unrighteous maple syrup ~サブクエ・メイプル村の怪異1~
あなたのように平凡で何も突出したところのない人が…
この場にいることに驚いています。
【黒木勇斗語録・ファイアーエムブレム セフェラン】
落ちぶれ冒険者ウゴウとシュウ姉弟は夜の森の中を逃げ惑っていた。
逃げていた。逃げていた。逃げていた。
鬱蒼とした草を掻き分け、繁茂する苔に滑り、根に躓きながら逃げる。
無謀な行動であった。
右も左も分からない。北へ向かっているのか南へ向かっているのか。
方向感覚すら怪しくなる夜の森の行軍。獣道すらない中を疾走。
冒険者ならば皆が避ける禁忌。自殺行為もはなはだしい素人判断。
彼らとて危険な行動であることは分かっていた。
ただ、ただ、ただ、大怪我を承知でそうせざるえなかったのだ。
少なくとも──
苔で足を滑らせ、根に足を持っていかれ、藪に隠れた崖に落ちようと。
背後から迫ってくるアレに掴まるよりは万倍もマシだった。
「急げシュウ! あいつらどんどん近づいてきてるよ!」
「ふざけんな。ふざけんなよ。なんなんだ。なんなんだよアレはぁ!?」
森が……襲ってくる。
彼らがこの『メイプルの森』の深奥で体験したそれを形容するならそれだ。
どいつもこいつもやられた。みんな喰われた。あるいは呑み込まれた。
十八人で構成された複合パーティーでここまで生き残れたのは二人だけ。
誰の目にも明らかなパーティー壊滅。全滅も時間の問題だろう。
この森に多く生息する灰色熊にやられたわけではない。
彼らは今でこそ盗賊モドキに落ちぶれたが元はCランクの冒険者。
モンスターレベル5の野生動物くらいならどうということはない。
しかも今回のクエストは18人の大所帯。
たとえレベルが倍の突然変異種が相手でも数の暴力で押し切れる。
しかし相手が動物も人も抱擁する大森林そのものなら話は別だ。
彼らは怒りに触れてしまった。
無数のカエデの木に、すなわち『メイプルの森』そのものの怒りに──
大自然の猛威の前に人間単体の力など実にちっぽけなものだった。
立ち向かう気などさらさらない。
生還の選択肢を求めて運命という渓流をどれほど下ろうと、事情がどれだけ変節しようと、気まぐれな死神がターゲットの優先順位をどう繰り上げようと、足を止めれば長くは生きられないであろう現実を彼らは冒険者時代の経験から十分に察していた。
二人が早い段階で森に喰われた仲間と違い、かろうじてここまで生き残びることができたのは、この姉弟が森林でのサバイバル活動に長けたレンジャー職だったことが大きい。
「ハァッ、ハァッ、ハハッ、ついにアタイらも年貢の納め時かな……」
「喋ってるヒマかあったら走れ。あいつらの仲間になりてぇのか!?」
走る走る走る走る走る。
聞こえてくる。聴こえてくる。
大森林の闇の中から高速で這いずってくる名状しがたきモノの笑い声が。
頭がどうにかなりそうだ。無数の狂人が交響曲のように笑い合っている。
それらに混じって聴こえてくる十数分前まで仲間『だったモノ』の怨嗟。
ギャハハハハハハハッ! ギャハハハハッ──
アキラメロヨ アキ$’(%ロヨ’((ヨ アキ゛ラメ゛メ゛゛゛゛メ──
オマエモオレタチミタイニナルンダヨ──
コッチニコイヨォォォォォヲヲヲヲヲヲヲテァェェォゥュ──
まるで地獄の門から染み出した亡者の軍勢だった。
生き残った二人への罵倒。恨みと嫉妬。死よりも恐ろしい末路への誘い。
あいつらは喰われただけでなく取り込まれた。地獄行きすら許されず。
一歩でも足を止めれば『こうなる』。それだけは死んでも御免だ。
「すまないね弟者。アタイのせいでこんなくっだらねぇ仕事に巻き込んでさ」
「それはいいっこなしだぜ姉者。俺たち姉弟はいつだって一緒の旅だろうが」
どうしてこんなことになったのだろう。
ウゴーとシュウの双子は故郷の東方ではやや名の知られた冒険者だった。
南方の狩人たちほどではないにしろ、それなりに弓の腕も立つ。
女と思えぬ腕力で強弓を扱わせれば平原の地で五指に入った姉のウゴウ。
姉に比べて小柄で華奢ながら精密射撃はBランク級と言われた弟のシュウ。
双子は常に行動を共にし、固定パーティーを持たないフリーランスの冒険者として様々なパーティーの助っ人を請負い、現時点の冒険者ランクはCと、それなりの成果を残している。
年もまだ二十歳。冒険者として脂が乗り始めてこれからという年頃。
しかしそんな二人にも勇者氷河期による冒険不況の波は訪れた。
冒険者家業を四年ほど続けたところでやってきた巨大な大人災。
急激な仕事の減少は彼らのようなフリーランスには特に痛手だった。
顔ぶれが同じ固定パーティーと比べると彼ら穴埋めは信用度に欠ける。
雇用主から見ても固定パーティーのほうが継続して雇いやすい。
昔は野良パーティーという酒場で即席で組む編成でも仕事はあった。
が、現代はもうそういう時代ではなくなっていた。
「へっ、いい男も射止められないまま愚弟と死ぬときも一緒たぁね」
「ほんとにな。双子で死出の旅とか最低だな」
彼らは平原の遊牧民の生まれ。
国家を持たず、定住の地を持たず、東方大平原を巡る自由の民。
風の向くまま気の向くままに気紛れにが草原に生きる彼らの心情。
いまさら他人と固定パーティーを始める気にもなれない。
ウゴウとシュウは双子の姉弟。二人で一人の弓矢の間柄。
どちらが欠けても意味を成さず、どちらかだけでも意味は無い。
完全に仕事にあぶれ始めたのは半年ぐらい前からか。
商隊護衛の仕事はそこそこあったが、どれも同業者との奪い合い。
そうなるとどうしても固定パーティーのほうに優先的にまわされる。
遊牧民の彼らに貯蓄の概念は薄く、その日暮らしがモットー。
これまでの稼ぎは日々の飯と酒に消え、矢などの補充に費やされた。
冒険の仕事が無いときは狩りなどで獣の革肉を調達して売りさばいた。
しかしそれも限界に来ていた。
そろそろ一度、故郷に帰るべきかもと想っていたそのとき──
あんたらレンジャーに頼みたいことがある。
と、あまりマトモな世界の住人には見えない男から依頼を受けた。
実際に話を聞いてみれば予想通りにマトモな連中ではなかった。
最近、冒険者から野盗に身を落とす連中が増えて問題化している。
彼らもまたアウトローに片足を突っ込んだ冒険者くずれだった。
依頼内容は王都から五日ほどいったところにある大森林の探索。
数年前まで王都最大のメープルシロップの産地があった場所だ。
メイプルの村といえば遊牧民の間でも知られる貴重な糖の銘柄。
噂では西方からの砂糖の流入によって村が丸ごと潰れたという。
今は廃村前でカエデの森を手入れするものもおらず荒廃の一途。
おかげでシロップを精製する者もおらず……
つまりは使わない森なら彼らが拝借してもかまわんということ。
収穫期には三ヶ月ばかり早いが、そのほうが警戒も薄くてやりやすい。
頭の悪い理屈だ。ようするにメープルの樹液の密猟なのだ。
その団体の護衛と森の案内が二人に任された仕事だった。
犯罪の片棒を担ぐのは気分が乗らないが背に腹は変えられない。
明示された報酬もなかなかのものだった。
冬眠前で気が荒くなっていて危険な灰色熊の警戒と撃退。
それと大森林の移動に慣れていない彼らを補助する誘導員役。
こんな簡単な仕事の内容のワリには法外な値段だ。
腕の立つレンジャーだからいう雇用主の判断もあるのだろうが。
聞いてみると雇用主は「ここだけの話」と語り始めた。
なんでも近年、メープルシロップの再評価が行われたらしい。
これまであった在庫も尽きて再生産を求める声が出るが手遅れ。
もはや村は壊滅し、地主も自殺し、生産ラインは止まっている。
生産されなくなると途端に欲しがるようになるのは人間の心理。
街道に出没する盗賊のせいで砂糖が高騰したのも一因だろう。
もし採取した樹液を樽単位で持ち帰れば闇ルートで高く売れる。
だから密猟者にとってもコレはかなり美味しい甘露だったのだ。
結果だけを見れば割に合わないくらいに高くついたわけだが。
「あぐっ!」
「姉者!?」
運命のときはきたれり──
姉の短い悲鳴と転倒音。ついに足をくじいたか……
暗視スキル持ちでも見通しの悪い深夜の森の中。
遅かれ早かれこうなることは分かっていた。
「まいったねぇ。これでアタイもおしまいってわけだ」
根に足をとられての転倒。かなり強く捻挫したらしい。
もはや一人ではまともに歩くことも叶わない。
背後から追って来るモノは弓でどうにかなる相手じゃない。
もはやこれまでだ。
「やっぱ風神にソッポ向かれるようなマネはするもんじゃないね」
「いや、姉者。悔い改める気があるなら風竜神さまは慈悲深い」
それでも──もし一縷の望みに賭けるとするなら。
「風に乗って……水の匂いがする」
闇に隠れて目視不可能な森林の先の先。
草原の民の優れた感覚が感じとったアレに賭けるなら。
風が運んでくれた最後の機会に感謝し、死力を尽くすだけ!
「姉者、装備を捨てるぞ。前金も背負い袋も防具も弓も全部だ」
「えっ!?」
シュウは身に装備品の殆どを投げ捨て、クロースだけの格好になる。
「シュウ、アンタいったい」
「いいから!」
珍しい弟の剣幕にウゴウは黙って装備を脱いだ。
弟は気丈さでも腕力でも体躯でも姉に劣る青瓢箪だがカンだけはいい。
彼がこの危機的状況でなにかを感じたのなら大人しく従うが吉。
あとは風の向くままに野となれ山となれだ。
キキキッ……キキキキキキキキキ……キキキキッ……
鳥の囀りも虫の音も消えているのに森の闇が激しくざわめく。
風上にいるはずなのに瘴気が、腐臭が、死臭が二人を撫で回す。
じきに地獄がやってくる。森のカタチをした増殖する地獄が。
時間が無い。
シュウは自分より頭ふたつは背の高い姉をお姫様抱っこで担ぎ上げる。
いつもと完全に逆だなと苦笑するヒマもない。
「姉者、ちったぁダイエットしろよ」
「うっさいねぇ。これくらい筋肉ないと強弓は引けないんだよ!」
走る走る走る走る。
来る来る来る来る。
二人は振り向かなかった。
振り向く余裕など無かったし、振り向けば確実に正気を失う。
見てはならない。見るべきではない。見れば恐怖で気が狂う。
あれはもうこの世のものではない。
伸びる枝。迫る蔓。もはや木とは呼べない人面瘡だらけのナニカ。
森そのものが禍々しい怪物になって二人を追いかけている。
なぜこんなモノが王都にほど近い近郊の村に──!?
これはすでにCランク冒険者がどうにかできる次元を超えている。
一刻も早くギルドに知らせるべきだ。生還して伝えなければ。
さもなくば、場合によっては王都そのものの危機に発展しかねない。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
シュウはあらんかぎりの声を張り上げて森の先の先を抜けた。
これまであった足場は消え、木々に遮られた視界も一気に開ける。
その先は渓谷。遥か真下には先日の雨で増水して荒れ狂う渓流。
風が教えてくれた唯一の逃げ道は、あまりにも分の悪い賭博場。
勝てる確率は低い。それでも彼は生還のためにこの道を選ぶ。
装備を投げ捨てた彼は、己と姉すらもチップに換えて投げ捨てた。
すなわちそれは断崖からの飛翔──
「なぁ、姉者」
「なんだい? 弟者」
「川に流されて自然に還るのと、バケモノになるのどっちがいい?」
「いうまでもないね」
こういうとき草原の民は風の流れには逆らわない。
ただ己の運命を風の行き先に任せ、大自然の意志に身を委ねる。
このまま溺れ死ぬならばそれでいい。自然に抱かれて死ぬのは本望、
少なくとも不自然の怪物に喰われ取り込まれるよりはずっとマシだ。
なるべく川の中央を狙って飛び立った身体が弧を描いて落下。
なにものも重力には逆らえず、二人は谷の闇に消えていく。
川の激流が間近に迫る。ここからは生還か溺死かの丁半博打。
──ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ──
あと一歩で獲物を掴み損ね、人面瘡が喚き散らす怨嗟に混じって──
双子は遥か上から気味の悪い老人の怒声を聞いたような気がしたが。
ドボン──
もはやどうでもよかった。