Regular Customers ~ミニイベ・忘却の彼方から1~
これまでの自分を否定したくないの。
例え失敗ばかりだったとしても、それを含めて今の自分があるんだから。
【黒木勇斗語録・STEINS;GATE 牧瀬紅莉栖】
王都グローリア城下町のメインストリート沿いに一軒の酒場がある。
冒険者ギルド【グローリア本部】の直営店『リップルの酒場』。
そこはこのあたしリップルが経営する冒険者たちの憩いの場だ。
今日も飯と酒と冒険を求めて、腕自慢のならず者たちが訪れる。
「四番テーブルにカツ丼と牛丼の注文が入りましたー!」
「七番テーブル、大蛙のから揚げ定食とビールお待ちィ」
「護衛クエストの受注ですね。ではこちらにサインを」
「スイートでの宿泊ですか? それでしたら大銀貨二枚になります」
朝昼晩を問わず冒険者の酒場はてんやわんやの大騒ぎ。
仕事を求めて掲示板の張り紙とにらめっこする冒険者たち。
宵越しのカネはもたねぇと飲み食いに明け暮れる冒険者たち。
次のクエストを前に吟遊詩人の弾き語りで心を癒す冒険者たち。
馬小屋で寝る貧乏冒険者にスイート部屋で寝る成功した冒険者。
あたしの酒場には様々な理由で様々な冒険者たちがやってくる。
「よう、ママさん。今日は珍しく昼間から店頭にいるんだな」
「最近は別件もあって忙しいんじゃろ? あんま無理するでないぞ」
「次のバニーデー。久々にママさんの白バニーが見たいですわね」
この店には冒険者だけでなく元冒険者の常連も多い。
大冒険の果てに一財を成して冒険者を円満引退した成功者。
寄る年波や才能の限界に屈して惜しみながら冒険者を引退した者。
七大魔王大戦のおりに大活躍をしたあと一線を退いた英雄もいる。
それぞれにそれぞれの成功や失敗のドラマがあり皆が物語の主役だ。
で、あたし自身も彼らと同じで現役を退いた元英雄の一人。
邪竜王討伐を果たしたパーティー『どらごんすれいやー』の立役者の一人、
賢者リップルといえば、業界ではそこそこ程度には知られた存在だ。
王家直参の宮廷魔術士に仕官しないかなんて話がくるくらいにはね。
無論、そのテの宮仕えは窮屈で向いてないんで速攻でお断りして、わりと自由気ままにやれるギルド酒場のママさんなんてやってるわけなんだけど。
あと、付け加えると──
我ながら思うんだけど、ウチに来店する常連客ってどっかおかしい……
ギルド本店の冒険者の酒場は普通の客層なのに、どうしてこうなった?
特にやばいのがカウンター席でランチを楽しむこの三名。
「ところでママさん、玄関に東方米キャンペーンと看板にあったが」
丼モノのメニューをガン見しながら王国騎士団の団長が言い、
「情報が遅いぞギュス公、わしなんぞ初日から毎日通い詰めじゃ」
王国の知恵袋と名高い宮廷魔術師が昼から清酒をガブ飲みし、
「あの、この蕎麦の麺料理、つゆがまた美味しくなりましたわね」
近隣の妖魔の森に棲むダークエルフの女王がソバを啜るというこのカオス。
以上、半世紀前の若かりし頃にグローリア王都をゆるがせた大魔王を打ち倒した六人の英雄の生き残りにして、七年前の戦役においても【雷嵐王】率いる嵐の軍を老骨叩いてたったの三人で壊滅させた冒険者ギルド最古参パーティー『グレイテスト・ロートル』の面々でした。
なお、救国の勇者パーティー『トワイライト』の生き残りたちが結婚や仕官を理由に全員冒険者を十代の若さで現役引退したってのに、平均年齢70を越えるこのメンツはいまだに冒険者カードを返納する気配もなく現役のままな模様。
本業はどうしたオマエラ。王宮の仕事しろ。
「ええ、今週は東方米を使った料理のキャンペーンをしているんです。最近、どっかのナイスミドルなオジサマがあたしの誕生日のプレゼントとか言って、国王陛下に頼んで貿易許可証をウチによこしてくれたおかげで、イデジマの港町を経由して『ひんがしのワ国』との交易が可能になりまして」
と、目の前でカツ丼をウェイトレスに注文する髭の騎士様へ軽くウインク。
今年の誕生日プレゼント、下手な宝石よりも価値ありましたわよおじさま。
「公私混同じゃな。仮にも王国騎士団の団長ともあろうものが、知人の孫かわいさに職権乱用のプレゼントとは嘆かわしいにもほどがあるわいブツブツ」
はい、そこの飲んだくれジジイ。
友人に孫の好感度もってかれた嫉妬丸出しなオーラで妬むな妬むな。
「まぁまぁ、陛下に直訴できる立場を使って手に入れた贈り物には間違いはないですが、ワ国との交易権のおかげでにこうして酒場のメニューに東方の食材を使ったものが増えたわけですし。そのセイシュという東方で取れる米のお酒が入荷したのもグスタフの機転のおかげなのでしょう? それでしたら文句を言うのはお門違いではなくて?」
「ぐぬぬぬ。クロがそういうのであれば……一昨年にわしが宮廷魔術師の職権を乱用して巨大魔結晶を削った投身大リップル裸婦像をプレゼントしたときは、頭に廻し蹴りくらった挙句に即バラされて売られたというに……」
「あれはおなごなら誰でも怒ると思うぞマーリン」
「だから孫弟子かわいさで常時【魅了異常】とか言われるんですのよ」
酒場の常連はみんな週三のペースでここに現れる三人のご隠居が、ともすれば大臣なんかよりも影響力を持つやんごとなきグローリア王国の重鎮だって知ってるけど、ここはあえで知らないふりをするのが御約束。
このリップルの酒場は中立地帯。
身分の貴賎も老若男女も種族も分け隔てなく平等に一人の人間。
たとえ神竜や魔王がやってきたって酒と飯を求めて来たのならお客様。
飲んで喰って騒いで帰るまで、リップルの酒場は客の背景には拘らず。
そこんところは他の客にも従業員にも徹底して不文律を厳守させてる。
まぁ、そんなことやってるからどんどん客層がカオスになるんだけどね……
「はい、カツ丼お待ち。これまで異世界飯は代替品の麦飯でやってきたんですけど、むこうの短粒米が格安で手に入るようになったからオリジナルに近づけるようにしてみたんです。白米バージョンもなかなかのものでしょ?」
「なるほど。たしかに麦飯よりも東方米のほうが汁気を吸い込みやすくて美味い。いや、汁気との相性は長粒の大陸米でもなかなかのものなのだが、この独特の粘り気と揚げ物と溶き卵との絡み合いが凄まじい。これまでひんがしの国は蛮国と侮っていたが、味噌や醤油の他にこのようなモノまであるとは侮りがたし……このギュスターヴ一生の不覚よ」
うちの丼飯が大好きな王国騎士団の生ける伝説『聖騎士ギュスターヴ』。
ロマンスグレーのナイスミドルでウェイトレスにもギュス様と大人気。
ただ王国騎士団の鎧を着込んだまま来店してくる天然はどうかと思う。
「クロにギュス公よ、これを機に世の広さを知るといい。ワ国は麦の大陸と違い米の文化。我々大陸人とはまったく異なる食文化を形成しておる。故に侮りがたしよ。わしも東の果ての小島にこのような米を素にした酒が存在するとはキャンペーンが始まる前まで思いもよらなんだわ」
ギュス様の驚きに賛同する宮廷魔術士のマーリン先生。
つい先週まで麦酒派だったのにワ国の清酒を知ってからはすっかりコレ。
大陸の歴史で五本の指に入る賢人をここまで狂わせる米酒の魔力すごいわ。
「ギュス様だけでなくのん兵衛のマーリン先生までここまで気に入るなんて相当ね。空賊の襲撃覚悟でわざわざド辺境の極東の港町まで飛空艇を走らせた甲斐があったわ」
「ワ国との交易が唯一許されてるイーストエンドのイデジマ領か。あそこにはもうすこし王都が積極的な支援をするべきじゃな。これまで軽視していた東方領と王都間の交易路の安全確保も考えにゃあならん」
「ときどき思うんですけれど、ママさんの流通経路は謎が多いですわよね。やたら異世界飯のメニューに詳しいし、普通は現地民向けにアレンジするものを、可能な限りオリジナルに近づけて提供しますし。食材は新鮮で種類も豊富だし。いったいどのような手段を?」
ソバ大好きなダークエルフの女王クローディア。
もともと彼女の住む西の妖魔の森地帯は蕎麦の原産地で酒場にも妖魔印の蕎麦粉を卸して貰っている関係上、蕎麦料理なんて珍しくもないはずなんだけど、これまで粥や焼き菓子ばかりで蕎麦の実の挽粉を麺にして料理するという発想が無かったらしく、すっかりうちの蕎麦の虜。
あたしが大陸の原材料を使っての完全再現に成功した『そばつゆ』がよほどツボにはまったのか、彼女の国は西の大山脈にあるというのに、週に3回のペースでグリフォンはしらせて足げく通ってくるんだから大した愛好ぶり。
地方によっては妖魔として忌み嫌われるダークエルフが平然と街中に現れるのも、人種のるつぼである王都グローリアの美徳の一つね。
五十年前に王都に侵攻してきた魔王を退けた功績だけでなく、七大魔王大戦のときにも彼女率いるダークエルフ精霊魔術師団が王国軍に加勢してくれた実績もあって、百年前まで魔族と同様の扱いを受けていたダークエルフが今では民族至上主義的な南方のエルフよりも王国民に親しまれているのだから世の中ってのは面白い。
「そこはまぁいろいろとね。食材の鮮度は仕入先で氷結魔法でカチンコチンにして保存してるし、異世界飯のレパートリーはほら、あたしって異邦人の知り合いがいるからオリジナルに詳しいのよ。うちの名物の味噌や醤油の精製法もそっちルートからね」
正確にはユートからではなくてエスティ経由で異世界の料理本を調達してもらって再現してきたんだけど、これは極秘事項なんで言えない言えない。もっとも料理本のことがバレたところで異世界言語の解読は日本出身の異邦人がいなきゃワケワカメだから自分以外が見ても内容は理解不能なんだけどね。
異世界言語をマスターするのにめっちゃ時間かかったのも今となっては良い思い出。言葉として発音するなら対象の感情や思考を意訳化して伝える翻訳魔法があるけど、異世界文字の理解そのものは地力で学んで解読しないといけないのが辛いところ。
「この蕎麦の実から作った麺料理もですの?」
「まぁね。蕎麦の実そのものは大陸でも栽培されてるけど、麺汁をここまで完璧に精製するのには苦労したわよ。味付けに使うトゥーナの干し肉も再現が大変だったけど、味の決め手になった昆布なんて北方海域の一部でしか取れない素材でさ、その一部海域付近の町じゃ雑草扱いで誰も商品にしようとしないし探し出すのに手間取ったわ」
「コンブとは?」
「別名を人魚の腹巻。大陸人がシーウーズって呼んでるアレ」
そばつゆの決め手になった素材の名前を聞くと一同は大層驚いた。
「ちなみにギュス様のカツ丼にもそばつゆ入ってますよ」
「なんと!?」
驚いてる驚いてる。
内陸の人間には海草を使った料理なんて馴染みないものね。
「まさか海草がこのような深みを持っていたとは喃」
「このギュスターヴ一生の不覚」
「海草を食べるのなんて半魚人ぐらいと想ってましたわ」
やっぱ大陸人には食の意識無いんだなぁ海藻類。
昆布独占に成功したときは大儲けの予感したんだけど失敗したし。
味噌汁やめんつゆのダシとるときにしか使えなくて困ったもんよ。
ユートが平然と昆布とかワカメとかの海藻類の料理を食べられるんで勘違いしてたんだけど、あたしを含めた大陸人が海藻類を食べるとなぜか消化不良で下痢しまくるのよね。
サラちゃんも言ってるけどニホンジンってどっかおかしい。
「すまないがママさん、チキンカツ丼というのも頼む」
「ワシはギンジョー酒なるものを一升。あと鮭の干物はありますか喃」
「私はデザートに蕎麦粉クッキーのメイプルシロップ味を」
それぞれがそれぞれの思い思いのメニューを堪能する中、
「ごちそうさま」
一足早く完食を果たしたのはマーリン先生。
さすがは飲兵衛。一升瓶があっというまにカラだ。
「東方米の可能性、五臓六腑で堪能させてもらったわい」
ごちそうさまと空になったツマミ皿を重ねてスプーンを置き、
「ところでワシの親戚筋からお嬢を是非ともヨメに貰いたいという縁談話が」
「おことわりします♪」
瞬殺。
「領民からの評判もいいヤーメ公の御子息なのだがそれでもダメか?」
「自分、結婚する気とかまったくありませんから」
他ニ名から漂う「まーた始まった」という空気。
ここ最近、この人が来店して食事を終えるとすぐにコレだ。
「師匠命令でもか?」
「師匠の師匠は師匠とは言いませんよ」
「でも十年前に、わしのとこに三年間下宿したじゃろ」
「あのときはお世話になりましたが弟子入りしたつもりはありません」
「わしの蔵書を盗み読みしてモノにするのに最低三年はかかるマーリン流の基礎を二ヶ月でマスターして、同年代のわしの弟子たちたあっさり越えたのにか?」
「独学でかじっただけなのでマーリン門下を名乗る気はありません」
「一咬みで首がハネとぶ首狩兎よろしくの齧りとは喃」
「おばあさまの教え方がよかったので」
「いっそ正式に弟子入りしてマーリン流を継承してみる気は?」
「毛頭ありません」
「そろそろひ孫の顔が……」
「そのテのお話は従妹にしてどうぞ」
そんなこと言ってると数百人いる正規門下生が泣きますよ。
そもそもあたしの直接の魔術の師はおばあさまで、おばあさまとマーリン先生は同じ師を持つ同門だけど、同門の弟子は我が弟子も同然とかよくわからない理屈をこねりだすのはムリムリすぎやしないかしら。
「この老い先短いチリメンジャコ問屋のオイボレの頼み、前向きに聞いてくれないものかのうゴホゴホ……最近とみに内臓が弱り果ててメシもまともに喉を通らず……」
「一升瓶をカラにしておいてなに言ってるんですか」
ここ最近、マーリン先生はやたらあたしに縁談の話を薦めてくる。
別にあたしは男に餓えているワケじゃないし、貴族になるなんてまっぴらごめんのすけだし、小人族なみに自由奔放に生きるのを旨とする自分に家庭に縛られるというのが想像できない。
我が魔法の師にしてグローリア王国最高峰の宮廷魔術師直々の縁談話、それも持ってくる見合い話が伯爵以上が当たり前の破格のものばかり。平民なら即座にOKするシンデレラドリームもはなはだしい夢のようなお話を真っ向から断る酒場の若ママというこの異常な光景。
これもまたリップルの酒場ならではの世界。
「そういう強情なところ、見た目だけでなく性格までますますツナミに似てきた喃」
「そういうとこでおばあさまの名前を出すのはやめてください」
まったくもう。
なにかあるとすぐおばあさまの名前を出して比較するんだから。
昔はなにかとつけて勝負しあったライバル関係だったらしいけど……
おばあさまにフラれたあと生涯独身だったあたりなんというかもうね。
人には必ず過去がある。血縁がある。一族の系譜がある。
酒場のママを始める前まで放蕩三昧に生きてきた自分にも過去はある。
伝説の魔術師マーリンの孫弟子として魔法を学んできた幼少期。
王国カジノの名ギャンブラーとしてブイブイいわせていた日々。
ユートたちと世界を回った掛け替えの無い旅の思い出もそうだ。
けど、思い出の中には死蔵させて風化させたいものだってある。
冒険仲間のユートたちにも伝えていない嫌な過去も沢山ある。
自分自身、このままなかったことにしたい薄ら暗い辛い過去。
それを知っている人間を恩師に持っていると本当にやりにくい。
あたしの名前はリップル・ハートバー。
地吹雪の魔女と魔王軍を震え上がらせたツナミ・ハートバーの孫娘。
そして──
目の前にいる飲んだくれの大魔術師がわたしの祖父である。
おばあさまは過去に色々あって籍も認知も許さなかったらしい。
だからマーリン先生とわたしの関係は血の繋がりはあっても他人行儀。
母サザナミの代からそういう姿勢を崩さず、孫のわたしもまた同様。
英雄の血脈、それは大きな箔であると同時に大きな重荷でもある。
将来を嘱望され、未来を期待され、才覚に恵まれ、故に疎まれて──
そして、あたしは逃げた。
魔女の孫娘という自分が生まれてすぐ背負わされた金看板から。
先生のもとから逃げて、生まれた村から逃げて、享楽の世界へ逃げて……
それでも過去からは逃げられないと悟らされたのはいつの日だったか。
嗚呼、そうだったわね。
邪竜王四天王の四番手に大敗して、ムカついて悔しくて遊び人としての自分に限界を感じて、おばあさまの遺品の『悟りの書』を持って転職の神殿へ向かったあの日が最初だったっけ。
その日以降もこうして過去との追いかけっこは続いている。
郷愁という名の夢幻の迷宮から抜け出せず囚われている。
たぶんこの逃亡の旅はこれからもずっと続くんだろう。
あたしが過去に真っ向から立ち向かう気にならない限り……
カランカラン♪
「忙しい飯時に悪いね。リップルちゃんはいるかい?」
そのとき現れた滅多に酒場に近寄らないはずの来客。
「リバーのおばさま?」
「ああ、よかった。ちょっと診てほしい患者がいるんだけどさ!」
このときあたしはまだ知らない。
二十年以上続けてきたあたしの逃亡劇の終わりの始まりが、ドアベルとともに不意打ちでやってきたことを。