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E4 ~魂の肖像~  作者: たま ささみ
9/12

第8章  ノスタルジック・メモリー

 九条から剛田に、逢坂が日本に戻ってくると連絡が来た。

 約20年ぶりの帰国だという。


 逢坂が朝鮮国に渡ったのは2110年。

 まだ朝鮮国が統一される前のことだった。

 

 逢坂は、日本に来て九条家に世話になるのも嫌だからと、九条を伊達市に呼び寄せてホテルに滞在していた。

 杏とも話をしたいということで、部下の手前もあるというのに、杏は勤務をほったらかしにしてホテルに向かった。


 伊達市にも、国外からの旅行客向けのホテルが何軒かある。

 逢坂はそのうちの一軒に滞在することにしたようだ。

「帝国ホテル伊達までお願いします」

 タクシーを拾ってドライバーに告げる杏。

 

 ホテルは50階建。

 1階と2階はブランドショップが入り、ホテルフロントは3階にある。

 エレベーターで3階に上がると、フロントで逢坂の滞在する部屋を尋ね、前もって訪問する旨のアポを取る。


 逢坂の滞在している部屋は、20階。

 エレベーターで20階まで上がり、逢坂が滞在している2010号室を目指し歩き始めた。


 杏は部屋の前に着くと、ドアをコンコン、とノックした。

 当然、逢坂が出てくるものだとばかり思っていた。


 ところが、ドアからぬっと顔を出したのは九条だった。

「ようこそ」

 にこやかに向か入れる九条に、杏は少し面喰う。

「あなたも呼ばれていたのね」

「僕は叔母の隣に部屋をとっているんですよ」


 杏を中に招き入れる九条。物腰が柔らかく、洗練された動き。やはり華族の出を彷彿とさせている。

 ホテルは、それなりに街の表情を映し出していた。

 ESSSが入るビルより少し背が高いので、20階でも街を一望できた。


 杏は、街を一望できる窓に一瞬だけ目をくれた後、逢坂の前に近づき挨拶した。

「またお会いできて嬉しいです。向こうにいる間は、本当にお世話になりました」

 逢坂はうふふ、と笑う。

「他でもない剛田さんのお願いだったもの。あなた方も大変な思いをしたでしょう」

「逢坂さんがいなかったら、と思うと。陸軍に捕まっていたかもしれません」


 九条も同じ意見だった。

「あの島にも陸軍が来ていたので僕も驚きました。叔母が食糧など身の回り品を持ってきてくれたから助かったようなものだ」


 逢坂はまた、うふふと笑う。

「あなた方は日本にとって必要な人材だわ。私が助けるのは当たり前のこと」


 杏はまた、頭を下げる。

「生活全般に及び色々とお気遣いいただきました。2年間、短かったと言えば嘘になりますけど、逢坂さんのお蔭でハッピーな2年を過ごせたと思っています」


 九条ももっともらしく頷く。

「叔母様はとても気遣いの素晴らしい人だから。僕は小さい頃の思い出しかないけれど」

 ふふふと笑う逢坂。

尚志ひさしくんは暴れん坊だったわねえ、昔から」

 九条の顔と耳が赤みを帯びる。

「叔母様、あれは昔の話ですよ。こんなところで言わないでください」

 杏は逢坂の耳元に素早く移動し、囁く。

「九条さんはどんな子どもだったのですか」

「5歳の頃だったかしら、家にある大きな木に登ってしまって、降りられなくなったの」

「それで?」

「消防車に来てもらってレスキューしていただいて。あのときは私と義姉あねしかいなかったから、二人とも木登りなんてしたことないでしょう?パニックよ、みんな」


 ほほほと笑う逢坂。

 杏はぷぷぷと息を殺して笑う。反対に九条は、少し怒ったような表情を見せつつ、口角を上げながらも白い歯を見せている。

「叔母様はそういうことばかり覚えているのですね、僕だって大人しくしている時が多かったのに」

「そうね。九条の家は窮屈だったもの」


 そういったまま、逢坂は遠くをみるような目をして溜息を吐いた。


 九条も察するところはあったのだろう。

 何も喋らない。

 杏は5歳と聞き、自分が生を受けたとする年齢と重なり、研究所での嫌な思い出が次々と蘇った。


 逢坂は、剛田から聞いていたのかもしれない。

 杏の5歳当時のことを、何も聞こうとはしなかった。

 九条は杏が試用体として生まれたことを知っている。だから何も話そうとしない。

 

 杏は複雑な感情が心の中に入り乱れた。

 こんな立派な家系と、あたしのような試用体。

 神が本当にいるのだとしたら、なぜ今、究極の2つを同じ空間の中に置き去りにするのか。

 これがあたしのとっての試練だとでも言いたげに。

 試用体であることを卑下するべきではないと剛田や不破は言うけれど、杏は誰にも試用体だった過去を告げていない。

 剛田と不破以外にそのことを知っているのは、たぶん、W4にいた九条と、IT担当だった四條くらいのものか。

 三条は知っていれば顔に出そうだが、今のところそういった目で杏を見ることはない。


 なぜ、この空間にあたしは居る・・・。

 


 逢坂が杏の思いを吹き消すように席を立った。

「2人とも、ランチに付き合ってちょうだい。お腹が空いたわ」



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



 こちらのホテルのランチは好評だ。

 ビュッフェ式のランチゆえに、杏や九条などのマイクロヒューマノイドがいてもあまり違和感がない。

 マイクロヒューマノイド用の品もあったが、二人とも手は付けなかった。

 ここで、自分たちがマイクロヒューマノイドであると明かしたくないからだった。


 逢坂は結構大きな胃袋を持っているようで、次々と皿に取り分ける。

「食いしん坊なの、私」

 そう言って、またうふふと笑う。

 剛田を呼ぼうかと杏が提案したが、大食らいのところを見せたくないとまた笑った。


 逢坂は、現在の朝鮮国の動向や周辺の人々が日本をどう思っているかなど、小声ながらもあけっぴろげに話す。

 杏は剛田との出会いを聞いてみたかったが、ウインクされた。

 九条の前では聞くなという意志表示と捉えた。


 それにしても、夫が亡くなってなお朝鮮国に留まり続けるのは何故なのか。

 九条も疑問に思っていたから杏に話したに違いない。

 今聞いても逢坂は話しやしないだろうが、いつか聞いてみたいと思う杏だった。


「またいらしてね」


 ランチも終わり、ホテルのロビーで別れた逢坂と杏たち。

 九条は一旦毛利市に帰ると言う。

 逢坂が日本にいることをばらすのかと杏が聞くと、九条は眉をしかめデコピンの真似をする。

 この人は、そんなことをしない。

 杏は九条を信じていた。一方的かもしれないが。


 毛利市に帰る理由。

 一条と三条。彼らに今後もW4で働く気があるかどうかを確認するのだという。

 そういえば、W4は陸軍に捕まり、かなり酷い拷問を受けたと聞いた。

 漸く傷も癒えたというところか。

 でも、心の傷は癒えていないかもしれない。四条や六条はもうW4に参加しないといっていたらしい。

 身も心も、もうボロボロになったのだろう。



 万が一、あたしが同じ立場に立ったらどうするだろう。

 ま、仕事をしていないあたしはあたしじゃない。

 ミッションをいかにクリアするかだけを、5歳から10歳までの5年間、研究所で叩き込まれた。

 もう、血が、魂が、闘うことを切望している。


 杏は少々気難しい顔をしながら、E4へと向かっていた。



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



 二日後。

 まだ朝の6時だというのに、電話が鳴っている。

 不破か剛田が受話器を壊してくれないかなと思いながらベッドで杏はごろごろしていた。

 誰かが電話をとったらしい。

「なんだって!」


 あ、受話器を取ったのは剛田だった。

 あとで叱られるだろうな、ちゃんと起きてとってくれ、老人をいたわれ、と。


 と。

 剛田が叫んだということは、かなり切羽詰まった状況を示している。

 基本、剛田は家の中でも騒がない。


 杏も不破も、剛田の声が気になって、ベッドから起き上がりリビングへと歩き出した。

「わかった。こちらでも心当たりを尋ねてみる」

 そういって、電話を切ったようだった。


「どうしたの、剛田さん」

「そうですよ、らしくない。叫ぶなんて」


「お前たちか。逢坂さんがいなくなったらしい」

 杏も不破も目を見開き、眠気がすっ飛んだ。最初に言葉を発したのは杏だった。

「今の電話、九条さんから?」

「そうだ、毛利市から戻って、朝の挨拶をしようと思ったらいなかったそうだ」

「どっかに出掛けたんじゃないの」

「ええ、あのホテルの近くにはコンビニありますし」

 

 剛田は部屋を行ったり来たりとかなり焦っている。

「あの人は出掛ける時に必ずフロントに断って鍵を預けていくクセがあるんだ。それがどんなに近くでも。今回はフロントに行っていない」

「コンビニの線は消えたというわけね」

「誰か知り合いに会いに行ったのでは」

「伊達市にいる知り合いは、俺だけだ」

「毛利市に行ったんじゃないの」

「毛利市なら、尚更鍵を預けていく」


 剛田は部屋の中をずっと歩き回っている。何年も一緒に暮らしているが、こんな剛田を見るのは初めてだ。


「誰か心当たりないの」

「あの人が朝鮮に行ってから、付き合いのある人は聞いていない」

「九条さんは何て言ってたの」

「毛利市関係を当たって見るそうだ。もう、隠れて訪日などと言っていられまい」

「兎に角、あたしたちも探してみましょう。不破、あなたはE4に行って」

「俺も探しますよ、顔知ってるし」

 剛田が不破に深々と頭を下げる。

 E4ではありえないことで、不破も驚いたらしい。

「済まない。今日は何かあったら西條専門官に裁量してもらう」

「そうね、何もないことを願うわ」


 

 杏と不破は、急いで着替えると、朝市の場所や山下公園、闇市の場所など、比較的人が集まり易い場所に顔をだす。写真を持っていないから、年代と凡その顔貌を述べるのみだったが。


 剛田は、古き良き時代の友人たちに電話をかけまくっていた。

 しかし、逢坂から連絡を受けた人間はいなかった。


 杏と不破が10時ごろに一旦自宅に戻ったが、剛田はまだ知り合いに電話中だった。

 手帳に一気にバツ印が増えていた。一体、何軒電話したのやら。


 昼を過ぎた頃、九条から再び電話が着た。

「どうでしたか」

「面目ない。こちらではまだ手掛かりがない」

「僕、今ホテルにいましたので、従業員の方々に話を伺いにいってまいります」


 不破は普段九条絡みだととっても冷たいのだが、今日は世話になった逢坂さんが行方知れずとうことで、一緒に探してくれている。

 もしかしたら不破は、九条も一緒に暮らすことになり家族が増える、ましてそれが九条だとなると杏との関係性が崩れるのが嫌なんだろうなと思うが、はっきり言って、杏は恋愛センスはマイナスだ。ゼロより酷い。


 

 その間、剛田はNSXに乗り市内を爆走していた。

 誰かに連れさられた事件なのか、あるいは自分から姿を消したのか。

 犯行声明も無ければ、書置きもない。

 今の時点では、どちらともつかぬ様相が渦巻いていた。

 

 杏はあることに気が付いた。

 E4の設楽は、確か人物検索システムがあるといった。

 人物検索システムと生イヌさえいればいいのではないか。

 取る物も取り敢えず、E4に出掛ける杏。

「ほら、あななたちも一緒に行きましょう」

 少し狼狽気味の九条や不破も、次いでに連れて行った。


 E4に着くと、やおら大声を出して設楽を呼ぶ杏。

「設楽、八朔。九条さんから受け取った写真を人物検索システムにかけてくれ」

「これ、誰ですか」

「お前たちは知らなくていい」


 杏の言葉を遮り、九条が設楽と八朔に頭を下げる。

「僕の叔母です。朝鮮国から帰国していたんですが行方が分からなくなりまして」

 九条の顔を見てW4の人間だと察したであろう設楽も八朔も、それ以上は何も言わず、すぐにIT室に篭った。

 早速、人物検索システムに九条から受け取った写真を読み込ませる。写真そのものは、空港に降り立った逢坂をスマホで撮っただけだが、できると豪語する設楽。

 人物検索システムが構築されたのが2115年。

 だから逢坂の職業や住まいなどは、今回認識できない。


 ただ、Nシステムや定点カメラ解析、そして警察犬などを組み合わせれば、かなりの確率で現在逢坂がいる場所が判明するという。


 新兵器を作動させてから3日が過ぎた。

 警察犬を投入したが、ホテルの近辺でその足取りは途絶えていた。

 タクシーなどの車両で移動したものと見られる。

 夜は定点カメラを赤外線バージョンに切り替えて探すのだが、日本海に沿っての捜索はかなり広範囲になる。流石の設楽や八朔でも、なかなか見つけるのは難しかった。

 杏や不破は、夜中になるとE4で眠りに落ちていた。ずっと寝ていないのは、九条と剛田、設楽、八朔だけである。


「あ、いた」

 設楽が情けない声を出す。

 九条と剛田は、声をシンクロさせて同じことをいう。

「いたか?」

「この人でしょう?」

 そういったまま写真を剛田に渡し、設楽は目を閉じて椅子から崩れ落ちた。

 八朔も、設楽の様子を見て椅子から立ち上がりソファに向かうとすぐさま横になった。

 

 写真を見た剛田は、直ぐに九条に写真を見せた。九条も頷く。

「間違いない。叔母です」

  

 見つかったのは、毛利市内の海岸だった。

 剛田と九条が直ぐに剛田の運転する2000GTに乗り込み毛利市に向かった。

 伊達市から毛利市まで、最低でも4時間以上かかる。

 取るものもとりあえずと言った体で、剛田はアクセルを全開にして高速道を走っていた。

 

 毛利市、海岸。

 もしかしたら、もう息が無いかもしれない。

 剛田と九条は運転を交代しながら爆走する。

 九条は写真の背景から、どこの海岸か、凡その察しがついたらしい。

 毛利市に入るとすぐに剛田と運転を交替し、海岸のほうへ向かう。


 波にうちあげられたようにびしょびしょの状態で砂浜に倒れていた逢坂。

 犬の散歩をしていた男性が見つけてくれ、警察や消防に電話したらしい。

 身体が冷たくなるのは、人間にとって非常に危険なサインである。

 九条が運転している間に、剛田は車の中から凄い勢いで走る救急車を見つけた。


 救急車が海岸に着くのと、剛田や九条が海岸に現れたのは、ほぼ同時刻。

 救急隊員は、息をしているか確認した。微弱ではあったが、呼吸が確認できた。隊員が救急病院に運ぶ手配をする。

 そして救急隊員は、身分証明になる物を探していた。

 そこに九条が名乗り出た。

「僕はこの人の甥です」

 多少訝る気配を見せた隊員たちだったが、九条はおろか剛田までが警察府の人間であることを確認すると、態度が軟化した。


 救急車には親族である九条が同乗することになった。

「何かあったら連絡を」

 それだけ言い残し、剛田はまた激走し伊達市に戻ったのだった。



◇・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



 3日後。九条から剛田あてに連絡が来た。

 剛田は、頷きながら九条と話をしている。

 杏はとても気がかりで、剛田の電話が終わるのを待っていた。


 やっと、電話が切れた。

 剛田に突進する杏。

「容体、どうだって?」

「一応意識は取り戻したらしい」


「らしいって、変な言い方ね」


「記憶が欠落している部分があるようだ」

「欠落?」

「九条家に居た時のことは覚えているようだが、夫の逢坂のことや、韓国、今は朝鮮国だが。そこで暮した事を全て忘れているようだと」

「どうしたのかしら。電脳化したわけでもないでしょうし」

「それでもな、本人は朝鮮語や英語を覚えていたらしくて、朝鮮に関係ある職に就いていたのだろうと話しているそうだ」


 毛利市における大学病院に搬送され、1か月の入院を経ても逢坂は記憶を取り戻すことはなかった。九条の家に居た時のことは覚えているため、退院後は毛利市の九条家に戻ることになったという。

 

 逢坂が毛利市に転居するのと同時期に、九条がE4に現れた。

「僕は、叔母に危害を加えた者を許せない。朝鮮国でのこととはいえ、叔母には大切な記憶だったはずです」

「気持ちはわかるわ」

「どうです?今回、組みませんか?」

「うーん」

 剛田の方をチラチラと向く杏。剛田は知らんふりを決め込んでいる。痺れを切らした杏は、直談判に行った。

「逢坂さんの件、調べてもいいかしら?」

 剛田からの返事が無い。

 もう、行く気満々の杏。

「好きにしろ」

「ありがとう」


 剛田にハグすると、テンションを上げた杏が部屋から出ていく。

「じゃ、みんな。ヨロシク」


 杏は廊下を歩きながら横を歩いている九条に聞く。

「で、どの辺りから崩していくの」

「本木と名乗っていた男から」

「時系列で整理しましょう。近くのカフェにでも行って」

「そうですね」


 二人は、ESSSにほど近いカフェに足を運び、マイクロヒューマノイド用の珈琲を頼む。この2年の間の世界的な技術革新で、マイクロヒューマノイド用の食品が充実し始めた。

 レストランでの会食やコンビニ飯、カフェで飲む飲料水など、様々な物が外国から輸入されるようになったのである。


 九条は奥に陣取り、杏が持っている手帳に、時系列で逢坂の人生を書き込もうと提案した。


「生まれは2072年、第3次世界大戦中です」

「20歳の頃は何をしていたの」

「2092年か。大学4年生です」

「そのあとは」

「家事手伝いという名のプータローですね」

「そこまで言わなくても・・」

「で、叔母は本木に出会った」

「それは何年?」

「2100年前後です」

「何歳ごろ?」

「28歳くらいじゃないですか」

「嫁には行かなかったの」

「確かに行ってない」

「韓国に行ったのは?」

「2102年です。忘れもしませんよ」

「剛田さんが犯人のように聞こえるから、忘れてちょうだい」



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇


2072年       毛利市で出生

2088年  18歳  大学入学

2092年  22歳  大学卒業

2093年~ 23歳  家事手伝い

2100年~ 28歳  本木と逢う

2102年  30歳  韓国に渡る


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇


 手帳には書かれていないが、重要な点が2つある。

 なぜ、二人は名字を変えてまで韓国に渡ったのか。

 なぜ、韓国~朝鮮国になってからの記憶だけが無くなったのか。


 本木の証言は得られっこない。もうとっくの昔にあの世にいると聞いた。

 であれば、本木の家族が日本に残っていないだろうか。

 九条は、本木が実は生きていて妻の美春に知られたくないことを知られたため、記憶を消そうと試みたのではないかという推論を杏に伝えた。そして、E4のIT室に行きたいといい出した。

 そこでなら、人物検索や全国民の情報データをハッキングできるという話をW4時代の四条から聞いたことがあるという。


 設楽がむっとする展開が読めないでもないが。


「じゃあ、最初に剛田室長に断りましょう」

 杏はそう言って九条を宥め、剛田にオンラインメモで話し掛けた。

(室長、こちら五十嵐。IT室で統計府にハッキングかけてもいい?)

(どうしてそうなった)

 杏は、九条が本木犯人説あるいは怪しい説を唱えているため、本木の家族に会いたいと言っており、そのために全国民の情報データが欲しいのだ、と素直に話した。

 雷が落ちることを覚悟して。



 向こう側にいるはずの、剛田の大きなため息が漏れ聞こえる。

 やっぱり、ダメかしら。

 暫く考えているようだったが、剛田の返事は違っていた。

「私がそちらに行く。今、どこだ」

「ESSSの近くのカフェよ」

「5分待ってくれ」


 5分きっちりの時間で、剛田が現れた。

「私が疑問に答えよう」

「わかりました」

 九条はそう言うと、剛田に向け質問を重ねながら次々と核心に迫った内容を解き明かそうとする。

 たまに声を荒げて。


 なぜ、二人は名字を変えてまで韓国に渡ったのか。

 

 これは、20年前に遡らなければならなかった。

 22年前に本木と美春は出逢ったが、決してお互いの第一印象が良いわけではなかったらしい。何でも、タクシーを拾いどちらが先に乗るかで大喧嘩をしたという。

 次に出会ったのは電車の中。

 痴漢に遭い声を上げようか悩んでいた美春に、本木が相手の腕をねじ上げて鉄道警備隊に渡したとか。

 二人にとって、最初こそ酷い出逢いだったが、2回目は心温まるエピソードだったようだ。

 何度か会ううちに恋心も芽生え、将来を誓い合うお付き合いを始めた。

 しかし、元華族である九条の家の壁は厚かった。

 出自が生粋の日本人ではないと言う、その理由だけで本木は人間以下の扱いを受け、九条の家の出入りを禁じられた。

 美春がどんなに『今どきそんなことなど関係ないと言うのに』と言っても、元華族たる九条家では考えを変えようとはしなかった。

 そして、本木の仕事は危ない橋を渡るも同然のもので、それは美春にも告げられなかった。今も美春は20年前の本木の本職を知らない。


 本木は、日本と韓国の二重工作員スパイだった。

 日本の機密情報を韓国に流すふりをして、韓国の最重要機密を日本に持ってくるのが使命だった。

 韓国に知られれば、一発で銃殺刑になる身の上。


 だが、日本にいても美春と結婚できるわけもなく、本木はどんなにか悲しかったことだろう。

 本木は、結婚できずとも美春を影ながら見守ることを決意したらしい。

 リスクを伴う工作員という仕事をを辞める決意をし、当時公安にいた剛田に相談した。

 剛田は美春と別れることを勧めたが、二人を引き離すことはできなかった。


 それで、家に軟禁されていた美春を剛田が連れだすことになった。

 剛田が宅配業者の身なりをして、家人が宅配便につられて外に出た隙に、美春が裏門から出て偽の宅配便に乗り身を屈めて隠れたのである。


 二人は公安が使うような手で名字を変え、偽のパスポートで北米に渡った。

 剛田は、一旦海外に渡り整形手術を施した後、日本でも韓国でもなく、永久に北米で暮す案を提唱したが、最終的に本木は断った。

 スパイを辞める選択をした『本木』は、北米で整形し、教員免許をとり、『逢坂』として北米では朝鮮語と日本語の講師を続け、5年後に剛田の助けで何食わぬ顔で朝鮮に入り、英語、日本語などを教えていたという。


 美春は、夫が別人に見えるような整形手術をしたとき、「カッコよくなりたいのね」くらいにしか考えなかったのだという。強心臓のお嬢様である。


「私はこの計画のほぼ全てに関与した」

 剛田が頭を下げると、九条がとりなす。

「あたまを上げてください。僕は過去ではなく未来を見て歩いていますから」



 2つ目の疑問には、3人とも頭を抱えるだけだった。


 なぜ、韓国~朝鮮国になってからの記憶だけが無くなったのか。

 剛田は、確実ではないとしながらも、一つの計画を九条や杏に知らせた。


『朝鮮国の秘密組織の中には、脳を弄り長期記憶や短期記憶を司る分野を調製する組織があると聞く』



 美春を連れ去った犯人はわからずじまいだったが、九条はもはや本木レベルではなく、朝鮮国の秘密組織ではないかと想像していた。

 それなら、記憶分野を必要以上に弄るのも分かる。


 杏にとっては驚くばかりの内容だったが、いつの日か、美春が逢坂との幸せな日々を思い出してほしいと考えずにはいられなかった。




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