彼女との勝負
平林玲穂。それが彼女のフルネームである。
一応同じクラスではあるが、恐らく他のクラスでも彼女の名前を知らない者はいないだろう。・・・成績や学校で行われるテストにほんの少しでも関心があれば。
と言うのも、定期試験の度に、総合トップの座に聞く名前はほぼ彼女のものなのである。
くり返しにになるが、ちーきくは常に学年一桁に入る位には成績は良い。そして、自分で言うのも何だが実は私もそこそこ上位の順位をキープしている。
しかし、彼女は別格だ。
なるほど! 確かに知識を問われるクイズ大会の戦力としては、ちーきくに加え彼女がいれば鬼に金棒かも知れない。尤も、その場合、私がより一層足を引っ張りそうではあるが・・・。
ちーきくが三人目のターゲットとして、新たに平林さんに狙いを定めたのはすぐに分かった。だが、それには根本的に一つ気になることがあった。
「平林さんこそ難しくない?」
平林さんとは時々話すこともある。ちーきくもたまに勉強のことなど聞いているようだ。だから確かに彼女がチームメイトになったとしても特別気負うことはなさそうだが、そういう意味ではちーきくに対する予感は一応間違っていなかったらしい。だが、問題は彼女のキャラクターである。
平林さんは大人しい。
ぶっちゃけ言うと、それが私が平林玲穂というクラスメイトに大雑把に抱いている印象である。露骨にガリ勉という訳ではないが学年トップという先入観も多少なりとも手伝っているのか、いつももの静かであまり人前に出たり目立ったりすることが苦手そうなイメージだ。
私もちーきくの誘いには最初あまり乗り気ではなかったし、偏見かも知れないが、平林さんがちーきくが誘ってもいぇす!と答えるシーンがまず想像出来ない。
「おおっ!? さーちん、よく私の考えてることが解ったねえ!」
「いや・・・このタイミングで解らなかったら、鈍いにも程があるでしょ!」
「んー・・・でも、もうひらりん以外に考えられないしなあ・・・!」
と、ちーきくが言い掛けたその時である。
「ほらーっ!もう始めるよーみんな席付いてー!!」
私達の英語担当である古賀先生が教室に入ってきた。そう、少し思考が中断していたがこれからテストなのであった。私とちーきくはそのまま会話を一旦中断すると、それぞれお互い自分の席に戻り、慌ててテストの準備を始めた。
「さーちん、ごめんね。テスト大丈夫だった?」
空気が一気にゆるんだ教室の中をちーきくが私の所へとやってくる。
「まあ、何とか・・・ね。」
本当に割りと得意な分野で助かった。と言うか、そもそもテスト直前の復習なんて、所詮気休めにしかならないのはもう嫌と言う程何回も繰り返し知っているので、ちょっとそれが出来なくなった位でほぼ支障なんてある筈が無い・・・のだが、ついやらないともの凄く後悔しそうな気になるのは性格だろうか?
「ちーきくの方こそ大丈夫だったの?」
「まあ・・・私も何とか。」
そう・・・それなら良かった・・・と安堵した途端、今度は急激な眠気に襲われた。お昼を食べた午後一の授業、しかもテストという緊張感から解放されたせいであろうか?
「何か小テスト終わったら急に眠くなってきちゃった・・・!」
「さーちん、次体育だよ! 寝ながら運動したら怪我するよ。」
む・・・! 午後の最後の授業が体育とは、何たる嫌がらせ。まあ、下手に倫理とか古典とか睡魔を更にパワーアップした睡魔と苦戦を強いられる授業よりは幾分かマシ・・・か。
「ほらさーちん、起きて!テニス一緒にやろうよ!」
机に伏した私の肩をちーきくが揉んでくる。妙に気持ち良くて本当にこのまま眠ってしまいそうだ・・・まったく、ちーきくは起こしたいのかこのまま安眠への誘惑に乗せたいんだか解らない・・・!
あー・・・そう言えば今体育ってテニスやってるんだっけ。テニスならちょっとやる気出て来た・・・かも知れない。
私はまだ眠気に抗えない頭をゆっくり起こす。
「あ、起きた!」
「・・・!ちーきく、今何をしようとした!?」
「え!? いや、肩を揉んであげただけだ・・・よ?」
起きたら、ちーきくが何やら挙動不審だった。
「うそだ! また人が寝ているのをいいことに何かしようとしたでしょ!」
「イヤダナー、トミナガサンニソンナコトスルワケナイジャナイデスカ。」
うむ・・・!あからさまなカタコト。確実に何かしようとしていたねこの子は。こんな風に、人がちょっと油断するとたまにちょっかい掛けてくるのもちーきくである。そして、こういうときはスルーするに限る。
「とりあえずそれ、没収ね。」
「あ!」
・・・まあ、一応ちーきくが何故か手に持っているペンとはさみは取り上げておく。
「ほら、アホなことやってないで行くよ!一緒にテニスやるんでしょ?」
「アホって、私が起こしたのにぃ~・・・」
ちーきくが不満そうに呟くが、それも聞こえない振りして私は軽く伸びをすると教室を出た。ふと振り返り、彼女がちゃんと付いてくるのを確認して、私達は昇降口へと向かった。
「ヒラバヤシ サービング、プレイ!」
試合開始のコールが響く。平林さんがゆっくりとサービスの姿勢に入る。
気付けば、私とちーきく VS 平林さんという構図で本気の試合・・・という構図になっていた。
えっと・・・どうしてこうなったんだっけ・・・!?
もちろん!原因はちーきくである。それはもう、紛う事なき・・・!
数分前のことである。私とちーきくは二人で一番端っこのコートで適当にラリーをしていた。
厳密にちゃんと試合していた訳ではないので、一応正規のルールにのっとってスコアも取ったてはいたものの、適当にと言うか、結構まったりとした感じで打ち合っていた。
・・・筈だった。
何回目かのタイブレイクになったところで、ちょっと休憩、ということになり私とちーきくは水分補給に行きつつそのままコートの隅っこの方で、他愛もないおしゃべりを始めながら大分火照った身体を休ませていた。
「ここ、使ってないなら使っていい?」
そこにちょうど来たのが平林さんであった。
聖雪はグランド内にテニスコート四面、サブグランドにあるものも含めると、更に二面の合計六面のテニスコートを持っているが、流石に一クラス全員がダブルスをやったとしても同時に一コートを占有できる程の余裕はない。そんな訳で体育でテニスをやる場合には譲り合いながら使っている訳である。
「どうぞどうぞ!」
ちーきくが大袈裟に両手を前に差し出すポーズで了承の意を示す・・・と、その時である。
「あ!やっぱりちょっと待って!!」
ちーきくが不意に平林さんのもとへ寄っていくと、何事かと話し掛けた。まあ恐らく十中八、九例によって懲りずにクイズ大会への参加協力を打診しているようだが、相変わらず聞こえてくる会話の内容からすると、好ましい返事は得られそうにない様子だ。
とその時、ふと耳を疑うような言葉が聞こえてきた。
「・・・それじゃあ、テニスで勝負して、私達が勝ったら一緒に出て!」
ん・・・今「勝負」って言ったか!?しかもテニスで?平林さんと??
平林さんて、確かテニス部だった気が!!!
ちょっと待てちーきくよ・・・!貴女・・・文化部ですよね!?しかも、もろに向こうの専門分野で勝負してどうして勝算があると?? しかも、今聞き間違いじゃなければ私「達」って聞こえたような・・・。まさか、それ私にもその勝負に加われってことじゃないよ・・・ね?
しかも、更に加えるなら聖雪のテニス部は何を隠そう、実はレベルが高い。超絶に高い。どの位高いかと言うと、ぶっちゃけ「全国大会で優勝する」位。
そう、昨年中学テニスの大会全国で優勝したのがうちのなのである。それどころか、一昨年と合わせて二連覇していたりする。聞いた話だと、今年もやはりそれなりに良いところまで順調に勝ち進んでいるらしい。そして余談だが、巷で人気の某テニス漫画に登場する主人公達の強豪ライバル校のモデルがうちらしいという話もある。クラス単にで使用する分にはキャパが足りないように感じるコートも、客観的に見れば恐らく平均的な中学・高校が備える数よりも圧倒的に多いだろうという数を確保しているのも、単にグランドの敷地が広いからという理由だけでなくそれだけ力を入れているということだろう。
「よし!!じゃあさーちん、やるよ!」
思わず頭を押さえる。
「え!?やるってテニスの試合を?平林さん達と?!」
「もちろん!!あ・・・でも、一応ハンデとしてダブルスルールだけどあっちはひらりん一人でやってくれるって」
聞いたところだと、どうやらダブルスの体でこちらは私とちーきくのペアだが、せめてものハンデとして向こうは平林さんのみの2対1、審判は平林さんと一緒に来たやはりテニス部の早坂さんがやってくれることになったらしい。
私の予感が外れるという僅かな望みはやはり叶わなかったようだ。
「えっと・・・もしかして、ちーきくって昔テニスやってたとか」
「いや、強いて言えばほんとに小さい頃に遊びでちょこっとやったことある位かな」
・・・そんな気はしてたさ!どう考えても、現役のテニス部員と方や碌に経験の無い文化部風情、普通に考えたら無謀にも程がある。
「いやいや、平林さん達も迷惑でしょこんな実力差があり過ぎな試合・・・ねぇ?」
そして、恐らく平林さんもしつこく勧誘された上に圧倒的に格下の相手から勝負を申し込まれてもういい加減ウンザリな筈である・・・
「え・・・私は別に構わないけど」
と、思ったらこれはもしかして却って本気にさせちゃったパターンですか? て言うか、目が笑ってない・・・あれ!?平林さんて実は意外に挑発とか乗りやすいタイプ??
・・・・と、こうして今に至る。
平林さんがゆっくりとトスを上げる。
いざ試合を始めるにあたって、「サービスやってもいいよ?」と平林さんは言ってくれたが、「既に2対1のハンデ貰っているから」という理由でちゃんと決めることになった。
「ウィッチ?」
「菊池さんからどうぞ!」
「そう? じゃあ・・・ラフ」
「スムース」
そう言ってちーきくがラケットを立てて回す。倒れたラケットを拾い上げグリップの底を覗く。
「あ・・・じゃあ、こっち側のコート使わせて貰うね」
見ると、メーカーのロゴマークである「B」の文字が逆さまになっていた。
平林さんはちょっと意外そうな表情を見せたが、すぐに元に戻り、
「せっ角サーブ権取れたのにいいの・・・? 悪いけど、私がサービスになったら一回も返せないで終わるかも知れないわよ?」
へぇ・・・テニスの試合ってそうやってサービスとコート決めるんだ・・・!
って、そうだよちーきく!どうして平林さんの言う通り、堂々とサービス出来る権利を手に入れたらのにむざむざ放棄した!? コートよりも絶対にサービスをやらせてもらうべきだろう。
しかし、そう言うとちーきくは、「いや、なんかこっちのコートの方が絶対的に調子さそうでしょ?」
と、平然と答えた。
高く上げられたボールが空中で一瞬止まったかと思うと、再び加速しながら落ちてくる・・・と、思った瞬間、パシッという強い音と共にいつの間にか平林さんのラケットが前に降り下ろされていた。
そして、先程まで空中に上がっていた筈のテニスボールは、弾丸のような速さ(いや、弾丸が飛ぶのは実際に見たことないけど・・・)でこちら、というかレシーバー側にいるちーきくの方に向かってくる。
え!?本気でテニスやっている人ってこんなに速い球を打ったり返したりしてるの?
・・・ってか無理!! こんな速いの打ち返せる訳がない!
そんなことを瞬時に考えながら、ちーきくの方を見る。これはちーきくも見送るしかない
・・・と当然のごとく思っていたがまさかの予想外の結果に目を疑った。
ボールが地面に着いた次の瞬間、偶然、いやもしかして本当に狙ったのかは知る由も無いが、ちーきくのラケットは確かにそのボールを捕らえていた。
そして、そのままちーきくの腕が振り抜かれる。
ボールが低い機動を描いて平林さんの方に戻って行く。
平林さんの反応が一瞬遅れた・・・ように見えた。彼女のラケットはボールに届かない。ラインの際どい位置で、しかし確実にその内側でボールは地面に落ちた。
えーっと? この場合はつまり・・・え!?待って!これ本当に??
え?テニスのルールってどうだっけ・・・。
想像していなかった結果に頭が追い付かないらしい。そんな私の軽い混乱を正すように
「ラブ・フォーティー!!」
審判が高らかに叫ぶ。
「しゃあ!」
気付くとちーきくガッツポーズをしていた。
「はい、さーちん!」
そして何故か私に向かって手を高くあげるちーきく・・・。
あ・・・そういうことか。私はちーきくの方に近付くと同じように手を高くあげ、少し力を入れて・・・いや、かなり力を入れてその掌を思いっ切り叩いた。
パァン!
良い音が響いた。
相手方のコートを見ると、平林さん達も今何が起きたのかわからない、というように戸惑っているように見えた。
やっぱり予想外の結果になったと思っているのは私の思い違いではないらしい!
え!? なに?今のちーきく?テニスやったことないって言ってなかった??
これだからちーきくは・・・!ひょっとしたら、この勝負、もしかするともしかして・・・?
私はまさかの結果になるかかもしれないこの状況に、自分でも異様だと苦笑いしてしまいそうな程の高まりを感じていた。
結果から言う。
まあ、やっぱり現実はそんなに甘くないよね。
終わってみれば私達の完敗だった。
一言だけ感想を言うなら、とにかく球が速過ぎだった。
今まで体育とかでテニスは何回かやったけど、素人がやっても所詮素人は素人なんだなって感じ。一応、ちーきくの名誉の為に言っておくと、それでもちーきくはよく食らいついていた方だと思う。
最初のサービスだけではなく、その後の平林さんサービスにもちゃんと反応してたし、何回かラリーが続く場面もあった。




