇が書き上がるので抑える。ボクはもう彼女の長い銀色のまつげに目を奪われて、あとはもう、よく覚えていない。
眠ってはいない。しばらくまどろんでいた気がするが、なにやら鼻の頭が生暖かくって完全に覚醒した。目を開けるとミューズの顔が目の前にあった。近い近い近い。
「ん……」
唇に息がかかる距離で、彼女がなんだか悩ましげに唸った。このタイミングで。思わず叫びそうになるのを我慢して身を起こす。もちろん恐怖ではない、歓喜である。
突撃は優秀な将あって成立する攻勢である。今踏み込むのは愚策。故にボクは踏みとどまった。おでこにチューくらいはいいかな、とか思ってない。節は機を発するが如しと孫氏も言っているからハッスルするのは今ではない。いつか知らないけど。
ミューズを起こさないようにベッドを抜け出る。下着姿にマントだけ羽織って表に出ると、涼しげに湿った風が火照った頬を舐めた。雨は上がっている。月のきれいな夜だ。
「ミューズちゃんマジ天使!」
「うるさいなぁ!」
解き放たれた魂の咆哮は、夜の闇に紛れそこねてヨハンナに怒られた。
「寝てなかったの?」
彼女は壁に寄りかかって座って、ぼんやりと月を眺めている。
「ちゃんと寝てたよ、少し前に目が覚めたんだ。人間そんなに眠れやしないからね、朝までに一度は起きるよ」
「そうなんだ」
「そうなんだよ」
ヨハンナがぼんやりとした目で、この世界の生活リズムをレクチャーしてくれた。
「隣いい?」
「どうぞ。あんた、こうしてみるとホント美人だね」
告白だろうか。
「あの娘も、ミューズも可愛い子だったね」
二股だった。
「ねえ、ヨハンナ」
「なんだい」
「ヨハンナはミューズが怖いの?」
食いつくようにミューズの話を聞いていたが、彼女が動くたび、特に先のない二の腕を動かすたびにヨハンナは身を引いていた。
「バレたかい。まあ、アンタは目が見えるもんね」
「……最初は嫌悪感だと思ってた。ボクは、それは仕方ないかなって思った。でも君は、なんというか。自分に対して嫌そうだった。そう見えた。ミューズを好こうとしているんだと思った」
「そう……逆に聞くけど。あんたは怖くないのかい?」
「なんで? 手も足もない目の見えない女の子が? かわいそうって思っても、こわくなんかないよ」
「そう、そうだね」
ヨハンナは難しそうな顔でボクに向き直った。
「あの娘はいい子さ。悪いことなんかなにもしちゃいない」
「うん」
「でもね、思っちまうんだ。あの娘の不幸が自分にも降りかかるかもしれないって。誰でもそう思っちまうんだ」
「……あれは病気ではないよ」
「知ってるよそんなことは。そうじゃないんだ。幸福も不幸も、なんでそうなるかなんて誰もわかりゃしないんだ、天から降ってくるもんだからね。あの娘は、ミューズは不幸に狙い撃ちいされたのさ。そいつが怖いんだ。そばにいるだけで、自分にも不幸が当たっちまうかもって」
「そんなこと」
「ありえないよ。でもね、誰だって不幸になりたくないのさ。それは悪いことじゃないだろう?」
「でも……うん」
それは誰だって、ボクだってそうだ。
「大抵のやつはね、あの娘が苦しむのは、それはあの娘が、うん、あの娘の魂の業だと言うよ」
「そんな」
「わかってる」
馬鹿みたいな話だ、とヨハンナが吐き捨てるように言った。
「でもね、だから、なにか悪いことが起こると、あの娘のせいになるよ」
「なんで。いや、そうか」
普通の人間にとって、確かにミューズは不幸を体現したような存在だ。彼女がどんなに幸せだと言っても、美味しい美味しいと満面の笑みを浮かべながらジャムパンを頬張ろうとも。それは変わらない。彼女の幸せや不幸を理解できる人間はいない。当たり前のことだ。わからないことは怖い、だから、その恐怖をわからないものに押し付ける。どこの世界の誰でもすることだ。それはこの世界でも起こるのだ。
「あんたは、なんでかしらないけど底抜けの世間知らずだから。まるで昨日生まれてきたばっかりみたいに」
正解です。ヨハンナさんに三千点。
「だからいちおう言っとくけど、エルフもだよ」
「まじで?」
「ああ、言っといてよかったみたいだね」
怖いのかエルフ。やっぱりこの世界のエルフは人を喰うのだろうか。
「怖いと言うか、なにされるかわからないんだよ」
「例えば?」
「国ひとつ焼き払ったり、死人生き返したり」
もっと凄かった。何だそれ、神か、あるいは悪魔か。
「とにかくよくわからないのがエルフなんだ。よくわからないから、歓迎されない。めったに会わないけどね。あたしもアンタがはじめてだし」
「覚えとく……ねえヨハンナ」
「なに?」
「ボクのことも怖い?」
歓迎されない闖入者二人を、彼女は受け入れてくれたのだ。
「あの娘を大事そうに抱きしめてヨダレ垂らしてた奴が? 馬鹿だと思っても怖ことなんてあるかい。馬鹿じゃないなら底抜けのお人好しだね。ま、私が言えたことじゃないか」
彼女も底抜けのお人好しなのだ。
立ち上がったヨハンナは、笑いながら扉を開ける。
「ミューズのことは好きだよ、あの娘はいい子さ」
そして扉を締める前に、照れくさそうに、アンタもね、と言った。
「ツンデレかな!」
「うるさい寝ろ!」
それからボクは、どういうわけかヤギ小屋で寝た。
ヨハンナはまた出てきます