There's no chance to escape ~ミニイベ・忘却の彼方から3~
「退かなきゃ死ぬが、退けば未来は掴めない。なら掴もうぜ、未来」
【黒木勇斗語録・Xenoblade ダンバン】
「これは邪妖樹に変異した楓の枝ですわね」
リップルの酒場には『VIPルーム』と呼ばれる特殊な部屋がある。
冒険者ギルドが関わる仕事の中でもAランク以下の冒険者が請け負えない、国家規模で影響するクエストまたは重要機密に触れる会談を行うときにのみ使われる特別室で、遠隔視対策や盗聴対策など様々な結界処理を施されているあたし自慢の結界だ。
通常、このVIPルームは滅多なことじゃ使われない。
Aランク推奨クエストでも普段なら誰に聞かれても問題の無い範囲で情報提供が行われるため、単純に話し合うだけなら受付カウンターで事足りる。
ただ、今回だけはワケが違った。
このVIPルームが使用される理由は主に二種類ある。
ひとつは当のクエストが国家危機級の規模で、成功の是非が国に多大な影響を与えるため機密にしなければならないリージョンクエストである場合。
もうひとつが一般冒険者にはとても任せられず、知られないうちに関係者の間だけで極秘で済まさねばならない秘匿事項のクエストの場合だ。
今回のクエストは後者に該当している。
いや、状況によっては前者と後者の併合で扱われる可能性もある。
だからあたしは信じられる人間のみをVIPルームに招いた。
テーブルの対面に座るのは三匹の御隠居の一人クローディア。
王都西側にある妖魔の森の主にしてダークエルフ国家の女王。
齢はすでにニ百を越え、人間換算でも還暦を通り越している年だが、大魔術師マーリンに勝るとも劣らない大精霊術士として現在も尚現役で、精霊魔法使いとしての実力は大陸内でもならぶもの無し。聖王暦の歴史に名だたる精霊術士たちの中でも最強説が根強い。
同時に──
「クローディアさん、間違いないですか?」
「間違いありませんわ。こんなもの、いったいどこで?」
この人は……
「レーネ川の上流、メイプル大森林の北にある渓流から流されてきたと想われる冒険者たちが持っていたものよ。おそらく第八区からの土産物でしょうね」
二十五年前に起きたメイプル大森林の怪異の関係者だった。
「メイプル大森林の禁足地『第八区』……」
クローディアさんは苦々しく呟く。
「まさかコレをまた目にすることになるなんてね」
わたしは当時まだ産まれて間もない身だったから詳しくは知らない。
でも、例の一件の当事者だった彼女の渋面を見れば深刻さは分かる。
あまりの結末に村の大人たちが口を噤んで禁忌としたほどのもの。
禁足地として封鎖された『第八区』の悲劇。
大魔術師のおばあさまが命を落とすほどの大事件だったにも関わらず──
おばさまも叔父も決してあたしに事の顛末を話そうとはしなかった。
だからあたしはメイプル村の怪異についてはよく知らない。
いや、知ろうともしなかったし、今日まで知りたくもなかった。
なぜならこれはら永久に関わりたくない忌まわしい過去の起点。
あたしが村を見捨てた最大の理由が、この事件だったから……
「リップルちゃん」
あたしのそんな微妙な雰囲気を察したか、
「この枝がどんなものかは知ってます?」
おもむろに黒枝をつまみ上げながらクローディアさんがわたしに問いかけてきた。いつものママさんではなく昔からの呼び名で。
「大禍楓という名称と、コレが邪気にあてられて変質した樹木『邪妖樹』のカテゴリーに属するモノであることは分かります」
『妖樹』。
ある程度、魔道に精通する人間なら名前くらいは知っている。
一般的に高濃度の魔素にあてられたりした植物か変異したものとして知られており、マンドラゴラやアウラウネなどの植物モンスターも妖樹族に属するものとしてカテゴライズされている。
捕食や防衛のため通常の植物には無い物理的魔法的な攻撃手段を持つものが多いが、単なる妖樹はこちらから危害を加えるようなマネさえしなければ基本無害だし、特殊な薬効や魔術素材として活用されるプラスの面が大きいため名前に反して人類に利になる存在だ。
しかし邪妖樹は違う。
魔界の邪気や瘴気によって変質したこれらはお世辞でも人類の敵。
毒素・悪疫、暴食、さまざまな悪意をもたらし人はおろか自然界にすら敵対する邪妖樹は、Cランク冒険者向けの討伐対象として常に根絶目的のマークを冒険者ギルドからされている。
「あと──」
加えて、邪妖樹もまた通常の妖樹と同じように薬効を持つ種が多く。
「これが非常に危険な麻薬の原料になるという程度には」
第八区が完全封鎖された最大の理由がこれだった。
「そう、邪妖樹の最も恐ろしいところは種としての単純な凶暴性や攻撃性とかではなく、果肉や樹液から中毒性の高い高濃度の麻薬物質が採取できること。邪妖樹は極めて発生率が低く、かなりの偶然が重ならない限り滅多に地上に現れませんが、ひとたび世に出れば……」
「聖王暦が始まる以前まで内陸部で繁栄を極めていたハイエルフの帝国を、たった一瓶で崩壊に導くほどの悪意の甘露と化す」
これは歴史の教科書でも記載されている有名な出来事だ。
のちに聖王となる勇者ベリアが邪竜神の断片から誕生した魔皇帝ルーシェルを倒し、血戦の地となった大陸中央部に一大王国グローリアを築くずっと以前、この王都周辺の地にはハイエルフが支配する帝国が存在していた。
例の迷宮王の時代よりも旧く、二千年以上前に跡形もなく消滅した文明のため、現在まで残された帝国の史料は少なく、ときおり発見される古代遺跡から分析解読されたものからの情報しか知りえるものはないが、その当時はまだエルフはハイエルフという単一種族で白と黒に分化されておらず、寿命も現在の退化したエルフと異なり千年に等しい長寿を誇り、大陸のヘソに無限の魔法力を供給する魔力炉の巨大塔をおっ建てて、現代ではノストテクノロジー化または古代魔術の禁呪に指定されている魔法技術を当たり前のように使っていた大国家だったらしい。
地上の人間を長らく三等市民という名の奴隷として扱い、ドワーフを筆頭とした様々な異種族を内陸から追い出し、魔族はおろか天空人にさえも矛を向けて領土を荒らそうとするなにもかもを蹴散らし続け、ついには造物主であるはずの神竜をもないがしろにしてエルフ至上主義を歌うようになった伝説の帝国ソドミー。
高慢と排他と民族主義の極みが青天井のまま帝国の歴史はおよそ建国期と思われる時期から四千年続き、彼らは人間が目指す千年王国など目じゃない万年帝国を謳歌しようとしていたらしいが、ある年代を境に大陸を絶対支配していたエルフたちの帝国はフッと大陸の歴史から消失する。
魔術文明を究め尽くした栄華は怠惰を生み、敵を失った平和は停滞を呼び、ただただ持て余す寿命を埋め合わすために耽り続けた享楽の果て、古代エルフたちはより強い快楽を求め、酒を越える自滅的な娯楽に溺れて禁断の甘露にまで手を出した。
すなわち麻薬への没頭。
帝国歴四千年余の歴史で行われた王権の交代はたったの一回。
彼らのあまりに行き過ぎた選民思想は単一種と単一世代による絶対支配を頑なにし、そうでなくても出生率の低いハイエルフの人口を更に狭める結果になった。
それでも国がそれなりに立ち回っていたのは彼らが数千年の時を生きる種であればこそで、帝王が初代のまま存命であれば世代交代による思想の変化もほとんどないわけで、たったの二世代、しかも先代帝王が息子に帝位を譲っても実権を握り続けた歴史の浅いワンマン国家など、首脳が乱心してしまえば脆いもの。
人類始祖と森の妖精族との配合より生まれ、古来から植物由来の薬品調合に長けていたエルフ原種が、快楽の追及で麻薬に手を出すのは避けられない運命だったろうし、どれだけ贅を尽くしても足りない千年単位の絶望的な暇が、より危険で蠢惑的な娯楽への渇望へ魂を押し上げたのも分かる気がする。
伝説では、栄華を誇った古代帝国ソドミーを滅亡に追いやったトリガーは、一人の旅の薬師が帝国に売り込んできた一瓶の麻薬だったといわれている。
帝国の僻地で発生した邪妖樹から生成したその麻薬は、暇つぶしの享楽を追及し続ける先帝と帝王を容易く虜にし、またたくまに邪妖樹の保護と大量生産ラインの確立という最低の悪手に導いた。
皮肉にもその優れた魔法技術ゆえに年に一瓶分の生成が限界だった生産量は一気に年間一樽分へ、やがて粗悪品ながらも帝国一等民はおろか首都外のニ等民の手にいきわたるほどの生産ラインを確立するに到る。
結果、先帝と帝王もろともソドミーの民は麻薬に溺れてトチ狂い、その荒廃ぶりを深刻ととらえた天空人は最終戦略兵器メギドアークによる浄化を慣行。
全盛期ならば魔術障壁による対抗で天空人の裁きの鉄槌もものともしなかったソドミーも、重度の薬物中毒に陥った状況ではまともな思考が出来るはずもなく、天空城からの使者の警告に唯一耳を傾けた勇者トロの一族を除き、古代帝国は貴賎の区別無く天罰の光に焼かれて消滅した。
ただしこの御伽噺は天の裁きと称して大量虐殺を行った天空城側の証言を元に作られたもので、どこまでが本当かは新しい史科が発見されるまで分からない。ただ、帝国衰退の原因がソドミー・ダストと呼ばれる邪妖樹からつくられた麻薬の蔓延であったことは確からしい。
天空人による裁きが下った後はもう、大陸を席巻したハイエルフ文明は一般に知られている通りの凋落の一途。
首都は首脳部と市民もろともに完全消滅。魔力炉が消失したことで首都からの魔法力レイラインが崩壊したため、難を逃れた周辺の集落も機能不全。
大陸の大自然から好き勝手に汲み上げ続けた魔法力で数多くのマジックアイテムを操り、悠々自適で優雅な暮らしを送っていた偉大な魔法文明も、マジックアイテムを動かすエネルギーの供給が途絶えてしまえば単なるガラクタの山だ。
結果、無事に戦略兵器の射程外まで落ち延びた勇者トロ一行以外の帝国民は全滅。あとは帝国のやりかたに付き合えず自然主義を唱えて、慎ましい原始的な暮らしをしていた極少数のハイエルフのみが大陸で生き残ったという。
そのハイエルフたちも帝国滅亡を皮切りに発生した戦乱の世を生き残るために神々の庇護下に入り、森竜神の信奉者となった民が白エルフ、闇竜神の信奉者となった民が黒エルフとなった。
こうして種の存続と引き換えに偉大な古代魔術の加護を失ったハイエルフたちは、通常で二百年、長くても三百年の寿命という大幅な退化を余儀なくされることになる。
当然、これまでハイエルフに穴倉まで追い立てられて冷や飯を食らっていたドワーフ族、下賎な畜生と扱われ南方の僻地に封印された獣人族を筆頭とした亜人族、そして数千年単位でハイエルフの奴隷であった人間がハイエルフ文明の弱体化に対してなにもしないわけがない。
帝国滅亡の機会を逃さず各種族が手を組み反旗を翻して帝国軍の残党を掃討し、地上の支配権を一気に逆転させた一件は、大陸最大の戦国時代の端を切った戦乱としても有名であり、後年に人間側の勇士オーニンの名をとってオーニンの乱と呼ばれた。
これがだいたい千八百年前の出来事。
わたしたちが知っている人類史はここから始まる。
どれもこれもすべて一瓶の麻薬が起こした惨事だった。
ちなみに邪妖樹由来の麻薬『ソドミー・ダスト』を帝王に献上した薬師の正体は不明のままで、名も知られぬ魔王が化けたものだとか、ハイエルフの支配をよしとしないドワーフ国の差し金だとか、奴隷の身から下克上を狙った人間側の陰謀だとか諸説いろいろある。
真実がどうあれ瑣末なことだ。
薬師の正体がなんであれ、滅亡の根源は変わらない。
「その魔法帝国の麻薬製造工場があった場所。それが今のメイプル大森林」
そんな古代帝国を滅ぼすほどの危機がいま──
「いまでこそ楓の森の姿になっていますが、つい二百年前まで、あの森周辺は勇者トロさまの遺言で私の一族がよからぬ考えを持つモノたちから工場跡の遺跡を守護する封印の地でした」
再び、いや、三度、あたしの世代で起きようとしていた。