第6章 ラスト・ステージ
伊達市のアパルトモンに住む紗輝。
E4を辞めてからの紗輝は、女性が勤める花屋に自分も勤め、二人で花を運んだり営業に携わる日々だった。
女性の名は、羽田李華。
別に李華と交際するわけでもなく、ただ寄り添い、李華のために自分も働いていたいというのが偽りならざる本音だった。
自分が義体化していることを隠したかったのも手伝って、一般人のふりをしている紗輝。
オーバーホールすべき部分もあったが、研究所等には行かずほったらかしだった。
ある程度電脳化している紗輝は、非子孫繁栄プログラムも組み込まれており、人間の本能を圧抑するようプログラミングされているため、一般男性に比べ相手を思う気持ちしか自分にはないと思っていた。もし恋心が成就したとしても、一般人のようには暮らせない。
紗輝は、李華の気持ちがわからないでいたし、それで構わないと思っている。紗輝自身、普通の平和な生活はできないのだから。
彼女の気持ちを聞いたとしても、自分が応えられるか、自信はなかった。
だからこそ、花屋というツールで彼女を助けてあげられれば、それでよかったのである。
花屋の仕事は、右腕を義体化している紗輝にとっては疲れるということが無かったのは大きい。
今はビルなどの会社めぐりをして、玄関ドアまでは紗輝が花束を持ち、中で活けるのが李華の仕事になっていた。
なぜか、E4への納品はない。
そういえば、マイクロヒューマノイドが弾圧された時期があった。
その時にE4は解散したのかもしれない、そう思った。
E4が解散しようがしまいが紗輝にとっては関係なかったが、杏や不破が元気でいるのかどうかだけは、少しだけ心配だった。
今の配達経路で、一番遠い納品先は青森。
過去にFL教の研究施設があったところだ。
紗輝はFL教の施設が青森にあったことは知っていたが、FL教も麻田導師を失って求心力は低下していたと記憶していた。
2時間余りのドライブで、結構な種類の花を運んでいた。
女性を隣に乗せ、冗談を言い合いながら、時に愚痴を聞きながら。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・◇
ある種のものごとって、ずっと同じままのかたちであるべきなんだよ。大きなガラスケースの中に入れて、そのまま手つかずに保っておけたらいちばんいいんだよ
Certain things, they should stay the way they are. You ought to be able to stick them in one of those big glass cases and just leave them alone
『ライ麦畑でつかまえて』で有名なフレーズ。
その言葉が杏の中に再び木霊する。
第2科研に行けば、義体はまだしも非子孫繁栄プログラムを解いてもらえるかもしれない。普通に恋愛をして、普通に結婚をして、普通に子どもの父親になりたい。
紗輝はそのように願いE4を辞めたのではないか。
杏は今まで、そう考えていた。
そう。昨日までは。
あの女性が何のために報告書を持たされるのか、今はまだ判明していない。もしかしたら、本当にメッセンジャーとしてのみ仕事を請け負っているのかもしれない。
設楽と八朔に高速道及び青森市内のNシステムを探らせているが、たぶん、紗輝は女性と行動を共にしているはずだ。
紗輝は何かに気付いているのか。
杏の魂は再び疼いた。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
紗輝は、いつものように、休日を兼ねて李華とドライブを楽しんでいた。
笑い、愚痴り、また笑う。
それだけで紗輝の心は満たされた。
義体化のことを言わなければいけないだろうか、いつまで嘘を吐き通せるだろうという心配だけが、紗輝の頭の片隅にはあった。
ドライブを終え、李華を家に送ろうとしたが、李華は花屋まででいいという。今迄もそうだった。家に送ったことはない。
花屋の方向にハンドルを切ろうとすると、李華が紗輝の左腕を掴んだ。
「あなたの部屋でお話したいことがあるの」
こういうシチュエーションは今までなかったため紗輝は少し驚いたが、言われるままにハンドルを戻し直進した。
「部屋、少し汚いかも」
「いいわ、そんなの関係ないから」
紗輝の部屋に入るまで、李華は一言も発しようとはしなかった。紗輝も、何も聞かない。
何の話か聞きたい気持ちはあったが、聞かせない雰囲気の李華がいた。
李華の顔はとても真面目で、何か悩みがあるのだろうとは紗輝にも推測できた。
玄関ドアにキーを差し込み、ドアを開ける。
紗輝が最初に入り、家の中を見回した。
良かった、確か一昨日掃除したばかりだった。
廊下で待つ李華をリビングに入らせた。
「綺麗な部屋じゃない」
李華が笑う。
「そうかな」
紗輝は照れ笑いを浮かべ、李華をソファに座らせた。
「で、話って、何?」
紗輝の言葉にも、しばらく李華は口を開こうとはしなかった。
二人とも、無言の状態が5分ほど続いた。
「珈琲にする?紅茶にする?」
シンと静まりかえった部屋の中に、紗輝の言葉が響く。
李華が初めて口を開いた。
「ありがとう。じゃ、珈琲で」
「インスタントしか置いてないんだ、ごめん」
「気にしないで」
インスタントコーヒーを入れたマグカップを2客、テーブルの上に置く紗輝。
紗輝から話を振った。
「何か話があってここにきたんだろう?」
「うん、実はね・・・」
「何?」
また少し、李華は押し黙る。
3分くらい、静寂が辺りを包む。
暇というわけではないが、何かしていた方がいいかもしれない。
じっと李華を見つめれば、李華も話しにくいだろう。そう思って、紗輝は『ライ麦畑でつかまえて』を手に取った。
その様子を見ていた李華が、漸く口を開き始めた。
「実はね。私、あなたに隠していたことがあるの」
「うん」
家にも送らせないし、何かあるのだとは思っていた。
まさかの三角関係?と、やや焦りを感じる紗輝。
隠し事なら自分にもあるんだ、と常日頃から思っている紗輝。
自分も今、秘密にしていたことを話すべきなのだろうか。
しかし、李華の話は紗輝の思いとは全然違っていた。
「わたしね、中華国のスパイなの」
「そうなんだ」
紗輝自身、三角関係でなければ別によかった。
スパイの3文字にも動揺はしなかった。
紗輝はライ麦畑の本を開きながら微かに頷いた。
「でもね、紗輝さんに会ってから、スパイの仕事が嫌になったの。嘘を吐き通すこともできないし、かといって抜ければ死が待っている」
「逃げることはできないの?」
珈琲を淹れたマグカップを持つ、李華の手が震えている。
「あの国のスパイ組織は、狙った獲物を逃さない」
紗輝はそっと、震える手に自分の手を添えた。
「どうしたい?」
しばしの深閑。
李華は、か細い声で言葉を絞り出した。
「私は逃げられない。でも、紗輝さんを巻き込むことはもう嫌。お願い、私と心中して」
紗輝が、ふっと笑った。
「いいよ」
紗輝の顔を見て、李華は驚いたようだった。
「ほんとに?いいの?」
「うん。今の世に未練などないから」
李華の頬から床に滴り落ちる涙。
紗輝は、一つだけ李華に願い出た。
「最初に僕を殺して」
「どうして?」
「僕にキミを殺させないで欲しい」
李華の目から、再び涙が零れ落ちる。
「私もあとで薬を飲むから」
紗輝は、心中にあたっての最後の願いを李華に伝えた。
「この本を読みながらでもいいかな。最後に目に焼き付けておきたい」
「本?最後に見るのが私の顔じゃなくて?」
「涙に濡れたキミを見たくないから」
「紗輝さん、気障だわ」
少しだけ、李華は笑った。
紗輝はソファに座った。
そして『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいた。
李華は、一言だけ紗輝に伝えた。
「ごめんなさい」
そして、両手に白い手袋を嵌めると、紗輝の正面に座り、その首を絞めた。凄い力だ。まるで、義体化しているかのような。
頭に凄い圧力がかかる。
それでも紗輝は首に力を入れながら、本の何ページかをビリビリと破き、ソファの下に落とした。
李華の目に本は入っていなかったし、目に入ったとしても、たかが本だった。
実は、紗輝は上着のポケットの中に拳銃を仕舞っていた。E4から持ってきたものだ。
彼女を撃って自分をも撃つ心中方法がないではない。
しかし紗輝はそれをせず、目を瞑り、李華の凶行を受け入れた。
紗輝は一瞬間、肖像が見えたような気がした。目くるめく感情を映し出した万華鏡みたいな肖像。
それは、紗輝の魂だったのかもしれない。
ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとうになりたいものといったらそれしかないね
I’d just be the catcher in the rye and all. I know it’s crazy, but that’s the only thing I’d really like to be
「ライ麦畑でつかまえて」の一節を頭の中で復唱しながら、紗輝は、幸せの中で一生を終えた。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
紗輝を最初に逝かせた李華。
部屋を物色し、何かを探していた。
チッと舌打ちをしながら、苦々しい表情で、自分で持ってきたバッグの中から薬剤の入った小瓶を取り出し、自分の指紋を拭き取り、紗輝の指紋を付けるため握らせると、紗輝の前に放り投げた。
そして、紗輝の身体を探すと、拳銃が1丁見つかった。
ニヤリと不気味に笑い、李華はそれをバッグの中に隠した。
そして少し涼しげな顔に戻った。
「邪魔だったんだよ、お前は」
李華は、もう息をしていない紗輝を睨みつける。
「E4にいたからこそお前は役に立つはずだったのに、辞めて花屋なんて。情報も持ってないし、いらねえよ」
李華は玄関を開け、辺りを見回す。誰もいないことを確認して、紗輝の部屋を出た。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
その日の夕方だった。
杏と不破が紗輝の家に辿り着いたのは。
まず、おかしなことだった。
部屋が施錠されていない。
紗輝は忘れっぽい奴ではない。家の施錠くらいしているだろう。
杏と不破は、そっと紗輝の部屋に入った。拳銃を握りしめながら。
廊下をつたい、リビングに入る。
そこで見たのは、だらりと右腕をソファから出して寝ているような紗輝の姿。
杏はすぐに紗輝の下に向かい、呼吸を確かめる。
紗輝は、もう呼吸をしていなかった。
死後硬直が出始めているものの末梢神経辺りは硬直していないことから、死後4~6時間前後と思われた。
不破は喉元の異状を確認した。何かで絞められた跡が見受けられる。ロープのような形状ではなく、人間に絞められたような形状。
しかし、男性のような手ではない。手の大きさからして、首を絞めたのは女性とみるのが妥当だった。
扼殺。
杏たちは、部屋の中を捜索した。
毒物の入った小瓶が紗輝の近くに投げ捨てられている。
「毒?扼殺じゃないの?一体どっちなの!」
杏はいつもより確かに冷静さを欠いていた。
少しナーバスになっている杏を見て、不破も心配になったらしい。
「杏。E4を通して第2科研に遺体を運んでもらおう」
「司法解剖するの?」
「毒薬と扼殺、どちらが死因かわからない」
不破はオンラインメモを使い、E4に接続した。
出たのは倖田だった。
「不破か。どうした」
「紗輝が殺害された。第2科研に遺体を運んで司法解剖して欲しい」
「わかった。そちらまで20分はかかるだろうから待っていてくれ」
不破は、一般でいうところの警察は呼ばなかった。
紗輝はE4を辞めたとはいえ、警察府関係者だったのは事実だ。
警察府関係者の場合、死亡した際には国立科学研究所に遺体を運び司法解剖がなされていた。
電脳障害で亡くなった可能性も捨てきれないため、である。
杏は、ソファの下に『ライ麦畑でつかまえて』の部分が、ちぎられ散乱していたのを見つけた。
紗輝が破ったものか、紗輝の命を奪った者が破ったのかはわからない。
破られていたのは、約3ページ分あった。
ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。
馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとうになりたいものといったらそれしかないね
I’d just be the catcher in the rye and all. I know it’s crazy, but that’s the only thing I’d really like to be
死んでから花をほしがる奴なんているもんか。一人もいやしないよ
Who wants flowers when you’re dead? Nobody
僕が死んだときには、川かなんかにすててくれるくらいの良識をもった人が誰かいてくれないかなあ、心からそう願うね
I hope to hell that when I do die somebody has the sense to just dump me in the river or something
杏は、この中に紗輝のダイイング・メッセージ(dying message)が残っていると直感した。
紗輝は自分の一生を予測していたのだろうか。
杏は、泣いた。
号泣してはいけないと思いつつ、紗輝が可哀想でならなかった。
花屋に勤めていたあの女は、紗輝がE4にいたからこそ近づいたのだろう。
いや、犯人があの女とは限らないのだが、何故か杏はあの女が紗輝の死に関わりがあるような気がしていた。
そう思うと、悔しくてやるせなかった。
不破に一言だけ伝える。
「花屋に行ってくる」
不破が杏の右腕を掴み、止める。
「今はまだ証拠がない。今行ったら紗輝は無駄死になる可能性が高い。もう少し待て」
「死んでから花をほしがる奴なんているもんか。一人もいやしないよ。Who wants flowers when you’re dead? Nobody。これは、紗輝の残したダイイング・メッセージでしょう?」
不破も頷き、同調する。
「俺もそう思う。でも、これだけじゃダメだ」
「じゃあ、どうすればいいっていうの」
「証拠を見つけなければ。本人が自白するような」
「証拠なんかなくたっていい。あの学校に入り込んで覚醒剤を焼き払う」
不破が折れた。
「それならいいんじゃないか」
「研究所も潰してやる」
「OK」
杏は拳を握りしめた。




