第7章 Xデーの真実
金沢市で起きた電脳障害=電脳汚染。
電脳汚染は、安室元内閣府長官をオリジナルとしてFL教が実験を繰り返していた事件だ。
電脳汚染の実態を解明しようと、設楽や八朔はIT室に篭っていた。
北斗が青森のFL教研究所で見た、1人のホームレスらしき人物。
一般人が、と驚いた北斗だったが、相手がホームレスということで、写真を撮ることはおろか「一般市民に電脳化施術成功の模様」と生半可な報告しかE4に伝えていなかった。
一般人でここに来るのはホームレスくらいのものだろうし、ホームレスは人物検索に引っ掛からないことが往々にしてあるからだ。
そこにもって、2~3か月の定期報告の末FL教に捕まってしまった失敗もあった。
設楽が杏にダイレクトメモを送る。
(チーフ。北斗の見たホームレスなんですが、人物検索をかけたいと思いまして)
(それは構わないが。北斗自身、相手の顔すら忘れたんじゃないか)
(それがですね、今回のサプライズで色んな実験が出来るようになったんですよ)
(何が出来るんだ)
(記憶領域の再生。凄いでしょう)
杏も身を乗り出す。
(それで北斗の記憶領域を遡って調べるというわけか)
(はい、3年以上前の記憶ですが、青森の施設を見せればホームレスの記憶が出てくるかもしれません)
(よろしく頼む)
杏は深く溜息を吐く。
記憶領域を調べれば、自分が実験の為に作製された試用体だということが分るだろう。
今どき、最先端の機器は杏の魂を消し去るかのように緻密だ。
杏はもう一度溜息を吐き、廊下に出た。
設楽はITにおいては充分にその力を発揮する。お喋りさえなければ有望な人材だ。
北斗を実験台にするのは好ましくないが、FL教の電脳汚染には、今や北斗の力を借りるしかない。
地下でバグたちと遊んでいる北斗に連絡する。
「北斗、設楽の言葉に従ってくれるか」
「はい。もとはと言えば、僕が写真なりを撮っていなかったことが問題でしたから」
「あの状況では難しかったさ。今から行うそうだ。こちらに来てくれ」
北斗が地下2階から戻ってきた。
ミーティング室で北斗の頭に微弱な電流を流し、記憶を辿る手法らしい。
杏は49階のE4部屋で、成り行きを待つことにした。
設楽はミーティング室にいる北斗にあれやこれやと命令し、八朔がサブを務めていた。
すぐに効果が出るものではないだろうと思っていた杏だが、思いのほか、時間はかからなかった。
設楽からダイレクトメモが届く。
(チーフ、ビンゴですよ。青森の実験場や麻田導師、はてはW4の一条、三条や九条まで見せたら、すっかり記憶を辿れました)
(凄いな)
(これを使って、人物検索始めます)
設楽は、今迄こんなに真面目に仕事に取り組んだことがあろうかというほど、目をぎらつかせ人物検索システムとにらめっこしている。
4~5時間は経っただろうか。
(よっしゃー)
設楽が何かを持って走りながらIT室を出てきた。
(見てください、ヒットした人物です)
杏もどれどれと覗き込む。
・・・?・・・
設楽はしてやったりとほくそ笑んでいるが、杏には意味が分からない。それほど、渡された2枚の写真は似ても似つかぬ風貌だった。
(設楽。2枚あるが、この2人は似てないぞ)
設楽はメトロノームのように指を動かす。
(だからこその人物検索システムじゃないですか。ほら、ここ、見てください)
設楽が指差す方向を目で追う杏。
どうやら、顎のラインらしい。
(顎のラインと目鼻立ち、目のくぼみや眉毛との間隔。これらを総合するとこの2名は同一人物であることが99.9%の確率で証明されました)
杏は不可解な眼差しで設楽を見る。
(ホントにホントなのか?)
設楽は口を窄めながら抗議する。
(新しい技術で、正確性は9割以上なんですよ、チーフ)
(ああ、わかったわかった。で、こっちの立派な身なりの人間は誰だ)
設楽はそう言う意味ではすぐに機嫌が直る。
(えーとですね、緑川純斗。教員です)
(教員?)
(はい。金沢市で教鞭をとっているようですね)
杏は、北斗を呼ぶよう八朔に命じた。
北斗が小走りでミーティング室から戻ってきた。
杏が一枚の写真を北斗の目の前にぶら下げる。
「北斗、この顔に見覚えがあるか?」
「あ、これこれ、青森にいたホームレスです」
「じゃ、こっちは?」
そういって、人物検索システムでヒットした顔を見せる。
「同じ顔ですね、でも、ホームレスじゃない。ホームレスになる前の顔ですか?」
杏は北斗の顔の覚え方、そしてその正確さに驚いた。
「よくわかるな。私はからきしダメだったのに」
「潜入捜査の賜物ですよ、チーフ」
設楽と北斗と杏が3人でソファに座り、設楽は周囲に対し満足げにシステム自慢をしている。
杏と北斗は、それを半分無視してホームレス像を語りだした。
ホームレス姿で青森の実験場に姿を現した緑川。元々はホームレスではなかったのだろう。あの時だけ、周囲に見破られないようホームレス姿になったのに間違いあるまい。
人物検索システムによれば、現在も金沢に住んでいることになっている。
金沢に行けば、何か得られるものがあるだろうか。
直接緑川本人に聞くしかないか。
無論、こっれぽちも話はしないだろうが。
杏は、E4室内で剛田の帰りを待った。
剛田は近頃忙しい。あまりE4にも顔を出さず、何かやんごとなき用事で動いているらしい。家に帰っても、剛田は何も話さない。
話さないのが分かっているから、杏も不破も何も聞かない。
杏はテーブルに両肘をついて手で頬を覆う。そして不破に声をかけた。
「不破。北斗のホームレス、あれ、行ってみる価値はあると思うんだが、どう思う」
不破もその辺は気になっていたようで、杏と同じようにテーブルに両肘をついて座った。
「あの緑川が誰と繋がっているのかわかれば問題解決ですね」
「そうだな」
「金沢に行きますか」
「勤めてる高校はわかるが、行っても何も出来ないだろう?」
「尾行すればボロ出すんじゃないかと」
「それもそうか」
「バグとビートルも連れていけば。撮影録音できるのはすごいですよ。使える」
その日、剛田はE4に顔を出さず、夜になって杏と不破は連れだってE4を出た。
自宅で金沢行の話を詰めていた。
「やっぱり行こうよ、不破」
「賛成。ただ、剛田さんが許してくれるか、だな」
翌日、E4に揃った杏と不破。
剛田がくるなり、その前に立って敬礼する。
「なんだ、お前たち。突然」
杏と不破はお互い小突きあった。結局、不破が剛田に話すことになったらしい。
「室長。金沢に行かせてください」
「どうしてだ」
不破は、設楽が人物検索システムでヒットした顔が青森のFL教実験棟に入って行ったホームレスと酷似していたことを話した。
「で、その教師を尾行すれば、何か手掛かりが掴めるんじゃないかと思って」
杏が最後の美味しい部分を補足する。
剛田は少し考えているようで、顎を撫でながら唸っている。
「ダメ?」
杏がダメ押しをする。
「1週間やる。それまで見つけられなかったら、他の方法を考えろ」
杏は握り拳を高々と上にあげる。
「よし!」
「五十嵐。今回は金沢で勝手知ったる我が家とはいかないだろう、皆を引き連れていけ。バグとビートルもだ。北斗は顔を見られていないとは限らないから、留守番だ」
「じゃ、西藤と倖田、あたしと不破がコンビを組みましょ」
剛田が思い出したように杏を呼ぶ。
「五十嵐。新型のオスプレイがE4に配備されることになった。向こうの警察府には私から話す。伊達空港からオスプレイに乗ってくれ」
「了解」
皆が立って、剛田に敬礼する。
金沢に行く杏たち。車で行けないこともないが、オスプレイは色々な意味で便利である。オスプレイの操縦をできる者は今、E4にはいない。ESSSから操縦士を調達して、金沢に飛んでもらうことにした。
「今日は一日天気がいいし風もないから」
操縦士はそれだけ言うと操縦に没頭し、杏たちが何を聞こうが答えない。
新型っていうけど、どこが新しいんだろう、と杏は首を捻る。でもまあ、これも西條監理官がお膳立てしてくれているのだろう。
有難い。
金沢まで30分~45分の予定で伊達空港を飛び立ったが、金沢空港に降り立ったのは40分後、午前10時だった。
市内までは警察府の車を借りる手配がなされていた。
これも西條監理官からのサプライズだろう。
金沢市の警察府に到着後、杏たちは2手に別れ、警察府車両に乗せられバグとビートルを1機ずつ従えてカメレオンモードになる。
(いいか、勤務しているのは市立金沢西高校。自宅は金沢市能登町3-4-4だ)
西藤の声が聞こえる。
(どちらに行きますか)
(私と不破は高校に。西藤と倖田は自宅を見張れ。ビートル、お前は不破の後ろにつけ、バグは西藤の後ろだ)
(了解)
(ラジャー♪)
相変わらず緊張感のないバグたちだが、撮影録音機能は別格だった。それがあるのとないのとでは天と地ほどの差がある。
以前のバグたちをパワーアップしたようで、彼らにも今は魂が宿っているのではないかと思う杏だった。
(今なら高校にいるはずだ。西藤と倖田は少し休め)
そして杏は不破とビートルを従えて高校へ急いだ。
こちらも今のところは動きがないだろう。
正門に杏とビートルが、裏門に不破が張りつく。
(昼休みになったら一度校内に入るぞ、不破。ビートルはこのまま待機)
(了解)
(リョウカイー)
(ビートル。少し緊張感を持て)
(ダイジョウブー)
張り込み出したのが午前11時。
1時間が経った。校内に昼休みのチャイムが鳴り響く。
(不破、入るぞ。生徒にぶつからないよう気を付けろ)
(了解)
二人はそれぞれ校内に入り、教員室を探す。
最初に辿り着いたのは杏だった。
そして廊下に張り出されている教員室の席辞表を確認する。
あった。緑川の名前。
第一目標、クリア。
不破も校内に入り、緑川本人を探していた。
(教員室に入った様子もないし、今日は非番ですかね)
(どうかな。取り敢えず、あとは校門と裏門に回るぞ)
昼休みの喧騒は、チャイムとともに静けさを取り戻す。
午後の授業が長く感じる杏。
高校に行った経験のない杏は、授業とは如何に退屈かを思い知らされた。
午後2時半。やっと授業が終わった。
チャイムと同時に、生徒が走り出す。
帰る者あり、部活動に出るため着替える者あり。
生徒がいなくなった教室では、教員たちが見回りして残っている生徒に部屋を出るよう促していた。
その中に、緑川の姿は無かった。
教員室はほとんど扉が開くこともないから、そこで突っ立って待っていても無駄のような気がした。
正門からも、裏門からもあの写真の男は現れない。
杏は、手ぐすね引いて待っているというのに、本人が出てこないため癇癪を起こしそうになっている。
(やはり今日は休みか?)
(学校は警察と違って平日に非番はないはずですよね)
(教員室が見える窓はあるか?)
(探してみます)
不破が校舎を出て教員室が見える窓を探している。
(ありました。あの席辞表の机に座っている人物はいません)
(こっちは不発に終わったか。おい、西藤、倖田。そちらはどうだ)
倖田が声を低くしている。
(こちらにも戻っていないようです、どうします?)
(夜になったら私と不破が交代するから、酒でも飲んで来い)
(チーフたちは?)
(マイクロヒューマノイドに食事なんぞいらん)
(では、お言葉に甘えて。今は自宅サイドにいますので)
杏はふと気づいた。
警察車両でも何処かに隠しておくんだった。緑川の自宅まで何キロあるんだ?
流石に走りっぱなしでは、マイクロヒューマノイドと言えども疲労蓄積の憂き目に遭う。いざという時、MAXのパフォーマンスが出来ない可能性もある。
では、一旦ここは警察府に出向くとするか。
(不破、警察府まで走れるか)
(いやあ、自信ないですね)
警察府まで、ダッシュで走り続けて30分。もう外は暗くなりかけていた。
西藤たちも腹が減ったことだろう。
警察府に入って剛田室長にダイレクトメモを送り、室長から警察府車両を2台借用できないか交渉してもらった。
あまりいい顔はされなかったが、電脳汚染関係ということで特別に古い覆面パトカー車両を借りることが出来た。
こうして、2台の車を緑川の自宅近くの駐車場に止め、西藤や倖田と張り込みを交代した。
緑川は、夜遅く午後11時過ぎに家に戻った。
家の中で、奥方らしき女性と喧嘩している声が聞こえる。
話す内容までは全部は聞き取れなかった。
学校に電話でもしたのだろうか、今日は休んでいると言われて奥方は半ギレ状態らしい。
別に、給料さえ手にすればいいじゃないかと杏は思う。
働いてないなら手も口も出すな、というのが杏の持論。
とはいえ、互いにDVはいけない。
暴力は暴力を生むだけで、なんら解決の糸口が見つかるわけではないから。
1週間の1日目は、不発に終わった。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
2日目。土曜日。
緑川は家から出ようとしなかった。
西藤と倖田を午後まで車の中で休ませ、杏と不破が家の中外を見張っていた。
午後になったら西藤と倖田に張り込みを頼む。
日がな一日、緑川邸を見張っていたが、動きは無かった。
3日目。日曜日。
奥方の要請であろうか、緑川と奥方が連れだって車で出かけた。
西藤と倖田を緑川邸に残し、杏と不破は車を追った。
ディスカウントスーパーでの買い出しのようで、緑川がカゴを持ち奥方はかごの方を見向きもせずに食材を入れていく。
この二人の関係性が分る出来事だ。
要は、二人ともお互いを嫌っていることは確かなのだが、離婚といった大事までは持っていきたくないらしい。
同じ空気を吸ってられないと離婚する夫婦が多いのだから、これくらいならまだマシか、と杏は不破に囁く。
4日目。月曜日。
緑川は午前7時に家を出た。
高校まで車で30分。
車での尾行は、ただ後ろに付けばいいというわけではないから難しい。
離れてみたり、追い越してみたり。
そうこうしているうちに、勤務先の高校に着いた。
車の車種や色、ナンバーは全部バグとビートルに記憶させた。あとは、高校敷地内にカメレオンモードで入り、杏がGPSを車の真下に取り付けた。
これで仕事がやり易くなった。
帰宅は午後7時。
そこからは西藤と倖田に任せ、杏と不破は深い眠りに落ちた。
5日目。火曜日。
車を換えてまた杏と不破が尾行する。
前日と同じで、この日も午前7時に出て帰宅時刻も同じ。
特にかわった点は見られない。
剛田室長から言い渡された1週間の期限まで、あと2日。
杏は少々焦りつつあった。
6日目。水曜日。
朝の5時。
バグが車のドアを叩く。杏も不破もまだ深く寝入っていた。
(う、ん。どうした、バグ)
(GPSガウゴキダシタヨ)
(なにっ)
西藤と倖田は、半落ちしていた。
(西藤、倖田!緑川の車が動き出した!本人かどうか確認するため、尾行しろ!)
その言葉で叩き起こされた2人は、慌てて緑川の車を追いかけた。
(不破、起きろ!)
1日12時間の尾行で、疲れていたのだろうか。不破はまだ目を覚まさず運転席を占領していた。
あー、めんどくさい!
後部座席で横になっていた杏は、運転席の方に回り込み、後ろから耳元で叫んだ。
「不破―、起きろーーーーーっ!!」
驚いた不破が、きょろきょろと左右を確認している。
(GPSが動いた。西藤と倖田に尾行を頼んである。こっちも付いていくぞ)
(ふえーい、了解・・・)
(まだ眠いか、なら、私が運転しようか)
不破は途端にシャキッと起きた。
(チーフに運転されたら寿命が100年縮まりますから。僕が運転します)
(それならお願いするか)
不破は口にしないが、杏の運転は反則級だ。急発進、急ブレーキと急ハンドルがセットになっている。乗った者は皆、寿命が縮まると嘆く。
だから、絶対に運転させない。
あの剛田でさえ、杏の運転する車には乗りたがらない。渋々乗っているが。
それを気にしていないのは杏だけだ。いや、わかっていて脅しているのかもしれない。
普通どおりに運転も出来るはずだ。確か傷心の北斗を乗せて走ったことがある。
杏はなおも西藤たちと連絡を取り合っていた。
(西藤、緑川はどこに向かっているんだ?)
(たぶん、ゴルフ場だと思います、このカーナビに寄れば)
(古い車だからな、カーナビも古いんじゃないか)
(さあ、どうでしょうね)
GPSを付けた緑川の車は、本当にゴルフ場に向かっているらしかった。
知らないふりをして、西藤たちの車もゴルフ場に入る。
一足遅れて、不破の運転する車もゴルフ場に入った。
緑川の車が見える場所に車を停め、カメレオンモードで緑川に近づいた杏。
次の瞬間、あまりの驚きに心臓が止まるかと思ったほどで、思わず身震いしてしまった。
そこにいたのは、紛れもない、安室玲人元内閣府長官だったのである。
杏は西藤と倖田に事情を聞く。
(どうして安室がここにいるんだ?逮捕されて刑務所の中じゃなかったのか)
(チーフが向こうに行っている間に、保釈金を積んで釈放されたんです)
(有罪判決だったと記憶しているが)
(それは春日井が地裁や高裁、メディアを脅したからで、最高裁では一転無罪判決が出ました)
杏が観た朝鮮国のニュースでは確かに有罪判決なはずだったのだが、本当のことが放送されなかったのだろう。適当なニュース番組に騙されたというわけだ。
まさかここで安室と会うとは思わなんだが、会ってしまったものは仕方がない。今日は愛人連れではないらしい。
別れたか。
杏が皆に今日の行動を指示する。
(事情は分かった。皆、安室や緑川の周辺でカメレオンモードのまま、会話を聞いてくれ)
(バグ、ビートル。二人の顔が分るような撮影と、会話内容の録音も頼む)
(アイアイサー)
(くれぐれも、ボールの邪魔はするなよ)
緑川は、酷くビクついているようだった。
「安室先生。近頃また、校内や自宅周辺に誰かいるような気がします」
安室と呼ばれたその男は、中肉中背で白のポロシャツに紺のパンツを穿きピンクのベストを着用していた。一見優しそうな目鼻立ちをしているが、奥に光る眼光は鋭く、春日井と1対1なら負けてはいない、そんな雰囲気が辺りを包む。
実際、春日井は政治生命を絶たれたが、安室は引退しただけ。今でも後輩政治家に対し何がしかの影響力を持っているのだろう。
その安室が、緑川に何か告げた。杏のいる場所からは見えなかった。
早速、ダイレクトメモを使う杏。
(今、安室は何と言った?陰に隠れて見えなかった)
倖田がベストポジションをキープしているらしい。
(そんなに心配するな、といったようです)
杏が口角をあげて笑う。
(心配事か、金沢市の電脳汚染のことだったりしてな)
杏は3人にプレーが終わったら知らせるように指示を出し、自分は緑川の車に向かった。GPSを取り外すためである。
(私はGPSを外す。おい、設楽。聞こえるか)
杏は遠く離れたE4のIT室に篭る設楽を呼んだ。
何度呼んでも返事がない。
オーバーホールしていないからか?と怪訝な顔をする杏。
(む、はあい。こちら設楽)
(寝ていたな)
設楽は途端に声を1オクターブほど下げる。
(チーフ。そんなことありませんよ、ほら、隣の八朔が寝てるんです)
八朔が設楽に反旗を翻した。
(嘘だあ、寝てたのは設楽さんです)
呆れ顔の杏。
(どっちでも構わない。緑川と亡くなった教師たちの接点を探りたい。調べろ)
(え、亡くなった教師って、ゆうに100人超えますよね)
(それがどうした)
(え、いや、調べます)
(いいか、寝る暇があったら調べろ。私たちは明日伊達市に戻る予定だ。その時まで調べ上げとけ)
設楽はすぐに根を上げる。
(無理ですって、チーフ)
(口答えする暇があったら手を動かせ)
杏は首を横に振りながら考える。
設楽は、技術は普通以上の物を持っているのに、なぜあんなにグータラなのか。あれでは八朔も引きずられるに違いない。
北斗のように生真面目になれとは言わない。せめて、西藤や倖田くらい真面目にやってくれればどこからでもオファーがくるだろうに。
そんなことを考えつつ、緑川の車を探す。
あった。緑川の車。
結構な死角になっている。杏はカメレオンモードを外そうか迷ったが、万が一を考えてカメレオンモードのまま、車の下に潜った。
取り付けた場所はわかっていた。杏自身が取り付けたのだから。
車の中央部下。運転席側から潜ったまま手を平らにしてGPSを探す。
ない。見つからない。
杏は焦って、車の下を全部手で弄った。
どこにも見当たらない。
ここに来るまでは取り付けられていたはず。
西藤と倖田がここに来れたのもGPSがあったからだ。
まさか、バレたのだろうか。
いや、今はプレー中で緑川がここに来た様子もない。
もう一度下に潜るか。
今度は助手席側から顔だけ潜って手を伸ばす。
やはり見つからなかった。
その時だった。
カツカツと足音がした。
段々高くなるその音。
誰かがここにくる。
直感的に、緑川本人だと当たりを付けた。緑川は、助手席側の後部座席に用があるらしく、ドアを開ける。
そして何かを探していたようだったが、無かったのだろう。諦めてプレーに戻るのかと思ったら、今度は運転席のドアを開け、エンジンをかけた。
助手席スレスレに身体を寄せた杏だったが、このままでは轢かれてしまう。
緑川は車をバックで発進させた。
ドン!と音がする。
緑川は不審に思ったのだろう。運転席から出て、周囲を見渡した。
何も転がっていないのを確認し、また運転席に戻る。
土壇場で、杏は手で車を持ち上げ顔を出し、手を離したのだった。
結局、緑川の車からGPSを発見することはできなかった。
さて、どうしたものやら。
明日、緑川が高校に車通勤すれば、またその時に取るとするか。
杏はプレー場にいる3人にメモを飛ばす。
(緑川は帰ったようだが、何か揉め事でもあったのか)
不破が出た。
(特には。ただ、安室が緑川に「俺達は運命共同体じゃないか」と言っていました)
(他に会話は?)
(緑川が風邪気味だったらしく、安室が風邪薬を渡していましたね)
(それでプレーを中止したのか)
今度は倖田から返事があった。
(GPS、取り外しましたか)
杏が困惑気味に語る。
(それが、なかった)
(ない?)
(全部調べたんだが、なかった)
(下に落ちたのでは)
(緑川の車があった場所を探しているが、落ちてない)
(すぐ戻ります)
(ああ、皆も戻ってくれ。安室一人なら会話もないだろう)
(了解)
皆が駐車場に戻ってきた。
安室の独り言を録音するためバグとビートルをゴルフ場に残し、4人は2台の車に分乗する。
(バグ、ビートル。安室のプレーが終わったらすぐに緑川邸に戻れ)
(ハーイ)
ゴルフ場を出た杏たち。
GPSを起動したが、反応は無かった。
(安室側が気付いたとは思いにくいんだが)
杏の言葉を引き取る西藤。
(そうですね、破壊されているようです)
(それならそれでいいか。緑川がビビらない程度に)
(尾行がついていることを勘付いたのでしょうか)
(わからん。誰か他に追い掛け回しているやつがいるのかもな)
緑川邸に戻った杏たち。
時刻は午前11時30分。
車は車庫に入っている。また家の中から奥方のヒステリックな声がする。
どうやら、緑川はもう出掛けないらしい。
今日も高校は休み、というわけか。
翌日。
杏たちは緑川を追うことを止め、帰りもオスプレイで伊達市に戻った。
安室と緑川の接点が見えた。
あとは、どうやって電脳汚染を広げたか、核心に迫るだけ。
麻田の言ったオリジナルとは、安室が考えた策だったということか。
実際に動いたのは、たぶん緑川。
安室は共謀共同正犯。
共謀共同正犯とは、共同で行った犯罪ながらも意思決定にのみ絡み、実行を別の人間に行わせる形態の共同正犯とされる。
安室は、どう転んでも自分に捜査の目が行かないように画策していたというわけだ。
本当に小賢しい。
緑川が事実を語りそうになったら、また殺す気ではあるまいな。
杏の心は、近頃いつも独り言オンリーだった。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
「おはよう」
珍しく、眠そうに起きてくる杏。
不破はもう起きていて、剛田は出勤の準備をしている。
「剛田さん、いってらっしゃい」
「杏。お前も着替えなさい。向こうで眠そうな顔はするなよ」
剛田の一言で、杏はしゃっきりと覚醒する。
「了解。ここを出るときはいつもの五十嵐杏になるから」
「ならいい。二人とも、気を付けて行きなさい」
剛田がドアを開けて外に出ると、杏は肩を竦める。
「まるで子どもに言い聞かせてるみたい」
不破が口を挟む。
「俺たちのことを心配してるのさ」
杏と不破は、お互い着替え終わったのち、E4に向けて歩き出した。片道3キロ。30分あれば着く。
歩きながら、杏は金沢での一週間を振り返っていた。
緑川発見、安室との接触確認。
オリジナルの意味。
突如として消えたGPS発信機。
共謀共同正犯。
まず、案を練ったのは安室。それを持ってオリジナルと称したのかもしれない。
そして、実行犯は麻田導師と緑川。スポーツ選手の中にも誰か実行役がいるのだろうか。いるとしても、そいつの正体はまだわからない。もしかしたら、そいつも一緒に侵襲性アスペルギルス症を発症して死に至ったのかもしれない。
ただ、生き残るケースもあり得ないではない。
その場合、闇は法の下に筒抜けになるだろう。
何とかして葬り去らねばならないはずだ。
緑川は、安室に命令されホームレスに化けて青森の実験場に入り、アスペルギルス・フミガーツスを手に入れた。そして実験場では電脳化されている者にカビと免疫抑制剤を投与し、汚染させられるかどうかの実験を重ねたに違いない。
何体かの電脳済人間をカビと免疫抑制剤で死亡させ、或いは脳を弄ってカビを植えつけたのかもしれない。
あの実験棟から出てきた人間は、殆ど脳が減ったとしか思えない体重変化だったという。
いずれにしても、緑川は、実験を成功させたのち金沢に戻っていた。
緑川自身はアスペルギルス・フミガーツスを隠し持ち、免疫抑制剤を自分に投与することなく生活、教師たちに向けた電脳汚染のXデーを待っていたと思われる。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
「おはよう」
いつもどおりの低い声と黒の革パンに白のJジャンを羽織った杏がE4室内に入った。不破も一緒に。
「チーフ、調べましたよ、調べましたとも、ええ」
設楽の恨み節が聞こえる。
幻聴では無さそうだ。
設楽が八朔まで巻き込んで調べた教師の死者100人余り。
それら死者たちは、緑川と接触した者が殆どだった。
多分、カビと免疫抑制剤をコーラか何かに入れ、さもなくば風邪薬に混入させて飲ませ、最終的には免疫抑制剤を飲んでいる状況と同様にしていたと考えられた。
風邪薬は往々にして苦いものだ。カビっぽいと分っていても、ほぼほぼ全員が飲んだことだろう。
いや、風邪薬はカプセルも多いから、カプセルに両方を入れてしまえば済む。
風邪薬、免疫抑制剤・・・。
「しまった!」
皆がキョトンとする中、杏が不破、西藤、倖田に確認する。
「安室が渡したのは、風邪薬だったな!」
「そうです」
「安室は緑川を始末する気だ!」
「なんだって?」
西藤が急ぎ室内のモニターをつける。
ちょうどニュースの時間帯。
全国ニュースでは、金沢市で再び教師が電脳障害を起こし死亡したことを伝えていた。
「・・・亡くなったのは、金沢市能登町に住む緑川純斗さん、46歳です。緑川さんは、昨日午後2時ごろ急に呼吸困難に陥り、病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。これで金沢市の電脳障害死者は・・・」
ドン!!
杏が拳を壁に叩きつける。
「昨日のうちに気が付いていれば・・・」
活字オンラインで詳細を追う北斗。
緑川は、風邪気味と言ってゴルフを止め午前中に家に戻り、午後1時ごろに風邪薬のカプセルを飲んだ後、午後2時を過ぎたあたりに、急に呼吸困難に陥った。
そして国立金沢大学病院に救急搬送されたが、病院に着いた時には既に心肺停止状態だったという。
市販の風邪薬を飲んだということで、成分を検出するために司法解剖が行われたが、妙なことにかなりな量の免疫抑制剤が検出された。
金沢市警察府では、事件の可能性もあると見て捜査本部を立ち上げたが、風邪薬をどこから調達したのかが分らず、捜査は足済み状態が続いている、とのことだった。
西藤が活字オンラインを見ながら独り言ともつかぬ発言をする。
「これは迷宮入りになりそうですね」
あの時一番解り易い場所にいた倖田が様子を伝えた。
「カプセルを渡したのは、キャディーさんもいないときだったから」
「安室にしてみれば、実行役がビビッて何かを話そうとする、まあ、麻田導師も同じ何ですが、それを肌で感じるのかも知れない」
杏も口を挟む。
「麻田のときのように先手を打つな、安室なら」
「今回はW4がいないから狙撃できなかったんでしょう」
その時、剛田室長が部屋に入ってきた。
「皆、電脳を繋げ」
「了解」
皆が耳たぶを押す。
(今一度、事件を整理する)
剛田は時系列で事件の概要を整理し、皆の意見を求めた。
(まず、青森の実験場から事件は始まっていた)
(北斗が見た通り、ホームレス姿で実験場に出入りしたのは緑川に間違いなかろう)
北斗に同意を求める剛田。
「な、北斗。何回くらいホームレスを見た」
「僕が見たのは1回きりでした」
たまたま北斗が見たのは1回だったようだが、きっと緑川は何度も青森の研究所に出入りしていたに違いない。
そして、命令されアスペルギルス・フミガーツスを持ちだした。
その後、電脳化している公務員関係者を引き摺りこみ、電脳汚染できるかを実験した。
実験は成功したと見える。麻田導師たちが喜んでいたことからもそれが窺える。
実験成功を受けて、緑川は金沢に戻った。
次に設楽から説明があった。
(亡くなった教師たちは、皆、緑川と何らかの形で接触していました)
(ゴルフが趣味だったこともあり、毎週のようにゴルフにいったり、教師の集まりがあると必ずと言っていいほど顔を出していたそうです)
(そこで、カビと免疫抑制剤が投与されたわけです)
杏が手を上げて設楽に質問する。
(どうやって?)
(ビタミン剤を砕き一度バラバラにして混ぜて、免疫抑制剤を固めたものと一緒にもう一度混ぜて、瓶に入れていたようです)
(今回の緑川殺害方法のように、風邪薬として渡したこともあるらしいです)
(飴玉と混ぜる方法もあったみたいです)
(渡しても口に入れなかった人は助かっていました。警察は内偵してたらしいですよ)
杏がもう一度手を上げる。
(なぜ自分が使った方法なのに、安室からもらった風邪薬を飲んだのかしら)
(自分だけは殺されない、と高を括っていたんじゃないですかねえ)
(どの事件でも、子飼いを殺るのは常套手段よね)
(確かに)
今度は、西藤が剛田や設楽の顔を見る。
(スポーツ選手の電脳汚染が解明できていません)
設楽は満面の笑みを浮かべ、杏に拳骨を食らう。
(スポーツ選手の寮の近くで不審者情報が浮かんでいます。ここでは、飲料水の自動販売機の取り出し口にペットボトルを置いていました)
(プロたるもの、飲まないだろう。今のご時世禁止薬物だって出回っているのに)
(それがね、そうでもないんですよ。志の高い人は飲まないんですけど、どうも、そこまでいかない人はラッキーと言わんばかりに飲んじゃうそうで)
(でも、恥ずかしくて言えないな、助かったとしても)
(そうなんです、痛いところを突いてくるんですよ)
(そのばら撒きも緑川の仕業だと?)
(FL教が無くなりましたから。本当だったら、FL教が担うべき役割だったようです)
(なるほど)
杏は電脳を解いて、北斗に事の次第を説明した。
北斗は、設楽が昨日大声で自慢したと苦笑する。
杏は背を椅子に真っ直ぐに伸ばしながら、考えていた。
安室はカビを体内に取り込んでいるのだろうか。いや、共謀共同正犯である安室のことだ、自分の身だけは守っていることだろう。
この金沢市の電脳汚染こそが、安室元内閣府長官が目指していた電脳汚染であり、Xデーの解禁。
侵襲性アスペルギルス症という重篤な病気を蔓延させ、電脳関係者に、自分への忠誠を誓わせるつもりだったはず。
一般人で健康な人は掛からないわけだから、年寄りの始末にも役立つ。
赤ん坊は、死ぬときは死ぬくらいにしか考えていない安室。
W4が解散同様になったのはいたいが、またどこからか引き抜いてくればいい、そんなことはどうにでもなる、と考えているに違いない。
犯罪のトップが分かっているにも関わらず、安室を挙げる手立ては今のところない。
緑川の証言が不可欠だったのに、その緑川さえもが安室によって葬り去られた。
E4の捜査も空しく、事件は長期化の様相を呈していた。
緑川が死んだことで、金沢の電脳汚染は終息しつつあった。
E4では、ゴルフ場でのやり取りと写真を警察府に提出した。
警察府上層部は、それを証拠にするつもりだったのか、電脳汚染の共謀共同正犯として安室元長官を再逮捕した。
取り調べで、総てが明かされる。国民の目が金沢に向いたその時。
なんと、安室は警察府のビルから出ようとしたところをどこから狙ったかわからないスナイパーに射殺されたのである。
今回の狙撃に、E4は関わっていない。
もしや、W4の面々。
E4の誰もがそう信じた時。
九条と一条、三条がESSSに現れた。
杏が九条に尋ねる。
「どうしたの、こんなところで」
飄々とした九条。
「取調べです、先日安室元内閣府長官が狙撃されたでしょう」
「あれは、あなた方の手法なの?」
苦笑しながら答える九条。
「まさか。我々はあのような暴挙には出ません」
どこからも犯行声明は出なかった。射殺犯も炙り出せず、射殺理由さえ不明。
真実が世に出ないまま情報は錯綜、金沢市は混沌とした空気の中、捜査も膠着したにかに見えたに思われたが、槇野総理は、全ての責任を安室元内閣府長官に被せ、早々に幕引きを図ったのだった。




